![]() ★僕との関係を、ちょっと(←微妙な副詞)、再確認したい資料(江藤淳『日本と私』)があり、それが掲載されている昔の週刊誌をみている。 本文、左右の広告欄の書籍名が目に飛びこんでくる。 『マルゴ』――大人のための愛のメルヘン。金持ちの中年男アルビヌスは、妖精のような少女マルゴに夢中になり、妻と別れる。しかし……。 『ファニー・ヒル』――芸術かワイセツか? 性文学の最高傑作。 『千夜一夜物語』――本邦初の無削除秘蔵本。延べ50万部突破! 『3900羽の野鴨たち』――日本アイ・ビー・エムの価値ある年輪 『展望』――「遙かなノートル・ダム」(森有正)・「わがいのち月明に燃ゆ」(林伊夫)…… 『アテネの歌声』『壊滅・氾濫』『義勇兵』『不敗の村』『影絵の世界』等々……。 もちろん、実際に読んだわけではない。 高校生の僕が読んだのは『わがいのち月明に燃ゆ』だけで、あとは書名とかキャッチコピーから、相当なエネルギーを費やして、中味を想像していた。 こういう「想像」が僕を育てたのだ(^_-)。 昔の週刊誌の広告文字が、僕の記憶の根をガラガラと揺さぶる。 ★画像=その昔の週刊誌。 表紙は『日本と私』と何の関係もないが、高校生の僕は、次の場面を連想していた。 ――そういう芝居の書き割りのような家に、家内がデパートに注文した食卓と椅子がはこびこまれて来る。 敷物とソファやひじかけ椅子がはこびこまれて来る。 そして空間がもので少しずつ埋まっていく。 まるで7年間私たちに欠けていたものを必死になって埋めようとしているかのように。 だが、やはり私はだまされたかだましたかしているかしているのではないだろうか。 いったいものを集めたら心の欠落が埋まるのだろうか。 私たちは日本人が過去十年間やって来たことを、2週間かそこらでバタバタとやっただけのことだ。 新しい食卓と椅子は、二組の夫婦しか座れないが、コロニアル・スタイルまがいのかたちをしている。 家内はこういう家具をアメリカで見覚えたにちがいない。 その上にありあわせのテーブル・クロスをかけて、「社長」が転居祝いに持って来てくれた大阪ずしを晩飯がわりに食べていると、 「これが生まれてはじめての自分の家だわ。やっと自分のうちというものに住めるようになったのね」 と家内がポツリといった。 こういう「連想」が僕を育てたのだ(^_-)。 しかし、もうこの「ご夫婦」も、この世にはいない。 妻、1998年暮れ、病死。 夫、1999年夏、自刃。 ★関連記事 ・「寿司はやっぱり大阪寿司や」「センセにほめてもらうとうれしくなります」「わしは大阪寿司の皮目が好きや ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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