★TVでプロ野球を観戦するとき、僕は(選択が可能である場合に限るが)「球場音声」を選択している。 外部スピーカーを接続して大音量にするか、あるいは、ま、周囲に迷惑がかかる場合は、ヘッドホーンで観戦する。 ホンモノの球場に身を置くような感覚に浸れる。 それに球場によって微妙に異なる雰囲気がはっきりと伝わってくる。 ここで、その違いの詳細を書きたいところだが、また長くなってしまうし、今、僕にもそれを書く余裕がないから、きょうはやめるが、パ・リーグとセ・リーグでは違う。 パ・リーグも球場によってかなり違う。 いちばん異質なのが楽天球場(仙台)だ。 声援の質があたたかい。 品がある。 強いていうなら、全国高等学校野球選手権の地方大会の雰囲気に似ている。 先日の日本シリーズ・第7戦は、パートナーとTV観戦したが、パートナーの声援が楽天球場とシンクロしていた。 ![]() 昔の日生球場3塁側スタンドの雰囲気をそのまま残している。 涙が出る。 ★画像・上=場内一周を終え引き上げる際、もう一度マウンドの感触を確かめる田中将大=3日夜、Kスタ宮城(中川春佳撮影・産経フォト) 画像・下=6回、守備につく選手へエールをおくるスタンドの応援団。左は美馬学投手=Kスタ宮城(土谷創造撮影・産経フォト) ★けさ、悲しいけど、「ま、ええかぁ~」という感じの微妙な夢を見た。 ![]() 僕は、お葬式会場である小学校の体育館に靴下の足で立っていた。 ツルツルと、よく滑る。 場所は海辺らしく、海鳥の声と漁船の汽笛が鳴き交わすように聞こえてきた。 弔問客は、広いフロアーに敷かれたゴザに座っていた。 日焼けしたおばあさんたちで満席だ。 うしろのほうには小学生たちの一団があった。 まだ小さく、小1~小2というところだ。 ずいぶんと賑やかなお葬式で、僧侶の読経中も、あちこちでおばあさんたちの談笑が続いている。 小学生の中には走り回って、わざとキュッキュッとズックの音をたてている子どももいる。 いったいだれのお葬式なのだろうと、僕は、しきりに祭壇のほうを見る。 ステージにしつらえた祭壇には、生花や花環があふれていた。 ![]() やがて焼香がはじまった。 あちこちのゴザから、おばあさんたちが順々に焼香台の前にやって来る。 合掌と焼香だけをするおばあさん。 弔詞を読むおばあさん。 弔詞をもってきたが、読まないで焼香台に置いてかえるおばあさん。…… みんなまちまちである。 若い僧侶も弔問客と気楽に会話をしている。 「おばあさん、弔詞、読むのんか?」 「どないしようかなァ? 迷てんねん」 「供養になるんやから、読んだったらええやないか」 「ほな、読もせてもらおか」 短い詩のような弔詞だった。 ![]() 汗のにじんだ首筋から、線香の煙が忍びよってきて鼻を打った。 やがて、おばあさんたちが読む弔詞の中味から、僕は、 「もしかして、このお葬式は、自分のとちゃうのんか?」 と気づく。 また別のおばあさんが来た。 「読むのんか?」 「どないしようかなァ? 迷てんねん」 「供養になるんやから、読んだったらええやないか」 やはり短い詩のような弔詞だった。 もう間違いない。 僕の葬式だ。 眼からボタボタと涙がこぼれた。 「読むのんか?」 「ううん、ここに置いとくわ」 泣いている僕の前で、僧侶とおばあさんたちのやりとりが、延々とつづく。 おばあさんたちの列に、小学生たちがまじり始めた時、僕は、聞き覚えのある声を聞いた。 「アホ、お葬式やでェ。静かにせんとアカンやないか!」 引率の若い教師が、走り回っている子どもを叱っている。 その教師と眼があったとき、僕は、 「なんや、僕やないかい?! おい! おい!」 と声をかけた。 しかし、その声は、若い教師にはとどかなかった。 その瞬間、場面が急転して、ゴザに座っていたおばあさんたちや、焼香の小学生たちが、円形の流水プールのようにグルグルと回転しはじめた。 「気ィつけなアカンでェ!」 若い教師が、大声で子どもに注意している。 ここで夢が終わる。 ![]() ★画像=夢とシンクロしたJR八戸線・白銀駅界隈の光景。
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