1学期の最初の授業がはじまった日の「帰りの会」のこと―― 自分が担任している学級で「きょうの1時間目はなにをしましたか?」とたずねると「自己紹介をしました」と返ってきた。 「2時間目は?」「自己紹介!」 「3時間目は?」「自己紹介!」 学級日誌には、1時間目~6時間目まできれいに「自己紹介」の文字が並んでいた。…… 「センセィはみんなのことが知りたいなぁ~。順々に自己紹介してもらおうかなぁ~。ぜひ、今年の夢も語ってほしいなぁ~」 冗談ではない! 6回もこんなことを語らなければならない子どもの身になってみろ! これでは子どもたちの意欲はそがれてしまう。 最初から学級はボロボロだ。 バカな教科担任6人が寄ってたかって僕の学級を壊しにかかっているのだ。 ★1時間目にはどんな教科が適しているのか? 午前中にはどんな教科がいいのか? 午後、給食&休憩のあとは、どんな教科がいいのか? この教科のあとは、どんな教科がいいのか? 1日6時間の教科は、どんな組み合わせが適しているのか?…… 日本の公立中学校は、こういう教育思想が未熟だ。 いい組み合わせの子どもと、悪い組み合わせの子どもとでは確実に学力差が出る。 朝から国・社・数・理・英と並んでいて、すべての教科から宿題が出る……というようなことは日常茶飯事だ。 と、えらそうなことをいっている僕も、学校の時間割を組むときは、まず、全学級の保健体育から入れていく。 2つのクラスが男女別になる……必ず体育館が使える……等、条件が厳しいからだ。 ま、1時間目の体育というのは避けるけれども、「保健体育の直後はどんな教科がいいか?」までは――ま、考える、懸命に考えるんだけれども、教員数、施設数等から――とてもベストのカタチにまではもっていけない。 ★話を「教科開き」に戻す。 学級開きにしても、教科開きにしても、50分という教育活動には、指導者が1分1秒を強く意識しつつ、適度なテンポと、リズムと、読む・書く・聞く・話すのバランスがとれた活動(作業)が、必要だ。 それを創出のための、ギリギリの努力が必要だ。 以前の話だが、本校の「卒業生を送る会」は、ずっと不評だった。 で、教育課程編成会議で、翌年から取りやめと決まった。 しかし、本校の歴史上、最後となる「送る会」は、意外なことに、皮肉なことに、たいへん好評だった。 僕も感動した。 これだとやめることはないのにと思ったくらいだ。 教師と生徒が、50分以内という時間を強く意識し、内容を吟味し、テンポとリズムに配慮したからだと、僕は思っている。 子どもたちが「こんなに頭とからだを使った50分間はない」と感じる学級開き・授業開きを。 特に「授業開き」については、「教科の魂」を子どもたちにぶっつける。 他は不要。 通常だと、(たとえば数学だと)「数学っておもしろいィィ~」と子どもが感動する瞬間を2度設定すればいいが、授業開きでは奮発して3回。 プロ教師の腕の見せどころだ。 互いに奮闘努力しよう(^_^)v。 くりかえす。 「教科開き」に自己紹介は、厳禁だ。 ★「好きな話題でちょっと話せるあいだがら」を爆発的にひろげる 僕は、よく―― ・アイデンティティの「時間軸」(=自己の時間的・歴史的連続性) ・アイデンティティの「空間軸」(=所属する社会との連続性、つながり)とか……、 あるいは、 ・魂のカタチの「垂直軸」 ・魂のカタチの「水平軸」…… という言い方をする。 この時期は……学級開きでは……、アイデンティティの「空間軸」を広げる、あるいは、魂の「水平軸」を広げる、すなわち、「人と人とのつながりをドンドン広げていく」ということに配慮することが大切だ。 経験的にいって、この段階で放っておくと、人と人のつながりが閉じる……友だち関係・グループが固定化して、やがて排除の論理を生み、学級がストレスの温床になっていく。 僕は「好きな話題でちょっと話せるあいだがら」を意図的にひろげていく――要するに「広く」「浅い」人間関係をひろげていく……ことが大切だと考えている。 各学年で、これまでの学級開きの実践を提示し合い、「好きな話題でちょっと話せるあいだがら」を爆発的に広げる方策を検討しよう。 ★「入学期」に2、3年生を鍛える 「入学期」「新入生」という概念と存在を生かす学校経営・2学年経営・3学年経営が大切だ。 卒業期や卒業式は、卒業生だけのためにあるのではない。 卒業生にMINAMI中生であることの喜びと誇りを持たせつつ、同時に1・2年生に喜びと誇りと目標を育てている。 「入学期」はその逆である。 「入学期」「新入生」という概念と存在を生かして、この段階で、新2・3年生に何を育てるのかを強く意識し明確にして、これまでの「入学式準備」「入学式」につづく「歓迎セレモニー」「生徒会オリエンテーション」「入退場訓練」を運営しよう。 ★生徒の呼び方は「○○さん」。 自分の呼び方は「わたし」で。 (5)省略語は使用しない。(例=教科担、学担、養教、市教委) 対象になっている人に失礼だ。 僕は「学坦」と呼ばれたくない。 教職員が「学坦」「学坦」といっていると、やがて子どもたちも「学坦」「学坦」と呼び始める。 もちろん、聞いている人(=地域の人々、保護者)にも失礼だ。 ◆業務を支える「感じ」メモ ★ネットで配信されたきた記事「一流アスリートのアルバイト時代」(オグマナオト)〈R25編集部〉から抜粋。 上原浩治。 19歳の浪人時代、予備校に通い、ジムで汗を流しつつ、空いた時間にはアルバイト。 「少しでも家計の助けになればいい。」 夜の工事現場で車を誘導する旗振り。 引っ越し業者の運搬作業のアルバイト(上原浩治著『不変』より) 上原は、原点である19歳の1年間を忘れないため、プロ入り後もずっと背番号「19」を背負っているという。(抜粋、引用、以上) 僕はこういうのに弱い。 目頭が熱くなった(ノ△・。)。 昨日の記事で――ふりかえってみれば、人生にはいくつかの「起点」がある。 僕にとって、教師1年目の4月は、その起点のひとつだ。 願わくば、その起点に今の僕を接続し直したい。 「接続し直したい」から、僕はこんな「職員室通信」を書いているのかなぁ~m(_ _)m……と書いた。 今、思い浮かぶ僕の「起点」を列挙。 ①背番号「17」。 高校2年。 太宰の『富岳百景』にしびれた。 理系高校生との決別を決意。 ②背番号「23」。 (昨日も触れた)教師1年目。 ③背番号「36」。 学社連携教員としての出発点。 (これ以降も、あるいは①と②、②と③のあいだにも、まだまだある。 でも、省略(*^_^*)。 さあ、あすから何番を背負うことにするか? ★けさ、午前6時50分から、地区交通安全協会O支部が、信用金庫前で春の交通安全運動・街頭活動を行った。 MINAMI中の生徒会もこれに参加し、飲酒運転防止のチラシを配り、安全運転を呼びかけた。 これからも、MINAMIネット事業を通して、地域団体間の連携・融合活動を創りだしていきたい。 ★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。 にほんブログ村 にほんブログ村 ★さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ★ ★小高進のWEB無人駅線ページへ |
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