職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

カゼが1ミリ、1ミリよくなっていくぅぅぅぅ 

2007-03-01 10:57:28 | Weblog

07.03.01 カゼが1ミリ、1ミリよくなっていくぅぅぅぅ~


■午前中、「ああ、あんなに苦しかったカゼが1ミリ、1ミリよくなっていくぅぅぅぅ~。北国に春がやってくる感じに似ているぅぅ……」と明るい気持ちでいたのだが、5時間目〈臨時主任会〉頃になって、咳と寒気が戻る。
 胸焼けもスゴイ。
 飲みつづけたカゼ薬の副作用が今になって出てきたのだろう。

■最近、出入りの印刷業者が「土も日もありまへん。この時期はどこもそうでっせぇぇ」と、いつもの不景気そうな顔がウソのように活気づいている。
 そのぶん、こちらも忙しい。
 広報○○の原稿、○○紀要の巻頭言、○○通信の記事……。
 書いても書いても終わらない。
 きょうは進路指導に関するエッセーを書いた。

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■先日、県立高等学校入学者選抜システムについて、報道関係者から取材を受けた。以下はそのときわたしがコメントした内容の一部である。

■教育という仕事は、調和のとれた人間的発達を至上の価値ととらえ、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現しようとする意図的・人為的ないとなみである。
 ただ、注意しなければいけないのは、この「意図的・人為的ないとなみ」という点である。すなわち、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現する過程で、発達的価値とはなにかについて、子どもではなく、わたしたちが一定の判断をくださなければならないということだ。また価値実現のために、どういう方法をとるかについても、同じだ。
 これは考えてみると、途方もないというか、そらおそろしいくわだてである。
 選ばれた価値がかならずしも子どもの人間的発達を保証するとは限らない。選ばれた内容や方法がかならずしも子どもにマッチするとは限らない。
 わたしたちはこの「そらおそらしさ」に耐えながら、思い悩みつつ、教育という仕事にたずさわっている。
 高校入学者の選抜についても同じである。
 子どもたちを選抜するというのは、途方もなくそらおそろしいくわだてである。
 したがって、中学校側も、高等学校側も、この「そらおそろしさ」を共有しつつ、選抜システムを成熟させていかなければならない。

■選抜システムについては、よいシステムを求めて歴史的な努力がなされてきたが、完璧な入試システムというのは、なかなかみつからない。
 そういうなかで、本県の前期(75~90%)・後期制(10~25%)はよく考えられたシステムであると評価している。落ちる回数が増えたという人もいるが、進路について真剣に考え、自分を見つめ、高める機会が増えたことの裏返しだ。

■ただし、細部については問題点もある。
 八戸地域の高等学校の選抜方法はおおむね妥当だと判断している。
 ただし、広く県内をみると、傾斜配点で「英・数・国2倍」などという例もある。「英・数・国2倍」(1.5倍も含めて)が何年かつづいたり、同一歩調をとる高校が増えてきたりすると、①調和のとれた人間を育成しようとしている中学校の教育課程に強い影響を与えるし、②はじめから受験をあきらめてしまう生徒も出てくる(「求める生徒像」(含選抜方法)の提示の仕方を誤ると、「求めない生徒像」になる)。
 また、特別活動や部活動などについては、中学校では数値評定していない。それを入試で点数化する場合、中学校・高等学校間および学校教育・社会教育間で慎重に協議していかなければならない問題だ。特に部活動については、教育課程外活動で、本来、任意参加であるべきものだ。それが調査書の項目にあること自体、大きな疑問をもっている。

■学習指導要領に学習内容を盛り込みすぎると、なんでもかんでも学校で……ということで学校が肥大化し、学校・家庭・地域のバランスが崩れる。結果として、それぞれの教育力の低下をまねいてきた。
 同じように、人間を総合的に評価することをねらって、入試評価項目を盛り込みすぎると、(ここは誤解してほしくないので念のために言っておくが、総合的に評価しようとするねらいについては高く評価している。が、)本県の現時点の状況では、やはり学校が肥大化し、学校・家庭・地域のバランスの悪さをさらに悪化させる恐れがある。(記者へのコメントは以上である。この内容は同時に県教委にも文書で伝えた。)

■今、わたしの手元にアルビン&ハイディ・トフラーの「7つの暗号を解け」というミニ論文(2/25読売新聞掲載)がある。
 トフラー夫妻はこのなかで、独自性や革新性を高めたいと思うなら「教育制度の単なる『改革』ではなく『取り換え』もまた行わなければならない」と主張している。
 この「取り換え」という語はずいぶん刺激的だが、入試制度も同じだ。
 中学校側も、高等学校側も、社会教育側も、「取り換える」くらいの覚悟を秘めつつ、システムの成熟をめざしていかなければならないのかもしれない。

■「取り換え」の部分が唐突になってしまった。
 わたし自身のこれまでの、学社連携・融合を核にした教育改革の進め方に対して、今、わたしには「取り換える」くらいの覚悟が必要だったと反省している……という意味合いの文脈を入れたかったのだが、スペースの関係でどうにもならなかった。

■画像はPTA教養委員会主催の料理教室。撮影は佐々木晴美PTA副会長。


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