★昨日の記述で、人生の時空間浮遊の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレスト(1)&(2)を紹介した。 コンパクトに復習する。 (1)放電したら、なにかがプッツンと切れ、再充電不能に陥った。 背後に「もう、このまま、プッツンでええやないか……」という気持ちもある。 (2)京都のダンスチーム「今村組」主催者・今村克彦氏の「ガッツ」に打ちのめされた。 今村氏がスゴイのか? 自分のダメさ加減がスゴイのか? ま、後者だと思うけど……。(きのうの「復習」終わり。) ★人生の時空間浮遊の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレストのつづき。 (3)僕には、「渦中」に存在しつつ、「渦中」を自分のうちに取り込み、再構成するという特技がある。 常に再構成し、再構成したうえで語っている。 逆にいうと、「渦中」では語らない。 語れない。 だから、特技であって、最大の欠点でもある。 今夏の苦しみ(絶不調)は、粗く2つにわけることができる。 ひとつは、「渦中」を自分のうちに取り込み、再構成することができくなったこと。 パワーがなくなったのか? もうひとつは、「ならば、渦中で語ろう」として、やはり語れない自分を再確認したこと。 くどいが、同じ内容を、具体的な場面で、くりかえす。 この夏、ある夏祭り(2011・種市夏祭り)の行列に出会った。 太鼓を先頭に踊り手たちの行列がつづいた。 一団のあとに、また次の一団と……とぎれることがなかった。 僕は「川の流れのようだ」と思った。 川には、人生の悲しみやら喜び、孤独やら不運、くわえて怱忙……ありとあらゆる人生のカタチが注ぎ込んでいた。 このとき、僕は、この川の流れを、自分のうちに再構成して語ろうとして語れない自分に気づいた。 そして、「ならば、川の流れの中に存在しつつ語ろう」として語れない自分にも気づいた。(このことで、僕は、ひと夏、苦しむ。) 僕のそばを通過する太鼓の響きがカラダのシンを打った。 打たれるままに僕は立ち尽くしていた。 ★(4)再構成できないから語れない。 もちろん、再構成なしには語れない。 なら、「プッツンでおさらば……」でいいのではないか? といいつつ、僕は無意識のうちに「修正点」を探っていた。 過去に求める。 僕は、もう未来には求めない。 いつもの過去記述検索で次の記述に出会った。 自分の体内でスゴイことが起こった。 「職員室通信」が、毎日、発行できるシステムができた。 ・7/6「夏期休業中こそ、教職員の学社連携・融合コーディネーター機能を発揮しよう」 ・7/7「夏期休業にむけて 服務規律の再確認」 ・7/8「すこやかみなみネット事業推進への教職員の参画・支援を」 ・7/11「プロ教師への道 模擬授業研修はじまる」(保護者・地域対象) ・7/12「使命感のはじまりを教えられる?!」 ・7/13「ふりまわされたけど……」 これは、先日、このページに書いた「わたしの人生を幻想的、物語的に彩る人々」に再会し、その人々に「囲まれた世界」の中で、僕が生きはじめたことと関係があるのだろう。 そのことによって、僕の細胞が新たに再編成され、「職員室通信」上で、憑依の状態で、うわ言のように語れるようになったのだ。(「過去記述」以上) これが「修正点」だと思った。 ブレストだ。 あまりシンドイことには触れないことにする。 要するに、僕は、今、「憑依の状態で、うわ言のように語れる」ポイントを求めているのだろう。 ★僕自身のための「覚え書き」として2点。 ひとつ、7/13「ふりまわされたけど……」が下記の「職員室通信」だ。 もうひとつ、「憑依の状態で、うわ言のように」記述の少し前に、次の記述がある。 休日の午後、たまっていたメールの返信。 私的なもの、公的なもの、変なもの……と、「感じ」の次元で怒濤のように打った。 けど、打ち切れず、少し残してしまう。(「過去記述」以上) この「感じ」というのは、渦中を自分のうちに再構成した「憑依」の世界を指している(と思われる)。 渦中における「感じ」ではない。 ★関連記事 ・★モービルで北上しているとき、夏祭りの行列(2011・種市夏祭り)に出会った(その1) ・★2011・種市夏祭り=モービルで北上しているとき、夏祭りの行列に出会った(その2) ・★2011・種市夏祭り特集(その3)=人生の悲しみやら喜び、孤独やら不運、あらゆる人生のカタチがある ・★2011・種市夏祭り特集(その4)=流し踊りの中に僕はいるのか? 僕の中に流し踊りがあるのか? ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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