職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★ホンマ、絶不調だ。HPは僕の存在のカタチ。しかし、最近、HPに対する執着心が急速に薄れつつある

2011-09-05 15:10:25 | 2011夏の絶不調

 

2011

09.05
しぶとく?生き残っている僕のうちのベクトル


★ホンマ、絶不調だ。
 僕は、ホームページを開設して、あしかけ12年になる。
 僕のホームページの定義。
 〈HPは、現実世界における、僕の存在の仕方そのものである。〉
 同時に、〈HPは、僕の可能性(=欲望)のカタチである。〉
 しかし、ここ、しばらく、このHPに対する執着心、あるいは妄執が、急速に薄れつつある。
 僕は、僕自身のHPやブログを、もう何日間もみていない。
 コンテンツであるBBS、チャット、twitter、「無人駅線」他に至っては、何ヵ月もみていない。
 ということは、要するに「自分の存在の仕方」を見失っているのか? あるいは、既に自分の存在に意味がなくなったのか?……ということである。
 要するに、可能性が0だということやね(ノ△・。)。

★苦しまぎれに、8月いっぱいは、部屋の隅(僕の家の中でもっとも西側の隅)に、あぐらをかいて「人生の時空間彷徨の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレスト」特集を、やった(*^_^*)。
 ブレスト中、目をつぶると、このまま僕のカラダが消えてしまうのではないかという不安を感じた。
 ま、ひょっとしたら、この「不安」は、むしろ「快感」に近かったかもしれない。
 そのブレストの果てに、僕は、西側の隅の壁の向こう側の、巨大に成長したヨウシュヤマゴボウ、群生するアオキ等に占領された庭の、もつれる響き、樹々の叫び、草のしつしつの中に、2つの「光」――「憑依の光」と「暗がりの底の光」を見いだす。

 「憑依の光」=「職員室通信」上で憑依状態でうわ言のように「(臨床)教育(学)」を語る。

 「暗がりの底の光」=見えるモノ(の陰)、感じるモノを、一即座に、一発芸的に、アウトプットする。

★昨晩から、深海魚のように自家発電して、自分のうちにあるベクトル(こういう状態からこういう状態に進みたいという方向とエネルギー)を1本1本、チェックしている。
 「憑依の光」と「暗がりの底の光」に接続したいのだ。
 残念ながら、まだ1本も見つかっていない。
 しかし、失望はしていない。
 僕が消滅したのではない。
 僕はここに、いる。
 だから、僕を縁取っていた輪郭が崩れたか、 あるいは、僕を世界に位置づけてきた枠組みが融解したか……であって、しぶとく?生き残っている僕のうちのベクトルは必ずあるはずだ。
 (具体的な「ベクトル」内容は、あす、つづきを書くつもり。)











★画像=やっと咲いた僕のヒマワリ。
 種を植えたのが5月の終わり。
 以来、悪条件(やせた土、日照不足、長雨、虫害等)に耐え、もつれる響き、樹々の叫び、草のしつしつの中で、やっと咲いた。
 感激している。
 しかし、花は想定よりはるかに小さい。
 ゴール=開花に至った割合もきわめて低い。
 今夏、「ヒマワリとともに目覚め、ヒマワリとともに眠り、ヒマワリとともに朽ちる企み」作戦は失敗に終わった。
 ホンマ、ヒマワリには悪いことをした……、申しわけなかった……と猛省している。

 庭の草のしつしつを聴き、ヒマワリもだいじょうぶだろうと思ったのが大間違いだった。
 次は、「日陰に強い野菜」に挑戦したい。

 例=ミツバ、ミョウガ、ニラ、ラッキョウ、アスパラガス、パセリ、サンショウ(現在、たくさん育っている)、アサツキ、チャイブ、シソ、ミント、イチゴ、ネギ、ソラマメ、エンドウ、ハクサイ、キャベツ、ユリ(現在、ガンガン咲いている)。

★関連記事
★今夏、もがきながら、僕が見つけた2つの「光」。憑依の光。暗がりの底の光。2つの光が接続するといい

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