◆天皇誕生日の記述は、記述のあと、きのう、きょうと、ずっと後味の悪さが残っている。 「日の丸を八戸の空になびかせ、静かに呼吸すると、祝祭日独特の、清澄な、厳かな、気持ちになる」という箇所だ(*^_^*)。 記述を復習すると……。
ここで「清澄な」「厳かな気持ち」が登場する。 ウソではない。 はじめは「清々しい」だったが、もう少し透明感を……と思い、「清澄」に(*^_^*)。 また、ピリッと引き締まった感じを……と、「厳かな」を付け加えた(*^_^*)。 しかし、これはわたしの感情の周辺でしかない。 後味の悪さは、周辺を中心と偽ったところに生じたのだ。 末尾に、
と付け加えている。 中心は、むしろ、ここだ。 ま、天皇誕生日には掲揚するが、憲法記念日には掲揚しませんよ ……と言っているわけだ。 ◆飛躍を恐れず、展開を早めるために、話をガラッと変える。 「旗」違いだが、12/20のTV「新報道2001」で、石原伸晃・自民党組織運動本部長は「わたしたちは旗を立てるので、その旗に賛同できない者は去って、自民党は100人になってもいい」と述べている。 田村耕太郎参院議員の離党に対しての発言だったと思う。 かねてから、
……というようなシナリオを設定している者としては、この石原氏の「旗を立てる」の中味と、その時期に注目したい。 これまでの石原氏の主張と照らし合わせると、憲法9条の改正→自衛隊の国軍化→軍事力の強化……という方向と考えていいだろう。 民主分裂の前に、まず自民が分裂し、自民コアのみで新自民を固める……という格好だが、これは当然だ。 分裂を恐れていると、解党の憂き目をみることになる。 急がなければならない。 ◆結論。 天皇誕生日のわたしの国旗掲揚の背後には、企みがあって、それは石原氏の「旗を立てる」に近い。 天皇誕生日の夕刻、「清澄な」「厳かな気持ち」と石原氏の「旗を立てる」を結びつけようとはしたのだが、飛躍を埋めることができず、中途半端に記事をアップしたのがまずかった。 ◆なお、「旗を立てる」ときの国家イメージだが、わたしはいつかお好み焼き屋で乱氏と雑談中、
と述べたことがある。 ひょっとすると、(読んでいないし、今後、読むつもりもないが)今、話題の内田樹『日本辺境論』=「辺境だからこそ、巧みに“中心”との距離を測って自分たちに最適なシステムを作ってきたし、そのノウハウは相当なもの。案外日本人って、したたかなんじゃないかな」に近いのかもしれない。 自分がやりもしないで、勝手なことをいうようだが、「旗を立てる」ことと同時に、こういう国家イメージ論が活発に展開されることを望んでいる。 ★画像は、古書店DAKAの重心部分^^;^^;^^;^^; ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ |
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