職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

純粋に「他のためにがんばる、他のために汗を流す、そして、そのことを喜びと感じる」人間にならなければ

2008-04-15 20:16:01 | Weblog
◆きょうの全校朝会は、前期学級役員・委員長任命式を兼ねて開かれた。
(1)朝のあいさつ
(2)室長・副室長任命
   各委員会委員長任命
(3)校長の話

 生徒会本部役員(大館さん)の司会で、1年1組の室長・副室長から、2年、3年と、順々に氏名を読みあげ、室長・副室長が「はい!」「はい!」と返事をしていく。
 各学年とも、緊張感をともなった、よい返事だ。
 2年生、3年生になると、その緊張感に、自覚と気合いが加わり、立派な、堂々とした返事になる。
 1年生の返事<2年生の返事<3年の返事……ま、これが、あたりまえなのだが、実際には、なかなかむずかしい。
 みなみ中は、これが、ごく自然にできる。
 「わたしの話」の冒頭で、それをほめる。

◆〈わたしの話の骨子〉

 ここ、しばらく、ことあるごとに「いい学校の条件」について話をしてきた。
 そのひとつ……。
 「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる生徒が、いっぱいいる学校。」
 他のためには何もしない、自分のことだけを考える……という人間ばかりが集まっている学級や学校を想像してみると、荒れた、ガサガサとした光景が浮かびあがり、う~ん、なるほど、この「条件」はほんとうだなぁ~と、うなずいてもらえると思う。
 しかし、「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる」と、口でいうのは簡単だが、実際に行動するとなると、意外とむずかしい。
 というのは、まず、だれもやらないから、仕方がないから、わたしがやってやる……というのは除く。
 これは論外だ。
 そういう「やってやっている」という気持ちなら、わたしは、やらないほうがいいと思う。
 また、他のためにがんばると、それは、やがて自分のためになるというのも、「やってやっている」というのよりは、マシだと思うが、わたしの経験からいうと、それも考えとしては、甘い。
 純粋に「他のためにがんばる、他のために汗を流す、そして、そのことを喜びと感じる」人間にならなければならない。

 生徒会本部の活動、生徒会各委員会の活動、あるいは、各学級の当番活動などは、純粋に「他のたにがんばる」ための、たいへんよい機会だと思う。
 生徒会活動を通して、真に「他のためにがんばり、汗を流し、そのことを喜びと感じる」人間になろう。〈「わたしの話」以上〉

◆話は、前後するが、昨日、夕刻、主任会を開く。
 この「主任会」は、もう少しすると、時間割の中に組み込まれ、夕刻に開催ということはなくなるのだが、今は、暫定時間割だから、勤務時間外に特設した。
 内容は、各学年の「動き」(←これは、こういうあいまいな表現にとどめる)に関する情報交換だ。

 終わりに、わたしから、アトランダムに、次のことについて触れる。

(1)各学年所属職員の生かし方(動きたいのだけど、動けないという職員がいるものだ)
(2)卒業生情報
(3)分掌部長や主任として指示するとき、すべての職員が「わがこととして聞いている保障はない」と言い聞かせて、指示の仕方の工夫を。
(4)心の教室相談員の募集について
(5)業者に発注するときの「相見積もり」について。
(6)校内外巡回のときの「視点」について。
(7)生徒の日常生活におけるあいさつの状況。3年>2年>1年。
(8)学校は、生徒に関する、いろいろな課題を抱えている(←これはあたりまえ……)。
 その課題を、知的で楽しい授業でクリアーする(子どもが小学校へ行き、「先生、中学校の授業が、おもしろいよ、ほんとうにおもしろくておもしろくて」と報告するくらい、あるいは、夜、親に「お父さん、中学校の授業って、ほんとうに楽しいんだから」と報告するくらい)というのが、みなみ中のモットー。
 これを踏み外すと、ドブに落ちる。

◆少し前、「ホームページを更新する時間が、きちんと決まっているような生活スタイルに、あこがれている。希望をいえば、何にも邪魔されることのない、午前3時~5時がいちばんいいのだが……」というようなことを書いたが、今、こういう時間に更新しながら、やっぱり夜の更新というのはダメだなと思っている。
 更新しはじめたときは、もっと別な内容を考えていたのだが、どこからか(たぶん、「わたしの話」の再現に時間がかかりすぎ、エネルギーを使いすぎた……)、大きくズレてしまった。

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