職員室通信・600字の教育学

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底なし沼の精神状態から脱しつつある 

2006-05-13 08:35:57 | Weblog

06.05.13 底なし沼の精神状態から脱しつつある

朝、ソファーに寝っころがり、山のようにたまった未読の新聞を一気に読んだ。
 読売新聞「お品書き・有名人思いでの食」尾藤イサオさんの「お好み焼き」が、お好み焼き好きのわたしには刺激的で、読んでいるうちに脳の血流が増加した。

 尾藤さんは〈仕事で全国を回ると、夕食はお好み焼きが多い。気取らずに食べられるところが魅力だ〉という。


 
 戦時中、東京・御徒町で生まれた。5人きょうだいの末っ子。小学校に入ると、2人の兄と銭湯帰りに食べられる月に1度の「ごちそう」があった。それがお好み焼き。長屋の一室にテーブルを4台置いただけの店。水で溶いた小麦粉に、桜エビやキャベツなどが入って1人前15円だった。ウスターソースをたっぷりとかけて、1人前を3人で分けた。

■わたしのお好み焼き人生は、大阪・生野区でスタートした。
 やはり尾藤さんと同じ「長屋の一室にテーブルを4台置いただけの店」だった。
 マキちゃん(←ふたりっこはんのかたわれ)や弟と、ほとんど具のない、小麦粉とキャベツだけのお好み焼きを、鉄板のうえでペッタンペッタンとやっていた。
 メニューのランクは安いほうから、
 ①小麦粉のみ(←これを何と呼んでいたのだったか?)
 ②イカ入り
 ③タマゴ入り
 ④ブタ肉入り……の順だった(ように思う)。
 わたしたちは「①専門」だった。
 ときどき、隣のテーブルで、見知らぬ大人が、
 「おばちゃん、タマゴと、う~ん、ブタももらうか」
 と注文したりすると、弟たちと目と目をあわせて「せめてイカ入りでも食べてみたい」と思ったものだ。
 「タマゴ+ブタ肉」というと、今の「豚ダマ」で、現在、だいたい600円くらいだ。とても子どもには手がでなかった。

■尾藤さんの引用をつづける。

 40歳代になり、2人の娘が小学生になったころ、お好み焼きが無性に食べたくなった。ある時、台所から鉄板を取り出し、溶いた小麦粉にソースをかけただけのお好み焼きを、娘たちの前で作って見せた。「これがパパの料理だよ」。娘と同じ年のころ食べた“原点の味”を、家族と共有したかったのかもしれない。
 「でも、その時は、妻が隣でサイコロステーキを焼いたものだから、お好み焼きは食べてもらえなかったんですよ。タイミングが悪かったなあ」

■これもよくわかる。
 (というわけで?)先日、職場からの帰路、志塚Tとピアドゥ近くのお好み焼き屋・道とん堀に寄った。
 たぬきロゴの暖簾をくぐると、店員の「いらっしゃいませぇ~、ぽんぽこぽん、ぽんぽこぽん」という声がこだまのように響いた。佐藤公一Tから聞いていたとおりだ。
 この「ぽんぽこぽん」はわたしたちが席に落ち着くまでつづいた。
 志塚Tが、
 「これはおもしろい、学校で使えるなァ」
 と喜んでいる。
 メニューが豊富?……というか、モチーズとかニンニク爆弾とかイタリーとか、「豚玉」主義のわたしにはイメージできないものばかりだった。
 「豚○○ゴマ○○」(←正しいメニュー名は忘れた)を注文する(画像がそれ)。
 オリジナルな名前が並ぶ、画像付きのド派手なメニューのわりに、味は素朴だった。
 尾藤氏のいう「素朴」とは違う、現代的な素朴さ。関東地方出身の女優さんが、完璧にマスターした「大阪弁」の感じ。

■しばらく前に「ここしばらく精神的に自分で自分がうまくコントロールできない状態にある」と書いた。
 その「状態」から少しずつだが脱しつつある。
 底なし沼に沈んでいく精神状態に立ち向かうように、はなむけ号による通勤を再開した。
 その「荒療治」が功を奏した。


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