秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 32  SA-NE著

2018年01月31日 | Weblog

「さっきは、上手く切り抜けられたわね。校長先生かぁ~まさか、父親の職業を訊かれるとは想定外だったわ~」
美香さんは、ハンドルに両手の甲を乗せて、チョコレートの箱から残りの一個を取り出していた。
「危ないですよ…前…殆どハンドルに触ってないですよ…」
僕は助手席から、ヒヤヒヤしながら前方を見ていた。

美香さんはチョコレートを口にいれて、その空箱を僕に渡した。
「記念に取っておいてねっ」
「空箱ですか?」

「そうよ、私は思い出の品はいつも大事にとっておくのよ。お婆さんになった時に思い出せるように」
「認知症になったら、思い出せないじゃないですか?」
と僕が真顔で訊くと、

「その時は子供達が、処分してくれると思うわ。ゴミとしてね」
「ゴミですか…」

「そう、形見分けで誰かに頂いた物も、いつかは貰った当人も死ぬからね、ゴミを眺めて暮らしているようなものよね。
物に執着するのじゃなくて、思い出に執着するのよね。人間って」

「森田くんが、さっきついた嘘は、絶対にばれないけどね、私は市内に祖谷出身の同級生とか
先輩とかが近くに住んでいるから、私の私生活なんか、全部村に筒抜けよ。大阪にも同級生がいてね
その人も近くに同級生がいてね、近況報告なんてしなくても、全て同級生が、ネットワークで流してくれるから
市内とか、大阪とかに住んでいても、なんか、煩わしく感じることがあるのよ」

「大阪に住んでいてもですか?」
「そうよ、だから森田くんのお母さんは、故郷から遠い遠い東京を選んだんだよ。賢い選択だったと思うよ」
「ありがとう…ございます」

「なあに?そのありがとうございますって。うけるわ~」
「お母さんの生家も見たし、お墓参りも出来たし、とりあえずは目的達成ね。

あっ…と父親探しは無理かも知れないね。今のところお母さんと接点があったのは
その高知の行商の住所不定の妻子ある人くらいだもの。で、私の父親も少し面識はあったかも知れないけど
父は絶対にそんな間違ったことをする人ではなかったからね。論外だよっ!絶対の絶対に関係ないからねっ!」

「はい…美香さんのお父さんだとは、僕も思っていません…」
「本当に偶然よね、私の父の名前の一文字と森田くんのお母さんの一文字で、智志だなんて」
「そうなんですか?」

僕は美香さんの横顔を見た。
美香さんはチラッと僕を見て、呆れたような顔で
「もしかして?鈍感?」
「え…と似たようなことを、高校の時に彼女に言われました」

僕は膝に乗せた両手を、擦ろうとして、咄嗟に拳を握ってズボンの上から太ももを思い切りツネって「痛っ」と声を出してしまった。
美香さんは大笑いしながら、スピードを上げて行った。

「八月に二人でお母さんの初盆しようね。私も父の初盆があるからね。私も身内にちょっと看病したい人が出来たから
岡山に数ヶ月蒸発するからね、暫く祖谷には、帰れないから。それまで会えないけど、また時々は連絡してね」
「美香さん…ありがとうございました。今度会う時のお土産も、やっぱりチョコレートでいいですか?」

「そうよ。チョコレートはナッツとか混ざってない、純粋のチョコレートにしてね。
チョコレートは、チョコレートだけで勝負するの」
美香さんのチョコレート愛には、何か理由があるように思ったけど、詮索するのは止めようと思った。

僕は美香さんの車に、阿波池田まで同乗させて貰った。急行の発車時刻まで、数時間あったから
地元の三好市に少しでも貢献したくて、少し伸びすぎた髪を切りに、町の中を散策した。

駅前通りから信号を渡り、うだつの町並みを抜け、右に曲がると、信号機の手前に理髪店のサインポールが見えた。
中を覗くとお客さんが座っていて、引き返そうかと迷った時に、すぐにお店のご主人が僕に気づいてドアを開けてくれた。

「見慣れない方ですが、どちらから」と訊かれ、「ご先祖様のお墓参りに祖谷に行って来ました」と応えると
ここのご主人のお母さんも、祖谷出身だと聞いて僕は偶然は必然なんだと、思った。

「また、来てもいいですか?」
と帰り際に言うと、
「また、帰って来て下さい」と顔を綻ばせてくれた。
店の奥で優しそうな奥さんと、猫を抱いたお母さんが並んで僕を見送ってくれた。

うだつの上がらない36才の男は、うだつの理髪店で、優しい人に出会えた。
猫の名前は、マーロンだと教えてもらった。
石鹸の懐かしい匂いに包まれて、僕は東京へと帰って行った。











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小説  斜陽 31  SA-NE著

2018年01月28日 | Weblog

葬儀社の社員が、帰った後には、シゲ爺さんの近所の人達と、身内の者だけが残った。
冠婚葬祭の際に集まる決められた近所の人達の事を「組うちの衆」
と言うのだと、美香さんが教えてくれた。

「もう祖谷のしらは死んだ後に、地元で焼いてもらえんぞ」
誰かが言った。
「火葬場が閉鎖されるきん、町の火葬場で、焼かれるぞ、合併してから農協もなしんなって、不便な事ばっかりじゃの」
と諦め顔で話していた。
「昔は土葬だったのよね」
美香さんが、熱いお茶を配りながら、話した。

僕は、少し恐くなって、
「なんか、ホラー映画みたいですね。生き返りそうで、恐いです」
と言うと、回りの人達が、一斉に笑った。
シゲ爺さんの傍に座っていた、息子さんがこちらの部屋に来て僕の隣に座り、

「森田くんのお母さんは、昔はみんなに好かれとったけど、結婚相手はどんな人やった?」
とお菓子の袋を開けながら、何気なく訊いてきた。
「あ…父は……学校の校長先生でした」
美香さんが、こちらを見てチラッと微笑った。

「そうか、それで君も賢そうな顔をしとんやなあ~」と誉められた。
僕の父親は、校長先生で、交通事故で亡くなった。
話していると、そんな気になってくるから、不思議な感覚だった。

息子さんが、焼酎のお湯割りを作っていた。
少し猫背になって、コップの中を覗きこむ様に焼酎を混ぜる仕草は
あの日のシゲ爺さんとそっくりで、見ていて可笑しくなった。

「そう、そう森田くんのお母さん目当ての、行商の人もおってな、下の県道から20分位かけて、歩いて魚売りに来とったわ」
組うちの一人の女性が、思い出した様に話し出した。彼女達は母より少しだけ若い年齢に見えた。
「あの人は、奥さんも一緒に来とったよな~」

もう一人の女性が膝を崩しながら、話した。
「あれは、森田くんのお母さんにご主人が好意を持っているのに気付いて、心配で見張りよんじゃって、皆が適当な噂話、しよったなあ。
あの時代は、物は無かったけど、みんなが毎日活き活きしとったよなあ~」息子さんが、僕を見ながら、朗らかに話した。

「行商って?」
僕は初めて聞いた言葉に一瞬、言葉を詰まらせた。

「祖谷の人達は野菜は自給自足できたけど、魚は高知から車で行商の人達が、売りに来とったからな。
交通が不便だった頃の話だけどな」と言いながら、息子さんは、奥の部屋のシゲ爺さんの傍に行った。
僕は一人で動揺し、じっと壁の一点を見ていた。

「村の外から…母を好きだった人…」
自分の庭に降り積もった真っ白な雪の上に、突然現れた見知らぬ人の靴跡みたいに、突然聞いたその話は
僕の仮定を振り出しに戻されて、全て否定されてしまいそうで、頭の中が真っ白になった。

「そろそろ、お念仏あげて、今夜は終いにしませんか?」
空になった湯のみを集めながら、美香さんが言った。
「シゲ爺さん、何十年も新仏さんでる度に、通夜の時に、お念仏あげよったなあ。
シゲ爺さんの代わりに誰か、お念仏あげてよ」

組うちの女性が、そう言いながら、区長さんをチラッと見た。
区長さんは、お念仏は知らないから勘弁してと必死で抵抗していた。
「親父は、お念仏書いた紙、仏壇の引出しにいつも仕舞いよったわ~」
と息子さんが、奥の部屋に行き、仏壇の引き出しから何かを探して、こちらの部屋に戻ってきた。

「書いた紙、ボロボロになっとるでえ~なんだよ~これ~折り目に穴空いて、字読めんぞ」
と区長さんは、そのボロボロになった紙を膝の上で広げると、開き直ったみたいに、シゲ爺さんの前に座った。
区長さんの後ろに身内の人達が座り、組うちの人、美香さん、僕と座った。お念仏が 始まった。

みんなが、区長さんの背中ごしに仏様になったシゲ爺さんを、見ていた。
お念仏が 唱えられている柱時計の、振り子の音だけが静寂の中に響く。
お念仏が 唱えられている

「区長さん、中々いけるぞ、シゲ爺さんの跡取りできるぞ」
小さな声で 誰かが言った。
お念仏は続いている

組うちの女性の携帯電話が鳴った。
お念仏が 繰り返されている。誰かが、くしゃみをした。
女性が 台所に行き携帯で話している
お念仏は 繰り返されている

「生まれたんかぁ、良かった。良かった。葬式済んだら行くけんな
気をつけて大事にするように、娘に言うてな~ありがとう」
お念仏は 唱えられている。

ぶっきらぼうな 口調で
決して 上手でないけれど
お念仏は 唱えられている

家の裏の竹が、また鳴ったお念仏は続いている
涅槃の世界の意味を問うように
単調な拍子が
切なく心に響いてくる

母さん、あの日病室の窓から空を見ながら
「帰り…た…い」
と言ったのは
この場所だったんだね。
母さん、親孝行出来ないままでごめんなさい。
神様、もう一度母さんに会わせて下さい。

僕は ポケットに手を入れた。
昨日シゲ爺さんに貰った、方位磁石をそっと撫でた。
神様、どうして愛する人達を奪って行くのですか

有理のあの日の泣き顔や
有理のあの日の笑い声
母さんの 最期の瞬間
母さんの 笑った顔。怒った顔。おどけた顔。

シゲ爺さんの 最期の
また もんてこいよの優しい顔
もう、僕は父に逢えなくていいと思った。
母さんとこの世で出逢えただけで、僕はこの先の人生を愛情の轍を道標にして、歩いて行ける。

涙が 後から後から
溢れてきて
涙腺が決壊したみたいに
ずっと ずっと泣いていた。

美香さんが
ポケットからチョコレートを出して
僕の手に乗せた
美香さんが
ポツンと 呟いた。
「生まれて…死んで
にんげんってキレイだね」

新仏さんに
融通念仏を唱えたてまつる
極楽浄土の
しょうりが池の
ハスの花は
一本開いて 一本つぼんで
ひらいたお花は
傘にもねへそや
つぼんだお花は
にのにも ねえそや
宵の薬師に 夜中の虚空蔵
朝とき お地蔵に
明けての 観音
じいひが浄土へ
通らせたあまえ
融通念仏 南無阿弥陀仏

お念仏は終わった。
美香さんが、僕の腕を軽くつねって言った。

「森田智志っ、しっかりしなさいっ」
僕はまた、泣いていた。
美香さんは 小声で言った。

「シゲ爺ちゃん、昔から真言宗なのにね…」
僕は 泣きながら、美香さんのチョコレートの付いた口元をみて、少しだけ笑った。
僕は黙祷した。
「シゲ爺さん…ありがとう。シゲ爺、さようなら」
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小説  斜陽 30  SA-NE著

2018年01月25日 | Weblog

美香さんは、湯飲みの中に入った液体をシキビの葉っぱの先に少し付けて
三回同じ動作をしながら、最後に葉っぱを小皿に戻して、手を一回合わせた。
美香さんが、僕と交互に後ろに下がって、僕がシゲ爺さんの傍に座り直した。

緊張感はピークに高まり、シゲ爺さんとのお別れに浸る余裕など無く
僕はロボットの手の様なギコチナイ動きをしながら、シキビを親指と人差し指で摘まみ
湯飲みの先に付け、浸けすぎて持ち上げた葉っぱの先から滴が落ちて、シゲ爺さんの顎の下に流れた。

焦って二回目は少し浸して上手くいったけれど、三回目に失態をおかした。
油断して、三回目に口元に葉っぱの先を付けながら、
「三回めっ」
と、つい口に出してしまった。
美香さんが、僕の後ろで呆れた様に「もう…」と呟いた。

美香さんは息子さんに、明日から仕事が入っているからと、御香料を渡していた。
僕達は隣の部屋に移り、暫く座っていた。

数人がお酒に酔っていて、美香さんが最初に口にした
「できあがっているみたいね」の意味がようやく、判った。
美香さんは、「ちょっと手伝ってくるわ」と言いながら、台所に向かった。

「88かぁ、シゲ爺も本望じゃのう~」
「だいたい、昨日は誰が公民館に連れていたんなら~昨日酒を飲まなんだら
まだまだ長生きしたかもしれんぞ~」
「途中で誰っちゃあ、気づかったんかえ!?せこげえにしよっとろが~」

僕は酔っぱらいの中の悪辣な顔をした人と、一瞬目が合った。
手に紙パックの焼酎と、湯飲みを持って、僕の傍に座った。

「お~噂の古寺の坊っちゃんか~わしは、お前の母ちゃんをよーく、知っとるぞ~
お前の母ちゃんは、死んだんじゃのう、気の毒なのうや~、
お前の母ちゃんとおらは、若い時に付き合いよったんぞ~」
と声を張り上げながら、体を前後に揺らし、不快な笑みを浮かべて、僕の顔を覗きこんだ。

「おらと結婚しとったら、後家さんにならんと、すんだのにのうや~
おらは事故やでは、死なんぞ~」と陰湿な顔で鼻で笑った。

今まで感じたことのない激しい怒りが、身体の奥から込み上がってくるのを感じた。
回りに座ってた人が、その人の腕を掴んで、言葉を遮ろうとした瞬間
僕は相手の胸ぐらを左手で掴んで立ち上がり、拳を振り下ろしかけた時、美香さんが台所から声を張り上げた。
「二人共、通夜の席でのプロレスごっこは止めなさいっ!」

僕達は、その場に膝をついて、座りこんだ。
美香さんは、台所から何かをお盆にのせてきた。
酔っぱらった男の人の前に、お椀に入った物を差し出しながら言った。

「オッチャンは、深酒しなければ、ええ男なのにね~蕎麦米雑炊でも食べて、酔いを醒ましてね」
酔っぱらった男の人は、頭を掻きながら炬燵に戻って行って、そのまま横になって、イビキをかいて眠っていた。
宮さんに似た雰囲気の、眼鏡をかけた男性が、僕の傍に来て、笑いながら言った。

「イビキのあの人、昔君のお母さんに告白して、フラれたんだよね~
あんな悪態キャラで、誰が嫁に来るかって話だよね~」

雑炊を食べながら、首に巻いたタオルで、湯気で曇る眼鏡を時々拭いていた。
その人は、今の区長さんで母の下級生だったと話した。
シゲ爺さんの通院とか、買い物に付き合わされて、お礼はお昼のご飯だったと、楽しそうに話していた。

「この人は、祖谷が恋しくて、Uターンして帰って来たテラオさん、千葉のポストマンだったのよ」
美香さんが、紹介してくれた。
僕はちょっと落ち着いて、母が作ってくれて知っていた、蕎麦米雑炊を食べた。
「森田真面目くん、ケンカ出来るんだね~やるじゃない~指先ロボットくん~」
美香さんが、僕の腕をツツイテ笑った

騒がしいこちらの部屋とはお構いなしに、
シゲ爺さんは、奥の部屋で一人で静かに死んでいた。
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小説  斜陽 29  SA-NE著

2018年01月24日 | Weblog

「もう、できあがっているみたいね…」
美香さんは戸口に散乱した靴を一足一足揃えながら、小さなため息をついた。

シゲ爺さんの薄暗かった部屋は、壁に取り付けられた投光器で
どこか知らない空間みたいに明々としていた。集落の人達なのか
炬燵の置いた部屋と、襖の外された奥の部屋に座っていた。

炬燵の上は缶ビールと紙パックの焼酎と、紙のお皿に容れた小袋のお菓子と湯呑みで散乱していた。
台所と思われる場所には、二、三人の女の人が何かを炊いているみたいで
低い天井から湯気が水平に立ち込めていた。

僕は、美香さんの後から、俯くようにしながら、部屋の中に入った。
部屋の奥の方から新しいお線香の匂いがして、その匂いに台所からの何かの出汁の臭いが重なって
例えようの無い臭いに変化していた。やっぱり僕は、一瞬息を止めた。胸の奥が小さく鼓動する。

宮さんにも美香さんにも、正直に話した事はなかったけど、僕は祖谷を訪れてからずっと、
父を探していた。

初めて宮さんに会った時も、宮さんや美香さんの車に乗せて貰って
高齢のドライバーと対向する度に、勝手な憶測ばかりを繰り返していた。

そして、今僕の目の前に座っている、母と同じ集落の見知らぬ人の中に、僕の父親がいるような気がして
僕はここに着いてから、ずっと膝が震えていた。

美香さんから車を降りる時に念を押された、
「年齢は絶対に間違えないでよ、森田くんは今年で31歳なんだよ」
と言われたことを、頭の中でリフレインする。

同じ嘘を繰り返していると、不思議なもので、僕は31歳の幼稚で
優柔不断な臆病な救い様のない唯の拗ね者みたいに思えてきた。

「何を考えているか、時々見当が付かない奴だなあ」って昔、裕基に言われたことがあったけど
僕は感情を上手に言葉に出来なくて、いつも自己嫌悪に陥っていた。
だから、裕基がよけいに羨ましかったし、裕基が代弁してくれたから、その場を切り抜けられた時も、何度もあった。

美香さんの肩越しに、見知らぬ人の異様な視線が僕をまっすぐに見ている。
何かを小声で話している。
「あ~聞いた聞いた、あの空き家の古寺の息子…」
「東京の人って、言よったわ…」

美香さんは、部屋の入り口辺りで一度座り、先に座っていた人達に何かを口籠りながらお辞儀をした。
僕も慌てて座って、頭を下げた。

「まあ、山野の美香ちゃん来てくれたんじゃなあ、ありがとう」
と言いながら、一人の女性が駆け寄ってきた。
「お父さんも、亡くなったんじゃなあ~急な話でびっくりしたわ~いつ亡くなったん」
「去年の10月です」

「わたし、お盆にしか帰らんけん、今日聞いて、びっくりしてな~」
「ありがとうございます。父が亡くなってから、父の顔の広さに驚いてます」
美香さんは、そう応えると、チラッと奥の部屋を見た。
奥の部屋から数人が、出てきた。その中の一人が美香さんに、「空いたよ、どうぞ」と小声で言った。

美香さんは振り返って僕を見て、目で合図した。
見知らぬ人の背中をかき分ける様にしながら、奥の部屋に入った。
シゲ爺さんが、寝かされていた。

圧縮の途中みたいに薄くなった赤い柄の布団を被って、白い布を顔に充てられていた。
枕元には丸いお盆の上に茶碗に高々と盛られた、真っ白なご飯が置かれていて
ご飯の真ん中にお箸が二本、立てられていた。

シゲ爺さんの顔の傍には、やっぱり丸いお盆が置いてあって、その上にお水なのかお酒なのか判らないけれど
透明の液体が湯飲みに容れてあった。湯飲みの横には小皿にシキビの葉っぱが一枚、添えられていた。
その横に、渦巻きのお線香が置かれて、部屋のすきま風に揺られる様に、不規則に煙が流されていた。
シゲ爺さんの傍には、60代半ばの男性が俯き加減に座っていた。

美香さんが「息子さんよ」と小声で僕に言った。
「美香さん、親父が世話になったなあ。今日もわざわざ来てくれて、ありがとうな」と深く頭を下げた。
「昨日、会って話したばかりだから、びっくりしてね、お悔やみの言葉がみつからなくて…」

程無く息子さんは、葬儀社の若い社員に呼ばれて席を外した。
僕は美香さんの腕を引っ張って、泣きそうな声で伝えた。

「美香さん…何をどうすればいいんですか…判りません…」
美香さんは、
「真似なら出来るでしょう。私の真似をしたら大丈夫だから」
息子さんが直ぐに戻ってきた。

僕は握った両手をお腹に充てて、じっと美香さんの手の動きを見ていた。
美香さんは、シゲ爺さんの顔に被せてあった真っ白な布をそっと外した。
シゲ爺さんは、スッとした顔で微動だにしないで、眠っているみたいだった。
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小説  斜陽 28  SA-NE著

2018年01月23日 | Weblog


昨日、シゲ爺さんは、旧正月のお祝いの宴が終わりかけた時に
座布団に座ったままでテーブルに肘をついて、額に両手を当てたままで亡くなっていたと
美香さんの携帯に今朝知人から連絡が入った。

「お通夜は今夜自宅で営まれて、お葬式は明日町の斎場で身内だけで済ませるそうよ」
美香さんの電話の声は、とても静かだった。

「お通夜だけでも、私と一緒に行かない…」
美香さんに言われて、僕は「お願いします」と返事をした。
宮さんの奥さんが息子のだけどサイズは合う筈だからと、黒のセーターを出してくれた。

「大切な一期一会だから、きちんとお別れしなさいよ。
ポケットにこれを入れて置きなさい」と

葬儀場で見たことのあるお清めの塩を渡された。
迎えに来てくれた美香さんも、黒のセーターを着ていた。
昨日、二人で陽気に車を走らせた同じ道を、今日は黒い服を着て無言で走っている。

日の沈みかけた道は次第に真っ暗になり、やがて車のヘッドライトの照らす場所しか、視界に入らなくなる。
僕は無意識に膝を擦っていた。美香さんが、話し始めた。

「森田くんのその癖…」
「え…」
「その膝を擦る癖って、回避したい衝動に駆られた時に、無意識に出る癖だよね」
「あ…え…と…」
僕は手を止めた。

「答えに詰まった時にも出るよね、同じ癖の人を私、よーく知っているの」
「すみません…母にもよく注意されました…」

「私のね、私の父も同じ癖だったの、母がイライラするから
どうにかして治してって言ったら父はどうしたと思う?」
「どうしたんですか…」

僕は美香さんの横顔をじっと見ていた。正直真っ暗な道を正面から見るのが
恐くて美香さんの横顔や、自分の膝の当たりを見ていた。

「父はね…その膝に当てた両手をね、おへその前で組んだの。可笑しいでしょう~
組んだ両手を少し揺らすから、見ていると余計にイライラしてきて、母も私も諦めたんだけどね」

僕は真似をして、ヘソの前で両手を組んでみた。やっぱり無意識に手がぎこちなく動いていた。
美香さんは僕の手をチラッと見て、大笑いしていた。「美香さん、宮さんにお塩を持たされたんですが
どういう意味があるんですか?」と僕はポケットから、小袋の塩を見せた。

「あ~それね、私も持っているわよ。それはお守りみたいなものね。
昔の人の言い伝えでね、通夜とかお葬式に行くときは、お塩をポケットに入れておくの」
「なんでですか?」

「昔から、通夜とか葬式の途中で気分が悪くなったり、倒れる人がいてね
それをハシリニイルって言われてて、必ずお塩とか、イリコを持って行くの」

「なんか、怖いですね…」美香さんは、また僕を見て微笑った。
「宮さんから聞いたけど、祖谷の地名の由来とか、祖谷の風習とか
本を購入して色々調べているんでしょ」

「はい、母の故郷の事が知りたくて、今夢中で読んでいます」
「珍しい貴重な本、あるわよ…」
「え…持っているんですか?」
「父は本が好きでね、特に村の古くからの歴史とか、勉強していたわ」

「お父さんが…」
「でね、父の所有していた本を辰巳が終わった日に村の資料館に寄贈したの」
「資料館?あの大きな建物ですか」

「そうよ、あそこの倉庫に東祖谷に関する古い本を保管しているの、だから、父の所有していた貴重な本だけ
段ボール箱に入れて、そのまま寄贈したの。私は本は読まないからね」
「貰ってもいいんですか?」
「資料館の倉庫でずっと眠っているより、必要な人に貰ってもらえるほうが、本も成仏できるからね」

「成仏ですか…」僕は少し微笑った。
「資料館は冬の間は休館することが多いから、またお盆に帰省した時に、一緒に取りにいこう。
係りの人には、そのままにして置いてって電話しておくわ」
「はいっ、ありがとうございます。本、楽しみです」僕は嬉しくなって、恐いことを忘れて、ライトに照らされた

ガードレールに沿って浮かび上がる真っ暗な道をまっすぐに見ていた。
「ちょっとスピードあげるね~」
と言いながら、美香さんは猛スピードで走りはじめた。
速度メーターは、70キロを越えている。

「夜は走りやすいよ~対向車がライトで判るからね~祖谷高速~オービスなしっ」
美香さんが橋の途中で、突然スピードを落とした。
「危ない、危ない、橋が凍結していることを、忘れるとこだったわ。今夜も気温はマイナスに下がっているものね」

僕は一瞬、あのスピードで橋に突入していたら、どうなっていたんだろうと、少しゾッとした。
「僕は死にたくないです!」
と思わず言うと、

「森田くんは本当に素直に育てられたんだね。お母さんに感謝しなさいよ」
と言いながら、スピードを落として走りだした。
シゲ爺さんの家が見えた。庭先に煌々と灯りが点されて
障子戸から漏れた明かりは、季節外れの花火みたいに見えた。

僕達は近くの野原に車を置いて、明かりに向かって黙って歩いた。
家の庭先には葬儀社の車が停まっていた。入り口には靴が散乱していた。

胸が少し苦しくなって、暗がりで後ろを向いて、僕は一度深く息を吐いた。












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小説  斜陽 27  SA-NE著

2018年01月22日 | Weblog


車に戻った美香さんは大きな伸びを一回して
車に凭れながらペットボトルのお茶を飲み干した。
僕は小さな谷から流れていた水で手を洗っていた。

「祖谷にあるお墓は、幸せよね…」
美香さんが、対岸の細くなって風に流される煙を見ながら、呟いた。
「幸せ…って?」と聞くと、

「都会みたいに、墓仕舞いとか永代供養とか、考えなくてもいいじゃない」
「でも、宮さんが言ってましたよ、祖谷のお墓を仕舞いして県外の子供さんの近くの霊園に移す人が増えたって」

「それは子供さん達の都合でしょ、別にお墓の立ち退きになった話ではないでしょう…
私は連れて行かれないで、そのままで居られる祖谷のお墓の仏様は、幸せだと思うよ。
死んでからも触られるのは、おちおち死んでもいられないって話よ」

「おちおちですか?」
と僕が少し微笑うと、美香さんはペットボトルのラベルを剥がして、小さく折ってリュックのポケットに入れた。

「生まれた場所で、土に還る。それが一番幸せじゃないのかな…
人間は土に還る為に生きているんだもの…」

美香さんは時々、真顔になる。今さっきのお酒を飲みかけた顔とは別人みたいだった。
僕達はシゲ爺さんの家に向かった。

僕達が到着すると、シゲ爺さんは、陽の当たる場所で何かの敷物を出して、座ろうとしていた。
白い枝がそこらじゅうに散らばっていた。

「お待たせしました~ごめんね、遅くなって」
美香さんの後ろから、僕も付いていった。

「お~スマンスマン、シヨさんとこの坊っちゃんに、渡したい物があってのう、
丁度もんとったって聞いたもんでのぅ」

シゲ爺さんは、胸に会社名の刺繍されたグレーの作業服を着ていた。
この前の寝巻き姿とは、別人みたいだった。

「シゲ爺ちゃん、何をしてるん!?これって、ミツマタの木だよね」
美香さんは少し、びっくりした様子だった。

「わしな、あれから思いよんじゃ、シヨさんの初盆のこしらえしちゃろうと思うて
納屋のミツマタ殻ヨリヨッたんじゃわ」

「初盆~!森田くんのお母さんの?」
「そうよの、どうせ辰巳の正月も出来てなかろう~せめて初盆の火は生まれた場所で
焚いてやらないかんぞっ心配すな、わしが全部こしらえしちゃるきんのぅ」

シゲ爺さんが、何かを話しながら悦んでいるのは判ったけれど、
僕はやっぱり言葉が判らなくて、曖昧な笑顔で誤魔化していた。
美香さんが、後で紙に書いて通訳するわと、少し呆れた様子だった。

「いつ、東京に帰るんなら?」
と僕の顔を見た。
「明後日の朝です」
と応えると、

「そうか、そうか、シヨさんの息子が東京か、エライエライ、デカシタ、デカシタ」と言いながら
何かを取りに家の中に入っていった。
杖を付きながら、片手は畳に触るくらい前屈みになって、危なげな姿勢だった。
暫くすると、手に何かを2つ握りしめて出てきた。

「山野の美香さんには、これを置いとった!さいさい上手いもん貰うきん気の毒なきんの
これは名古屋の娘が送ってくれる荷物に入っとるんじゃけど、体にええきん飲めって言うんじゃけんど
わしはこんがなもんは飲まん」

見ると、何かの健康食品みたいだった。
「え~私はいいよ、だって折角娘さんが送ってくれているのに、娘さんに悪いもの~」
美香さんは、小さな箱を指先で押さえる様にして、断っていた。

「わしはこんがなもんで元気になるんなら、誰っちゃあ、医者の世話にはならんし、死ぬ人間もおらんと思とる
好きな場所で住んで、好いた焼酎飲んで、自分で作った芋食べて、それがわしのしたいことじゃ」
美香さんは、うん、うんと頷きながら、小さな箱を受け取っていた。

「これは、坊にやるわ、わしは若い時に山師だったんじゃ、シヨさんの親にも世話になって
さきさきの山の枝打ちさしてもろて、子供らをええ学校に行かしてもろた~そのお礼じゃ、もろてくれえよ」
と言いながら、僕の手に何かを握らせた。

僕は手を広げて、その小さなモノをじっと見た。
それは古い色の剥げた方位磁石だった。

「ありがとう…ございます」
と言って受けとると、シゲ爺さんは、至福の表情で笑った。

「わしは今から、集落の旧正月の祝いで公民館に行くんじゃ、今日の酒は上手いぞ~
坊にも会えた、べっぴんさんにも会えた」

「余り飲み過ぎないでよ~また遊びに来るね」
僕達は車に乗り込んだ。シゲ爺さんが助手席のガラス窓をコンコンと叩いた。
僕は窓を開けた。
シゲ爺さんが、両手を杖で支える様に立って優しい顔で言った。

「また、もんてこいよ…」
僕はハイッと返事をした。

帰りに美香さんは、迂回路して帰るねと言いながら、対岸に見えていた、山道を通った。
杉林の続く曲がりくねった山道の途中で、美香さんが突然車を停めて、遥か対岸を指差した。
「ねえ、この場所から森田くんの家が見えるよ~」

寥々とした枯れ木の中に沈んだ様に立つ母の生家は
時空の中に置き忘れられた精霊の脱け殻みたいに見えた。

シゲ爺さんに、お墓の掃除のお礼を言い忘れた事を、美香さんに言うと、
「こんど、帰った時にお土産でも渡して、お礼を言ったらいいのよ~
エンジニアの最先端で活躍する若者に、方位磁石は中々ウケるなあ~
シゲ爺ちゃんにしたら、最先端の文明だったのね~」

美香さんの横顔を見ながら、シゲ爺さんの顔を浮かべていた。
その優しい「もんてこいよ」の声を、僕達は二度と聞けなくなった。
あれが僕とシゲ爺さんの今生の別れの場面となった。












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小説  斜陽 26  SA-NE著

2018年01月21日 | Weblog

美香さんは「はい、じゃあお墓参り済んだら、寄りますね」と大きな声で話していた。

「シゲ爺さんから、何の電話だったんですか?」
と聞きながら、僕は入り口に絡まった蔦を両手で必死で根元から抜こうとしたけど
根っこはびくともしなかった。掌が真っ赤になって痛くなった。
根っこ一本と格闘する僕の様子を、美香さんはチラッと見て微笑っていた。

「シゲ爺ちゃん、私達がここにいることを、郵便配達の人から聞いたんだって
来る途中で郵便配達の人とすれ違ったから、すぐに情報が届いたんだね~
私の携帯番号はずっと前にワンタッチ登録してあったからね。
帰りにちょっと用事があるから、寄れって言ってたよ」

僕達はお墓に向かって枯れ草だらけの細い道を歩いた。
「さっき、家の中で何か拾ったでしょう」
「形見になる物かと思って拾ったら、ヘビの脱け殻でした。気持ち悪くなって、捨てました」

美香さんの観察力は、時々恐くなる時がある。
美香さんは、ヘビの脱け殻は、幸運を呼ぶのにね~と笑っていた。

道の行き止まりになった少し平地な場所にお墓が見えた。
体の中に仕掛けられた時計の針が、不規則に動き始めたみたいに、
僕の鼓動はゆっくりと高まった。不思議な感覚だった。

「土砂崩れの石が、ギリギリの所で止まっているわね~」
美香さんが指差した目の前には大きな欅の木が見えた。白く苔むした太い幹から
無数の枝が伸びていて、落ちてきた一メートル位の岩が一つ、欅の根元で塞き止められた様に止まっていた。

「森田くん、ご先祖様のお墓だよ…お祖父さん、お祖母さんの」
美香さんはお墓の廻りを見ながら、リュックをおろして
また手袋と小さなレジ袋に入れた物を取り出した。

僕はお墓の前に立った。
何故かお墓の回りの草は生い茂って無くて、竹とか枝も一本も倒れていなかった。
「お母さんがいなくなった翌年からシゲ爺ちゃんが、この場所の手入れをしてくれていたんだって。
シゲ爺ちゃんがこの前に電話で、話していたわ。酔って呂律は回っていなかったけどね」

美香さんは笑いながら、手袋をはめた。
小さな夫婦墓の側面に刻まれた文字は剥がれかけて、苔が固まって
グレーのペンキを張り付けたみたいになっていた。
指先でなぞるように見ていくと、少しずつ文字が見えてきた。

昭和50年10月2日没
俗名森田源一
行年63才
昭和50年11月19日没
俗名森田ワキ
行年61才

昭和51年3月
森田志代建之

「多分お彼岸に、お墓を建てたのね。昔の墓石は値段も高かったから、お母さん相当無理したかもね。
その立派なお母さんの御子息は、まだ納骨も出来ないで、蔦の根っこと格闘してるのにね~」

美香さんは僕を見て冷やかす様に微笑って、お墓の回りに落ちた、欅の枯れ葉を一枚一枚、拾い集めていた。
僕は素手で小さな小枝を拾い集めていた。
カラスが僕達の頭上で、一羽鳴いていた。

数本の大きな木の向こう側に微かに見える対岸の畑らしき場所から、一本の細長い煙が、立ち昇っていた。
「火事じゃないんですかっ」
と煙を見ながら僕が立ち止まると、美香さんはやっぱり笑いながら、
「枯れ草とか、小枝を集めて燃やすのよ、集め焼き…」と言いながら、レジ袋からお線香とお米を取り出した。

お米を少し握って、シキビの木に振り撒くと、
「いただきますね」
と言いながら、数本折っていた。

僕はシキビの大きな木を初めて見た。
花屋さんで母が買っていた小さなものしか、見たことがなかった。

「お線香は点けないわよ。枯れ草に燃え広がったら、山火事になるからね」
美香さんから僕は、お線香とお米とカップのお酒を一本渡された。

僕は二人で掃除した、墓石の前にお線香とお米とお酒を置いた。
美香さんがカップのお酒のアルミの蓋を慣れた手つきで開けた。

「ちょっと飲んだらダメ?」と僕の顔を覗きこんだ。
「何を言うんですか?飲酒運転で捕まりますよっ」と慌てて僕が言うと

美香さんは「森田真面目くん、合掌しますよっ」と言って、二人で暫く、手を合わせた。

またあの不思議な鐘の音が、遠くで流れていた。

手を合わせた後で美香さんは墓に刻まれた文字を、指でなぞりながら、ぽつんと言った。
「お母さん、志代って書くのね。シヨさんかと思ってた…智志の志か…」

美香さんは、暫く墓石を触りながら、じっとしていた。僕は二回目の合掌をした。










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小説  斜陽 25  SA-NE著

2018年01月20日 | Weblog


美香さんは雨戸の端の木の朽ちた小さな隙間に指をかけて、雨戸を取り外した。
赤錆びた錠前は雨戸と一緒に呆気なく外れて、枯れ草の上に落ちた。

何かの植物の蔦が、倒れたまま家の入り口を塞いでいる竹に絡まるようにして
軒下から茅葺きの屋根に伸びていた。

茶色の葉先は枯れていたけど、根っこは地面の土間らしき場所から、出ているみたいだった。
美香さんはリュックから、使い捨て手袋と携帯用のライトを取り出した。

「これは私の防災グッズよ、何が役にたつか、解らないよね~」とやっぱりご満悦な顔で笑った。
美香さんは少し太陽光の射した土間らしき場所に立ち、

「失礼します。土足で入りますが、許してください」と手を合わせて、お辞儀をした。
僕が真似をしてお辞儀をしたら、
「森田くんは自分の家なんだから、遠慮しなくていいのだよっ」と笑った。

囲炉裏の間が見えた。その奥に襖の部屋があるみたいだった。次第に目が慣れてきて
物の位置が判るようになった。
「美香さん…あれは何ですか…」

僕が恐る恐る指差した囲炉裏の場所には、何かの黒っぽい固まりが見えた。
美香さんは靴を履いたまま中に入っていって、その黒い固まりをじっと見て、突然大声を上げた。

「うわぁ~~~なんじゃこりゃあ~~~」
僕は恐ろしくなって、一旦外に出た。
僕の足元に美香さんが、何かの固まりを、投げてきた。

僕は「うわぁ!」と悲鳴をあげて、後ろに下がった。
美香さんはすぐに外にでてきて、お腹を抱えるようにして、笑っていた。

「森田くん、よーく見てよ。怖いと思っていたら、何でも怖い物に見えるのですよ~
これはちぎれて原形の無くなった、灰を被ったバスタオルの固まりでした~」
「美香さん、悪ふさげは無しにして下さいよ。僕は気が小さいから、心臓に悪いですよ」
と言いながら、渋々と中に入っていった。

ネズミがかじって、部屋中に新聞紙とか、タオルとか色んなものが、散らばってるわ!
ネズミ、おそるべしっ」と言いながら、美香さんは襖の奥の部屋にライトを点けて、入って行った。

「こら~森田っ、何を立ち止まっているっ、一緒にこちらに入って来なさいっ」
美香さんの呼ぶ声は聞こえても、僕は暗い場所が怖くて、足がすくんでしまう。
暫く美香さんの、実況だけを聞いていた。

「寝間(ねま)には何も異常なしっ、キチンと押し入れの中に入れてあるから
布団はカビて臭くてボロボロだから、使えません~」
美香さんは右の居間らしき場所に入って行った。

僕も恐る恐る、付いていった。
天井が、スッポリと落ちていた。
雨漏りが原因なのか、そのまま床一面腐っていた。
足を乗せたら、まるで雪の上を歩くみたいに床が沈んだ。

「床が抜けたらケガするからね、腐ってない場所をよく見て、歩いてよ」
ライトを照らしながら、美香さんが真顔で言いながら、食器棚の前に立って、呟いた。

「コップとかお茶碗とかは、腐らないんだよね。ここだけ見てたら
昨日まで誰かが生活してた感じよね…」

「見事に片付けて、出ていったのね。無駄に何も飾ってないし
流し台の中に全部仕舞ってあるから、見た目には普通の家と変わらないね。天井と床が問題だね…」

「神棚と仏さまの棚も片付いているね。埃はかなり被っているけど、まだ家の神様が住んでるみたいね。
いやっ?神様はもう引っ越したかな?」

美香さんはそう言いながら気になるのか、その前で手を合わせていた。
「だいたい、昔の人は大切な物は、仏さまを祀る棚の下の開き戸に仕舞って置いたのよ」
美香さんは、棚の下の開き戸を開けた。

中から白い桐の小さな箱が出てきた。
その箱をもって、美香さんは家の外に出た。
僕は美香さんに促されて、箱の蓋を取った。

僕は「え…写真…?」
と少しびっくりして、美香さんに見せた。

「昔は写真って誰かに撮してもらわない限り、無かったよね。
カメラを持っていた人が珍しかったものね」
美香さんは、5枚の写真を一枚ずつ、老木の上に並べていった。

僕は一枚の写真を見て、愕然とした。
老夫婦と母が並んで、畑で座って笑っている写真だった。

「美香さん、この二人のお年寄り、僕の夢にでてきた人に似てるんです」
「え~それって何~鳥肌がたってきたわ」
と言いながら、美香さんは二枚目の写真を見た。

「公民館で撮ったんだね。集落の人、めちゃくちゃ若いわっ!
シゲ爺ちゃん、男前~この頃は流石に鼻水垂らしてないね~」

「これは森田くんのお母さんの若い頃ね、一人で写っているわね。
やっぱり今の森田くんに目元が似てるわ」
「母の若い頃の写真が、一枚も無かったから、僕、これをお守りにします」
そう言って、その写真を掌に乗せて軽く指先で撫でた。

「これは白黒写真よ~みんなで田植えしてるんだね~真っ直ぐに一列に並んで腰を曲げて、昔の人は凄いよね~」
五枚目の写真を見て、美香さんが「え…」と小さな声を上げた。

「私の家の前…お父さん…お母さん…山下さん?…
森田くんのお母さん…わたしも写ってる…なんで?」

僕はその写真を見て、施設の山下サワコさんの話していた
美香さんの家に3人で泊まりに行った時の話を思い出した。

「美香さん、ほらっ、山下サワコさんが言っていた、あの日に写したんだと思いますよ」
美香さんは、一瞬ぽかんとして、

「記憶になかったわ…私の家は、お客さんがいつも来ていたから」
「この頃のお父さん、今の美香さんに似てますね。特に目元が」
「森田くんの家で、私の写真が眠っていたとは、想像も付かなかったわ」
美香さんは、暫く5枚の写真を、じっと見ていた。

「森田くん、お墓参りに行こうか」
美香さんは、箱を僕に渡して、雨戸を元に戻していた。
美香さんの携帯電話が、鳴った。シゲ爺さんからだった。














































































































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小説  斜陽 24  SA-NE著

2018年01月19日 | Weblog


「想像はしてたけど、かなり悲惨な現状ね。庭が無くなってるわ~」
美香さんは庭らしき場所で、リュックを背負ったまま、立ち尽くしていた。

庭に面して、一軒の大きな茅葺き屋根の家が建っていた。
庭には枝や竹や腐った老木が倒れていて、池みたいな場所は、斜面から崩れ落ちた土砂で埋まっていた。

「ちょっとしたジャングルみたいだね」
美香さんは、そう言うと、腐って地面に落ちていた一本の老木に、腰を下ろした。

「お茶でも飲もうよ」

と言って、リュックからペットボトルのお茶を取り出して、僕に渡した。
「ここが、僕の母の家ですか…」

ボロボロになった茅葺き屋根には何かの草が生えていて、小さな枝になっていた。
苔も無数に貼り付いていた。木の雨戸の閉まったままの家の正面に立ち、僕は茫然としていた。

玄関先に取り付けられたオレンジ色のポストは、斜めに傾いていて、メール便の郵便物で溢れていた。
何通ものメール便が、地面の枯れ草の上に落ちていた。
タウンページの電話帳が数冊変色して、ボロボロになって置かれていた。
軒下の換気口の横には、大きな穴が空いていて、真っ暗な軒下の先には、床の土台がうっすらと見えていた。


「お母さん、賢い人だったんだね」
美香さんはチョコレートを一つ口に入れて、ホースの先を指差した。
「水がこないように、ジョイントの繋ぎ目で、ホースを抜いて置いてるわ」
「水がこないって?」

僕は言葉の意味を、理解出来ずに、ホースの先を見ていた。

「都会では水はコックを開けたら普通に出てくるでしょ
この村では殆んどの人が谷の水を個人で工面しているの。
高い山の方の谷から水をホースで何十メートルも引いてくるの。

冬は水が凍結してね、水道管も凍って破裂したり
氷の溶けた時の水圧で水道管が家の中で外れるの。
で、家の中に水が溢れて大変なことになるのよ。

だから、家の外でホースを外しておく。
お母さん、ちゃんと家を腐らせない為に、用意周到してたんだね。偉いよね」

美香さんは、またチョコレートを食べて話を続けた。

「プロパンガスも外しているし、電気メーターも無いし
誰にも迷惑かけない様に完全に身の回りを整理して、ここを出たんだね…」

僕は老木に座ったまま、母を想っていた。
母さんは、この場所で生まれて、この場所で育って
この場所で生計を経て、この場所で二人の親を看取った。
そして僕を生む為に、故郷を捨てた。母の35年の全てが詰まった
母の生きてきた至上の砦に僕はようやく、辿り着いた。

美香さんが、持っていたチョコレートを2つ、僕の手に乗せた。
美香さんは傍に落ちていた小枝を小石に当て、拍子をとりながら小さな声で何かのメロディを歌い出した。

お母さん、貴女の故郷は
遠い山にありました
辿り着くまで
巡り会うまで
僕は一人で 歩いてきました
お母さん、貴女の故郷は
星の綺麗な山でした
辿り着くまで
巡り会うまで
僕は一人で 歩いて来ました
僕はようやく、貴女に逢えました~~~

「美香さん、誰の曲ですか…」と聞くと

「今、即興で作ったっ!森田智志の応援ソング~♪」
と美香さんは手に持っていた小枝を僕にぶつけて、目に涙を浮かべて笑った。

僕はチョコレートを食べながら、無性に涙が出てきて、笑いながら泣いていた。

「家の中に入ってみよう」美香さんは涙を指で押さえて、立ち上がった。
僕はまだ泣いていた。

「森田智志っ、男は何回も泣くなっ!」
美香さんに睨まれた。

竹の鳴る高い音がした。
僕は深く息を吐いた。











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小説  斜陽 23  SA-NE著

2018年01月18日 | Weblog

「三社そば」の前を通り過ぎた。あの時の雪はすっかり消えていて、
少しだけ積み上げられた雪の残骸が、日陰らしき場所に残っていた。

国道にしては狭い幹線道路を進み、久保山と書かれた標識の方向にゆるやかに車は上がっていく。
見覚えのある家が見えた。しげ爺さんの家だ。
雪の消えた家は剥き出しになったトタン壁が現れて、少し貧相に見えた。

「今日は寄らないからね、しげ爺ちゃんには悪いけど、お年寄りは話が長引くからね
ちょっと声を掛けてあげたくても、何時間も話されたら、半日は潰れるからね~」

舗装された狭い道は所々がひび割れていた。数回目の分かれ道で
舗装されていない右の道を進んだ場所で、美香さんは車を停めた。

「私ね、前に帰省中にこの辺りにタケノコ狩りに来たのよ。夢中でタケノコ掘りながら
竹林を進んでいる内に道に迷ってね、上の方に光るモノがあって、必死で竹林を真っ直ぐに登ったの。
あの時は焦ったわ~袋は引っ掛けて破れるし、タケノコは半分位落とすし、散々だったわ」

美香さんは、ダッシュボードからチョコレートを出した。
「でね、倒れた茅の畦道にでてね、茅とか雑草を踏みつけながら光る方向目指して上がってきたら
森田くんの家の庭に出たの。あの時は私の人生最大のプチ遭難事件だったわ」

美香さんは、話しながら車を降りた。僕もすぐに降りた。美香さんは後部座席に乗せていた保冷ボックスから
ペットボトルのお茶を2本、取り出した。それを茶色の小さなリュックに詰めた。

「ここに車を置いてたら、邪魔にならないからね。ここが行き止まりだから。
この道を最初から知っていたら、プチ遭難はしなくて済んだのよ」
と言うと、車のロックをした。

何かの枝が無数に落ちていて、枝で形成された小高い丘が、幾層にも連なっていた。
「心配ないからね。5分も歩けば、すぐに着くからね」
美香さんはあっけらかんとした顔で笑い、リュックを背負って歩き出した。

「この土地は森田くんのお母さんちの物だよ。しげ爺ちゃんが話してたよ。
昔雇われて、杉の苗木を背負って一本一本植えて、だからここは誰の山とか
どこそこの山とか解っていて、役所の人達の測量なんてしげ爺ちゃんにしたら、笑い話らしいわ。

谷筋に沿って欅を境に杉の木、松の木を境に隣って言ってたわ。
どこの家も空き家になったり、高齢になったりで山を管理出来ないのよ。
行政が一斉に森林問題に取り組まないと、この村は荒廃の道をまっしぐらだわ!」

と言って拳を振り上げて振り向いて朗笑した。
僕の土地と言われても、全くピンとこなくて、どこか他人事の話の様に思えた。

美香さんは、折れて落ちた枝の上を、平気な顔をしてどんどん先を歩いて行く。
前方を右側に曲がった場所で、突然美香さんが、立ち止まった。
「うわぁ!最悪~道が無くなってるわ」と大声をあげて
すぐに冷静になって一人で頷いていた。

美香さんの声にびっくりして立ち止まると、テレビの台風中継で見た事のあった
土砂崩れの後らしい光景が広がっていた。僕は呆然と立ち尽くした。

「ちょっと回り道するよっ」
「回り道って美香さん、他の道を知っているんですか?」
と困惑しながら聞くと、美香さんは黒いホースを指差した。

「ホースは腐らないからね、必ず家の近くまで張っているから
川を挟まない場所だからこの杉林を真っ直ぐ下に行けば、大丈夫だと思うよ」
と言いながら、黒いホースを軽く片手で持ち上げた。

「もし、大丈夫でなかったら?」と聞くと
眉間に皺を寄せて、一瞬恐い顔になった。

「いちいち、理屈を並べていたら、何も前に進まないからねっ!
ここは東京ではないのだよっ!
全ての行動が自己責任っ!山で生きることはそういう事っ」
と声を張り上げて、すぐに笑っていた。男なのか女なのか、解らない時がある。

杉林の中を枝に掴まりながら、歩いた。
雑木や葛も繁っていて、転びそうになりながら、歩くと言うよりは上手に突っ立って滑っていた。

美香さんの背中が、杉の大木にすっぽりと隠れて、消えては現れる白装束の怒りっぽい忍者みたいに見えた。
「やったぁ!予想的中!森田くんのお屋敷です~!」

杉林の下の方で、美香さんの声が聞こえた。
何かの鳥が茂みから飛び立った。

木々の隙間から見えた空には一本の飛行機雲が
木と木を繋ぐ太い糸みたいに 真っ直ぐに伸びていた。

「遅いよっ!森田智志っ!」
美香さんの声が呼びごとみたいに、響いていた。











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小説  斜陽 22  SA-NE著

2018年01月17日 | Weblog


夜明けの薄明かりに、山里の朝は慎ましくゆっくりと目覚めていく。
セピア色の斜面を背景に、ロウソクの炎にも似た、民家の明かりがひとつ、ふたつと灯されていく。

顔に当たる風が痛くて、宮さんに借りた綿入れの胸元を思い切り両手で押さえて、肩をすぼめて息を大きく吐いた。
真っ白な僕の息は、庭の外灯に浮かんですぐに消えていった。

僕は睡眠不足のまま、朝を迎えてしまった。睡眠不足の正体は、昨夜の満天の星空だった。
漆黒と蒼を織り上げた様な壮大な幕に硝子を散りばめたみたいに、燦々と冬空に耀いていた。

「だから、絶対にキレイって言ったでしょ!」
言われる前から、美香さんの、ご満悦の顔が目に浮かんできた。

ここに来ると、身体中の細胞が解放されたみたいで、自然と瞑想に耽ることが多くなった。
風の渡る音。水の流れる音。竹と竹の交わる時の軋む音。鳥達の声。氷柱の落ちる音。
そうした自然の発する一つ一つの音が、きっと心をまっさらにしてくれるんだと思った。

都会は造られた音で、蔓延している。
雑踏の中の靴音に至るまで、絶え間なく続く数種類の音は毎日強制的に耳に届き
誰もその音を選択出来ないままに、時間に追われながら流されている。

人は音にも支配されながら、少しずつ壊れているんではないだろうか。
などと下手な持論に耽っていたら、宮さんが朝食の準備が出来たよ~
と縁側の障子を開けながら、知らせてくれた。

食事の最中に、庭先に車の音がした。
宮さんの奥さんが、箸を止めて言った。
「このエンジン音は、美香さんの車ね~」
「なんで、エンジン音で判るんですか?」

僕はぽかんとして、奥さんを見た。宮さんは僕を見て、楽しんでいるみたいだった。
「知人の車のエンジンの音なら、みんな自然と判るわよ。多分村の人もみんな、わかってると思うわ。
玄関先の靴音でも、誰だか判るものねぇ、美香さんは車から降りたら
真っ先に伸びをして深呼吸するから、美香さん登場まで、あと十秒位かな」

宮さんはやっぱり、奥さんの顔を見て笑っていた。
丁度、美香さんが部屋に入ってきた。

「何~なんで3人で笑っているの~?なんか私の悪口とか話していた?」
僕は唯可笑しくなって、吹き出した。

美香さんは最初に逢った時と同じ、白のスポーツウェアを着ていた。
手には、何かの枝を持っていた。奥さんがすぐにその枝を見て、小さな歓声をあげた。

「まあ~寒桜ね~」
「家の庭から盗んできたのよ。梅じゃないけどね、主なしとてなんとかなんとかよね。下の句を忘れちゃったわ~」
4人で笑いながら、僕は奥さんがお燗にさりげなく生けた寒桜の花弁を、じっと見ていた。

冬に咲く桜を、初めて知った。不意に母の顔が浮かんで感傷に浸っていると、美香さんに肩を捕まれた。
「行くよっ、森田智志くんっ、感傷に浸る暇はないよ~!」

僕達は母の生家、久保山に向かった。
晴れた冬の空が、真っ直ぐに広がっていた。














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小説  斜陽 21  SA-NE著

2018年01月15日 | Weblog


今さっきまで、温厚な表情で話していた人が、薄気味悪い卑しい一面をさらけ出したみたいで
一瞬僕は山下さんに嫌悪感を抱いた。
美香さんが顔色ひとつ変えないで、フォローしてくれた。

「山下さんっ、私とおんなじ事聞いてるよ~私も森田くんに同じ事を、聞いたんだ。
お母さん離婚したの?婿養子だったのって」
山下さんは一瞬、面食らった顔をして、美香さんを見た。

「あら、そう?わたしはシヨは結婚しなかったのかと思ったんよ」
美香さんは右手を自分の顔の前で小さく振り、違う違うと笑いながら、続けて応えた。

「森田くんのお父さんは、事故で亡くなってね、お母さんが財産を全部ご主人の身内に渡して
祖谷に帰りたいから、森田の姓に手続きしたんだって!」
僕はキョトンとして、滑るように話す、美香さんの作り話を聞いていた。

「まあ、お父さんが事故で…まあ、気の毒に…」
憐れな者を見るように、山下さんは僕を見た。

僕が黙っていると、美香さんから事前に聞いていた、執拗な質問が始まった。
矢継ぎ早に聞いてくる山下さんの口元を見ながら、この人が母の友人だったとは、到底思えなかった。
母は言葉ひとつを大切にしていたから、僕の前で母を語るこの人からは、不快感しか伝わってこなかった。

「シヨが出て行った話をハツ子から電話で聞いた時は、両親がいっぺんに亡くなって
シヨはノイローゼになって、蒸発したって噂が広まってなあ、あの時はびっくりしたんよ…」

「山下さん、そのハツ子は、認知症で同じ敷地の特養に入所してますよ~」
美香さんが、おどける様に話した。

「知っとるよ…職員さんに手をひいて貰って顔を見に行ったけど、ハツ子はわたしの顔を見ても
知らん顔してな、挨拶したら他人を見る顔で丁寧にお辞儀してな、辛うなって部屋に戻ったんよ。
また71なのに、あのハツ子があんなに定まらん変な病気になるとは、亡くなったお父さんも、難儀しただろう」

「父は弱音は吐かなかったからね、母が夜中に徘徊するようになってからは、睡眠不足になって、心臓病を発症してね
母を預けて一年後に朝布団の中で亡くなっていたからね。丁度私が帰省していたから、診療所の先生に連絡できて
警察とか鑑識とかのお世話にならなくて、父の尊厳は守れたから、良かったんだけどね」
美香さんはそう話すと、窓から見える遠くの山の稜線を無言で見つめていた。

「美香ちゃんの家に泊まりに行ったことあるんよ、わたしとシヨと。
シヨの両親が亡くなってから、ハツ子がシヨを元気にしてやろうって言うてな
わたしはわざわざ大阪から帰って落合の三社祭りにみんなで行って神輿見てな、その足でハツ子の家に泊まりに行ったんよ。
美香ちゃんは中学生で丁度寮から家に帰ってきとったわ」

「私が中学生って?なんかピンとこない話ね」
「あの美香ちゃんが大人になって、わたしもお婆さんに近づく筈じゃなあ…」
「山下さん、色々話をして貰ってありがとうございました。また、時々遊びに来ますね」
美香さんは、山下さんの肩をそっと撫でた。

「ありがとう」と微笑った顔は、最初に見た温厚な表情をしていた。
僕達は、山下さんの部屋を出た。階段から一階に降りながら、美香さんが言った。

「お母さんに似てるって言われて、良かったね。私もこの数ヶ月父に似てるって言われて、嬉しかった。
生きてる時はなんとも思わなかったのに、亡くなった途端にそのことが、親子の証明みたいで妙に嬉しくてね。
ちょっと母さんの安否確認して、すぐに戻るから下で待っててね」

僕は施設のエントランスに置かれたソファーに座って、独り黙想にふけっていた。
母を知る人に会い、少しずつ母の過去の時間を手探りしている実感は
やっぱり夢の続きを見ているみたいで、少し不安だった。
「智志っしっかりしなさいっ」

いつも、母の声が道標みたいに瞬間、瞬間で僕の背中を叩いてくれる。
暫く待っていると、美香さんが降りてきた。
僕達を見た職員さんが、面会簿に記帳して下さいと声を掛けてきた。
美香さんは「うっかりしていたわ、ごめんなさいね」と、笑っていた。
僕が記帳した後から、美香さんが記帳した。

美香さんが、ぽつりと言った。
「智志って書くんだ。私の携帯に森田さとしって登録してたわ~智志かぁ…
私の父の名前が智之だから、偶然にしては縁があるわね」
美香さんは、外に出て、独り言を言いながら両手を高く上げて、伸びをしていた。

「疲れた~ここに来ると疲労困憊になるわ~元気が吸い取られるわ~」
僕も両手を上げて、思い切り伸びをした。

「雪が無いから、明日久保山の家に行ってみよう。お墓も確か森田くんの家の側にあったと思うから。
お墓参りのお線香とかは、準備しておくからね」
美香さんは宮さんの民宿に、僕を送り届けてくれた。

「明日、迎えに来るからね~今夜は星空を満喫しなさいよ~絶対に絶対にキレイだからね~」
と言って、空になったチョコレートの箱を僕に渡した。

遠ざかる美香さんのワイン色の車は、僕を遠い過去に連れて行ってくれるタイムマシンに見えた。
太陽はすっかり沈み、白黒の世界がゆっくりと、冬の時間に溶け込んでいった。











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小説  斜陽 20  SA-NE著

2018年01月14日 | Weblog


美香さんの後ろから、僕は少し緊張しながら、山下サワコと書かれた部屋に入って行った。
畳の部屋で色白の細面な人がパイプベッドを背もたれにして座っていた。
僕達に気づくと、すぐに見ていたテレビをリモコンで消しながら
慌ててリモコンをテーブルから落とした。

美香さんがリモコンを拾いながら、駆け寄って声を掛けた。
僕は部屋の入り口なのか部屋なのか判らない空間に、突っ立っていた。

「初めまして、山野美香です」
「あ~、面倒をかけて来てもらってすみません。息子から聞いてなあ~」

山下さんは寒いから早く炬燵に入ってと、炬燵布団の端を浮かせる様に数回持ち上げて
僕に手招きした。カーテンから漏れた僅かな陽射しの中で、埃が舞うのが見えた。

「山野のともさん、亡くなったんじゃなあ、びっくりしたなあ」
「ありがとうございます。みんなにお悔やみ言われて、有難いです」

美香さんは深くお辞儀をしていた。
さっきまで、チョコレートを食べながら、お喋りしていた横顔とは
別人みたいに、真顔になっていた。

山下さんは、炬燵に掴まりながらゆっくりと立ち上がり、小さな冷蔵庫から、清涼飲料水を2本取り出し、テーブルに置いた。
しげ爺さんの家にあった物と同じ小さな瓶の飲み物だ。この村の老人は嗜好品が似ているのかなと、ふと思った。
飲んで下さいと勧められ、僕はとりあえず、軽くお辞儀をした。

「こちらの方が志代の息子さんの森田さん?」
僕を顔をじっと見てから、美香さんに促すように聞いた。

「目元はお母さんとそっくりじゃなあ、シヨに会ったみたいで、なんか嬉しい、妙な気分がするわ」
と言って、目を細めて、微笑った。

「美香ちゃん、わたしのことは、覚えてないで…?」
「え…初対面ではないんですか?私、山下さんと、初対面だとばかり思ってました」
美香さんは、瓶の蓋を開けながら、返事をした。

僕は二人のやりとりを、黙って聞いていた。
「美香ちゃんのお母さんとシヨとわたしは、同級生なんよ」
美香さんは、驚いた顔で僕を見た。

ぽかんとしていた僕達とは対称的に、山下さんは淡々と話し始めた。
「中学を卒業するまで、何をするのも3人一緒でねぇ、よその集落のお祭りにまで遊びに行って
どこに現れるか判らないから、祖谷のオグロモチって言われてね~」

「オグロモチって何ですか?」
美香さんは、飲み物を一口飲んで、不思議そうな顔をして、聞いた。

僕はしげ爺さんの時と同じで、訳の判らない方言が出たら
どうしようかと、少しビクビクしながら聞いていた。

「オグロモチは、もぐらっ。祖谷ではもぐらのことをオグロモチって言うのよ」
山下さんは笑って答えた。「3人でくっ付いて遊んだ、今思えばあの頃が一番楽しかったんよ。

街に憧れたり、卒業したら知らん世界が待っとるようで、村から出たいし、3人でもおりたいし
結局わたしは町の高校を卒業して、大阪の銀行に就職してあっちで結婚して
美香ちゃんのお母さんはしもに就職しとったけど途中から村に戻って役場に入って
シヨは親を看るって最初から村に残って、3人バラバラになってなあ

私は身体の具合がずっと悪くて、大阪の病院の近くの娘夫婦と同居させてもらったんじゃけどなあ
娘も孫の世話に忙しいなって、大阪のケアハウスにって言われたけど、やっぱり終いはこっちでおりたい思うて
半年前からお世話になっとんよ、長男の嫁に気を遣って暮らすより、ここが楽でなあ~
長男は嫁を貰って嫁に盗られるけんなあ~」

山下さんは湯飲みの中の飲みかけのお茶で、クスリ袋から取り出した、小さな錠剤をひとつ飲んだ。
そして、僕の顔を食い入るように見ながら言った。

「何でシヨは、森田のままなん?シヨは東京でわざわざ、婿養子とったん?なあ、なあ、森田さん?」
僕は両手で膝を擦っていた。











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小説  斜陽 19  SA-NE著

2018年01月11日 | Weblog


車のラジオからは、途切れ途切れに、パーソナリティーの声が流れていた。
「阪神大震災から18年、○○特集○○○○あの震災○○な○んです○」
車がカーブを曲がる度に聞き取れなくなる。

「どうして、ラジオが途切れるんですか?」
と聞くと、美香さんはお土産のチョコレートを食べながら、
「山だから電波が届かないからよ~単純なことには、都会の人は弱いよね~」
と呆れ顔で微笑った。不意に母に言われた言葉を思い出した。

「智志、コンピューターにばかり頼っていると、単純なことにも気が付かなくなるわよ。
人間の根源は五感なのよ。五感を研ぎ澄ませる意識を常に持ちなさい」

母は不思議な人だった。母の天気予報は、テレビよりも確実で、
子供の頃傘を持たされたら、必ず午後から雨が降ったりした。
母の五感は、この場所で育ったから培われたのだと、美香さんの横顔を見ながら思った。

「これから、私の母親の入所している施設に行くんだけどね、
あれから私の携帯に施設の職員さんから連絡があってね、森田くんのお母さんの同級生が、施設に入所していてね
面会に来てた家族から森田くんが祖谷のご先祖様を訪ねて来た話が出たんだって
でね、どうしても会いたいからって本人が言っているって」

「なんで、僕の話題がそんなところまで、広まるんですか」
僕は真顔になって、聞いた。美香さんは顔色を変えないで、淡々と話を続けた。

「村人のネットワークシステムみたいな感じね。導火線に点いた火が次から次に広がっていくみたいな
内容が意地悪に付け加えられたりして不愉快なこともあるけど、逆に緊急の時は物凄く助かるしね」
美香さんは、施設に着くまで20分余り、ずっとお喋りをしていた。

美香さんのお母さんが認知症が酷くなる前のお正月に、お雑煮の具材に丸ごとの里芋と
長方形のままに切ったお豆腐を十文字に重ねて置いた。遂に母さんは狂った!お雑煮の炊き方を忘れた!認知症だ!と騒いでいたら

それは祖谷の昔のお雑煮だったと後で判って、認知症の進行を早めてしまった後悔の話や
昔ご主人とハート村を訪れたのに「あいつは全く他のことを考えていたんだわ!!馬鹿じゃないの!
お陰で六年も取り遺されたわ~」と笑って話した。

冬枯れの殺風景な景色を過ぎた辺りから、家が数軒立ち並び、左前方の小さな谷の向こう側に大きな建物が見えた。

「忘れないでね、復習しておくね。森田くんは今年で31才。お母さんが40才で産んだ子供。
絶対にお年寄りは年齢を聞いてくるからねっ、それと何処に住んでるとか、仕事は何をしているとか
嫁はいるか、子供は何人か、男の子はいるかとか、職務質問よりしつこく聞かれるからね。
とにかくお母さんが誰と繋がっていたか、何かしらは手掛かりになる筈だから、行くよ~」

美香さんは車から降りて、すぐに両手を上に高く挙げて、大きく伸びをした。
雲を薄く掃いた様な隙間から、うっすらと冬の陽射しが見え隠れしている。
三社そばで聞いた、スローテンポな鐘の音が、空のスピーカーから降り注ぐ協奏曲みたいに流れていた。
















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小説  斜陽 18  SA-NE著

2018年01月10日 | Weblog


「ハート村の伝説は、私が中学生の頃に聞いたことがあったけど、あの頃はその話を聞いても特に気にも留めてなかったわ。
だってあの世とかこの世とか、関心なかったしね」

美香さんは足下の落ち葉を一枚拾って、手のひらに乗せて、両手で擂り潰しながら話を続けた。
「この松の木はね、樹齢百五十年余りで、永縁結木(えいえんむすぎ)と呼ばれているの。
この場所に立ち止まって、対岸のハート村を見た者同士が、親子でも夫婦でも恋人同士でも互いにね…」

「互いに?」
僕も傍らの小さな切り株を見つけて、腰を下ろした。

「お互いに、松の木に触れて、あの景色を見ながら、その瞬間にお互いの事を思うの
それが絶対条件…森田くん、今さっき頭の中で何を思ってた?」

「あ…と…景色見てただけです」
「今、私の事は全く頭に浮かんでこなかったでしょう」
「あ…はい…」

「私も森田くんの事は考えてなかったよ。チョコレート持ってくるんだと思ったし、ちょっと喉が乾いたって思った」
「なんですか~美香さん、この話の流れでチョコレートですか?」
「ねっ、同じ景色を見ていても、全く別々のことを考えてるでしょ、でね、永縁結木の御神木が叶えてくれるのはね」

「何を叶えてくれるんですか?」
「この場所で相手のことだけを同時に思い合えば、一人が亡くなったら、もう一人も一年以内に逝くの。
二人が共に永遠でありますようにって、一人が先に逝っても遺された者が泣き暮らさない様に、連れていってくれるの」

「伝説の根拠はありますか?」と僕が訊ねると、美香さんは一瞬、眉間に少ししわを寄せた。
「さっきのご主人のご先祖様は庄屋様だったの。そこに遣えていた使用人が古文書を盗み見て、
自分の子孫にだけ、こっそり伝えていたの。言い伝えは先々代の死後、少しずつ広まって言ったみたい。
で、今はネット社会でしょ、それから恋人同士でここを訪れる人が、増えたみたいよ」

「それで…ハート村伝説なんですね」
「私の知人も同じ年に亡くなったけど、二人は昔、付き合っていたからね、あの二人もこの場所に来てたんだなあって思った。
なんか羨ましかったわ。でね、願いが叶っても、本人達は御礼参りは出来ないからね。この世にいない二人の代わりに
私は初盆の時にこの場所に来て、松の木に手を合わせにきたのよ」

美香さんは立ち上がった。
「御礼参りの出来ない願い事って、哀しい伝説ですね…」僕も立ち上がった。
「見えないものの世界が一番長くて尊い事に、昔の人達は気付いていたから、様々な民俗や風習がこの村には語り継がれているのよ。
山岳信仰の懐で、生きているんだものね。
お祖父さん達の代わりに、松の木に御礼の挨拶しなさいよ。今から何かしらの御加護があるかもよ~」

美香さんに肩を押されて
僕は松の木に手を合わせて、深くお辞儀をした。

「これから森田くんを待っている人に会いに行くからね、帰るよっ!森田くんのお母さんの同級生らしいよっ」
美香さんは、また得意満面に微笑った。

透けた空に浮かんだ真昼の月は、生あくびしているみたいに見えた。
僕も小さな、くしゃみをした。





















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