秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(ヤマガラと徒然のままの独り言)

2020年11月26日 | Weblog
前略。
ヤマガラが、可愛らしい。
去年はカビの生えた一年前のひまわりの種を置いたら、全く訪問してくれなかったヤマガラちゃん。
今年は新品のヒマワリの種を準備した。が、一度失った鳥と人間の信頼を取り戻すのに、2日を要した。
3日目から、来るわ!来るわ!

ベランダに置いたヒマワリの種を目掛けて、ヤマガラが十羽くらい。
ビュンビュン飛び交う。新品のヒマワリで絆が回復した。
家の前の欅の老木は、野鳥達の楽園。
シジュウガラに山鳩にヤマガラ。

ずっと観察する。飽きない。写真を撮りながら、ふと思い出した。
こんなに連写するのは、何十年ぶり?
そうだ。娘達が産まれた年も、こんな風にずっと写していた。
可愛くて可愛くて、カメラのフイルムをまとめて購入したんだっけ。
あの頃、娘達を何十回、何百回、抱きしめただろう。

今、オバさんに近づく娘達を頻繁に抱きしめたら、きっと娘達は
私の頭がおかしくなったと思い、私は脳外科に連れて行かれる筈だ。間違いない。

私の誕生日の度に、
『母ちゃん、いつまでも元気でいてね。産んでくれてありがとう。
父ちゃんと一緒にみんなで頑張ろうな。母ちゃんの娘として産まれて幸せです。ありがとう』
とメールが届いていたが、

今年の誕生日には直接、電話で伝えてきた。
『母ちゃん、誕生日おめでとう。
いつまでも 長生きしてよ。80歳90歳まで、長生きしてよ』
母ちゃんは、直ぐに返答した。
『こらえて下さい。そんなに、生きたくありません。』

話はそれにそれましたが、
我が家のベランダにくる、ヤマガラさんも、常連さん達と新顔さん達で、時々ケンカをする。
『おまえ、あっちいけ!』
『おまえのベランダじゃないだろ!おまえがあっちに行け!』
『うるさい!わしらが先にこの場所を見つけとんじゃ!』
『そんなの関係ない!ベランダはみんなのものじゃ!』
※ベランダはワタシのものです。

そこに、シレーと静かに、一羽のシジュウガラ(多分)
ヒマワリの種を素早く口にくわえて、飛び立つ。
ヒマワリの種が無くなると、ヤマガラはガラス越しに、家の中を見る。
ジーと、こちらを見る。
その瞳と、首を傾げる仕草が、
可愛い〜〜〜!

そうか、この仕草。男性を知り尽くした女子が使う、最強のアピール武器。
この仕草に男子はコロッと引っかかり、身も心も女子に乗っ取られる。
お婆さんで、首を傾げる人もいるけど、あれは首の筋力の低下からくるものなんだ。
多分。 まさか?アピールか?

ヒマワリの種は高い。節約を心がけて、費用を捻出して頑張っている。
私は自分の為だけには、生きていけない。
自分自身が、1番判っている。

我慢を辞めようと思う。
明日、突然倒れて、言葉が話せなくなったら、悔しいから。
理不尽な扱いで、怒りが込み上げてきたら、その場で反論することにした。
組織は面倒くさい。責任の擦り合いだ。
『わたしの責任です。申し訳ありません』
それを言える人が、一握りしかいない。

ヤマガラの世界はシンプルだ。
ヒマワリに向かって、まっすぐに飛んでくる。
着地。口にくわえる。向きを変えて羽ばたく。枝に止まりしばし、種の皮を突っつく。
すぐに食べたり、時には種を自分の覚えた場所に隠す。
色んな知恵で、生きている。

自己責任の社会だから、みんな、自分と家族の為に、それぞれが頑張って、自粛しよう。
医療崩壊を起こしてはならない。
医療従事者の皆さん。どうか病まないで、頑張って下さい。
お疲れさまです。ありがとうございます。しか、今の私には言えません。ごめんなさい。

で、ありがとうございますぅ〜
って、頻繁に言われるとイラッとする最近の私でございました。


         草草













































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菜菜子の気ままにエッセイ(パンクとカズラと時々わたし)

2020年11月15日 | Weblog
前略
祖谷地方は、紅葉が足並みを揃えないで爆発しております。
人様のブログの美しい紅葉写真を見ながら、感動的な写真を撮る方は
努力しておられると、つくづく感心致します。
撮影時間。気象条件。様々な撮影グッズ。その他、諸々。
その他と言う語は知識がない場合に、本当に、助かります。

その他と言えば範囲は広がる訳で、とりあえず「その他」と言っておけば、間違いはありません。
望遠レンズが、欲しい!
天体望遠鏡も、欲しい!
でも、絶対に購入はしない。
贅沢は、私の人生の辞書には登場しない!

で、10日程前の某日。寒い日だった。諸用で久保蔭集落に行き
そのまま、奥祖谷に紅葉を写しに向かおうとして、久保蔭集落の農道を
いつものように景色を確認しながら走行していた。

見たことのある目尻の垂れた顔が、道の下の山の斜面から、農道に這い上がってきたところだった。
その男は、昔。学生運動に参加して、
シュプレヒコールを叫ぶ、群れの中にいた男だ。

あのデモ行進で、隣の人の肩と肩が顔にぶつかって、目尻がその圧力に負けて、下がったのか?
『テラオのアニさん、こんなとこで、なにしよん?』
私が優しく尋ねると、
『カズラ、とりよんじゃ。前に来た時に、ここに葛あるの、見つけとったんじゃ』
『へえー。』
と優しく相槌をうち、ココロで呟いた。
『暇なんでー』
リースにする2種類のカズラが、キレイに丸められていて、ガードレールの前にきちんと積まれていた。

これが欲しいっ!と、私が手に取ると、
『それは、高いんぞ!』
と声をあげた。
『高いって、泥棒したカズラで、言うな!』と反論した。

で、選んだカズラを握りしめ、車のタイヤを見ると、パンクしていた。
朝、家を出るとき、胸騒ぎがしたから、タイヤを確認したが、その時は正常だった。
が、やっぱり胸騒ぎ的中で、パンクした。

J○のロードサービスには、加入しているけど、そこに連絡したところで
手間がかかって、いつになるか判らない。とにかく、お腹が空いていて、寒くて死にそうだった。
こんな時にチョコレートを持っていない自分を、責めた。
すぐに来てくれるスーパーマンに、連絡した。

『しんぐ○さん、久保蔭でパンクしました!助けて下さい!』
※N BOXには、スペアタイヤは付いてない。
いつも持参している、パンク瞬間修理携帯ボンベを取り出した。
テラオの兄さんが。頑張って動いていた。
が、何の手応えもないまま、エアーの音が落ち葉の葉音の中に、埋もれていった。

N BOXには、パンク修理の高級なキットが一式装備されているが、使ったことがないから、猫に小判。
で、40分位待つと、スーパーマンが軽トラックにコンプレッサーを積んで
スペアのタイヤも積んで、その他諸々を持参して、テキパキと修理完了。
鋭利な石で、切ったみたいだと言った。東祖谷で唯一の自動車屋さん。
本当に有難い。ありがとうございます。

三ヶ月前に新品のタイヤを装着し、またまた本日も1万円の支出。
3年連続で新品のタイヤをパンクさせる、見事な腕前。
物と物の角度が、一致するからこそ、パンクは成立する。
今日一日普通に走行して、頑張ってパンクさせて下さいと頼まれても
中々容易に実行出来る事ではない。

自動運転の技術の革新も良いけれど、楽に痰が出せる薬を、開発してあげて欲しい。
痰が絡んで窒息した方々は、どれ位いたことか。
私も数日前に、窒息しかけた。
眠りの中のことだった。

息が苦しくなった。口を何かで塞がれて、思い切りそれを離そうとしたら
更に苦しくなって、意識が遠のいていく感覚。渾身のチカラを込めて、
『ぐあーぁぁぁ〜』と叫びながら、思い切り頭を振り払った!!!!!!!
!!
目の前には、枕。
そう、自分のまくら。
Myまくら。
私は見事なうつ伏せ寝をして、何故か自分で自分の口を塞いで
苦しくて叫びながら目を覚ました、本当に
何やってんだ?ワタシ。

様々な気象条件によって、美しく輝ける紅葉の世界。
自分自身のチカラだけでは輝けない。
環境って、大切で重要だ。

こんな毎日の為に生きているのか?と、模索しているのは誰も同じ筈だ。
それに気付く人と、気付こうとしない人と、気付きもしない人。
人は千差万別だ。

シュプレヒコールで、あなたは何を叫びますか。
あなたは、叫べますか。生きていますか。愛はありますか。
私は、何故か新品のギターを購入し、弾いております。
          
          早々



















































































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晩秋の山麓にモミジは映えて

2020年11月15日 | Weblog
山麓のモミジは去り行く晩秋を惜しむかのように一瞬のかがやきに、、、、、


































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晩秋の山里、失せ行く色彩を惜しみて

2020年11月13日 | Weblog






































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晩秋漂う山里

2020年11月11日 | Weblog
華やかな錦絵の紅葉も一気に去り、山里は晩秋の匂いが漂いだしていた































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山里の秋

2020年11月07日 | Weblog

移り行く季節、去り行く風景、懐かしい草木、懐かしき友たち、諸々の風景が目の前を
こころの奥底を流れ去るのを感じる時間、空間、に生きていることを許された実感に想い巡らす
里の秋の憂いを思う

草木の、小動物の、嘆きとも、吐息とも、思える自然の急激な変化は悪くも良くも
インパクトの大きさにすべての事象が壁壁しているのを、実感するにつれて
生きていることが許されているのか、疑問を感じてしまうのである

動植物たちのなかで、ひとびとだけが、我が物顔に、すべての事象を好き放題に
捻じ曲げて使い放題しているのを、他の動植物たちは、どう見ているのだろうか

彼らはどうすることも出来ない自分たちを嘆き、悔し涙を流して
諦めざるを得ない状態なのであろうな、と、

里の秋の風景を眺めながら、ふ~と、彼らの生きていることを考えると
果たしてぼくらは地球上に生きていることを許されるのだろうか
哀しい想いに駆られてしまうのであるが


































































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