むかしは美しい山、森であったであろう、祖谷千年の森は最近の数十年の間に
人間の限りない欲望の餌食となって、その荒れようは酷いものであり、可哀想な
自然を目の辺りにして、茫然自失の思いである。
考えてみれば、人間の欲望は果てしないものであろうか、山にしろ、森にしろ
自分が歩きたいと思えば、欲望を抑えることが出来ない、自然が荒れている状態で
あろうが、省みることなく、しかも他人の持ち山に勝手に入って歩き回り
土地の人に迷惑かけるなど平気である、やはり人間の性なのであろうか
省みれば、産業革命以来、人間は絶えることなく自然を攻撃して破壊してきた
人間の吐き出す汚物が強靭な自然の力を弱めていき、自然回復の望みさえ
絶たれようとしている
いまや自然破壊は放射能を頂点にして、枝葉には山歩きを含めて絶え間なく
自然に攻撃を加えている
このような状況を見るにつけ、人間は自然を破壊し尽す動物なのかもしれないとの
絶望感に襲われる。
じぶんはブッタの言葉「般若心経」、老荘思想を信望して、一遍上人を思い
良寛のこころを尊ぶことをこころの支えにしているが、なかでも老荘、良寛への
思いは深いものがある
しかし、老荘、良寛を脱化、脱進(水上勉の造語)しなければならないのではと
思うようになってきている
老荘、良寛の時代とは今はあまりにもかけ離れている、人口も少なく、自然を
破壊することも少ない時代とは違いすぎる
自然が破壊され尽すのを黙って、何も行動しないわけにはゆかない
なぜなら、人は何かを考え、何かに行動しようとする動物だからであろう
1972年に始まった「尾瀬ヶ原ゴミ持ち帰り運動」は日本で初めての自然を
大切にしてゆこうとの思想を行動で示した最初である
以後毎年のように、尾瀬ヶ原シンポジュウム、フォーラムがいまだに続いている
生態学、植樹、鎮守の森を守ろうなどで活躍されている宮脇昭先生の言葉は
こころに深く残っている
「尾瀬ヶ原は日本の奥座敷のような存在である、この素晴らしい奥座敷を守って
ゆかなければならない、皆さんは自分の庭や座敷に大勢の知らない人たちが
来て土足で歩き回られたら、さぞ怒ることでしょう、
そのように人に迷惑をかけたり、自然に迷惑をかけることのないように心がけて
この尾瀬ヶ原を美しいままに子々孫々に引き継いで渡して行こうではないか」
木道を外れて湿地に登山靴ではいり、花の写真を撮るハイカー、ゴミを持ち帰らない
ひとなど、遅々として進まない運動にも我慢強く啓蒙して、現在も続いている
祖谷千年の森を、山を守り、今よりは多少なりとも美しくして、後世に引き継いでゆくのが
山を愛し、森を愛し、自然の癒しを頂いて山歩きをしている我々が目覚めなければならない
ことである
土地の人たちも、他県から来て山歩きする人たちも、いまこそ、目覚めて、協力して行動し
なければならない
ここを歩きたい、あそこを歩きたいと思う欲望をぐっと抑えて、持ち山であり迷惑を
かけてはいけない、土地の人たちが祖谷千年の森を守ろうとしているのに邪魔を
してはいけない、欲望を抑えて歩かないことに協力してゆこうとすることが、山歩きを
するひとたちが、自然から頂いたかけがえのない豊富な智慧を持ち腐れにすることなく
それを自然にお返しして破壊を少しでも食い止めることに繋がるのである
大震災以後、なにかにつけ、我慢しなければ生活が成り立ってゆかなくなった
その顕著なものが節電であり、消費物の節約であり、諸々の社会生活などであり
此れまでとは違った社会を作り直さねばならないことを思えば山歩きそのものの
在り方も変えなければならないだろう
ひとそれぞれの思いがあろう、登山記を増やして自己満足するのも良い、年取って
歩けなくなっても、子供や孫に老後はこのように楽しんで暮したと見せるもよいかも
しれない
しかし、子供や孫が山を楽しみに出かけたが、目の前に広がる荒涼とした山を見て
唖然とすることであろう、そして云うであろう
じいちゃん、ばあちゃん等はこれだけ山歩きを楽しんで、豊富な智慧や人生の指針を
頂いて学ばせてもらいながら、山が荒れるのを黙って見ているだけで何一つ山や森に
何もお返ししなかったね、じいちゃん、ばあちゃんには失望したね、と
「祖谷千年の森を美しくして行こう」運動は始まったばかりである、この祖谷から
しっかりした基盤を作って行こう、そして「四国の森、山を美しくして行こう」に
広げて行きたいものである。
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