秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷初秋風景

2008年09月30日 | Weblog
先だってまでそばの花が咲き誇っていた畑はすでに花は無く
そば茎が紅らんできた。
もう暫くすればサク、サクと微かな鎌の音が集落から聞こえ始めて
ハデ木に掛ける日が近づくであろう、収穫の秋。
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奥祖谷初秋風景

2008年09月28日 | Weblog
 スイスから来日されて休暇を満喫されているご夫婦は剣山などの山々を登り素晴らしい展望を楽しまれたようである。
祖谷の素晴らしい山村風景にも感動されていた、またご夫婦はかずら籠編みに興味をもたれたようで、テラオの兄さんに教わることになった。


テラオの兄さんはかずら籠編みの教え方が上手なのかご夫婦も慣れるにつれて
上手に編み上げて各人2個づつを昼までに仕上げた。
自分も見ているだけでは詰まらないので見よう見まねで編み上げ何とか格好は出来た
やってみるとなかなか面白くて、夢中になっていた。


いやし温泉の東屋で作業をしながら、楽しい話は尽きる事が無く、ご夫婦のスイスでの生活や風景、また祖谷の素晴らしい生活や自然など多岐に亘った話題は大変に面白くて有意義な出会いのひと時であった。

最近のニュースは東祖谷を少しでもむかしの風景に戻そうとテラオの兄さんなど
有志が「結い」というグループを結成して茅葺き民家の葺き替え、修理をして
ゆこうと動き出したようである。


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奥祖谷初秋風景

2008年09月25日 | Weblog
滝下の天狗は微かにコスモスとススキの影
初秋の空は飽くまでも青い、深まりゆく秋の風景
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奥祖谷初秋風景

2008年09月19日 | Weblog
山野井泰史はこんな言葉を吐く
「ソロを定期的にやっていると、命あるものにやさしくなれる。
常に死の怖さを身近に感じているから、自然界に生きるすべての
命の「尊さ」が実感できる。変な話「切られた木は痛いだろうな」とか
「踏みつけられた蟻んこは痛いだろうな」とか、哀れみからではなく
彼らの命の痛みがわかる。
きれいごとかもしれないけど、「自然は大切だな」ってしみじみ思う。

「ソロをずっと続けてきて、このごろとみに、子供のころの感受性が
高まっているような気がする。
物事に率直に感動できるし、命あるものをいとおしく思えるし、たとえ相手が
自分のことを嫌っても、そのひとを思いやることができるし、、、、
なんかこう、自分が豊かになっている実感がある。」 丸山直樹著 「ソロ」から

テラオの兄さんは祖谷の不便さを毎日楽しみにして生きている
不便さを自然からの大切な贈り物であると思っているようで工夫を
凝らしながら、自然に波長を合わせて楽しんでいる。
祖谷で暮らしているお年よりは多かれ少なかれこのような生き方をしている。
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奥祖谷初秋風景

2008年09月16日 | Weblog

久保集落最上の満開のソバの花と天狗塚



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奥祖谷初秋風景

2008年09月15日 | Weblog
栗枝渡集落にある八幡神社のお祭りである

「異本阿波志」には、祖谷山には全部で102社あるが総鎮守である
八幡神社は栗枝渡にある。ご神体は帰空梁天大禅定門と書かれたご位牌が
祀られているが、この神社はこの祖谷地方に落ち延びてこられた安徳帝が
この地で崩御され祀られた神社であると伝えられている。

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奥祖谷初秋風景

2008年09月11日 | Weblog
テラオの兄さんぐらいになると自然体で生きることは難でもないことの
ようだが、それにしても欲の無さには驚くのである。

若いときに一旦都会に出て就職もして安定した生活をしていたのだが
故郷祖谷の同窓会に帰った折、M先生に東祖谷で一番賢いのは今井
の人達かもしれない、過疎を先取りして早くに街に出て行ったからと
云われて、はっとしたそうである。

そうだ!自分は故郷の加害者なのかもしれない、過疎の加害者として
生きるよりも、いま故郷に帰ってせめて加害者になるのだけは止めようと
決心して、祖谷に帰ってきたそうである。

それから十数年の年月が過ぎたが、一人で村おこしのような真似事から
始めて、紆余曲折の毎日を経ながら、今日の活彩祖谷村にまで育て上げた
のは一途に私心が無いからであり、自身が楽しみながら焦らずに柿が熟す
のをしわしわ(ゆっくり)と舵取りしたからであろう。
そのあいだ(今も)フリーターの仕事で生計を立てているのであるが
祖谷でフリーターと云われて、はて?と思われるが何のことは無い諸々の
雑用なのだが、生活費に無頓着なのか、欲が無いようで、明日の飯が
食べればいいと飄々と生きている。

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奥祖谷初秋風景

2008年09月09日 | Weblog
点在する祖谷の民家は堂々とした風格を持って生きている
むかしは茅葺き家であったが、維持できなくなってトタンを
被せるようになった。

2006年に東祖谷地方の諸々の事柄について阿波学会の調査があった
対象は多岐にわたり、地質、植生、動植物、昆虫類、民家、民間薬、伝説
伝統文化、方言、歴史的建造物、その他諸々等である。

その結果報告が最近纏まったようである、読んでみたいものである。
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奥祖谷初秋風景

2008年09月05日 | Weblog
夕陽に焼ける1806峰附近
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奥祖谷初秋風景

2008年09月03日 | Weblog
8月はじめに種まきした蕎麦畑は月末になってソバの花が咲き始めていた
今年の夏は猛暑続きで祖谷でも暑い夏であったが天候も不安定なものであった。

先日タノモトの兄さんとテント泊まりの山歩きを画策したが、天気が定まらず
雨になったので中止になった。
タノモトの兄さん 手持ち無沙汰になったのだろうか
いきなり電話してきて昼にお好み焼きをご馳走すると
云ってきたのでこちらも渡りに舟と飛びついた

しかもである、タノモトの兄さんお手製のお好み焼きときた
ちょっとマユに唾つけてみたが、電話の向こうでは自信たっぷりの声なので
まあーいいか!

ひとりで食うのもあれだからと、毒見役にうってつけのテラオの兄さんを
呼び出したのであるが、なにしろ一人身のテラオの兄さんは普段から
好き嫌いがなく大抵のものは食えるのである。

そうこうしているうちにタノモトの兄さんが準備万端整えてしゅーしゅーと
久保の家まで戦車のようなRV車でやってきた
続いてテラオの兄さんも眠気眼で今井から軽トラで喧しい音を立てながら
庭に降り立ったのであるが、手にはなぜか美味そうな梨が三個乗っていた
これって昨年菜菜子さんちに顔をだしたときと同じじゃあー!。

役者も揃ったのでタノモトの兄さんがお好み焼きを焼き始めたのだが、なんと
なかなか堂に入った手つきなのに目をぱちくり、おぶけた(びっくり)。

関西風ではあるが、具に徳島特有のフィッシュ.カツを刻んで入れる
特製お好み焼きはカツのピリ辛がなんとも美味い、テラオの兄さんに先に
毒見したもらったがあっという間に平らげたので我輩もぱくついたが
実に美味かったものである。

ひとは見かけによらないとはよく言ったもので、タノモトの兄さんにこのような
特技があるとはつゆしらず、御見それした次第であるが、このような企画は
此れっきりと云わずにもう、2,3回はお願いしたいものだ。



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奥祖谷初秋風景

2008年09月02日 | Weblog
久保集落中ほどの林道脇に毎年のようにたわわに実る山梨の木がある
春には白い花を咲かせて目を楽しませてくれる。

山歩きを楽しむ私たちは自然のなかに居ながらまるで自然の声を聞いていないか
聞いていても無視しているかなのでしょうか
特に花を楽しむ人達は自分たちが主で花は従との思想が蔓延っているような気が
してなりません。

それはカメラを構えた途端に行動に出てくるからです、接写に於いては云わんや
のようで、花の表情を最高に撮ろうとして労わりの心を捨ててしまうからです。
結果として後に残されるのは踏み荒らしとなり、絶滅に寄与することになります。

そのようにして撮られた花の写真はいくら綺麗に撮れていても、如実に自然破壊の心しか投射されておらず感動を呼ぶものは何一つ無い写真ではないでしょうか

自然にすべてを任せて声を聞きながら行動すれば、花の写真を撮ろうとしたときに
「ちょっと待てよ」と自分の欲望を抑えることを心がけ、花に聞いて写真を撮らせてもらえば、写真は花の感謝の気持ちが現れていることでしょうに。

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奥祖谷初秋風景

2008年09月01日 | Weblog
初秋の奥祖谷風景を菜菜子さんの携帯写真から


涼しい風が吹き抜けて奥祖谷の集落も初秋が漂い始めたこの頃は、肥刈りの
最中である。春から夏に掛けて休耕地でグングン伸びるカヤを刈る作業は
なかなか大変なことであろう。

しかしこの草が畑の肥になるのであるからやらないわけにはいかない
束ねて雨水が入らぬようにぐろにして、春先まで保存する。



冬になると雪を被って美しい祖谷の風景となり訪れる人達の目を楽しませる
春先には海馬で短く刻んで畑に撒いて先ずはごうしも(じゃがいも)作りの肥と
なり、次に蕎麦畑の肥となりまた他の作物の肥となるのである。

奥祖谷では唯一カヤが肥であり、他の化学肥料は使わないようだ
化学肥料を使うと良くできるそうだが、味が不味いらしくて使わない家が多い。

奥祖谷の畑は斜面であり非常に痩せた土で石ころがゴロゴロした作物の出来にくい
畑にも関わらず、カヤ一筋に拘る土地の方々は如何にも自然に逆らうと碌なことないことを生活の知恵として知っているからであろう。

自然の思し召しを聞いてから人間の生活を成り立たせてゆく、この思想こそが現代において一番重要であり、求めていかなければならない思想ではないだろうか。

私たちは自然と共生しようと云いながらもそれはポーズのみであり、いまだに
自然を人間の都合の良いように、役に立つように利用しようとしか考えてないような気がするのであり、それが自然を粗末に扱うことになっているのではないだろうか。


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