秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(もんてきたかえ・2022)

2021年12月27日 | Weblog
今年の祖谷山も、厳しい冬の洗礼を受けながら、師走が訪れていました。
お爺さんとお婆さんは、今年も健在でございました。
ニュースは今年最強の寒波到来を繰り返し、流しておりました。

お爺さんは、囲炉裏の前で、藁を編んでおりました。
お婆さんは、庭先の少し積もった雪を、竹ぼうきで掃いておりました。
『婆さんよ、まだてんごのかわ、しよんこ?』

「じいさんは、まだ、正月飾りしよんかえ?家に祀るのは、
とうにできとろがえ?だれぞに、あげるんかえ?」
お婆さんは、箒を戸口に置き、家の中に入ります。
頭に被っていた、手ぬぐいを戸口に置きます。

『ばあさんくらいじゃわ、手ぬぐい、やっぱり放さんのは、
しものしが、おったら、ふう悪いぞ!』
「なんちゃあ、ふう悪いことないわの、しもの衆や、だれっちゃあ、こんがな山に来んわのー」

『ばあさんよ、ジョウジとヒデオは、戻るんこ?なんぞ、言うてきたんこ?』
『まだ、もどるか、もどらんか、考えよんじゃと』
「考えるって、わがんくに、もんてくるのに、何を考えよんぞ、銭か?銭ないんか?」
『銭はいらんわの、あのしらは、車でもんてくるきん、なんちゃあ、銭は使わんわの』

「ほんなら、考えんでももんたらええわの?なんぞ?おかしげえなことを、言うのうや、」
『また、流行ってきたんじゃと、新しい、いそげえな菌じゃと』
「キンって、コロリってイヨッタ病気か?」
『爺さんよ、コロリじゃないわの、コロナじゃわの』

「コロリも、コロナも、なんちゃあ変わらんわの!
ほんで、またウツシタラいかんけん、戻らんっていよんこ」 
『そうじゃと、しらんまにうつるきん、わたしらに、
うつしたら、大ごとになるって、考えよんじゃと!』

『そうじゃ、おらは、こないだ、教えてもろたんじゃ、祖谷八景の泊まるくしよるアニさんに、
教えてもろたんじゃ!戻るまえに、ピーピー検査ってしたら、それでの、
かかってないってわかるんじゃと。ほんでの、ピーピー検査してから、
もんたらええわの、それじゃ、婆さんよ、はよ、ジョージらに、教えてやれや』

「爺さんよ、ピーシーアール検査って言うんじゃわ。まっこと、こないだ、
前の在所に出かけて、ひい、暮れるまで戻らんかったのは、
祖谷八景にいとったんかえ。どうりで、遅い筈じゃ!」

『おらは、そば粉たのんどいたの貰いにいたんじゃわ。
わんくは、今年はそばは、みな、出来なんだったけんの、
ほんで、アニさんがくれるっていうてくれたんじゃわ。』

「爺さんが、そば撒くの、わすれとったきん、そんがなことになるんじゃわ!」
『ほんでの、そば粉貰うまで、祖谷八景のアニさんが茶を酌んでくれての、
しゃべりだしたんじゃわ。あのアニさんは、喋りだしたら話し長いんじゃわ。
長いけど、筋道通ったええ話しするんじゃわ。面白かったぞ!
あのしは、馬鹿正直者じゃけん、ヘラコイことして、儲けるしらとは違うぞ!ヘラコイことして、儲けたし、ようけおるんぞ!区長さんイヨッタわ』

「祖谷八景のアニさんより、爺さんがよけ、喋りよるでえ、爺さんも、くち、だるうないかえ?」

『くち、だるうなったら、なんちゃあ、食えんわの』
「爺さんよ、わがで、ジョウジに電話せえろよ。ジョウジの番号は①になっとるわ。
受話器あげて、①押したら、ジョウジがでるわ」
お婆さんはお爺さんの座る場所まで、電話機を持って行ってあげました。

お爺さんは受話器をあげ、電話を触っておりました。
『もし、もし、ーーーーー 』
『ジョウジか、ーーーーー』
『聞こえんぞーーーなんぞ言えよーーー』

「爺さんよ!電話機の1 じゃないわの!
ワンタッチダイヤルの1番じゃわ!ごじゃあ押すなろよ!たいがいに覚えないかんぞよ!」
『いそげえな、外国の言葉やこし、使うなよ』 

お爺さんは、じっといつまでも、電話機を見て、呟きました。
『ばあさんは、だんだん、めんどうになる。  くわばら、くわばら  』


大晦日。
親子4人が、祖谷山に集まりました。
笑い顔に、笑い声、愛する者同士、同じ空間で一つの時間を共有し、
それ以上の幸福はないと、皆が判っておりました。
幸福とは、愛する者と過ごす時間だと、皆が判っておりました。

貴方は誰と 生きたいですか。
良いお歳をお迎え下さい。
心豊かに、お迎え下さい。

          かしこ





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菜菜子の気ままにエッセイ(テラオと大凧・時々ワタシ)

2021年12月18日 | Weblog
前略。
この虎?この顔?誰かに似ている。
なんか?懐かしい。この顔。
……そうだ。フジ○トのオッちゃんの顔だ。
お焼酎を飲みすぎて、窓から時々顔を出して、
『オッホッホのホー』って叫んでいた、懐かしいオッちゃんの顔だ。

今年の絵は、テラオのアニさんが描きました。久しぶりに描きました。
それは、ある日の電話での会話。
『日曜日わたしは、お仕事なんで、土曜日はどうでしょうか?』
丁寧にお伺いをたてた。
アニさんは、土曜日でオッケイと応えられた。

『絵は考えとってな』と、私が言うと、
「えー⁈」と応えたアニさん。
『ちょっとは、絵を考えとってよ!毎年、考えるの大変なんじゃけん!』
と少し強めの声をあげると、アニさんは言い返した。
「考えよるわ!オラだって考えよるのに、毎年○っちゃんが、却下するじゃないか!」
……そうだったんだ。

思い出した。そうだ。
毎年、これ、ええんじゃないん?
とアニさんがイラストを見せても、その絵が文字をつけて書いた時のバランスとか
様々なことを想定して、わたくしが、言っていたんだ。

『これは、大きく描いたら、変になるよ!バランスがとれんわ!
まだ、こっちの絵がましじゃよ!』
ましな、絵が、去年のウシトラマンか?って、思った読者の皆様、その通り!!
あれは、マジで失敗致しました。
娘達に、散々に言われました。
他人様は言いません。思っても言いません。

で、わたくしは、心から反省致しました。そうだったんだ。
大金を出していたのはアニさんで、わたくしは当日の食料と、
ダイソーで購入するハケくらい。何故、気が付かなかったんだ!

本人に描きたいものを自分で描いて頂く。何故、私が描いてたの?
過去の出来事が、思い出さない。思い出せない。
で、懺悔の気持ちも込めて、本日今年の大凧作成日。雪の舞う土曜日。
9時。場所は、民族資料館ホール。
アニさんが、イラストの本を出して、言った。

「この虎の顔ええ事ないか?」
『う…ん、エエけど、胴体はどうするん?』
「胴体は適当に描いたら、それなりに見えるきん、イケるわ」
『ヘンに、ならんの?』
と応えて、わたくしの心に、神様が囁いた。

【それが貴方の悪いくせです。そうやって、毎年却下したのでしょう!
黙りなさい!見守りなさい!】
で、私は言った。

『じゃあ、頑張って描いてな。ワタシは今年は絵は描かんよ!字を書くわ』
「なっ、なにいよん?!描き慣れとるしが、描いたらええでー」
テラオのコーヒーを飲む手が、止まる。
『描き慣れとんじゃないよ、毎年大変だったよ』

と、ぽつりと呟くと、テラオは立ち上がり、マジックを持ち、真っ白なテントに立った。
イラストを見ながら、描き始めた。
黙って見守りながら、ペンキの片付けをして、色を考えていた。
無駄なく、ペンキを使わなければ、本当にペンキ代が値上がりしている。
私は払わないけど、使い切るのが、係の仕事だ。ペンキの保管も手間がかかるのだ。
不燃物にも、安易に出せない。
で、1時間くらいで、アニさんが虎の顔を描いていた。チラッと見て
『やるでぇ!描けよるでぇ!』
と褒めてあげると、
「何 イヨん」と口返事された。

中高年の口返事は、タチが悪い。
少しずつ、顔の色を塗りながら、私はめちゃくちゃ不安だった。
この顔?虎か?これって、人面魚の虎バージョンじゃないん?
去年のウシトラマンと、変わらんわ。
マジで、どうなる?今年も、大失敗?
と思いながら、色んな方法で、色を塗っていった。

ホウキの先にペンキを付けて、顔の毛をつけたり、
ラッカースプレーで描いたり、まさに試行錯誤。
人面虎をなんとかしたい一心で、頑張った。

で、なんとか絵を塗り終え、もんてきたかえの文字をアニさんに書かせたくて、
字も書いてよ!と言ってみた。
アニさんは既に疲労感ピークみたいで、
「堪えてくれえよ、字は書くってイヨッタじゃないか!もう、絵で疲れた。字は書かんぞ!」
と座り込んだ。
人面虎をちょっと描いただけなのに、疲れたみたいだ。
計画は、変更し、私が字を書いた。

で、書き終わると、アニさんが起き上がり、文字が細いとイチャモンを付けながら、
上から塗り直していた。最初から書けや!と心で呟きながら、見守った。

右側に何か、別のメッセージを書こうと提案したが、
アニさんは考えているのか、舞台で仰向けに寝ていた。
全く、動かなかったので、高血糖で死んだのかと不安になり、
声を掛けたら、起き上がり、再び寝ていた?
私は、人面虎の元のイラストを見ながら、一人でバンバン手直しをした。
スプレー画だ。ちょっと楽しい。
少しだけ人面虎が、マシになっていった。気がした。

無事に完成し、毎年の責務を?果たした。虎がウイルスをやっつける案は、
私が考えて描いた。誰か、褒めてくれ〜。
素人のブサイクな絵が、この時期の風物詩になって、毎年申し訳ないのですが、
本当に心から思っているんですよ。
故郷に帰って来た人や、祖谷を訪れてくれた方々に、ホッコリして頂きたい。
ウシトラマンや、人面虎で、ホッコリして頂きたい。
そんな、単純な理由でございます。
来年は娘達が、描くと申しておりました。親の書いたウシトラマンが、
かなり哀しかったみたいです。

凍結、積雪のいつもの、季節になりました。
この季節だけは、なるべく動きたくないです。
双子座流星群で、流れ星を五つ見て、感動!

自然に向けてアンテナを張りながら、
その向こう側にある見えないモノを探す為に、毎日を生きるのだ。

生きるとは、地球でたった一人しか存在しない、
自分自身を見つける為の、修行だ。
頑張ろう!みんな!庶民よ、立ち上がれ!
『オッホッホのホー』
            草草































































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菜菜子の気ままにエッセイ(彼女の帰省と・時々わたし)

2021年12月05日 | Weblog
前略。

東京に出稼ぎに行って11年余り。十月の初旬。彼女から電話が掛かった。

『あのね。お義父さんの介護に、介護休暇をもらって、暫く祖谷に帰るから。
退院したら、施設に戻らないで、そのまま自宅に連れて帰ることにしました』
準備万端で、それは彼女らしい、いつも通りの事後報告の電話だった。

彼女のお義父さんは伴侶を失くした後、一人暮らしが困難になり、地元の施設に入所していた。
ここ数回肺炎を発症し、容態が悪くなり、町の病院に救急搬送され入院していた。

この二年間の面会制限の中、彼女は自問自答を繰り返した。
と言うより、多分、彼女らしく、故郷帰省、お義父さんを
自宅で看取ると言うワードが、スルッと答えみたいに、落ちてきたんだ。
彼女はそれを迷うことなく、実行しただけなんだ。と私は、勝手に推測している。

コロナが少しだけ終息した10月の半ば。晴天の日曜日。
私達は二人で、明日退院するお義父さんの部屋を掃除していた。
お義父さんが最期に過ごす部屋だ。
昔、お義父さんのお母さんが使っていた、離れの二間続きの部屋。

数年空き家になっていた部屋は、お義父さんの置いていたトウモロコシの実のお陰で、
ネズミの温床となり、酷いことになっていたらしい。
第一弾の掃除を頑張ったのは、隣村に嫁いでいる彼女の長女様。

私達は窓ガラスを拭きながら、彼女と村の福祉事情を語りながら、
お義父さんのベッドの位置をあれこれ考えていた。
「この窓側にしよう!ここなら、外の景色見れるから、オッチャン、喜ぶわ!」
『そうじゃなあ。この場所がええな』

静かに流れる時間。数台走る車の音だけが、窓越しに聞こえるだけ。
私はオッちゃんには悪いけど、少し嬉しかった。少しと言うより、かなり嬉しかった。
この場所を週一に訪れて、オッちゃんのオムツ交換をしながら、
この景色を眺めての彼女とのコーヒータイム。介護は続くよ、どこまでも〜!みたいな。

『あのな、昨日帰って真っ直ぐに病院に寄ってな、面会時間10分だったんよ。
それで、お義父さんに声掛けたら目をあけてくれたんよ。それで
『じいちゃん。月曜日に家に帰ろうな』って呼びかけたら、
『ありがとう』って、ニッコリ笑って頷いてくれたんよ。

良かったなあ。オッちゃんに伝わって。オッちゃん、うれしかっただろうなあ。
私達は、何かしらの積もった話しをしながら、粛々と掃除をしていた。

彼女の家の敷地には、三棟の家が建っている。真ん中の家は一番古い、お義父さんの家だ。
施設に入所してずっと、空き家のままだ。その家で3人の子供を立派に育て、
二人の子供が村を出て、長男である彼女の夫が、家を継いだ。
そして、息子が彼女と出会い、彼女達は、四人の子供に恵まれた。
書いているうちに、お葬式のナレーションみたいになった。

そして、1ヶ月後。
彼女はお義父さんの空き家の片付けを始めた。
一軒の家の中には、様々な生活用具が、ぎゅうぎゅうに詰まっていて、
いつになったら全て処分できるんだろうかと、気が遠くなる様な作業だった筈だ。
私も少しだけ手伝った。頼まれもしないのに、手伝った。
いつもみたいに、『行きなさい‼︎あなたの出番です!』と神様の声がしたから。

村のシルバー人材さんにも奮闘して頂き、薄暗かった大量に物に溢れていた部屋は、
スッキリと片付けられ、縁側のある美しい、ちょっとした古民家になった。
誰も住まないのに、掃除機をかけ、床を拭いて、家の中の神様に、
これまでの感謝を込めて、埃を払った。
 
彼女の暮らした家の中には、薪ストーブがある。
私達は彼女がここで暮らしていた頃、この場所にみんなで頻繁に集まり、和やかな時間を過ごしていた。
宴もたけなわになった頃、何故オッちゃんはGパンにシャツをインして、必ず隣からやってきた。
そして、2階に続く階段に腰掛けていた。

オッちゃんに退屈させてはならないと、私はオッちゃんに色んな話を振る。
大枝の武家屋敷の石垣を積んだのも、オッちゃんだと聞いた。数人の方と造りあげたと、
オッちゃんは自慢して、意気揚々と話してくれた。

あの頃一緒に薪ストーブの火を眺めた時間。同じ空間で、同じ感覚で、心が一番安らかでいられた。
14年前だったか。彼女が私に話したことがあった。

『私な、主人の親を看取るまでここでがんばって、主人に褒めて貰いたいんよ。頑張ったのって』

それから彼女は、色んな現実問題に直面し、村を去った。
そして、11年の時を超え、お義父さんのターミナルケアを決意した。
まるで、岩と苔の隙間を流れる水が、砂塵を少しずつ押し出すように、
長い月日は感情を優しく変化させてくれる。人生は、
自分が選択する方向に向かい、道が広がっていく。

12月5日。日曜日。今日はお義父さんの五十日祭だ。
あの日、二人で窓ガラスを拭いていた時、病院からの電話が鳴った。 
お義父さんが、息を引き取ったとの、連絡だった。

ダンディだったオッちゃんは、嫁にだけは、老いた姿を見られたくなかったのか、
私にも?見られたくなかったのか。
ありがとうって、優しい言葉を最期に残し、旅立った。

オッちゃん、
最期が1番、ダンディだったよ。
カッコ良かったよ。誰かに感謝して逝けることは、最高の終わり方だよ。

あちらに行って、長男に会えたら、
伝えてあげてね。
嫁は誰にも頼らないで、一人で、子供達を立派に育てあげたと。
 
さようなら  オッちゃん

冬空を 仰ぎながら

            拝礼































































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