秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(ウサギとミミズと餅うさぎ)

2022年11月24日 | Weblog
前略。
もう失敗はしたくない。
あんな思いは、二度としたくない。
真剣に描いたイノシシが牛に見えたり、蛇が巨大ミミズの化け物に見えたり、
羊はメガネをかけてごまかしたり、最近ではあの、記憶に新しいウシトラマン!

そして、トドメはテラオが描いた、人面虎!フジモトのおっちゃん!
普通に描けたことが、数回しか思い出せない。1発書きには、無理がありすぎる。
今年こそ!今年こそは、誰が見てもうさぎと判る絵を描きたいっ!

時間はたっぷりある。考えろ!考えろ!と言い聞かせて、紙と色鉛筆を準備する。
そんな時に参考になるのが、インターネットの世界。
YouTubeなども、チラッと参考にしよう!

全体の感じを描いて、ウサギの顔を参考にしながら、鉛筆を走らせる。
スイ、スイ、スイッ!5分で完成!
お餅に耳と眼を付けたような、見たこともない、変な生き物の顔になる。
何が悪い?バランスか?目の位置か?
耳の位置から崩れたか?
やっぱり鼻か?口か?目の位置が崩れたから、全て崩れたか?

人間の顔と同じなんだ。微妙な崩れ方で、微妙な位置で、ブサと美しかーに分けられる。
なんか、産まれた時に決まっているって、不平等じゃないの?
今、私の目の前の紙の上のウサギの化け物は、消しゴムで修正出来るけど、
人間様はそれは出来ない(美容整形以外では)
ひたすら、修正してみるが、どうにもこうにも、益々酷くなる。

屋根にパラパラと、霰が降ってきた気配。雨なのか、霰なのか、判らない。
ベランダはヤマガラの遊園地。
時間が出来てから、ヤマガラと過ごす時間も増え、ついつい、
ひまわりの種を与えすぎてしまい、その結果、貧相な生活に陥る。
ひまわりの種の生産国をみる。アメ○カとカ○ダだ。

日本人、特に田舎に住む者は、情に熱い。と言うか、
頼りにされたら、それに応えたくなる、分かり易い人間性だ。
もしかして、目の前に毎日来るヤマガラは、アメ○カとカ○ダによって仕組まれた、
『ヒマワリの種日本人購買計画』の戦略の為に作られたAIなのか?

首の傾げ方、ピーピーと無駄に鳴く手法。知らないふりをしていたら、
網戸に捕まり、部屋の中を覗く。
野鳥ストーカー(ターゲットは高齢者)でも、癒される。

ヒマワリの種の支出を補う為に、コンビニに寄る回数を減らし、
マイポットのお茶を活用する。
これ以上の、捻出は無い。まだまだ贅沢しているなと、
感じることもあるけれど、目指すは非課税生活。
ココロに空間、目一杯のココロの栄養。
再び、ウサギを描く。
耳と目と鼻だけをズームで描く。

めちゃくちゃ、楽な書き方。失敗しない描き方!余白も広い!
多分この書き方は、成功するだろう。が、多分、批判も受けそうだ。
手抜きにも、程がある。が、背に腹はかえられない。

今年のテント代は、このご時世で20000円値上がりしている。
だから、だから、もう、
『わたし、失敗、致しませんっ!』

*追伸 失敗、成功は、誰が決めるものでもない。 
自己の判断に基づくものである。
          草草



































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬枯れの奥祖谷の山旅

2022年11月20日 | Weblog
奥祖谷の山旅に遊ぶも、華やかなりし紅葉の季節は過ぎ去りて
いまや、木々の葉っぱも散りて、枝先の微かな息遣いに耳を傾け、

冬枯れの風景を眺めて静かに歩を重ね幾ばくかの時を身体に浸み込む
生い茂る草木、枯れすすきに朽ち果てて自然に帰らんとする廃家に

在りし日の楽し気に団らんする人々が居たことを思うに、ふと、そうだ、長らく
訪ねていない、ご夫婦は、どうしているであろうかと

日が傾きかけた夕時を気にしながら訪ね着くと、家は雨戸をきっちりと閉ざしたまま
ご夫婦の気配さえ消え失せていた
少し離れてお家で消息をお聞きする、数年前にご主人は亡くなり、奥さんは施設に居ると

何かの縁で知り合い、世間話をして楽しんだ人たちが、だんだんと亡くなり
寂しくなるばかりの奥祖谷の山旅であった。



















































コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次郎坊谷、中尾山高原、周辺の素晴らしい紅葉を満喫

2022年11月06日 | Weblog
一昨日、剣山、見の越のトンネルを潜ってみると、
次郎坊谷沿いの紅葉が素晴らしく見ごろで
家内が歓声をあげ、感激、中尾山高原に到着、

ここも、池に映る真っ赤な紅葉が素晴らしかった
紅葉を堪能して、丸笹山麓のラ、フォーレに泊まって、
翌日は祖谷街道の紅葉を楽しんだ、今回は紅葉満喫の山旅でした






















































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜菜子の気ままにエッセイ(法要とお布施と私と秋日和〜♪)

2022年11月02日 | Weblog
前略。皆様、お変わりありましたか。
紅葉の風景は撮っていません。言い訳ですが、法事があり、久しぶりの多忙でございました。
16年ぶりに、主人のお墓の石碑、外柵その他全てを、手洗いしました。両親の夫婦墓も、洗いました。

近くにお水は引いていないので、持参した容器に入れた水で、コツコツ洗いました。
業者さんに依頼したら、出張費込みで三万円くらいは請求される?
と思ったので、自力で洗いました。仕事優先だった頃には、草刈りだけで一杯一杯で、
気になりながらも、出来ないことのひとつでした。久しぶりに、心底スッキリしました。
指が動くお陰です。左手薬指さんが、頑張って繋がったお陰です。

で、今、一番報道されている、某宗教問題。 
私は神社仏閣に於いての、専門的な知識も教養もありませんが、仕事柄、
見知らぬ土地の神社を通ることが多く、そこに『気』が流れているとかいないとか、
察することは多々あります。

人口減少と地方の衰退。都市一極集中。イコール氏子の減少。
神社の手入れをするのは、人間さまの労力が必要で、地方は高齢化の現状で、
維持するのにも限界があります。

単純に言うと、(もしこのブログを、日本神社庁の関係者が見てたら、ご立腹されると思いますが)
神社仏閣が維持出来るのは、氏子、檀家即ち、生きている人間さまが、いるからでございます。
神様は、声に出して、お金は要求いたしません。

ご先祖さまは、自分の大切な子孫に対して、借金をしてまで、墓を建てろ!
とは、言いません。多分。
某宗教団体は、要求する金額が、高すぎた。それが一番の問題です。

溺れるもの藁をも掴む、それがエスカレートして、洗脳され、数々の悲劇に繋がっていく。
私もずっと、無意識に仏さまの世界に、支配されてきました。

お葬式も法要も、見えない世界だからこそ、お経がなければ仏様が、彷徨うのではないか?
成仏出来ないのではないか?誰もがそんな風に思いながら、
追善供養をしているのではないでしょうか。

日本人は仏様に対して、心底丁寧な民族でございます。
祖谷の風習は今では簡素化されましたが、葬儀においては、
一つ一つの野道具を、集落の人達で手作りしていました。
話が脱線していくので、この習わしを呟くのは、別の機会に致します。

で、法要前々日。
お坊さんへのお布施の袋を準備して、福沢諭吉様を数枚並べて、暫し考えた。
私は本当に現金が絡むと、人格が変わります。おかしな人格が、憑依します。
諭吉様の枚数とお経の内容は変わらない訳で、お布施はいつもお経が終わってからお渡ししてるし、
早い話が、檀家としてのお寺存続に対する、お礼を込めたカンパでございます。

早くから仏様を三人供養してきた私は、今までいくら、お渡ししてきたんだろう。
シビアに考えました。
この罰当たりが!と今思った読者さま、それは私のせいではありません。

働いても賃金の上がらない、貧困層を増やした日本の政治家のオッサン達の責任です。
非正規雇用問題、総活躍社会と名を変えた、年金ケチケチ対策。
そして全てが自己責任ですよーみたいな、薄情な政治。そのツケが、
この目の前の、お布施の金額をいくら包むのか?に、繋がっている。

神社仏閣継続も大切だけど、私は我が家の家電の寿命が、気がかりでございます。
シビアに包んだ諭吉様の枚数を数える。新札はくっ付くから、
くっ付いたまま渡したら損を?するから、2回数える。

故人の法要は、まだまだ終わらない。
大丈夫か?わたし?払い続けられるのか?膝に悪いので、考えないことにした。
晴天の秋晴れに、無事に法要は終わり、心はスッキリ。清々しい。
私って、本当に、仏様が大好きでございますっ。
       合掌  礼拝!
        













































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする