夜明けの薄明かりに、山里の朝は慎ましくゆっくりと目覚めていく。
セピア色の斜面を背景に、ロウソクの炎にも似た、民家の明かりがひとつ、ふたつと灯されていく。
顔に当たる風が痛くて、宮さんに借りた綿入れの胸元を思い切り両手で押さえて、肩をすぼめて息を大きく吐いた。
真っ白な僕の息は、庭の外灯に浮かんですぐに消えていった。
僕は睡眠不足のまま、朝を迎えてしまった。睡眠不足の正体は、昨夜の満天の星空だった。
漆黒と蒼を織り上げた様な壮大な幕に硝子を散りばめたみたいに、燦々と冬空に耀いていた。
「だから、絶対にキレイって言ったでしょ!」
言われる前から、美香さんの、ご満悦の顔が目に浮かんできた。
ここに来ると、身体中の細胞が解放されたみたいで、自然と瞑想に耽ることが多くなった。
風の渡る音。水の流れる音。竹と竹の交わる時の軋む音。鳥達の声。氷柱の落ちる音。
そうした自然の発する一つ一つの音が、きっと心をまっさらにしてくれるんだと思った。
都会は造られた音で、蔓延している。
雑踏の中の靴音に至るまで、絶え間なく続く数種類の音は毎日強制的に耳に届き
誰もその音を選択出来ないままに、時間に追われながら流されている。
人は音にも支配されながら、少しずつ壊れているんではないだろうか。
などと下手な持論に耽っていたら、宮さんが朝食の準備が出来たよ~
と縁側の障子を開けながら、知らせてくれた。
食事の最中に、庭先に車の音がした。
宮さんの奥さんが、箸を止めて言った。
「このエンジン音は、美香さんの車ね~」
「なんで、エンジン音で判るんですか?」
僕はぽかんとして、奥さんを見た。宮さんは僕を見て、楽しんでいるみたいだった。
「知人の車のエンジンの音なら、みんな自然と判るわよ。多分村の人もみんな、わかってると思うわ。
玄関先の靴音でも、誰だか判るものねぇ、美香さんは車から降りたら
真っ先に伸びをして深呼吸するから、美香さん登場まで、あと十秒位かな」
宮さんはやっぱり、奥さんの顔を見て笑っていた。
丁度、美香さんが部屋に入ってきた。
「何~なんで3人で笑っているの~?なんか私の悪口とか話していた?」
僕は唯可笑しくなって、吹き出した。
美香さんは最初に逢った時と同じ、白のスポーツウェアを着ていた。
手には、何かの枝を持っていた。奥さんがすぐにその枝を見て、小さな歓声をあげた。
「まあ~寒桜ね~」
「家の庭から盗んできたのよ。梅じゃないけどね、主なしとてなんとかなんとかよね。下の句を忘れちゃったわ~」
4人で笑いながら、僕は奥さんがお燗にさりげなく生けた寒桜の花弁を、じっと見ていた。
冬に咲く桜を、初めて知った。不意に母の顔が浮かんで感傷に浸っていると、美香さんに肩を捕まれた。
「行くよっ、森田智志くんっ、感傷に浸る暇はないよ~!」
僕達は母の生家、久保山に向かった。
晴れた冬の空が、真っ直ぐに広がっていた。
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