秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(人差し指日記・最終報告)

2022年09月05日 | Weblog
前略。
朝晩が、涼しくなりました。ススキの穂も彼方此方に見られ、
ゆっくりと季節はシーンを変えています。
その後の指の調子は如何ですか?と最近ブログを見た友人から連絡が来たので、
まとめてのその後のご報告でございます。

二週間後に抜糸を終えた私を待ち受けていたものは、指のリハビリでした。
整形の先生曰く、適当に指を動かしては筋を再び痛めてしまうらしく、
最悪曲がらなくなると言う。
リハビリに行く意思があれば、紹介状を書きますと言う。

リハビリの病院は自宅から、1時間20分。ガソリン代だとか、
コロナが蔓延しているとか、そんなことは問題外だ。
行きます!行きます!と即答し、その日から、すぐにリハビリを始めた。
二ヶ月くらいは通わなくてはならないと言われた。

二ヶ月も数日おきに、自腹のガソリン代を払い、リハビリ代を(一回1330円)払い、
そんな事をしていたら、私は二ヶ月で『人差し指困窮者』になってしまう。
この自分にケチな私が、そんな事が出来る筈もなく、リハビリの担当者に尋ねた。

『すみませんが、今日のリハビリを動画に撮らせて下さい。
最初の二週間は1日置きに通いますが、あとは、一週間に一度くらいにして、
自力で頑張ります!ガソリン代に潰れそうです!』と、とりあえず言ってみた。
担当者の男子は、判りました。指の状態を見ながら、大丈夫だと思いますと応えた。
男前ではないが、悪い奴ではない。

むしろ、隣のベットの職員のやたらに愛想よい口調の方が、こいつは心の中で常に 
あっかんべーをしている奴ではないか?と勝手に想像した。
初日は30分くらいで、基本的な動きと言うか、曲げ方を教えて貰った。
人差し指と中指とくすり指をテーピングで固定したら、連動して良いですからと、
テーピングの案が出たが、私が速攻却下した。

『ようやく抜糸できて、また、固定されたら、不自由なんですよ。
家事とかで残りの指がどれ程役に立つか、多分男性にはピンとこないと思いますが』
と応えると、納得して下さった。

で、1日3回、基本のリハビリを自宅で頑張りながら、通院していたある日。
リハビリを始める前のベットの1箇所一拭きのみの消毒が、
いつも適当だなーって感じでいた私は、担当くんに言った。
他の職員にも聞こえるように、少し声のトーンを上げた。

『消毒、適当ですよね。コロナの第一波の時は神経ピリピリだったけど、
今感染者増えているのに、どこも、みんなが手抜きになってますよねー』
担当くんは、笑って確かに!と頷いた。
で、その翌日、病院から電話があった。

「すみませんが。リハビリの職員で偽陽性が出たので、リハビリ再開したら、連絡します」
との内容だった。偽陽性の職員は昨日出勤していたのですか?と尋ねたら、出勤していたとのこと。
昨日に限って、1時間フロアー内にいた。何故かと言うと、
私がリハビリは時間で金額が設定されているのか?内容なのか?と尋ねたからだ。

それを言った途端に、肩に電気治療しますか?とかやたらと丁寧になったからだ。
本当に私はお金が絡むと、嫌らしい人間になる。これは、病気に等しい。
でもこれまでの人生に於いて、人差し指一本にこんなにお金と時間を使ったことは無い。

元を正せば、ボランティアから始まった悲劇。
普通に生活費の予備費から支出することが悔しかった私がとった究極の支払い方法!
この病院は、自動会計だった。

こんな時に、ペットボトルの中で眠っている(硬貨の入金に手数料がかかり、出番を無くしていた小銭達)
10円5円1円玉の登場だ!持参した小銭容れに詰めて、ドンドンお支払い!ここで注意するのは、会計が混んでいないこと。
他人様に迷惑をかけてはいけない事。そして、小銭投入口に神経を集中すること!

途中で数回、小銭を詰まらせ、ピーピーとアラーム音が院内に響く。
そのたびに中から職員が出てきて、機械の蓋を開けていた。
が、自動会計とは、そう言うことなんだ。
提示された金額をお札で払おうが、1円玉で払おうが、個人の自由な訳で、
私は見事に目的を達成して、ペットボトルの小銭を数回で成仏させてあげた。

最後の日は、余裕で2000円を持ち、会計の女性に会釈して、颯爽と2000円を投入した。
感染の不安に神経を遣い、神経を遣いすぎて自律神経を壊し?
なんだかんだで指のリハビリはようやく、隔週まで漕ぎつけた。

アヒルの保険は使えなかった。縫合の範囲が狭すぎた。
通院保険も一泊も入院しなかったから、使えなかった。
ペットボトルの小銭が片付いたことだけが、唯一の救いだ。

そして、手が不自由な人が、何をして貰いたいかが、解ることが出来た。
抗生物質と痛み止めで、胃腸を壊し、何がきっかけで、体調を崩していくのか、漠然とわかる気がする。
コロナに感染し、後遺症と闘いながら、不安な日々を送る人。
絶対的な補償がない。全て自己責任の社会になっている。

声を上げたところで、何も変わらない。何も変わらないまま、
この矛盾した社会で、生きていかなければならない。
生活が困窮し、毎日生命が絶たれている現実。
国葬に費やす税金で、どれ位の人が、とりあえず今日を生きる事が出来るだろう。

年金運用、予備費の運用。水面下で税金の無駄遣いは、止まらない。  
これだけ疑問だらけなのに、何も変わらない。誰の生命も救えない。

一つだけ、変えられそうなのは、区長さんにお願いし、
集落で一年間のボランティア保険に加入する提案をしたことだ。
新たなガードレールは、車が落ちてから、設置されるように、それによく似た今回の提案。
ガードレールは少なかったけど、不安に感じなかったあの時代。
保証も補償も保障も無かったけど、心穏やかに暮らせていけたあの時代。
毎度毎度の呟きですが、
『良かったなあー昭和ー』

         草草




























コメント
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