昨年12月14日撮影大根洗ふT老婦
我が家からゆっくり歩いて1時間の久保集落最上(標高850)のT老婦の住居
に、何時ものように附近の風景などを撮りながら訪ねた。
1時間とはいうものの先ず時間どうりには行けないのが常である、民家の庭先に家人でも居ようものなら立ち話などを2,3人とすればたっぷり1時間ぐらいは経ってしまうからである。
T老婦はいま帰ってきて一休みをしようとしていたが宮の内和尚を見つけるなり
満面の笑みを浮かべて声を掛けてきた
「いま水仕掛けてきたとこよ、水の出が悪うてのうえ、年取るとずるーないぞえ
まあ、ゆっくりしていきや、番茶でも入れるわい」
番茶と駄菓子で一服してよもやま話を一時するのである。
「和尚さんや、この間の晩はほんに心臓が止まるほどおぶけたぞや!晩の8時ごろじゃった、窓をどんどん叩くで!真っ暗で誰か判らんで最初は泥棒かと思って
黙っていたのじゃが、外で電報!!電報じゃあ!!とおらんどるでのえ、それで
心臓が止まるほどおぶけたのよ、徳島の親戚の者が死んだのかと思ってのえ」
「そんな縁起でもない電報はいらん、持って帰ってくれやあ!というと来た人が
こんな電報ならなんぼでも貰うわというのでの、何いうて来たか読んでや」
「徳島県警にいる次男坊が警視に合格したので電報で知らせてきたわけよ、なにも
電報で知らせんでものう、電話一本で済むことじゃのに、ほんに晩の電報は嫌じゃあのえ、まっこと心臓止まるかと思ったで」
二人で大笑いしたものであるが、T老婦の笑顔はこの奥祖谷の土に生きていることに満足の笑顔であった。
我が家からゆっくり歩いて1時間の久保集落最上(標高850)のT老婦の住居
に、何時ものように附近の風景などを撮りながら訪ねた。
1時間とはいうものの先ず時間どうりには行けないのが常である、民家の庭先に家人でも居ようものなら立ち話などを2,3人とすればたっぷり1時間ぐらいは経ってしまうからである。
T老婦はいま帰ってきて一休みをしようとしていたが宮の内和尚を見つけるなり
満面の笑みを浮かべて声を掛けてきた
「いま水仕掛けてきたとこよ、水の出が悪うてのうえ、年取るとずるーないぞえ
まあ、ゆっくりしていきや、番茶でも入れるわい」
番茶と駄菓子で一服してよもやま話を一時するのである。
「和尚さんや、この間の晩はほんに心臓が止まるほどおぶけたぞや!晩の8時ごろじゃった、窓をどんどん叩くで!真っ暗で誰か判らんで最初は泥棒かと思って
黙っていたのじゃが、外で電報!!電報じゃあ!!とおらんどるでのえ、それで
心臓が止まるほどおぶけたのよ、徳島の親戚の者が死んだのかと思ってのえ」
「そんな縁起でもない電報はいらん、持って帰ってくれやあ!というと来た人が
こんな電報ならなんぼでも貰うわというのでの、何いうて来たか読んでや」
「徳島県警にいる次男坊が警視に合格したので電報で知らせてきたわけよ、なにも
電報で知らせんでものう、電話一本で済むことじゃのに、ほんに晩の電報は嫌じゃあのえ、まっこと心臓止まるかと思ったで」
二人で大笑いしたものであるが、T老婦の笑顔はこの奥祖谷の土に生きていることに満足の笑顔であった。
1月2日撮影の久保集落林道雪模様
久保集落最上の民家に一人暮らしのT老婦が住んでいるがご主人はずっと以前に他界し子供たちは徳島県内と大阪に夫々家庭を持って暮らしている。
T老婦は70歳後半であるが至ってお元気、天気の良い日は家の周りの畑で何かしら動いているようだ。ジャガイモ、蕎麦、サツマイモ、大根から根野菜、葉野菜に至るまでまめに植えつけて収穫する。唯一の楽しみはこれらの食料を子供たちに送ってやることのようである。
そもそもT老婦に初めて会ったのは4年半ぐらい前にこの集落に居を構えるときに元お巡りさんのI氏に紹介されたのが縁で時々は機嫌伺にお邪魔している。
昨年の5月の連休の頃であったと記憶するが偶々来ていた家内とT老婦を訪ねた時に、子供さんたちも帰郷して庭でアマゴを焼いて談笑していた、T老婦はニコニコしながらいつもの居間から話に加わっていたのでいい機会だから皆で写真に収まろうと宮の内和尚がカメラを構えてT老婦に庭に下りるよう促したのだが、わたしゃいいよ となかなか下りてこない。
子供たちはばあちゃん早く下りてと催促すると嫌々下りて来て写真に納まったのだが、ばあちゃん何かブツブツ云っているらしいので家内に聞いてみると、宮の内和尚の写真は縁起が悪いから嫌じゃと云ってると。
はたと思い当たったことである。一ヶ月ほど前のこと此処を訪ねた時にT老婦の親戚のおばあちゃんと久保蔭のH家のおばあちゃんを撮ったときの写真を記念にと差し上げた。
その写真の経緯はT老婦の親戚のおばあちゃんは1月後半に畑仕事をしてたので話を聞きながら撮影、そのときはお元気であったが1ヶ月後に急死してこの写真が最後の写真となる。
またH家のおばあちゃんは写真を撮らせていただいてから間もなくして脳溢血で倒れられて入院を余儀なくされているらしいこと。
T老婦にいわくつきの写真を手渡したばっかりに宮の内和尚も苦笑しきりであった。
久保集落最上の民家に一人暮らしのT老婦が住んでいるがご主人はずっと以前に他界し子供たちは徳島県内と大阪に夫々家庭を持って暮らしている。
T老婦は70歳後半であるが至ってお元気、天気の良い日は家の周りの畑で何かしら動いているようだ。ジャガイモ、蕎麦、サツマイモ、大根から根野菜、葉野菜に至るまでまめに植えつけて収穫する。唯一の楽しみはこれらの食料を子供たちに送ってやることのようである。
そもそもT老婦に初めて会ったのは4年半ぐらい前にこの集落に居を構えるときに元お巡りさんのI氏に紹介されたのが縁で時々は機嫌伺にお邪魔している。
昨年の5月の連休の頃であったと記憶するが偶々来ていた家内とT老婦を訪ねた時に、子供さんたちも帰郷して庭でアマゴを焼いて談笑していた、T老婦はニコニコしながらいつもの居間から話に加わっていたのでいい機会だから皆で写真に収まろうと宮の内和尚がカメラを構えてT老婦に庭に下りるよう促したのだが、わたしゃいいよ となかなか下りてこない。
子供たちはばあちゃん早く下りてと催促すると嫌々下りて来て写真に納まったのだが、ばあちゃん何かブツブツ云っているらしいので家内に聞いてみると、宮の内和尚の写真は縁起が悪いから嫌じゃと云ってると。
はたと思い当たったことである。一ヶ月ほど前のこと此処を訪ねた時にT老婦の親戚のおばあちゃんと久保蔭のH家のおばあちゃんを撮ったときの写真を記念にと差し上げた。
その写真の経緯はT老婦の親戚のおばあちゃんは1月後半に畑仕事をしてたので話を聞きながら撮影、そのときはお元気であったが1ヶ月後に急死してこの写真が最後の写真となる。
またH家のおばあちゃんは写真を撮らせていただいてから間もなくして脳溢血で倒れられて入院を余儀なくされているらしいこと。
T老婦にいわくつきの写真を手渡したばっかりに宮の内和尚も苦笑しきりであった。
1月4日三嶺登山中から雪と剣山、次郎笈
なぜ雪に惹かれるのだろうか、生活にはかなり不自由なのに
雪の危うさなのか、あっという間の生、結晶の素晴らしさ
無意味な美しさなど色々な理由を思い浮かべるが、それ自体
無意味なこと。
雪、、、、女形玉三郎の艶やかな危うさと力強い儚さ
それは玉三郎の云う 遠くを見ない明日を見る を感じるからか。
なぜ雪に惹かれるのだろうか、生活にはかなり不自由なのに
雪の危うさなのか、あっという間の生、結晶の素晴らしさ
無意味な美しさなど色々な理由を思い浮かべるが、それ自体
無意味なこと。
雪、、、、女形玉三郎の艶やかな危うさと力強い儚さ
それは玉三郎の云う 遠くを見ない明日を見る を感じるからか。
1月2日に造ったカマクラもどき
積雪が少なくてかき集めて1m余りの小さなカマクラもどきを
夕方1時間あまりで造った。
寒さを忘れて夢中になるものだ、いい年をして脳天気に雪と戯れ
楽しかったものだ。
また久保集落で話題を作ってしまった、この前のときは下の人は風変わりな
面白い人よな!と。
積雪が少なくてかき集めて1m余りの小さなカマクラもどきを
夕方1時間あまりで造った。
寒さを忘れて夢中になるものだ、いい年をして脳天気に雪と戯れ
楽しかったものだ。
また久保集落で話題を作ってしまった、この前のときは下の人は風変わりな
面白い人よな!と。
真白きの三嶺西峰三日かな
青空に雪の融けにし三日かな
ようやっと正月三日の昼頃から青空になり、道路、屋根などの積雪が
緩み始めて融けてゆく。
昼間は暖かくて久しぶりに窓を開けて空気を入れ替えた
昨日カマクラ遊びで1mほどのカマクラはまだ健在、夕方にはローソクを灯す。
我が家の庭からは三嶺西峰(1806m峰)と天狗峠が遠望出来るが
両方とも青空にくっきりと真白き雪に覆われている。
青空に雪の融けにし三日かな
ようやっと正月三日の昼頃から青空になり、道路、屋根などの積雪が
緩み始めて融けてゆく。
昼間は暖かくて久しぶりに窓を開けて空気を入れ替えた
昨日カマクラ遊びで1mほどのカマクラはまだ健在、夕方にはローソクを灯す。
我が家の庭からは三嶺西峰(1806m峰)と天狗峠が遠望出来るが
両方とも青空にくっきりと真白き雪に覆われている。
かずら橋雪の重みをゆらりゆら
清き雪優しくかずら包みおり
荒れ模様も収まりかけて回復気味の奥祖谷、寝正月を決め込んでいたが
じっとして居れず道路の雪も融けかけた昼間。
奥祖谷かずら橋雪景色を観賞する、誰も居ない奥祖谷かずら橋の静かな
雪風景は至福のひと時であった。
名頃からは除雪されていてよかった、蔓橋までしか行っていないが
ずーと除雪が続いていたから剣山見の越登山口まで除雪しているようだが
定かではない。
清き雪優しくかずら包みおり
荒れ模様も収まりかけて回復気味の奥祖谷、寝正月を決め込んでいたが
じっとして居れず道路の雪も融けかけた昼間。
奥祖谷かずら橋雪景色を観賞する、誰も居ない奥祖谷かずら橋の静かな
雪風景は至福のひと時であった。
名頃からは除雪されていてよかった、蔓橋までしか行っていないが
ずーと除雪が続いていたから剣山見の越登山口まで除雪しているようだが
定かではない。