秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 29  SA-NE著

2018年01月24日 | Weblog

「もう、できあがっているみたいね…」
美香さんは戸口に散乱した靴を一足一足揃えながら、小さなため息をついた。

シゲ爺さんの薄暗かった部屋は、壁に取り付けられた投光器で
どこか知らない空間みたいに明々としていた。集落の人達なのか
炬燵の置いた部屋と、襖の外された奥の部屋に座っていた。

炬燵の上は缶ビールと紙パックの焼酎と、紙のお皿に容れた小袋のお菓子と湯呑みで散乱していた。
台所と思われる場所には、二、三人の女の人が何かを炊いているみたいで
低い天井から湯気が水平に立ち込めていた。

僕は、美香さんの後から、俯くようにしながら、部屋の中に入った。
部屋の奥の方から新しいお線香の匂いがして、その匂いに台所からの何かの出汁の臭いが重なって
例えようの無い臭いに変化していた。やっぱり僕は、一瞬息を止めた。胸の奥が小さく鼓動する。

宮さんにも美香さんにも、正直に話した事はなかったけど、僕は祖谷を訪れてからずっと、
父を探していた。

初めて宮さんに会った時も、宮さんや美香さんの車に乗せて貰って
高齢のドライバーと対向する度に、勝手な憶測ばかりを繰り返していた。

そして、今僕の目の前に座っている、母と同じ集落の見知らぬ人の中に、僕の父親がいるような気がして
僕はここに着いてから、ずっと膝が震えていた。

美香さんから車を降りる時に念を押された、
「年齢は絶対に間違えないでよ、森田くんは今年で31歳なんだよ」
と言われたことを、頭の中でリフレインする。

同じ嘘を繰り返していると、不思議なもので、僕は31歳の幼稚で
優柔不断な臆病な救い様のない唯の拗ね者みたいに思えてきた。

「何を考えているか、時々見当が付かない奴だなあ」って昔、裕基に言われたことがあったけど
僕は感情を上手に言葉に出来なくて、いつも自己嫌悪に陥っていた。
だから、裕基がよけいに羨ましかったし、裕基が代弁してくれたから、その場を切り抜けられた時も、何度もあった。

美香さんの肩越しに、見知らぬ人の異様な視線が僕をまっすぐに見ている。
何かを小声で話している。
「あ~聞いた聞いた、あの空き家の古寺の息子…」
「東京の人って、言よったわ…」

美香さんは、部屋の入り口辺りで一度座り、先に座っていた人達に何かを口籠りながらお辞儀をした。
僕も慌てて座って、頭を下げた。

「まあ、山野の美香ちゃん来てくれたんじゃなあ、ありがとう」
と言いながら、一人の女性が駆け寄ってきた。
「お父さんも、亡くなったんじゃなあ~急な話でびっくりしたわ~いつ亡くなったん」
「去年の10月です」

「わたし、お盆にしか帰らんけん、今日聞いて、びっくりしてな~」
「ありがとうございます。父が亡くなってから、父の顔の広さに驚いてます」
美香さんは、そう応えると、チラッと奥の部屋を見た。
奥の部屋から数人が、出てきた。その中の一人が美香さんに、「空いたよ、どうぞ」と小声で言った。

美香さんは振り返って僕を見て、目で合図した。
見知らぬ人の背中をかき分ける様にしながら、奥の部屋に入った。
シゲ爺さんが、寝かされていた。

圧縮の途中みたいに薄くなった赤い柄の布団を被って、白い布を顔に充てられていた。
枕元には丸いお盆の上に茶碗に高々と盛られた、真っ白なご飯が置かれていて
ご飯の真ん中にお箸が二本、立てられていた。

シゲ爺さんの顔の傍には、やっぱり丸いお盆が置いてあって、その上にお水なのかお酒なのか判らないけれど
透明の液体が湯飲みに容れてあった。湯飲みの横には小皿にシキビの葉っぱが一枚、添えられていた。
その横に、渦巻きのお線香が置かれて、部屋のすきま風に揺られる様に、不規則に煙が流されていた。
シゲ爺さんの傍には、60代半ばの男性が俯き加減に座っていた。

美香さんが「息子さんよ」と小声で僕に言った。
「美香さん、親父が世話になったなあ。今日もわざわざ来てくれて、ありがとうな」と深く頭を下げた。
「昨日、会って話したばかりだから、びっくりしてね、お悔やみの言葉がみつからなくて…」

程無く息子さんは、葬儀社の若い社員に呼ばれて席を外した。
僕は美香さんの腕を引っ張って、泣きそうな声で伝えた。

「美香さん…何をどうすればいいんですか…判りません…」
美香さんは、
「真似なら出来るでしょう。私の真似をしたら大丈夫だから」
息子さんが直ぐに戻ってきた。

僕は握った両手をお腹に充てて、じっと美香さんの手の動きを見ていた。
美香さんは、シゲ爺さんの顔に被せてあった真っ白な布をそっと外した。
シゲ爺さんは、スッとした顔で微動だにしないで、眠っているみたいだった。
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