秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

忘れ家

2009年04月26日 | Weblog
長い長い木立の芽吹きに苛まれながら迷い道を振り返り、あれはなんだと
自分でも判らないままに、夢でも見ているのかなと訝り木立を抜けて一瞬
透けて開けた背後を光らしきものが走ったような気配にギョッとして、危うく
声を上げそうになり、なんと菜の花の広がりの向こうに一軒家をみたような

如何にも好ましい佇まいにうっとりと眺めて気だるい疲れを覚え、古の風景
にも似たようにほっとした感覚に酔いしれて、一時佇んでいたが訪ねようと
家の前まで歩いた。

戸は締まっているのに内からぼんやりと青い明りが射しているような気配を
感じながら、誰か居ませんかと声を出してみるが、返答のあるわけも無く
虚しい声のみが内に吸い込まれたように消えた。

家の周りをぐるりと歩いてみても人が居るわけも無いようだし、最近帰って
来た気配も無くまったくの忘れ家である。遠い昔の生業も知るすべも無いが
美と神秘と静寂が所かまわずのさばって圧倒して凄ましい時空の音楽の調べ
を聞いたようだが、奄奄の沈黙が聞こえた。

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野火

2009年04月25日 | Weblog
木立が喘ぎながら芽吹きはじめて年々見慣れた風景ではあるがわずか一年ほど
閑却にしたばかりに仏頂面をされ、生きていたのかと云わんばかりにわたしを
見ていたらしく、その気配に自分は生きているのかと思わず空を掴んだらしい

わずかな木立の空間に灰色に燃える薪ストーブを囲んでいる人々を見つけて
駆け寄り、この家の主人と思しき人にわたしも暖を取らせてくださいよと声を
かけると、ギョロリと目をむいでお前は死んでいるではないかと云われて
ギョッとしたが、いや!わたしは生きています、あなたこそ古に死んでいます
と云って図々しく野火に在りついたようでもあるらしい。

他愛も無い話の内容から、この古人は息子、娘の将来を考えて土地を捨てて
街の生活を選んだような感じだが、それが幸せだったかどうか未だに判らない
らしく、挙句に故郷まで舞い戻って考えたところで、埒もあかず切羽詰った顔を
何処へ置いたら様になるやら、辛抱強く経っているようであるらしい。
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木立

2009年04月24日 | Weblog
街の雑踏に埋没していた数ヶ月の間にわたしは孤独に苛まれて
此処かしこに猫のようにうろつき回りマーキングをしては逃れようと
足掻き、賑やかに騒いだような空ろな空気を吸って生きているわが身に
慈しみ哀れんで嫌悪していたかもしれない

僅かに見え隠れする先人たちの道を行きつ戻りつしながら、絡まり縺れた
糸を解してゆくような根気のいる木立を歩いて、果たしてたどり着くであろう
美と神秘の生活の匂いを求めるたびに、胸の高鳴りをおぼえては中毒にこころを
預けてしまう

気だるい、淡い萌えるような先人たちの生活にわが身がぽろりと剥げて醜態を
さらけ出し、あえぎ、口を空に向けてぽっかりと開けては木立を食らっては
吐き出し、なおも消えかけている道をまさぐり寄せようとわたしは歩いた

くねくねと、あがりさがるような勢いで途切れてしまう木立に小鳥の囀りと
わずかに聞こえる先人たちの呪いの声を聞き逃すまいと耳をそばだて、わが身を
放り出して尾根を這い上がり、節目節目に見知らぬ空にぶらさがり物憂い匂いを
かぎわけて歩いたような気がしないでもない。


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かくれ里

2009年04月23日 | Weblog
鎮魂の舞を舞っていずこともなく去って行く神人のあとをふらふらと
彷徨い、人里はなれた美と神秘の溢れ流れ然る木立にいつの間にか分け入り

自然が語りかける言葉を聞き、古の先人たちが継承していったであろう痕跡を
たずねて、審美の世界に至たる道を求めて

茫漠として崩れさる風景を眺めては住人が戸を開けて走りゆく幻覚に
美しくものと心中に捕らえた。

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山躁

2009年04月22日 | Weblog
気だるくまどろんだ空気が流れるような風景に久保集落最上が近づいて
家の前の畑が綺麗に耕されてじゃがいもを植えつけているのを見つけると
T老婦は元気で暮らしているのであろうと雲上寺の宮の内和尚は嬉しくなった。

しばらく祖谷を離れて下の人となり、街に埋没していた和尚は鼻の穴を大きく
開けて、嫌というほど懐かしい匂いを吸いながら坂を上がって家の庭に足を
踏み入れた。

庭の石に腰掛けて蓑のなかの薇の綿を除いていたT老婦は人の気配に気づいて
振り向いて目をこらしていたが、何時もの口調で
「ああー誰かと思うたら、雲上寺の和尚さんかや、久しいのう、元気にしよった
か、久しく来んで病気にどもなったんかいなと心配しとった」

「わしもいろいろあってな、しばらく祖谷を離れていたんよ、それでよう来んじゃった、ばあさんも元気でなりよりじゃなあ」

「いいや、和尚さん、わたしゃ今年は悲しい目に会うたわ、こんな悲しいこと
ないわい、和尚さんには云うまいと思うとったが、」

T老婦は涙声になってぽつりと云った、今年1月の10日ごろに大阪で家庭を構えていた
長男が51歳で突然この世を去った顛末をぽつりぽつりと話し始めた。

宮の内和尚は絶句していた、あまりのことに言葉を見失ってしまった
帰郷していた長男に何回となしに和尚は会って話し込んだものだ、決まって
剣山から三嶺、天狗塚を何回も縦走した話が出てきた。

和尚が山歩きが好きなのを知っているので二人して夢中に話したものである
あの元気な彼が、男盛り51歳の若さで逝くとは。

T老婦は張り裂けんばかりの悲しみを堪えて畑を耕してジャガイモを植えつけた
綺麗な畑に悲しみを埋め込むように。

眼前に聳え立つ天狗塚、天狗峠や山々が躁(さわぐ)で鎮魂の舞を舞ったように
想えた。
コメント (2)
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