秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

梅雨明け 盛夏の山を歩けば見え隠れの風景と花々と

2017年07月24日 | Weblog

黙々と急登を登れば、どっと汗が吹き出る盛夏、湿度が高くガスが巻く山々
樹林を潜り抜け視界が開けるも、展墓聞かず疲れが覆うも僅かに涼風を纏う

しっとりとした樹林の噎せ返る光合成といのちの匂いとよろこびとをひしひしと身体に受けて
平坦地をゆっくりと、岩場を攀じ登り、花々に顔を寄せて慈しみ、歩くことの楽しさを味わう

ときおり、霧が僅かに飛んで山の様子を見せてくれるが、直ぐに覆われる
噴出す汗をぬぐいながらも、この汗の微かな爽やかさを胸に歩みを続けて満足の風景を楽しむ



























































































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山里に小さき花の咲きて いま、ここに、を生きて

2017年07月21日 | Weblog


山里の道端にひっそりと咲く小さき花々と蜜を吸いにくる蝶の乱舞を眺めて
いま、ここに、生きていることを実感するひと時の盛夏

もう、時が過ぎれば、明日にこの道を歩いてみても、この花たちの姿はないかも知れない
時間は非情にも、お構いなく過ぎて、生きとし生けるものたちを流して逝くだろう
形あるものは崩れ去り、知性あるものをも無にしてしまうことを思うと空しさを覚える




























































































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原生林の奥深くに潜みて

2017年07月18日 | Weblog

原生林の奥深くに潜り込んで、夏の旺盛な光合成に勇気付けられる
身体を涼しい風が吹き抜けて心地よい

森の木々に身を任せて、自然の声を聴いていれば、時は過ぎて行く
これ以上の贅沢がどこにあろう、唯、座してまどろむ

同期の友である、T君の不慮の死、あまりに突然の旅立ちに茫然とす
自然や山歩きを愛したT君よ、安らかに眠れ、いずれまた、会おう
豊かな原生林の森よ、精霊よ、T君をやさしく包んでくれないか













































































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菜菜子の気ままにエッセイ( オカッパと大泣き蝉のハーモニー♪)

2017年07月16日 | Weblog


真夏の蝉の大合唱。
畳に映る、欅のシルエット。飛び交う虫も、影になり交差している。

川風は形を変えながら、スイスイと部屋を窓を吹き抜けていく。築30年(床が腐りかけている。
屋根も一部修理して、空から見たら、日本の国旗みたいに多分見える筈)

蚊取り線香。揺らぐ煙。蜩のハーモニー
昭和のままで止まっている、わたくしの
『思い込みによる日常』
を主様の哲学的文章の箸休めに、お楽しみ下さい。

とにかく、昔からそうだった。見たもの、その光景に勝手にストーリーをくっ付けて、思い込む悪い癖がある。
あれは小学生の頃。我が家の勝手口を開けたら、狭い道路を挟んですぐに隣の家の勝手口が見えた。
お隣にはその日何でだったか親戚の人が集まっていて、とても賑やかそうだった。

隣には3人の子供がいて、集落の子供たちは、みんな歳が近かった。
で、チラッと隣の勝手口を見ると、親戚のオッチャンからお札を渡されていた、2つ上の女の子が、見えた。

『親戚が集まれば小遣いになるのか~ええなあ~』
と、インプットしたオカッパ頭は(ワタシ)、夕方遊びながらの話の中で、その家の一つ上の男の子に、言った。
『しんせきの人に小遣いもろただろぅ~』

この何気ない一言が、隣のお家に悲劇をモタラシタ。
男の子は、すぐに家に帰り、正確に書けば、お互いの家の前の道路で遊んでいたから、すぐに勝手口から家に入り、
今思えば、私たちは飽きることなく、遊べたものだ。自然を基地にしながら、ありとあらゆるシチュエーションで、いつまでも遊べた。
で、やがて、男の子の泣き声が、道路にまで響いた。

『小遣い~もろてない~ネエチャンだけもろて、なんでや~』
と大声で泣いていた。
暫くして、我が家に隣のオバチャンが、やって来た。
『菜ー子ちゃんよぉ、あのお金は小遣いじゃないんぞ、あれはタバコ買うて来てくれえって、親戚しが、渡しよったお金だったんぞ!!
言うて聞かしても、泣いて泣いて、てにあわんわ。いらんこと、言うなよ!』

○×△□○☆斯斯然々。
…そして時は流れ、彼は長い人生に於いて、あの時流した涙以上に、男の涙の在り方を知ったのではないだろうか。
オカッパ頭は、オバサンに変化しても、『思い込み症候群』による、ほぼ持病みたいな、人生を送ることと成る。
いつかに 続く。

草 々
※坊っちゃん団子は美味かった。主様ありがとう。






























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原生林のなかを彷徨いて清々しい生気を実感したい

2017年07月15日 | Weblog



夏の山歩きは原生林のなかを、ゆっくりと歩くにこしたことはない、展望こそ
望めないが、かんかん照りの直射日光を光合成豊かな木々たちが和らげてくれる

なによりも、樹間を吹き抜ける風はひんやりとして身体にまとわり付き心地よい
豊かな自然の恵みをうれしく思いながら、日々の暮らしを楽しいものにして
「いま、ここに」を懸命に生きて死んで行きたいぼくでありたいと思う



































































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山を歩けば生命の息吹をひしひしと感じて

2017年07月11日 | Weblog


激しい光合成の嵐のなかにいると、生気がみなぎり生きている質感を覚える
昨日とは違う風景に出くわして感動する

山を歩いて、、森を歩いて、雑木林を歩いて、展望する変化に激しいいのちを思い
生きているよろこびを思い、死んでいく哀しみを思う



























































































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菜菜子の気ままにエッセイ( おばちゃんの呟きと時々ワタシ )

2017年07月07日 | Weblog

1年前に逝った叔母さん(ヴヴヴ星人)のお友達だった、92才のおばちゃんを時々訪ねる。
お土産は、おばちゃんの好きなマヨネーズとか、卵、ジュース。
彼女は、電気とガス以外は、殆どを自給自足で賄っている。

彼女の家は集落の一番上で、彼女の家まで農道が繋がっている。周りは、殆どが空き家で、広い畑も、使い込んだ鍬一本で、耕す。
草刈りは鎌一本を研いでは使いながら、一人で肥えぐろを積み上げている。小さな体に、小さな手で、日に焼けた顔は、くしゃくしゃで、可愛らしい。
おばちゃんの鎌のことが、気になったので、新しい鎌を持参して、訪ねた。

金額はちょっと高め。私は自分にはドケチだけど、好きな方々には、トコトン手厚い。
グローバル社会に、インターネット社会。核問題。山積みされた日本の課題は果てしない。
…が、彼女の生活には何も関係ない。
彼女は、生きる為に春夏秋冬、作物を作り、ひたすら畑に出る。

彼女を見ていると、祖谷の山里の片隅で、時代の裏で
『かくれんぼ』
しているみたいに見える。彼女と叔母さんは、70年以上の親交だった。畑仕事はいつも二人。

そのままお昼も二人で食べる。台風が来たら、叔母さんの頑丈な家に彼女が避難してきて、二人で台風の過ぎるのを、ひたすら待つ。
子供と過ごした時間よりも、2人で過ごした月日が長い。愛しい時間。

叔母さんは高知に行く前日に彼女を呼んで、叔母さんの家の墓掃除を、手伝ってもらった。
二人で過ごした、最後の時間だ。
お墓の掃除を済ませ、お墓の上に建っている、お堂までの石段を上がって、二人は立ち止まった。

彼女は叔母さんに言った。
『ネエサンよ、明日は見送りには、いかんぞ…つろうなるきんの…わたしゃ、ここから帰るきんの』
「そうするかのうや、ほんならここで、別れんかの」
その話を聞きながら、私には遠ざかる二人の背中が、はっきりと見えた。
今生の別れの二人の胸中を思うと、その話を聞きながら、涙が後から後から落ちた。

晨星落落
人間って哀しい
人間って愛しい
人間って美しい
見えないものに、感情が突き動かされる
全ての根底に存在するのは、『愛』なんだ。

で、いつものお知らせです。今週の日曜日。
つむじんこモーニングカフェですよー。
場所は、昔、昔、
お爺さんとお婆さんが仲良く暮らしていた場所。
落合集落のなこちです。
愛のある場所で、モーニング食ってね~♪

草 々






























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梅雨の山里 雨降る雑木林のなかを彷徨いて

2017年07月05日 | Weblog

梅雨時の暑苦しい蒸しかえるようなときは雨がぱらぱらと降る程度の日が歩くには心持いい感じだ
雑木林がクッションの役目をしてくれて、傘に落ちる雨音を静かに聴くひととき

木々や草花の生き生きとした表情を眺めて歩く、すべてが生きているのだなと思う質感と
抗いようのない時間の流れに流されて、生きて死ぬのだな、と実感するひとときである













































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夏 ターナー島とその風景

2017年07月03日 | Weblog

夏、海だよな、漱石の「ぼっちゃん」に出てくるターナー島















































































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山里の雑木林のなかをさまよい歩いて

2017年07月01日 | Weblog

山をあるき、山里をあるく、山は低きから高きに、頂からの展望を楽しむ
登山口から植生の判別を楽しみ、草花を愛でながら、木々の大小、種別を楽しみ
4,5、時間を要しながらもいつの間にか山頂を極めて面白きこと多々あり

徐々に、徐々に、一歩、一歩、と低きより高きを登るに、周囲の風景、自然、動物、たちが
ぼくのうちなるもの、こころに、ボデーブローのように作用してくるのを質感として
実感するのであるが、それがどのようなものなのかはぼくにも判らない

ただ、たしかなことは、長年にわたって、繰り返し、繰り返し、似たような行為をしているのに
飽きないどころか、新鮮になるばかりである

動物的な本能に近づいているのではないかと、ふと、思うことすらある、動植物が季節、季節、に変化を遂げながら
いのちを生きて、旅立つように、ぼくも、歩くことによって、旅立ち、変化しながら、ゴールを迎えるような気がしている

最近は山里を歩くことが多くなり、あるいはほとんど同じような雑木林を歩くにしても
日々、日常的な暮らしの延長ともいえるのに、退屈しないばかりか面白いことの発見ばかりが多々ある

長い人生のなかで、日常の暮らしで、また、山を歩き里を歩き、自然に触れて旅のように流されている間に
いろいろ無駄なことをし、浪費し、小突かれ、挫折し、立ち直り、転がり、佇み、悲しみを、喜びを、苦労を
味わい、やがて浮かび上がってくる「かたち」が、質感として実感しつつある、
その「かたち」に出会うために、苦闘しているのではとときどき思うことがある




































































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