秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷 初冬

2009年11月29日 | Weblog
登山ブームになってもうすでに久しい期間が過ぎて、益々盛んになってきた
その間の登山人口は飛躍的に伸びてきた。
それにつれて、装備などの開発はより安全に、より快適になり、安全教室など
登山の技術面に於いても充実して、人々は登山を楽しんでいる。

それに比して山々の自然は荒涼が激しくオーバーユース気味であり、温暖化や
色々な要素が絡み合って、目を覆うような荒れ方をしている場所もでてきた。
人々は健康になり、体力が充実して、装備、技術が向上するにつれて、一般の
登山道に飽き足らなくなり、色々な場所から藪こぎ、獣道を利用して登山する為
場所によっては通常ルートと変わらない道が出来てしまったし、ある人は通常の
登山道であると公言して憚らない始末である。

このように人々が一般の登山道に飽きて来たのであるから、山歩きのあり方を
変える時期に来ている。
この奥祖谷の山々のなかでも、特に荒涼が激しい三嶺ー天狗塚方面に照準を
合わせて、対策を採りたい。
山腹にあるふるさと林道、阿佐ー名頃線の西山方面 最終民家の近くと、
いやし温泉近くにゲートを設置して登山者の車をシャットアウトする。

登山者は山麓の集落近くにある登山道から登るようにすれば、
力量が有り余っている人々であるから、歓迎され喜ばれるし、
廃棄ガスを少しでも減らして、流行りのエコになり自然も、動物も
少しはほっとするだろう。

どっちみち、山歩きのあり方を見直す時期に来ていることは間違いないから
徳島県、森林組合、地元の人たちの協力のもと早急に対策を纏めたいものである。













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奥祖谷 初冬

2009年11月27日 | Weblog
天気の移り変わりが早い初冬も終りになりかけて、厳しい冬に突入する
穏やかな快晴の日に追分の森に老木を訪ねたわたしは、登山道の日陰に
僅かに残る凍った雪に注意しながら静かな森へと歩を進めた。

四季の移ろいに耳を傾け、移り香を嗅ぎ、黙想して過ごすひと時を
わたしには唯一の安らぎの時間である。

この空間で思索に耽るわたしは、哲学的思索はあまりしなくて現状の世相
人心の移ろい、山歩きの現状や自然のあり方など人間臭く、泥臭いこと
ばかりであるが、この空間を透かして考えを纏めることが好きである。

ひと時ではあるが、古木の前に座して古木の声を聞き、わたしの想いを
伝えて、森の精霊からわたしの心を育みたい。








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奥祖谷 初冬

2009年11月25日 | Weblog
暗雲が立ち込めていて見通しが効かない世相を気疎いと常々思うにつけても
わが身も漸く老いの身なれば、物の見かたというよりは沈黙は不在のしるしか
存在のしるしかと埒もないことを思うのも気疎いものである。

祖谷の山々の登山道を思うのも気疎いが、はやりの藪こぎで獣道が荒れるに
従い、こんな筈ではなかったと動物たちは密かに呟いてみたところで如何にも
なるものでもないと気疎い。

落ち葉を敷き詰めたような自然の道でさえもっと安全に歩きやすくなるからと
緊急雇用対策のお金で人工物を埋めてしまうのであるが、なんともけうとい
ものである。

自然との共生を考える最近の人たちのいかにも手馴れた立ち回りは舌を巻く
上手さであり、文句の付けようさえ無い隙間無さをけうといものである。




剣山を歩いて 石鎚山系、赤石山系を遠望




久保集落クヌギ林 菜菜子さんの携帯写真




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奥祖谷 初冬

2009年11月20日 | Weblog
不遇の俳人 一茶を偲んで 詠む

地酒さげ 山門くぐる 一茶の忌


寒峰を歩いて


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奥祖谷 初冬

2009年11月19日 | Weblog
空也上人 平安中期のひと、、乞食の身なりで諸国を
      遍歴し、念仏を唱えて人々に仏の道を説いた
      晩年奥州へ出立すろとき
     「今日寺を出づる日を命日とせよ」と云い遺した

烏帽子山を歩きて 詠む

空也忌や 寺出づる日の 仏師かな

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奥祖谷 初冬

2009年11月18日 | Weblog
菅生集落にて詠む


冬紅葉 菅生人に 色尽くし







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奥祖谷 初冬

2009年11月15日 | Weblog
昨日、一昨日と三嶺ー天狗塚周辺にて遭難騒ぎあり
県外の単独男性で下山中、雨と霧で道迷いをして天狗峠の下山口が判らずに
一晩山中にて雨の中シュラフでビバーク、昨日自力で下山できたようだ。

地元の消防団員30人が出動したらしいが、これからの登山は
気をつけよう。 無事でなにより。



雲上寺 訪ふ人もなし 冬安居

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奥祖谷 初冬

2009年11月14日 | Weblog
雲上寺にも初冬の匂いが立ち込めて、木々は落ち葉を散らし、風は
箒の役目を引き受けんがごとくに彼方此方に落ち葉をかき集めるて
過ぎ去るなり。


縁側で読書に耽っていたが、暖かい陽射しに堆ウトウトしてしまった和尚は
ひんやりとした風にふっと目覚めると陽射しは雲間に隠れて傾き加減になっていた。
いっとき、忙しかった雲上寺も茲しばらく訪れる人もなく、和尚はぶらり歩きや
読書三昧の日々であった。

初冬の透き通った空気がながれて寂しげに陽射しが山襞に翳を浮き上がらせ
木々に妙なる翳を映し出す様をいつになく愛しくもあり好ましく想う。

陽射しが風景を白日の下に晒して人の目には良く判り、美しいものとして
好まれるに翳は往々にして認識されないばかりか、醜いものと思われ勝ち
であろうか。

翳のなかには見えないもの、それは聴覚、匂覚に類するもの、などが
存在するであろう。

それらは人の根源的なものであろう、それらは思考の時間をひとに与えて
くれて、黙想のときを待つことができる。
座して、謙虚になりて山の声に耳を傾けて聞き、風を感じて匂を探る、、
山に入り思考を凝らし黙想をして心を知るに好ましいと和尚は思う。


















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奥祖谷 初冬

2009年11月13日 | Weblog
ぶらりと訊ねて山に入ればここかしこに初冬の匂いがたちこめて ああー、もう
冬に入ったんだという想いにかられる。

風景は一枚一枚と丁寧に葉を敷き詰めて木々が眠るときを待ち焦がれ、風の
ひんやりと、ときには冷たく突き放しては木々の間に漂いて過ぎてゆく。

茅葺き家がすべてであった頃には茅場であったのであろうとカヤ、刈る人たちを
待ち焦がれたカヤも今の世の刈る人もなく、人恋しい仕草にあわれにと想う。

秋すでに往きし風景に深く沁みてあてもない古道を、思索しながら歩くことが
すきな私は、しずかに木々が語りかけ、風が吼えて木の葉を巻き上げ、小鳥が
小さな声で囁き、小雪が舞いながら話しかけるこの季節がいいように思う。


凛として 冬めく木々の 黙示たる












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唐津再会  最終章     SA-NE

2009年11月10日 | Weblog
唐津くんちの曳山は、合計14台。
高さ七メートル近く、重さは二トンから五トンまで、各町によって、様々だ。曳き子達は、それぞれのハッピを纏い、総勢数百名の九州男児が、勇壮豪快に、それを曳き廻す。
笛、鐘、太鼓の三つ囃子。
唐津神社の鳥居へと、様々な露店が立ち並んでいる。
私が、おくんちを観たのは、今回で三回めだ。
37年前に、父と初めて訪れた時。高校生の時には、祖父に招待され、母と叔母を連れて来た。そして今回。
大切にしている、昔の絵葉書を、時折見てきたせいか、心がそこにあって、再生ばかりを繰り返しているのか、何十回も観てきた、錯覚をしてしまう。
初めて来た時は、祭を観ていたのではなく、祖父や従姉妹達を、見ていた。
突然、出現した、何もかもが、あの時は唯、珍しく不思議だった。
左右に並ぶ露店の、賑やかに飛び交う声の波。人、人、肩が触れ合う人の波。
「お姉ちゃんは、ひとりでドンドン行くからね!見失わないようにしないと~」
従姉妹は、そう言うと、私の左手をギュッと繋いで、はしゃぎながら、小走りに歩きだした。

太陽の陽射しと、様々な露店が放つ匂い、黒山の人だかりの、流れる人の隙間から、消えては現れる、長女の背中を追い掛けながら、神社へと流れて行く。
スローモーションで、時がさかのぼっていく、そんな感覚に一瞬全身が包まれた。
37年前の、三人の私達が、紛れも無く、同じ場所に居た。
この道だった。お化け屋敷、見世物小屋、鉄板焼きの染み込むような匂い。

何も変わってはいなかった。
心の中で、お囃子が弾けた。

三人で、家に帰った。冷たいお茶を飲みながら、また、昔の話しになった。
私は、ずっと疑問になっていた、祖父の遺産について、長女に尋ねた。
「お祖父ちゃん、あれほどの財産があったのに、なんで遺言状、書いてなかったの?」
すかさず、妹が答えた。姉も、相槌をうつ。
「あったよ!専属の弁護士さんもいたし、きちんとしていたよ、シゲじいは~」
「えー、書いてあったんだ~」
「初盆が過ぎたら、きちんと遺言状の通りにするって、お父さん言ってたのよ、そしたら、シゲじいが亡くなってすぐに、おじさんや、おばさんが、裁判起こしたのよ!」
「それで?でも遺言状が、有利じゃないの?」
「なんか、別に取り方があったみたい。二回も裁判に呼ばれて、お父さん、傷ついて、あんな性格だから、投げ出して、あげたわけよ」
話を聞いて、叔父さんが気の毒に思えた。
裁判を起こしたのは、腹違いの妹と、実の弟だ。両親が同じ弟だ。
妹が、私の前に真っ直ぐに座り直し、苦笑いしながら話し始めた。
「わたしね、夕べお兄ちゃんから、聞くまで、ずーーと〇〇〇さんの事、勘違いしてたの。」
「勘違い?」
「なんで、お父さん、〇〇〇さんは、大事にせないかん!とか、しょっちゅう、何かしら送るし、電話かけるし、お父さんは財産取られて、なんで〇〇〇さんを、気にかけるんだろうって!」
「あっ、私貰ってないよ!」
「その話をしたら、お兄ちゃんが、言ってた。お父さんから、何回も聞かされたって。覚えておけって!」

私は、次女からは、ずーと財産を奪いながら、ノコノコと法事まで営みに来た、面の皮の厚い、非情な従姉妹だと、思われていたのだった。

暫くして、私と次女は、お墓参りに、お寺に向かった。
裏の路地から、時折見える曳山を、立ち止まっては、眺めた。
「シゲじいに、隣町の温泉に連れて行かれたのも、わたしの役目だったのよ~」
「なんか、いいコンビだったんじゃあないの~」
「温泉宿に、演劇団が来てたのよ~、毎月変わるの、シゲじい、観に行ってた~」

歩きながら何気なく聞いた、その話に、
私の中で、父と母の劇団の幟が、鮮やかに舞い上がった。
父は、その劇団に、紛れて、家を出たのだ。下積みを終え、自分で生家の名を、そのまま劇団の名にし、巡業を繰り返していた。
祖父は、いつか、父と逢えるかも知れないと、温泉宿まで出掛けて、ビール一本を飲んで、帰っていたのではないか?
「父とお祖父ちゃんが、もっと早く再会出来てたら、父もお祖父ちゃんも、幸せな時間過ごせただろうね」
私は、彼女に呟いた。
「ううん、みんなが幸せだったと思う!うちのお父さんも、全然違う人生になってたと思う。最期の時間まで、違っていたと思う。」「お祖父ちゃんの後妻が、一緒に連れていた連れ子になるおっちゃんは、90歳近くなるけど、いまだにおじさんが家から出た事を、ずっと気にして、苦しんでいるもの…」

お墓参りを済ませた私達は、本堂に入った。本堂の純金の貼られた祭壇は、澄み切った静けさと、凛とした空気に包まれていた。

線香を互いに立て、祭壇に向けて、鈴を鳴らした。鈴の余韻、お線香の香り。


故郷に帰る夢を見ながら、母の故郷に、身を置いた父。
それはまるで、京での再起を夢見ながら、落人となった、平家一族の、はかない物語の結末。

私は、父と祖父と叔父さんの尊い魂に向け、最後の合掌をした。

曳山の、エンヤ、エンヤの掛け声と、三つ囃子の笛の音が、本堂の近くを過ぎて行く、唐津くんちの、秋はゆっくりと、終わりへと向かっていた。
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唐津再会 Ⅲ     SA-NE

2009年11月09日 | Weblog
施設は、海を一望できる、小高い丘の上に建っていた。
途中の道を走りながら、長女がぽつりと右の山を指指し、言った。
「この山が、うちの山、みかん畑だった場所」
後部座席の妹が、身を乗り出して、
「惜しかったねぇ、もう少しで、バイパスにかかっていたんだ~」
こんな広大な場所を、所有している、本家。私の頭に一瞬、崖っぷちに建つ、我が家が溶けかけた、ピノのアイスクリームみたいに思えた。

施設は、数年前に建てられ、清潔感が漂っていた。
脳梗塞の後遺症で、言語障害になり、理解は出来るが、返答が上手くできない。状態は、聞いて十分理解出来ていた。私の母親の、最初の病状と、全く同じだ。
花を、抱えて部屋に入った。
叔母さんが、車椅子に座ってキョトンとして、私を見た。
私は、床に座って、叔母さんに、顔を近付けた。
「まあ~、え~~」
「まあ~、そう~」
叔母さんの顔は、すぐにクシャクシャになり、片手の手の平で顔を覆って、大泣きを始めた。
私は、両手で、叔母さんの手を握りしめ、言葉より先に、涙が溢れた。暫く、二人で泣いた。
「ねっ、お母さん大泣きしたでしょう!夕べお兄ちゃんが言ってた通り!〇〇〇さんの顔みたら、泣くって!やっぱりねぇ」
妹が、赤くなった目で、私を見て小さく微笑んだ。
「私達も、来てますよお~」
おどけながら、妹が叔母さんの頬をつついた。
長女は、週に二回。
妹は、月に一回、京都から足を運んでいる。何れも、仕事と家庭を抱えての事情だ。
それが、どれ程の精神力を費やすか。心の中の葛藤は、話さなくても、理解できる。

叔母さんの爪の手入れ。足のマッサージ。
かいがいしく動く、姉妹の横で、私は眼下に広がる、海を見ていた。
唐津城から、見える碧い地平線。
そして、大島。輝る波。
父が、幼い私に、おまじないのように聞かせた光景が、何ひとつ変わる事なく、私の瞳に鮮やかに再生されている。

暫くすると、一羽の小鳥が庭の白いベランダに、留まった。
「あっ、ヤマガラ!」私は、今日一番の大声を上げた。
「何、それ?」
妹が、首を傾げた。
「ヤマガラよ、この鳥!」
「鳥の名前なんて、全然、知らない」
そう言って、母親の顔に、化粧水をつける妹。洗濯物を片付ける姉。
首を傾げたヤマガラが、一瞬、様子を監察に来た、主人に見えた。
ホッとして、嬉しくなった。
「ヤマガラ!」
と自慢げに叫んだ、私を見たら、主人はきっとこう言って、笑うんだ。
「ふう(格好)わるいぞ!」

帰る時間が、来た。
私が、
「叔母さん…帰ります」
そう、言って手を握った。
叔母さんは、また泣き出した。
私は、出来そうにない事を、軽々しく口にする事が、出来ない。
他人を守る為の嘘は付けるけど、自分の事となると、変に気負ってしまう。
泣き出した、叔母さんの手を握ったまま、黙りこんだ私の隣で、長女が小声で言った。
「また、来るからって…」
私は、立ち上がった。「叔母さん、また来ます!」
叔母さんは、小さく頷いて、涙を拭いていた。
写真は、一枚も撮らなかった。今の叔母さんにカメラを向けるのは、絶対に失礼な行為だから。誰もが、自尊心を持っている。それは、絶対に侵されたくない、領域だ。10年前に我が家を訪ねて来て下さった頃とは、明らかに容姿の変わった、叔母さんの姿。しっかり者で、働き者で、おおらかで、せっかちな、お世話好き。
私は、握った手の平のシャッターで、心の奥のフイルムに、焼き付けた。
私と叔母さんのツーショット。背景は海と唐津城と、ヤマガラと?

地平線を左に見ながら施設を後にした。
「家に帰ったら、オクンチねっ」
長女が、笑った。
海風を、存分に浴びながら、助手席からの景観は、中々気分は絶好調!
前略、父上様。
あなたの故郷は、
本日も晴天なり!
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唐津再会 Ⅱ     SA-NE

2009年11月08日 | Weblog
従姉妹の手料理で、
三人で、昼食のテーブルを囲んだ。
長女様は、相変わらずに、話下手で、どちらかといえば、上品で物静か。髪は緩やかなウェーブのロングヘアー。長身にて、スタイル抜群。花に例えれば、白百合風。
対象的に、妹様は、 ショートヘアーの、超社交的。気さくで、人なつっこい話し上手。大きな瞳に、小さなお鼻。
好奇心旺盛で、表情ひとつとっても、飽きさせない。花に例えれば、ポピーの黄色。
37年前、私の感じた第一印象と、まったく変わらない、二人の従姉妹がそこにいた。

「今日のお兄ちゃん、よく喋ったね?あんなに喋るんだね」
妹が、姉の顔を覗き込んだ。
「えっ、普段無口なの?」
私が、問いかけた。
「結婚して、無口がひどくなったのよ~、昔からお喋りじゃなかったけどね」
「確かに、うん、お喋りではなかった!」
私と、妹が話していると、姉さんがアルバムを二冊さげて、テーブルに置き、私の正面に広げた。
白黒写真から、始まった、褪せかけた色が、昭和初期を、感じとれた。
アルバムは、見せて戴きたかった。私がそれをくちにする前に、彼女が差し出した行為に、不思議な感じがした。
妹が、話し出した。
「夕べ、数年ぶりに三人で飲みながら、〇〇〇さんの話になって、今までお兄ちゃんが、話さなかった、昔の話いっぱい聞いて、〇〇〇さんが今日、来る事なかったら、あんなに昔の話、お兄ちゃんしなかったと思う」
姉は、妹の隣で、ひたすら頷いていた。
「このおばあさんは、誰?」
私が、指指すと、
「あー、そのおばあちゃんが、〇〇〇さんのお父さんの、義理の母親!」
着物姿の、こけた頬。父はこの人と相性が、合わず家を出たのか…初めて見た、義理のお婆さんの写真。
一枚、一枚、確かめるようにアルバムを開く、私。
妹が、突然、私の左手を握ってきた。
私は、びっくりして、彼女を見ると、彼女は奇声をあげた。
「シゲじいの手~~、シゲじいの手と一緒!」
「シゲじい?って、お祖父ちゃんの事?」
「ウンッ!シゲじい!」
妹は、肩を竦めながら、思いきり、頷いた。
私が、お祖父ちゃんと呼んだ、祖父は、彼女達には、シゲじいなのだ。

「お祖父ちゃん、優しかったでしょう!」
アルバムを開く手を止めて、私が聞いた。
「なんで~、厳しかったよ~、いっつも叱られて、名前で呼ばれるなんて、滅多になかったよ!」

姉妹の話しの内容で、祖父の違った顔が、垣間見えた。
祖父は、一家の中で、絶対的権限を持ち、誰一人として、祖父には逆らえなかった事。
亡くなった、彼女達の父も、祖父には絶対に服従していた事。
『質実剛健』を地で行く祖父の姿。
兼業農家だった、彼女達の父母、そして子供達も、祖父の権限の下で、日が暮れるまで、みかん畑を、手伝わされた事。
「贅沢は敵、金は貯める物、満腹になればそれで良し!家の畑の作物で、腹を満たせ!」
彼女達は、クリスマスケーキを食べられたのは、祖父が亡くなってからだと言った。
「シゲじいが、死んだ時、やっと人並みのご飯が食べれる!って、ワクワクしたのよ~」
屈託なく笑う妹の表情に、私は感じた。
そんな祖父でも、それでも、大好きだったのではないだろうか…。
妹が、続けて話し始めた。
「初めてお父さんと、家にきた、おくんちの日、覚えてる?」
「うん、あんまり歓迎されてなかったのは、すぐにわかった!」
「〇〇〇さんが、お父さんと家に着く前に、シゲじい、私達に言ったのよ!」
「なんて?」
「おまえ達の従姉妹が、来るから、仲良くしろ!」って。
「何?従姉妹って誰?それ、何?何者?って私達、訳が判らなかった」
私は、微笑みながら聞いていた。
「裏口の土間から、お父さんと入って来て、シゲじい、入るなり〇〇〇さんの頭を、撫でたのよ!何回も撫でたのよ~、信じられなかったのよ~、私達が頭ナデナデされた事なんて、絶対になかったから!」
顔をクシャクシャにしながら、妹が話した。

私は、その場面の記憶が、全くない。

私が、玄関だと思っていた格子戸は、裏口だったのだ。
裏口が、道路に面していた為、誰もが格子戸から入って来てたと、従姉妹が笑った。

長女が、立ち上がった。
「お母さんのところに、行こう!」
私達は、玄関を出た。
私は家の写真を、娘に借りたデジカメで、写しながら、聞いた。
「11年前、新築だった家が、迷わないでわかったのが、不思議だったんだけど…昔の家とおんなじ感じしない?」
「そうでしょう!父が、大工さんに頼んで、昔の家と同じように、似せて建てて貰ったのよ!古い外観で、可笑しいでしょう!」

ひとつ、ひとつ、
心の中で、絡まっていた糸が、少しずつ、解れていく。
私達は、叔母さんの施設に向けて、丘の道へと車を走らせた。
窓の右方向には、地平線が輝いていた。
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唐津再会      SA-NE

2009年11月07日 | Weblog
真上に上がりかけた太陽の、光りのシャワーを浴びながら、玄海灘の波は、静かに果てしなく輝いていた。
再びの唐津。11年ぶりの地平線が、私の眼下に広がっていた。
列車の枕木の規則正しい音が、背中に伝わっている。心地いい、日だまりのシートに、腰掛けて、ご無沙汰の九州弁に、耳を傾けていた。
今回の唐津一人旅。目的は三つ。
二年前、脳梗塞で倒れ、施設に入所している、叔母さんを訪ねる事。10年前に、叔母さんが、私の母を見舞って下さった、あの時の恩返しが、したかった。
そして、もうひとつ。「ご先祖」さまのお墓参り。
そして、曖昧だった、記憶の事実の数々を、確かめたかった。

本家には、私よりひとつ上の従姉妹家族が、住んでいる。
本来、実家にいる筈の長男家族は、仕事の関係で、下関に住んでいる。
私より二つ下の、従姉妹は、京都に嫁いでいる。
(私の以前に書いた、唐津物語を読んでいてくれた方は、理解が早いと思います)
本家の子供達。
三人が、顔を合わす事は、ほとんどなく、お葬式か、法事位だと、従姉妹に聞いた。

私が、訪ねたのは、11月4日、従姉妹の休日だという理由で、決めたその日は、
〈唐津くんち〉の最終日だった。
「泊まっていって下さい」
従姉妹の計らいに、遠慮なく甘えた私の、今回の旅は、
偶然なのか、必然なのか、何かしら、見えないチカラに、導かれたような気がした。

改札口に、従姉妹〈長女〉が迎えに来てくれていた。
彼女は、車を走らせながら、
「あのね、きょうは、偶然、兄も、妹も帰っているのよ!兄は、〇〇〇さんの顔見てから、帰るって、家で待ってます。」

本家の前の、庭に車を止め、玄関に入った。目の前に、従姉妹〈次女〉が、立って迎えてくれた。その後ろに、出て来てくれたのは、二つ上の、従兄弟〈長男〉。美男、美女のいとこ達。
「いらっしゃい!」「どうぞ、入って入って!」

迎えたのは、ピカピカの玄関と、お互いに大人になった、微妙な照れ笑い。
リビングのコタツに、四人で向かい合わせに、座った。

「ネェ、これって、四人で顔を合わせたの、37年ぶり!」
私が、言うと、一斉にみんなが、頷いた。
「初めて唐津に、来た時、二階の部屋で、四人で顔見合ったの、あれといっしょ!」
「覚えてるよ!」
「おくんちの日だった!」
「あの後、お祭りの屋台に行って、タコ焼き食べた」
「あ~、食べた!」
「幽霊屋敷みたいなとこ、ほらっ、ナマクビがなんとかって!」

大笑いしながら、
37年前の、お互いに覚えていた光景を、一気にばらまいた。

暫くすると、
夕方に予定が入っているという、長男は、セカンドバックを手にし、スクッと立ち上がった。
「今日は、会えてよかった。では、帰ります。」

「私も嬉しかったです。ありがとうございました」

私は、深々と頭を下げ、彼を見送った。

そんな私を見て、姉妹達は、顔を見合って苦笑していた。

三人で、再びコタツに座り、お茶を飲みかけて、私は慌てて、お仏壇の間に入った。
大切な事を、先にやらなければならない。
奮発して、持参したお供え!
そして、ご挨拶!
宅急便で、先に送っていた『お土産』は、すでにお供えしてくれていた。

『お祖父ちゃん、叔父さん、ご無沙汰しておりました。今日は、お邪魔させて頂きます。』

テレビでは、唐津くんちの模様が、ライブで流れていた。

私は、隣の部屋で、背中でそれを微かに聞きながら、立ち上がる二本の線香の煙の中、再びの合掌に、瞳をとじていた。
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初雪に霧谷紅ゆ

2009年11月05日 | Weblog
突然の寒波に奥祖谷の山々は積雪と霧氷の風景と化すも
麓の霧谷はいやが上にも紅ゆ尽くすが如くなり

久保集落から初冠雪の天狗塚と天狗峠



霧谷の紅葉紅ゆ



















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沈潜する

2009年11月02日 | Weblog
山中深くにぽっかりと空隙に山の沸騰音や心の沸騰音がもりもりと
せりあがってくる言葉の意外な浅さ、貧しさに気づいて息を呑み
表現衝動を放棄して、宮の内和尚は意味不明の吐息を洩らす。

友より嘆きのことばあり、息子自転車乗りて、若い女の子の乗りし
バイクと衝突の事故起こす、息子怪我するも相手の女の子は新車の
バイクの擦り傷のみを論ってどうしてくれると泣き出す始末。
友嘆く事しきりなり、真っ先に大丈夫ですか、怪我はどうですか、
のことばをかけて欲しかったと
命よりモノが大事の世なり、友は云うべきことば無しと嘆くなり。

饒舌ばかりが目立ちて辟易しはじめている宮の内和尚は沈黙の池の
青みに、沈黙する木々の紅みに、座して音なし苔むす石に、落ち葉の
茶みに、寡黙をのぞかせて、訥弁となり、また沈黙して沈潜する。







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