秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

山里風景2

2005年11月29日 | Weblog
茅葺き民家「ちいおり」
久しぶりに寄ってみると竹の雨どいを
作っていたが笑顔が素敵であった。

横の洗い場と物置に架けるらしい
茅葺き屋根には竹が調和してほっとする。

我々であればDIYに買いに走りエスロンの
雨どいを架けるだろう。
真っ直ぐで、ぴかぴか なにより効率的で便利
調和などは二の次だし。

我々は便利で快適な生活を手に入れたが
快適な生活の中身は、無味乾燥、無菌室
経済効率第一を掲げ、精神的安らぎの排除
を推し進めた。
おかげで自然を排除して便利だけが一人歩き
ある人が云っているように
電柱、電線、コンクリート、アルミサッシ、ビニールの
枯山水を作り上げた。
「国破れて山河あり」という詩がありますが、日本は
「国栄えて山河無し」の有様。





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山里風景2

2005年11月28日 | Weblog
人工物を作った風景
数千年にわたって磨かれた日本の伝統文化を
いとも簡単にあっさりと捨ててしまった我々は
自然の中に人工物を作らないと落ち着かないようだ。

四国で自然が手付かずに残されている山に
記念のモニュメントを作った。
アドバルーンは 村の活性化!観光客誘致に!!

しかし誰もアドバルーンなど信じない
赤字になるだけ、行政のやる事はと 冷めた目
何かが狂っている アンバランス。

むかし外からの文化を長年の間に日本の自然、風土に
うまく調和させながら発展させてきた
そのテクノロジーをあっさり捨ててしまったので
自然と調和させる事が出来ずに極端へと走ってしまう
加速を付けてだ、、、、OFのスイッチがない。
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山里風景2

2005年11月27日 | Weblog
電柱と電線と茅葺民家
山村の風景だが茅葺民家を除けば
電柱と電線は日本の空間を独り占め。

地中に埋めなかったのか、不思議
地震国だからか、しかし阪神大震災では
交通網を遮断してしまった事は実証。

埋めるというテクノロジーの不勉強と
我々の審美眼が後押ししたのかも。

何時の頃からか我々は数千年にわたって
磨いてきた日本文化、伝統を古い、汚いと
云っていとも簡単に捨ててしまった、審美眼も
昔の美的感覚を持っていれば許されない事だが。

おかげで我々は便利で重宝な美的感覚を会得
嫌なものは見なかった事に、其処にあることが
不自然であるにも拘らず。
万事がこのようにして生きてきたので今では
これが本当の自然であり、電柱と電線とコンクリート
アルミサッシ、ビニールの無い世界は考えられない。
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山里風景2

2005年11月26日 | Weblog
何時の頃からか日本全国で自然林を
伐採して杉林にするようになった。
国策とはいえその勢いは凄まじく
後先考えずに邁進した。

世界有数の台風来襲の国であるのを忘れて
おかげで山の保水力が無くなり災害国に
為ってしまった。
災害を杭止めるため砂防ダムを作り、山川に
コンクリートを流し込んだ、止め処も無く
挙句の果てがコンクリートの塊の風景。

日本人の美徳の一つ「中庸を尊ぶ」が
何時の頃からか失われて、アンバランスになった。

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山里風景2

2005年11月25日 | Weblog
晩秋から初冬の風景をゆっくりと
楽しみながら山歩きをしていると
突如 目の前に巨大なコンクリートの塊
砂防ダムが現れた。

楽しんでいた風景が断ち切られ現実の風景
アンバランスに混乱し、落胆した。

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山里風景

2005年11月10日 | Weblog
此処2.3日天気がいいので干している
蕎麦が良く乾き、集落の彼方此方で
蕎麦打ちが始まった。

打った蕎麦を箕を振って殻を飛ばしそば実を
選り分けていた。

土地の人たち(お年寄り)はソバに混ぜ物を
入れずに、そば切りやそばがきにして食べるのが
美味しいと云っていた。

ソバに卵を入れるとつるつるして口当たりが
悪く、小麦粉を入れるところころして不味いと。
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山里風景

2005年11月08日 | Weblog
平家屋敷阿佐家の大正14年頃の
絶世の美女である冨美子姫についての
エピソードは松山高等学校山岳部の先生
北川淳一郎著「四国山岳夜話」に
阿佐家の冨美子姫を見なかった話として
記されているが、自分の拙作のHPである
「剣、祖谷の山嶺」2の奥祖谷風景に
抜粋して紹介している。

松山出身の自分としては冨美子姫のその後が
知りたくて阿佐家を訪ねたが先代の奥様に
話をお聞きする事が出来た。

お話では、奥様が結婚された当時冨美子姫は
お身体が丈夫でなくて療養のため奥様方の
二階に住まわれ、一緒に生活されていた。

また祖谷に移られてからも阿佐家でご一緒
されて、当時同い年位の姫が三人居られて
華やかであったと。
冨美子様、頼子様、春子様、何れもお美しい
姫さまであったと言われていた。

冨美子姫はその後ご結婚されて男の子二人を
授かった。 が元々お身体が弱かったためか
若くして亡くなられたそうである。

命日の11月7日に阿佐家を訪ねて先代の奥様から
気にかかっていた冨美子姫のその後をお聞き出来たのも
なにかのお引き合わせではないかと思われる。
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山里風景

2005年11月07日 | Weblog
阿佐集落の上部に平家屋敷があるが
阿佐家と云い約800年前の屋島源平合戦
で祖谷山に落ち延びた平家の武将、平国盛
の子孫が今もこの屋敷に住んでいる。

26代の当主一家と先代の奥様が居られる
阿佐家は代々美男美女を多く出されるが
中でも大正14年頃、当時女学生であった
冨美子姫はとても高貴で端麗まばゆい位の
絶世の美女であったと伝えられている。

今日は折り良く先代の奥様にお話をお聞きする
機会があって詳しく話していただいた。
若くして亡くなられたが奇しくも11月7日が
命日であると、、、、、、、、
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山里風景

2005年11月06日 | Weblog
久保最上部の時谷のおばあちゃんを訪ねて
行くと、明日嫁いでいる娘さんが久しぶりに
帰郷するので準備に忙しそうにしていたが
話して行かんかえとお茶をご馳走になった。

元気にしているおばあちゃんを見ていると
ほっとした安らぎを感じる。

厳しい生活であろうにそんな感じが微塵もない
作った作物を娘さんに持たして帰らすのが
嬉しいらしく声が弾んでいた。

軒先には冬の間のご馳走、ひがしやまが
静かに寒さが訪れるのを待っている。



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山里風景

2005年11月03日 | Weblog
久保集落最上部 時谷のおばあちゃんを
訪ねて、林道を散歩していると対岸の家
近くで一筋の煙が上がり棚引いていた。

どんよりとした秋空に風も無くゆっくり
上がる一筋の煙は家の生活が見えて
暖かくてほっとした気持ちになった。

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山里風景

2005年11月02日 | Weblog
奥祖谷では山腹、山上に家を形成している
所が多い、そして家と家の距離も遠い。

平地の稲作農業では共同体で作業を行うのが
常であるが、山村では緩やかな結びつきである。

落合集落の風景は対岸の中上から眺めるのが
一番素晴らしいが、九鬼集落上部からも
なかなか良い眺めの山里風景となる。
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