秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

祖谷の山々に想う

2009年07月30日 | Weblog
晴耕雨読、長梅雨もまた良し、長閑なり

つらつら思うに、世の中ばら撒き戦術なり、これ政治家の常なり
人は目の前の苦しき生活を逃れんとす、これ政治家の良く知るところなり

人は喉元過ぎればよしとす、先々の苦しきを思わずして、これ政治家の
思うツボなり、このサイクルにて国家は回りて、衰退するなり。
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祖谷の山々に想う

2009年07月29日 | Weblog
時は流れ忘却する
気づけば時すでに流れ去り、押し寄せる現在も留まること無し
虹の滝、清らかに流れ落つるのみ
わが身の老いて汚れし精神を流し去れと願うも詮無しか。

わたしは滝の一滴となって、大海に失われんか
さすれば忘却とならん。

海原にこぼれて、もはや何処にもあるで無いわたし
見出せないわたしも他ならぬわたしではないかと
うろうろしても大海に失われんか。

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祖谷の山々に思う

2009年07月26日 | Weblog
正岡子規「病牀六尺」の一節

余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解して居た。
悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬことかと
思って居たのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも
平気で生きて居ることであった。
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祖谷の山々に想う

2009年07月23日 | Weblog
生きとし生けるものによろこびを与えし太陽も何十年の間には
わが存在の有無を確認するのであろうか、黒き太陽となって。

それは恰も宇宙の始まりであるビッグバンから宇宙の伸張(膨張)(収縮)が
持続していることを知らしめるかのような天体ショーなのか。
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祖谷の山々に想う

2009年07月22日 | Weblog
風が見たもの、、よきものもあしきものも全てを持ち去ってしまう
風が読めない、空気が読めないと人は云うが持ち去ったものが
在るわけも無い、読めるわけ無い、風だけが見たもの、、、、

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祖谷の山々に想う

2009年07月20日 | Weblog
涼感を感じる



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祖谷の山々に想う

2009年07月19日 | Weblog
いつまでもジット次郎笈を見つめる

風景、風、小鳥、花を眺めるには目を閉じて眺めることがいいとつくづく
想ったものであるが、何時までも眺め、聴いて飽きる事が無い、何よりも
控えめに楽しむことができる。
何事も控えめがいい、強欲になると自然を痛めつけて省みないことになりかねない
楽しい山行もいいが、あまりにも楽しすぎると楽しさのなかにどっぷり浸かって
強欲になりかねないし、リスクを忘れてしまいそうになる。

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祖谷の山々に想う

2009年07月15日 | Weblog
のそりのそり、もくもくとふうけい、はな、かぜ、ことりをうろうろと
さがして、よきかなとつぶやき、やまのいただきにたたずみ
めをとじてふうけい、かぜをながめてやまをおもう。
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祖谷の山々に想う

2009年07月12日 | Weblog
早足に駆けてゆくくろ雲を目で追いながら和尚はまだ降るかもと
傘を片手に久保林道を上のほうへとゆっくりと歩いていた
ちょうど天狗塚が眺められる辺りまで来ると、近くの老婆が畑で
ホドイモの様子を窺っているので、「今年はどうかな」と声をかける
「どうかのう、今から少々掘って見ようかのう」

鍬を持って畑に入りながら「和尚さんや、ほれ、そこに宵待草が綺麗やのう」
と指さす方を見ると土手に何本か咲いているが、雨に打たれてうな垂れてはいるが
綺麗である、「ほんに、雨の待宵草は風情があるなあ」

雲も切れ始めて薄日が射し見上げると天狗塚が雲の切れ間からぽっかりと
浮んでいる風景を眺めて思わず「天狗塚には待宵草が良く似合う」と
呟いたものだ。

どこかで聞いた台詞だがなと考えていて、ああ、そうだ太宰治の小説
「富嶽百景」のなかに「富士には月見草が良く似合う」の有名なくだりが
あったと思い出した。

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祖谷の山々に想う

2009年07月10日 | Weblog
時が流れてまた一つは廃家になってゆくのであろうか
おばあちゃんは施設に入って久しいはずで、この茅葺き家にもんてくる
ことは無いようである。
徳島市内に居る息子さんが以前には時折帰ってきていたが、ここ一、二年
帰ってない、隣の長岡のおばあちゃんも亡くなって久しい。

先日この写真を撮ったときに直ぐ上の岡本さんのおばあちゃんが居たので
久しぶりに長話をしたが、みんな亡くなったり、施設に入ったり、山を下りて
子供の居る街に行ったりしてこの辺りでは私一人になってしもうた
寂びしなってしもうたわいと嘆いていた。

この辺りは昼間から猪が走ったり、鹿や猿が来て賑やかにはなったが
この者たちと話すわけにはいかず、ほんに困ったものだと寂しく笑っていた。
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祖谷の山々に想う

2009年07月08日 | Weblog
祖谷の宝物であり長年にわたって群生しているベニバナヤマシャクヤク
とオオヤマレンゲは心無い登山者とある記者の心無い紙上発表によって
危機に瀕している。
ベニバナは今年半分以下に減少しているが、偏に登山者と鑑賞者に踏みつけられて
痛ましい状況にあり、尚且つその状況が判っているにも関わらず、群生のなかに
踏み入り写真を撮ろうとする輩が後を絶たなかった。
これは最早何をか云わんや、いまの花ずき者どもの偽自然と共存者であり
命など何とも思わない輩のほんとの姿なのである。

オオヤマレンゲの群生地については発表以来毎年何百人と観賞に押し寄せて
土壌の踏み付けが始まっており、早晩樹勢が弱ってくるものと思われる状況
にある、ましてこのようなことは最初から予想出来たはずで、現場を見れば
一目瞭然であるのに、何々クラブなどはツアーを募集して観賞に来る始末で
輪に輪を掛けた仕事をしているが、この何々クラブは花木を守ると称して
花木を痛めつけている始末で、またこれ、何をか云わんや。

祖谷の宝物は長年のひっそりとした場所で静かに暮らしていたのが
ありとあらゆる人たちによって引っ張り出されて真綿で首を
絞められるように徐々に命を絶たれてゆく運命になったことは悲しいことだ。
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祖谷の山々に想う

2009年07月06日 | Weblog
霧にけむりて岩肌黒く夕暮れ迫る祖谷の谷間
はるかに聳える天狗塚に過ぎ行く時の儚さを
伝えておくれ心優しいひとに。

咽ぶ里の江霧雨降りて祖谷を愛した心優しいひとに
清き想いを三嶺の山に伝えておくれ永遠の愛。

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祖谷の山々に想う 菜菜子の気ままにエッセイ

2009年07月03日 | Weblog
知人が聞いた。
「何の為に、生きているんだろう?って、考える事ない?」
少し、間を於いて、私が答える。
「もし、自分の命が、あと数日って医者に宣告されたら、たぶん病院のベットの中に、頭まで布団を被り、
ボロボロになっていく心と身体で、想うはずなんだ。『明日も生きたい』って。生きるって、単純にそれが全てだと想うよ」

知人は、小さく笑った
窓の外に広がる、異なる深緑の山々を、霧が重なったり、ちぎれたりを繰り返しながら、ゆっくりと灰色の雲に、溶けていく。
葉先に、しがみついた朝方の雨の雫が、六月の柔らかな風に包まれながら、静かに揺れていた。

爺やん、婆やん、父ちゃん、母さん、
随分と時代は、変わりましたよ。インターネット、知らないでしょう。昔の感覚で言えば、きっとこんなふうに、言うでしょうね。
『なんなら、その板なんとかいうのは!いそげえなもん、祖谷に入ってきたら、お神さんのバチ当たるぞ。
おおごとじゃわ!くわばら、くわばら』

便利さと、引きかえに、失う代償は大きく、今、問われているのは、人間の在り方。

『祖谷』で生まれ、祖谷に生きると言う事は、先代達が残してきた、祖谷の姿を、守りながら、語り継いでいくこと。
抱えきれない想い出を、背中を海老ぞりにしながらも、歯を食いしばって、ひたすら、生きていくと言う事。
私は、自分を生きているのではない。両親が歩いてきた、残像の中に残されている、ささやかな絆や愛を、頂いている。
私は、私を生きているのではない。
私の子供達が、いつか私が灰になってしまった後で、私の道程の中で巡り逢えた者達に、慈しんで、愛されますように。

『祖谷』で生きるとは、日々、種を蒔き続けるような、ものなんだ。
祖谷で生きる覚悟のない方々に、永遠に繋いできた、祖谷の、この自然の全ての命を、ただひたすらに
記憶のままに咲いてきた、花達を『自己満足』という名の汚い靴で、踏み付けないで欲しい。
ここは、日本に唯一残された場所のひとつ、自然が一斉に、呼吸する奏鳴な場所です。

ただ、生まれた場所に咲く事。
自然に、その場所に
散っていく事。 それは、人間の終止符にも似て、
単純で美しい。
それがわからない人は、『愛』を探しに、
人生と言う名の、斜面を、一人ぼっちで
歩いて行けばいい。

    by 菜菜子

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祖谷の山々に想う

2009年07月01日 | Weblog
うっすらと日が射す高曇りのためか山頂からの眺めは360度見渡せて山また山に
あの左の方角には愛媛の石鎚山系や赤石山系が浮んでいるのであろうが
何よりも朝もやに沈むやまなみに栗栖は美しいと云おうか崇高であるとさえ想い
何時の日かまた訪れたいものだとただひとり山頂に佇んでいた。

眼下には東祖谷の集落が眠りから覚めようと点在していたが佐野集落の辺りを
眺めやりながら、里の江や雲上寺はどの辺りであろうかと探していて、ふと、
昨日の出来事が思い起こされた。

久しく逢ってない雲上寺の宮の内和尚を訪ねて積もる話に旧交を暖めての帰り道で
前から妙齢の美しいご婦人が歩いてきたが、憂いを含んだ顔立ちに優しい恥じらいを浮かべながら
「あのう、雲上寺の方から来られたのでしょうか、宮の内和尚さまはお元気で
しょうか」と小声で遠慮がちに声を掛けられた、栗栖は慌てて返事をした
「ええ、そうですよ、和尚はお元気でしたが、またどうしてご存知なのですか」
栗栖が訝るのも尤もである、ご婦人の姿、格好からして土地の人では無いのは
すぐに判ったからである。

「はい、私、斉藤江美と申します、もうずいぶん前になりますがこの祖谷とは
ご縁があり、また雲上寺の和尚さまを存じ上げるようになりましたの」
「ほう、そうですか、わたしも和尚とは旧友でしてね、今日もちょっと昔話を
してきた帰りですが、その祖谷とのご縁とはどういうことでしょうか、差し支え
なければ、これも何かのご縁ですが、聞かせてもらえませんか」

ちょうど傍に最近廃家になったばかりの家の縁側に腰掛けて栗栖かご婦人を
促した、ご婦人も腰を下ろして躊躇いながら話しはじめた。
「行きずりの方に私事をお話しするのは憚りますが、あなた様はご紳士と
お見受けしましたのでお話ししましょう」
と栗栖に話してくれたのは、自分は徳島の勝浦が故郷だが神戸で生活していた頃
一人の男性と飲み屋で知りあったが健二は同じ徳島出身というので親しくなり
恋愛にまで発展して結婚しようとした矢先に病に倒れて亡くなってしまった
健二の故郷は東祖谷という秘境の地で集落は里の江という集落だが昔に消えて無くなっていた、
里の江や健二の幼い頃のことを知りたいと思い土地のhideさん菜菜子さんに案内して貰って
雲上寺を訊ねて宮の内和尚さんから色々の話を聞いて里の江や
健二が好きだった天女花を見に行ったことなどを話してくれた。

この悲恋物語はSA=NEさんが「秘境という名の山村」2007.5.6月に詳しく書いているが、
江美さんは恋しいひとの墓参りと好きだった天女花を見るために訪れているのだそうである。
「そうですか、そんなことがあったのですか、それはお辛かったことでしょう」
やや、間をおいて栗栖が云った。
「はい、辛うございましたが、長い時間が少しづつではありますが癒してくれます
でも、わたしは古風なのでしょうか、あのひとと何時も一緒のような想いがしまして、
未だに一人住まいでございますが寂しくはございませんし、このように
祖谷に来てはあの人と話したり、宮の内和尚さんとあの人の幼い頃の話を聞いたり
好きだった天女花と静かにお話ししたり出来ますものね。」

「そうですよ、それが一番いい過ごし方です、綺麗なあなたに相応しいことです
ただ残念な事ですが、天女花と静かにひと時を過ごして親しく会話が出来るのが
難しくなってきましたよ。
そのきっかけはある調査で、天女花がたくさん生活している場所を見つけて
ある新聞社の記者が紙上に発表してしまったため、みんなの知るところとなり
あるクラブが鹿に食わしてなるものか、畜生に食われたら我々人間が観賞出来ん
と一本一本に番号をつけて調査して状況を観察しているようです。
そんなわけで、今年などは新聞紙上でツアーを募集するものですから、
毎日のように何十人と押しかけているようです、何年かのちには土の踏み荒らしが酷くなって
天女花も樹勢が弱ってくるでしょうし、景観も損なわれてくることでしょうね
人間というのは強欲なものです、結局は鹿の所為にして、わが独り占めにしておて
挙句の果てに葬ってしまうことでしょう。
山に咲く綺麗な花も、天女花も綺麗に無垢に生まれてきたばっかりに人間に
殺されてしまうことでしょう。」

「こんなにのどかな秘境の山でもそんな事になっているのですか、
悲しいことですね。」江美は悲しげに頷いたが、憂いを含んだ表情は
いっそう物悲しく、無垢に美しく耀いていた。

栗栖ははっと目を覚まして辺りをうろうろしたが三嶺山頂にいる自分をみて
なーんだ、夢だったのか、瞑想に耽っていたがいつの間にか眠り込んで
夢を見ていたらしい、先日雲上寺の和尚から悲恋物語を聞いたのが頭の片隅に
残っていたからであろう。

栗栖は山頂から天女花の群生地を眺めながら人間の愚かさをひしひしと
感じていた。







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