S君は高校時代から人望があった、別に取り立てて目立つわけではなくて、何時も穏かな
風貌をしていた。ただ、筋が通らないことはしないし、友達にもやんわりと注意していた。
大学を出ると、地元の新聞社に就職して、ジャーナリストの道を歩んだ。
記者の仕事は朝駆け、夜討ちが常である、不規則がちになり普段の生活にも飲酒、喫煙は
つき物みたいなものだ。、また、若いからがむしゃらにもなる、在職中は仕方ない面もある
しかし、退職すると度を越すことが多くなり、周囲の友達を心配させてはいた。
が、根が元来強いのか、太らない性質なのか、あるいは、本人が云うように、年一回の
断食の修行が効いているのかは不明だが、みんなの心配を余所になかなかダウンしない。
それでも、傘寿を目の前にすると身体の衰えとともにボデイブローのようにじわじわと
効いてくるものだ。
昨年10月の同期会に合わせて山歩きをする計画を彼と打ち合わせをしたのが9月初めである
すぐに、何時ものメンバーに連絡してOKを取り、喫茶店を出て別れた。
一週間も経たないうちに、S君から電話で、「今日入院した、一ヶ月あまり掛かりそうだ
メンバーに断わりの連絡を頼む、心配せんように伝えてくれ、病院の名は云うなよ、」の伝言で
僕は慌てて病院を訪ねた。
2、3、日のうちに、親しい同期のものに伝わったらしく、彼の携帯に電話するも応答が無い
どうも、ぼくが病院を知っているらしいということになり、ぼくは随分みんなから攻められた
ぼくは、その都度、少し良くなれば、S君のほうから連絡するから、それまで待つように説得した
S君は入院の間、あらゆる検査で悪いものがあるかどうかを探しまわったが見つからなかった
少しは安心したようだが、まだ、判らないとも云っている。
結局一ヶ月ほどで、退院となった、同期会にも間に合って元気な姿を見せて皆をほっとさせた。
まあ、そんなことから、山歩きは仕切りなおしとなり、今回の一の森ー祖谷八景を2泊3日で
楽しく歩くことになった次第である。
S君も今度ばかりは骨身に堪えたようである、生涯の友と称して毎昼、毎晩、欠かさず飲んでいた
酒は、退院後わずかに、3回だけだそうである。どうも、ほんとのことであろうと察する
先だっての通院にその3回の飲酒を正直に医者に話したそうだが、3回であっても命が
どうなるか判らないから絶対に駄目ですと云われて萎れていた。
同期に医者が何人かいるが、同様に酒は飲むな、命が無いぞと脅されている、堪えているようだ
病み上がり後であり、S君にとっては今回の山行はきつかったに違いない、ヒュッテで、祖谷八景で
メンバーが美味しそうに飲んでいるのを横目で、舌舐め摺りしながら、ノンアルコールを舐めていた
しかし、よく、辛抱できたと感心するのである。
S君にはこの調子を持続してもらって、病気を少しでもいい方向に維持してほしいものである。
S君はいまもって、ジャーナリストの魂が息づいているのを、話の端々に感じて羨ましく思うのである
ヒュッテでの話題が今のジャーナリストや、ジャーナリズムの資質に及ぶと俄然、眼がきらきらする
いまのメディアは腰抜けだらけで、なってない、時の政権に迎合して権力の手先に成り下がっている
腹立たしいかぎりだ、ジャーナリストたる所以は時の政権や権力を批判して対峙してこそ値打ちがある
それでこそ、ちょうどバランスが取れて、国民が安心できるというものだ。
いまのように、迎合ばかりしていると、権力が突っ走って碌なことにはならないと熱弁をふるった
S君の精神が健康である証拠でもある、この調子ではいまの病気も退散するかもしれないと
ひそかに願っている。