秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(テラオの兄さん茅葺き小屋奮闘記)

2010年03月27日 | Weblog
東祖谷落合小学校の校庭の片隅に、テラオの兄さんがいた!
見た事のない、
〈茅葺き小屋〉が出現していた。
なぜか、屋根らしき場所に、テラオの兄さん。
もう一人は、いつもテラオの兄さんが、何かする度に、呼びだされる、村民す~やん!
爽やかに、話しかける私。
「あ~、前に、造ってあげたい!って言ってた茅葺き小屋~、始めたんじゃ~」

テラオの兄さんは、す~やんと一緒に、何やら声を掛け合っていました。

「もうちょい剣山~」「池田にもうちょい~」
足場の上で、悪戦苦闘しながら、二人の掛け声だけが、響いていました。

茅葺き屋根の職人さんは、皆さん作業の際、右、左とはいいません。
剣山とか、池田とか、屋根の上と、裏側の相手の間に、このような、合図を作っておくのです。

必死で作業を進める二人。
足場、危険です。

優しく、気を遣う私。
「危ないよ~、落ちるよ~落ちたら痛いよ~」

テラオの兄さんは、
慣れた手つきで、す~やんを、こき遣ってます。時々、怒鳴ってます。

優しく、す~やんを、フォローする私。
「す~やん、市岡さんも昔は、師匠の義時さんに、怒られてたんだよ~」

そこで、
私のいつもの
休憩タイム大好き細胞が、舞い降りてきた!
「休もう!缶コーヒーあるよ」

必死で作業をする、二人に、必死になって、励ましの声をあげた私は、
早い話し!
喉が渇いたのでした。
二人よりも、先にコーヒーを飲む私。
現場監督も、楽じゃない~

早い話、
今回の茅葺き小屋は、市岡さんが、自ら自腹を切り、全て無償で、造っているのです。
二人だけで、造っているのです。
大量の茅を持参し、
全くのボランティア!スペシャルボランティア!

子供達に
温もりのある、
茅葺き小屋を造りたい。
子供達が、
卒業しても、
永遠に残る形あるものを、造ってあげたい!
テラオの兄さん!
想像以上に、手間隙がかかり、かなり悪戦苦闘し、
「この小屋、わけ解らなくなった~」
と頭をぐじゃぐじゃにしていましたが、
大丈夫!
頑張って下さい。
現場監督が、ついています。

いざとなれば、
そう、
余りにも
グジャグジャになれば、
茅葺き小屋で、
鹿さん達に、住んでもらいましょう!
殺されないように、
守ってあげましょう!
あっ、
ちょっと狭いか…

今回も頑張っている、
テラオの兄さんを、
皆さん、応援してあげて下さいませ。

カンパは、
マネージャーの私までよろしくね。

私も、がんばります!監督します!

いざっ、
日曜日は茅葺き小屋に出陣します!
行ってきます♪

















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春彼岸に寄せて最終章(娘達に) SA-NE

2010年03月24日 | Weblog
数回しか、手を合わせられていない、お墓があった。
自分自身の中で、向き合う決心のつかないままに、適当にお参りを済ませていた。
いざり峠を、正面に見上げられる場所に、主人の生家がある。
今では、空き家になり、墓守りは主人の父親が、内縁の妻と一緒に来ている。
所有している土地、畑、山。
全て23年前に亡くなった、主人の祖父名義のままだ。

主人と付き合っている時、主人が一番最初に連れて行ってくれた場所が
生家である祖父夫婦の家だった。
祖母は、私達が訪ねると、慌てて台所に立ち、小柄な体を素早く動かせながら
お昼時でもないのに、もてなしの食事の支度をしてくれた。
茹でた青菜と大きく切った、豆腐の入った醤油汁。
ご飯を大盛りについでくれて、私は食べるのが、正直辛かった。
祖父は、厳格で、大柄な人だった。

結婚して暫くすると、用事がある度に、呼びだされ、私は祖父夫婦の
運転手がわりになっていた。ある時、私に祖父が聞いた。

「孫さんよ…わしらをここで、ずっと世話してくれたら、家も建て変えてやる。
わしは、銭は貯めとる。ここで住まんか…」

私はすぐに返事を、しなかった。
祖父夫婦には、五人の子供達がいた。
皆が、祖谷をでて、家庭を持っていた。

私は、同居する事で、私の母親の面倒が、見られなくなる。
私のかわりは、いない。祖父夫婦には、しっかり者の子供達が、控えていた。
若かった。そして、何よりも、一晩泊まっただけで、生活習慣の違いに
すぐに音をあげた。
今でも覚えている。朝の6時、庭の外で声がした。近所の人が
訪ねて来た様子だった。
「若いしさん、もんとんかえ?」
「もんとんじゃけど、まだ起きてこん!若いしは、朝起きるの、遅い!」
祖父の声だった。
慌てて、とりあえず、私は布団からでた。庭で立つ、初めて見る顔のおばさんに
挨拶をした。
何と言って、挨拶したのかは、忘れてしまったが、物珍しそうに私を見た
一瞬感じた、違和感だけは、覚えている。

あれから、25年以上が過ぎた。
家族を捨て、家を出ながらも、長男の権利を主張する主人の父親。
相続権のある、その兄弟姉妹達。
複雑な親戚関係に、正直私は、随分と傷ついた出来事もあった。
祖父達を、責める理由はないのだけど、口に出しては言えない
私なりのわだかまりがある。

今年の春彼岸の前に、長女が私に、言った。
「なあ、西山のお墓参りに、きちんと行こう!三人で、行ってないだろう!
じいちゃん、ばあちゃんのお墓、私らの先祖でよ!」

頭に軽い、パンチを受けたような気がした。
私が、逃げ続けていた事に、長女が正面から、釘を刺した。

蒼い空が、広がっていた。柔らかな春が、蒼空に干されているみたいだった。
三人でその場所に、立った。
お墓に、手を触れた。初めて、手を触れた。何も、話さなかった。
ただ、両手を合わせた。娘達は、楽しそうに、互いに微笑んでいた。
娘達の間に、なぜか、主人の気配を感じた。
胸が、熱くなった。目の前に、いざり峠の山々の稜線が、空と地上を結ぶ
一本の道のように見えた。

娘達へと、
繋がってきた、
物言わぬ、魂の数々。
誰が欠けても、
繋がらなかった、
この尊い、二人の我が子よ。
巡り逢わせてくれた、魂のひとつ、ひとつに、私は心から感謝しています。
家族に、逢えてよかった。家族で在れて、よかった。

春彼岸 西山集落にて 合掌









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奥祖谷春点描

2010年03月22日 | Weblog
春間近い一日、暖かい青空のもと山中に彷徨うこと
しばし、老木に逢う、座して祈り、しずかに待つ



老木や 祈りの空に 木の芽風






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彼岸に寄せて(二つのお墓)  SA-NE

2010年03月20日 | Weblog
お彼岸の休日の日には私達は、決まって主人と半日は、別々の行動をとっていた。
祖谷地方には、分譲された墓地はない。
集落ごとに、お堂があり、近くに昔からの、墓地がある。
最近では、家の敷地に、代々墓を建て、古い仏様を集めるような家が、増えた。
高齢者が増え、皆が足腰を痛め、沢山のお墓を掃除していく事が
困難になったからだ。ましてや、お墓の場所も知らない、子孫が増え
一つに集めておけば、拝みやすいだろうという、この世にいる側からの
勝手な都合なのだ。
老人達は、今の現実を、
「墓守りができんようになった…」
と嘆いている。

主人は、半日は母親と、義理の父親のお墓参りに行っていた。
私は、私の母方のお墓参りと帰省して来る、親戚の食事の支度をしていた。
午後には、主人が立ち寄り、お昼を一緒に食べる。そんな
習慣が20年以上、続いていた。お彼岸の習慣は、三年前から
すっかりと形を変えてしまった。
三年前から、私のお彼岸の役割が増えた。
主人のかわりに、行かなければならない、お墓がある。

釣井集落の、丁度中間の場所に、集落のお堂がある。
標高800メートル以上は、あるだろうか、山々を一望できる、静かな場所だ。
突風が、時折吹く。
農道に、車を止め、少しの小道を降りると、墓地がある。

静かに並ぶ、二つのお墓。
左側は主人のお母さん。
右側に、義理のお父さん。
小学五年生の頃から、育ててくれた、母親の再婚相手だ。
母親だけが、籍を入れ、主人は祖父方の籍のままだった。

主人の叔母さんに、お通夜の際に、聞いた昔話があった。
主人が、小学五年生の時、母親は周りから再婚話を勧められた。
その際に、主人に直接、大人達が、尋ねたそうだ。

「名前は、どっちがええ?どっちでもええんぞ!
〇〇か、それとも、今のままの名前か?」
主人は、今のままでいいと答えたそうだ。
幼い子供に、そんな話が、理解出来る筈がない。
生まれ育った、陣地がいきなり変わり、
全く知らない場所に、訳の解らないままに、連れて行かれるのだ。
22年間も、主人の隣に居ながら、主人の淋しさを聞いたことが、余りない。
生まれた時には、父親はすでに家族を捨て、近所の未亡人の家に、入り浸り
そのまま名字は捨てずに、あちらで三人の子供をつくり、立派に育て上げた。
主人に、その話を詰めると、怒り浸透の私とは対照的に、主人は決まって笑って答えた。
「生まれた時から、親父はおらんもん!って思とった!腹はたたんわ。
おらんのに、腹立てても、しょうがない」

主人の、そんなところが、私は、大好きだったし、尊敬もしていた。私は、両親には
沢山愛されて、育ったから、主人の寛大さが、余計に可哀相に見えたのだ。

四年目の春彼岸。
二つのお墓。
今日も一人で掃除をし、ハナシバを供え、水をあげ、お菓子を置いた。
お米を手の平から、ゆっくりと滑らせた。
残して置いた少しの、お米を、ほんの少しだけ高く、無造作に撒き、呟く。
「無縁仏さま…」

お母さんのお墓の前に、座り手を合わせる。三年前から、同じ言葉を、心の中で呟く。
「お母さん、主人と逢えましたか?そちらに行きましたよ。お母さん
主人を生んでくれて、ありがとう。私の所にありがとう。
お母さん、あなたの孫が健康で生きられるように、見守って下さい…」

お父さんの、お墓の前に座り、手を合わせる。やっぱり、同じ言葉を、心の中で呟く。

「お父さん、主人を育ててくれて、ありがとう。お父さんのお陰で、私達は逢えました。」

そっと、空を見上げた。息を大きく、吸ってみた。
キリーンと、静かな透明な風が、心の奥に落ちていく。

二つのお墓に、
静かに眠る、二つの魂。
主人と、繋がる事が出来た、大切な二つの魂。
お堂に、風が吹き抜けていく。杉林が、一斉に大きく唸り声をあげる。
いがぐり頭の、やんちゃな少年が、駆け回った頃と、変わらない場所に
同じ風が吹いていく。同じ空が、ここにある。
永遠の証がある。

3月20日曇り空

彼岸の合掌。








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春彼岸に寄せて男と女  (SA-NE)

2010年03月19日 | Weblog
生誕百周年の作家、太宰治。
私が彼の世界に、出会ったのは、中学生の頃だった。
昭和23年、玉川上水にて、心中という形で亡くなった彼の放った人間の底辺に存在する
心の闇は、時代を越えてもなお、現代の若者達から、絶大なる支持を、受けている。
昭和49年、私の祖父も、入水自殺をした。79歳だった。
当時では、まれにない出来事で、小さな集落を随分と賑やかせた。

私が七歳の時、祖母が亡くなり、一、二年した頃から
祖父の隠居部屋を時折訪れる、おばあさんがいた。
幼心に、覚えていた事は、そのおばあさんが、亡くなった、祖母の面影に似ていた事。
そして、誰に止められたのか…。
そのおばあさんが、祖父の部屋を訪ねている間は、私は、隠居部屋に近づいていない…。
祖父は、73歳だった。今にして、思えば、それ程、高齢ではなかった。

おばあさんは、近所に住んでいた、夫に先立たれた、未亡人。
私が〈お茶飲み友達〉という言葉を、知ったのも、その頃だった
多分、叔母さんから聞いたような、記憶がある。
祖父が、他界した後に、叔母さんから時折、聞いた話がある。

「じいやん、〇〇のばあさんに、言よったんじゃと!」
「なんて?」
「一緒に、下の坊主淵に行って、死なんかって。ばあさん、断ったんじゃと。
水は冷たいけん、そんなとこへは、行きとうないわって。」

祖父が、亡くなる前から、そのおばあさんは、病気になり、町の病院に
しばらく入院していた。
祖父は、
夢の中でおばあさんが、退院した夢を見ては、背負い袋に、果物やら
食料品をいっぱい詰めこんで、
誰もいない彼女の家に行こうとしては、叔母さんに、引き止められていた。

祖父は、彼女が入院していなければ、
あのような、最後は迎えていなかったと、今でも思う。
不思議な、実話がある。
祖父が行方不明になった夜から、入院していた彼女が、付き添いの家族に
毎晩、言っていた事がある。
正確に言えば、祖父はすでに淵の底に沈み、亡くなっていたのだ。
「〇〇〇のじいさん、部屋の前の廊下に、立っとる。来とるわ」
家族は、半信半疑で、聞いていた。
家族には、当然、祖父の姿は、見えてはいなかった。
同じ事を、彼女は三日間、家族に伝えた。
その、三日後、祖父の遺体は、引き上げられた。

祖父の彼女への想いを、私は今は、理解出来ないでいる。
私が、祖父の年齢に、到達していないからだ。
男と女。
愛するという感情を、いつまで、持ち続けるのだろう。

よく、一般的には、老人達の愛を、非常識と呼んだり、いい歳をして
恥知らずとか、みっともない?とか、やたらと否定ばかりをくちにするが
私は正直、そうは思わない。

老人だから、
杖をついているから、恋愛をしてはいけない、道義なんて、どこにあるんだろう。
社会の個々の、価値観で、否定しているだけではないか。

人間が、笑ったり、泣いたり、感情を持ち続けられる間は、
いくらでも、恋愛してもいいのではないだろうか…。
少なくとも、祖父の妻を亡くした、心の淋しさを、埋めてくれていたのは、彼女なのだ。
彼女との、ささやかな時間が、祖父の一日を満たしてくれていたのだ。
お酒を絶つ事が出来なかったのは、仕方がなかった。
酒が、好きだっただけの事。

彼岸に想う。
いつの世も、
男と女。
男は女の為に、男を生き、女は男の為に、女を生き…。
花に光が必要なように…、
大地に雨が必要なように、
男と女、二つの生き物が、求め続ける限り、未来へとそれぞれの〈愛〉が
永遠に悠々と、繋がっていく。

自分自身の人生に、
キッパリと自ら、終止符を打った祖父を、
私は誇りに想う。
それは、祖父の決意だったのだ。

ふと、感じる。
天国で祖父は、妻と彼女と?
どちらと、寄り添っているんだろう…
もしかして、
どちらからも、ソッポを向かれているかも知れない?

そんな祖父には、
やっぱりお酒を、供えよう。
酒は、裏切らない?か。なあ~、じいやん。
彼岸の合掌






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奥祖谷春点描

2010年03月17日 | Weblog
四国の花の開花は例年よりかなり早く咲き出したようであるが
奥祖谷も春の訪れはいつもより早いようだ。

とはいっても、冷え込んだ日は山は雪になり薄化粧となり、名残の雪を
楽しむことになる。


藪尾根に 足をとられて 忘れ雪













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菜菜子の気ままにエッセイ   (いざっ!卒業式)

2010年03月14日 | Weblog
日常生活を、四季の無料の自然の中で、生きられる、贅沢なわたし!感無量!
振り向けば、360度、セピア色の山々とコバルトブルーの清流
生まれたての風の声と匂いと…… 時々老犬♪

野暮用で悪友に呼び出された宴会場では、
まさに中学の卒業式後の父兄の宴が、ハイテンションで、盛り上がってました♪

アルコールが、皆様の体内に、ドンドン注入されていました。

「おっ、コテージの管理人発見!あのドロンとした眼球の様子では……かなり、クラッテいるのか…」
まあ、今日はめでたい、中年の日?じゃない、卒業式♪黙って、見守りました。

最後にステージに上がって、子供達が、
これからの夢を、一人ずつ、宣言していました。
みんな、キラキラの瞳です。
スパッとカワユイ前髪、輝いてます。


キューティクルが♪
ビッシリ元気なんだね。よいねェ♪
お金をかけなくても、美しく、元気な髪!
お金をかけても、
中々元通りにならない、三十代!
かける、お金のないわたくし♪
バザバサ~
朝は、特にヒドイ!
寝ている間に、ネズミが私の頭を使って、柔軟体操でもやったか?みたいな、グシャグシャ状態!


でも大丈夫♪
私には高度な、美容技術が、あるのよねん♪しかも、
またまた、10秒超簡単♪道具なんて、使わない!

水道のタダの水を、一気に流し、両手で掬い、
〈ハイッ髪につけるだけ♪〉

美しい髪型が、無料で出来るこの習慣!

あっ、若い女性は、このやり方は、余り勧められません!悪しからず!

このやり方は、
オッサン化した、おばさんの究極の選択です。自分以外、誰も、自分を見ていないだろうと言う
絶対の自信が有るからこそ、成り立っているのです♪

卒業式。懐かしいですねぇ!
昨日の卒業式の事を、思い出していたら、
今日、老犬の散歩中、思わず、口ずさんでいた、メロディーがありました。

松任〇由実さんの名曲!私の大好きな曲!

〈卒業写真〉

一番、二番、
歌いながら、
心は完全に二十歳前♪大好きだった、男前だった、優しかった、
彼との思い出を、浮かべながら、しばし、感傷に浸る私。

歩きながら、ウンチを落とす 老犬…

彼は いい奴でした…
最高に、いい奴でした!

私を振りさえ!しなければ!の話ですが♪

卒業して、
旅立つ 君達へ

社会は楽しい場所です。今まで、聞いた事も、見た事もない世界が、全部、自分自身で、体験出来るんだよ!

今まで、逢った事のない、同世代の人達と、出会い、勉強、スポーツ、なんでも、なんでも、出来ちゃうんだ!
絶対に 逃げてはダメなんだ。
一度、逃げる事で、楽を覚えたら、
将来、君は、誰も守れなくなるよ!
愛する人を、守れなくなるよ!

それでも、いつの日か、どうにもならない位、心が風邪を引いたなら、
帰っておいで…
故郷に帰っておいで…


その頃には、
イノシシと猿とシカ君たちが、
全員で優しく君を、
歓迎してくれるでしょう♪

私は、あてにしないでね♪
心は二十歳!
身体は、カラカラ♪
膝、痛いの♪

高校時代、
私が創った歌の
〈去りゆく時の中で〉の歌詞の一部を君達に捧げます。


わずかの約束 結び、
共に 出てゆく
仲間達
やがて時代が
移り変わって
忘れられたとしても
いつか ひとつの心
ここに 帰ろう


未来の行方も知れず
翼 広げた
仲間達
時の流れに 流されて
つまずきかけたとしても
いつか ひとつの心
ここに帰ろう
ここに帰ろう





未来の 君よガンバレ!
卒業 おめでとう!













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奥祖谷春点描

2010年03月13日 | Weblog
奥祖谷遺産ともいうべき木馬路を歩いた。
集落から尾根に取り付き、高度を上げて、歩き出したが、先日降った雪が
まだ、所々に残っていた。

標高900まで登ってくるとちょっとした広場に出た、木馬路の出発点なのか
周辺は雑木に覆われているが平らに均されたまま残っている。

Hideさんは一度歩いているらしいから、案内を乞い、行こうかと歩き出した
続いてyoriyan、しんがりは僕である、なにしろ足を傷めてかあまり長歩きを
していないから、心配であるが木馬路と聞いては心穏やかではない。

山の山腹というものの、一種独特の雰囲気というものか何ともいえぬ侘しさ
のような、いわば、凋落の感じが一層ひしひしと迫って来るように僕は感じたが
それは強ち時代の変化で役目を終えて打ち捨てられた哀しい運命かとも
想われて、僕はこの侘しさが好きなのかも知れない。

どんなに人気のない山路を歩いていても一草一木ことごとく生き生きとして
その季節が来るのを黙って辛抱強く待っているのが僕の身体を突き抜ける
のを、種々の小鳥の囀りが樹上を飛び交うなか、ミソサザイの優しい声に
微笑んでいる僕を嬉しく思う。

奥祖谷の山麓を這うように付けられている生活路や仕事路は登山道
などのような華やかさはないが、一歩引いた控えめさと黒光りする
歴史が散りばめられて僕は好きである。

木馬路で働いた人々は家族のために生活の糧を求めたひと、はたまた山持ちは
材木の価値が高かった頃だから、一攫千金を夢見たであろう。
事実奥祖谷には千金を手にした人々も少なからず居られたと云われる、
いずれにしても、多くの人達が危険を犯して一心に働いた苦労の跡を辿り
印象に残る山歩きとなった。

相当な距離を歩いたが、標高800-900を粗保ち、平らで路幅も平均的に
そこそこの広さを確保していた。
材木を切り出し運搬するには細心の注意を払い運搬の容易さや怪我しないような
設計を要して造ったのであろうと思わせた。

路の上下、即ち山際、谷際には随所に膨大な石積みがしてあり
山際は1,2mの高さであるが、特に谷際は高さ、幅とも、
数十メートルに及ぶ石積みは昔の人たちの技術の高さと確かさを
想い知る素晴らしさであった。

奥祖谷木馬路を造った昔の人たちの素晴らしさと大変な苦労に想いを
馳せながら、それぞれが山の恵みと自然の大切さを実感したものである。


雪の果 男の夢や 木馬路 






































  

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奥祖谷春点描

2010年03月11日 | Weblog
もどり寒波に四国は震えた、今回は山麓よりも下のほうにかなりの雪が
降ったようである。 とはいっても奥祖谷も雪に見舞われたが、道路は
大したことは無かったらしい。

山々はなごり雪で化粧をしている。今日の奥祖谷風景は菜菜子さんからの
携帯写真プレゼント。








祖谷川 春の色彩











春にかがやく吊橋








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奥祖谷春点描

2010年03月09日 | Weblog
春をたずねて路を歩いた、標高800-900の山腹を延々と
4時間近く歩いた、杉林あり、雑木林あり、沢あり、展望あり
変化に富んだ路は未だ健在である。

春めきて 心は木々に 奪われし


























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奥祖谷春点描

2010年03月07日 | Weblog
ズボンのポケットで携帯電話がモゾモゾしていた、わたしは失礼と会釈して
椅子を立ち上がり携帯電話を取り出しながら、ドアを開けて外に出た。

「モシ、モシー、壊れた和尚さんー、菜菜子です、」
「菜菜子さんか、壊れた和尚?、、、ナヌーわたしのことかいな、なんの用事かな」
「あのな、そこにそんなに綺麗な母娘がほんとに居るの?
また、悪い癖が出たんじゃないの、和尚の妄想でしょう」
「居るよ、いま話しているところやな」
「うっそうー!、まあどっちでもいいわ、さっき、エッセイ書いといたからね
また観て頂戴、それじゃあ、バイバイ」
相変わらずの菜菜子さんであった。

喫茶室に入り、腰掛けながら
「失礼しました、気の置けない悪友からの電話でしてね、出ておかないと
あとが煩いものですから。

ところで、どんな話しでしたか、、、、ああ、そうでしたあの家の感想でしたね
まず、あの場所の風景が素晴らしくて、何か特別な雰囲気がありますね。

そのような所に家を構えられた家族の方に敬意を持ちます、そしてあの風景を
居られた間存分に楽しまれて、幸せに生活されたことに羨ましく、また嫉妬
さえ、覚えてしまいますね。

大自然と一体化した生活、それは不便で苦しいことのほうが多かったとは
思いますが、実際、わたし達が思っているような生易しい暮らしではなかった
ことでしょう。が、そこで得られたものはそれ以上の価値のある幸せであった
ろうと、わたしには想われます。

そういった想いが伝わっているのでしょうか、残されたあの家の風格がそれを
表しているように感じます。
あの家は生まれてきた時に、住まわれるであろう家族に祝福されて、幸せを
貰ったことでしょう、これからこの家族に精一杯尽くそうと思ったはずです。

自然界のなかで生まれては死んでゆく諸々の事柄に何一つ無駄なものは無い
と思います、ひとつひとつの事柄が祝福されて生まれて、何らかの役に立ち
その役目を終えて死んでゆくのでしょう。
いま鹿が大量に人に殺されていますが、本来なら何かの役に立ち終えてから
死んでゆくのが王道でしょうが、人間が勝手に途中で命を奪う権利が
どこにあるのでしょうか。

人間も例外では有り得ないととわたしは思っています、大概のひとは
生まれたとき、両親、親類や周囲の人に祝福されますね。

大人になってから、自分は何一つ人の役に立たない、世の中から要らない
人間だと思っているひとがいますが、そんなことは無いはずですよね
おぎゃあーと生まれたとき、鳴き声や笑顔や穢れない仕草ですでに
両親に幸せを齎して親孝行しているじゃあないですか。

それだけでも充分じゃあないですか、これ以上の幸せなことがどこにありましょう
人間も自然の一部分を担っているなら、自然に遵って淡々と役目をこなして
生涯を終えるのが一番いい事じゃあないですか。


ありゃあ、話しが逸れましたが、あの廃家はいまの状況を良く理解している
ように思います、住んでおられた家族のお役に立て喜んでいるようでした。

そして役目を終えたいまはこの素晴らしい自然と一体化していける喜びを
幸せと感じて、しずかにそのときを待ち望んでいるように、すくなくとも
わたしには感じられて、よかったと思っています。」

「まあ、そのように思ってくださいましたか、いいお話を、嬉しいですわ
ここまで来た甲斐がありましたわ、
実は、わたし達があの家に住んでいましたの、ねえ、お母様。」

わたしは絶句してしまった、目の前にいる母娘が住んでいたとは想像だに
しなかったからである。
「ほうー!、ほんとに、、、ですか、またどうして?、、、、、、」

それまで、目を閉じてじっと話しを聞いていた母親が徐に口をひらいた
「今日はほんとに良いお話を聞かせていただいて、娘が云いましたが
遥々ここまで来た甲斐がありました、ありがとうございます。

そうなんですよ、わたし達家族、年老いた両親とわたし等夫婦に子供
三人の仲の良い家族でした。

申し遅れましたが、わたしは沢木志保、娘は美奈と云います、
私どもは元々東京の中野に住んでいましたの、いまもそこに住んでいますが
この奥祖谷には何の所縁もなかったのですが、年老いた両親の病気が重くて
口癖のように終の住家を山深いところで終わりたいと云いますので、此処に
たどり着いたわけです。

慣れない田舎暮らしでしたから、それは大変な苦労をしましたが
色々話せば長くなりますが、あなたがおっしゃましたように苦労以上の
幸せをいただきまして、ほんとに楽しゅうございました。
両親の想いも叶いまして、思い残すことなく幸せな最後をこの地で終わらせる
ことが出来ましたが、子供達の将来もありましたし、
中野の家もそのままでしたから、ここを離れたわけです。

子供達も夫々家庭をもち、何とか暮らしていますし、先年連れ合いが亡くなり
まして、遺品を整理していますと此処で暮らしたときの写真などがたくさん
出てきました、懐かしさで矢も立ても居られず、美奈を連れて来たのですが
住んだ家や風景が当時のままに残っていました、良かったです。

わたし達もあなたがおっしゃったような印象をあの家から受けまして
ほっとしますし、いままでの肩の荷が下りたように嬉しく思います

ほんとに今日は良いお方にお会いして、いい話を伺い、幸せな日で
ございます」

「いえ、こちらこそありがとうございました、あのお家にどのような
お方が住まわれたのかと想っていましたが、図らずも、お会いできて
お話しをさせていただくとは幸せでございました。

日暮れも近いですのでわたしはここで帰りますが、お泊りですか?」

「はい、明日早くに、住んでいました頃、主人とよく登りました三嶺に
娘と登ってみようと予定していますが、今年は雪はどうなのですか」

「雪解けが早いようですから、もう少ないでしょう、というか無い所
が多いと思います、ほんと、三嶺はいいですね、好きです、いい山ですね

そうそう、わたしが三嶺と天狗塚を詩にしまして、yoriyanが作曲した
「奥祖谷恋歌」があります。
もし、よろしければ登る途中にでも歌ってくだされば幸いですが
以前2007年のジャズフェスタIN祖谷のときでしたか、来ていた
九州美女美女隊のI嬢が綺麗な小声でそっと歌ってくれまして感激
したことがあります。」

わたしは持っていた詩と楽譜のコピーをそっと出してみた
娘の美奈さんが受け取って見ていたが、小さな綺麗な声で歌ったのには
吃驚した。

「まあ、これいい歌ですこと、詩もいいし、曲も歌いやすいわ
歩きながら歌うにはいいかもね。
明日は歌いながら歩きますわよ、楽しみが増えました」

「お天気が快晴でありますように、お気をつけて登ってください」

別れの挨拶を交わしてわたしは車を走らした、ちょっぴり一緒に
三嶺に登りたい誘惑に抗うように祖谷街道を突っ走った。















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菜菜子の気ままにエッセイ   (和尚壊れる?)

2010年03月06日 | Weblog
ちゃんと更新、してるじゃない!
フンフン…へぇ~なるほど……???
ナヌ?
綺麗な母娘?
行き止まり?
家が、話しかけた?
なんじゃこりゃあ!
もしかして、もしかして………


妄想小説の走り…?

「もしもし、M.iyaさんですか~、あのお話は、実話ですか?」
「あ~、菜菜子さん~、わし、なんじゃかんじゃ考えとったら
なんや解らんようになって、ふとヒラメイタ、話が浮かんできて
あんな話が出来てきた…」


やっぱり!
想像通り!
早い話が、
祖谷を愛する余り、
愛する余り……


壊れちゃいました!
読者の皆様、しばし、お付き合い、よろしくね。
難しい漢字は、あんまり出てきませんが、
ほとんどが、
「妄想小説の走り♪」願望か!
過去の追憶のゴマカシか?
案外、最近の実話のゴマカシか?
余り、深く追求する事は止めます。
深く追求されたら、書き手はギブアップするかも?しれないから。
いつものように、話はコロッと変わりまして、あちらこちらの
管理職の方々が退職金という名の花束を、戴いておられます♪
観察大好き人間の、私は、その方々の
「顔」を拝見しながら、いろんな事を、考えました。
三十年!四十年!
の毎日を積み重ねた時間が、油絵のような
「顔」を造っています。
目配せ、眉間のシワ、口角の形、仕草、癖、話し方…
様々な装飾を添えた、
「顔」がほぼ 完成しています。

何も申しません!
明日からの第二の人生!
お体を大切に♪


私と言えば、この前、
「毛玉とり器」の売り場で、10分以上、悩んで立ちつくしましたのよ…。
〈980円〉
〈1980円〉
ん…?どう違う?
ふんわり仕上げ?
ふんわり代が、値段の差か?
安い方を買って、納得するか…
いやっ、高い方を買って、ふんわりを体感するか?

悩む! 悩む!
久しぶりに、悩んだ!年下にするか、
年上にするか、
うどんにするか、
ラーメンにするか、

結果、
決めました!
母親から、度々聞いた諺!
〈安物買の銭失い〉
ええい!
千円位、缶コーヒー8本飲まんかったら、
すぐに元は取れる~。頑張って、
1980円♪

なんか、贅沢♪
セコい、贅沢♪
私、自分にも、めちゃくちゃケチですから。
本日は、
龍宮コテージに行く途中にある、大好きな苔のある風景を、送ります。

和尚のかわりに、本日の一句

〈退職金 わたしの税金 少し 返して♪〉

〈最後の一日まで年休取らずに働いて♪〉

〈役場に世話してくれた人のお墓参りに行きなさい♪〉

コテージの季節が、やってきました。
来て下さいね。
管理人、すでに遊ぶ
計画を立て、私、度々、臨時管理人の職務に、着きまーす!
今年は、
〈地産地消〉にチカラを注ぎ、
新メニューを考案し、皆様に喜んで頂けるように、グアンばります♪
料理は愛情♪
愛情は、最高級の
調味料♪
今年もいくぞ!
ワメイの妻の焼いた天然酵母のパンと
私の超、ゴマカシ郷土料理♪

予約、待ってまーす!











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奥祖谷春点描

2010年03月05日 | Weblog
いつものようにわたしの庭のような久保集落の景色を愛でながら
最上のT老婦を訪ねて世間話などで楽しんで集落をあとにした。
京上まで来たときにふっとコーヒーが欲しくなり、ホテル奥祖谷に
立ち寄ってみた。

役場のすぐ近くにあって、感じのいい綺麗な旅館だが、女将さんが
なかなかの美人なのもいい。
コーヒーを注文して椅子に座りほっとしていたときであった。
女将さんの声がして
「お帰りになりましたか、お疲れでしょう」
「疲れたわ、コーヒーが欲しいわ、ねえ、お母様、」
若い女のひとの声がして喫茶室のドアが開いたが直ぐに座っているわたしを
見つけて
「あら、さきほどはどうも、、、、、、、失礼しました」
と挨拶してから後をふりむいて
「お母様、山でお会いした方がいらっしゃいますわ」
と遅れてきた母親に云った。
「まあー、ほんとに、、、、またお会いしましたね、」
笑顔でほっとした様子にわたしは咄嗟に
「ほんとですね、ご縁にコーヒーご一緒に、どうですか」
わたしの座っているテーブルに案内すると快く応じてもらえた。

「ところで、あの道が行き止まりなのをお知らせするのを忘れてしまい
とんだ失礼をしました、あの、、行き止まりの廃家まで行かれましたか」

「いえ、かまいませんわ、はい、あそこまで行きました」
そのとき、コーヒーが来て、忽ちいい香りに包まれた。飲みましょうと
いうことになり、わたし達は一服の幸せに静かに身を沈めた。
疲れがすーと消えて行くような快感を覚えていたが、娘さんが口を開いた

「あのお家と周辺の風景をご覧になって、どう、思われましたか?
ご感想をお聞かせ下さればうれしいですが」

「そうですねえ、、、こちらへ来ますともう彼方此方に空き家が見られて
過疎が進んでいると何時も実感するのですが、今日は何時もと違い初めての
道に入りあの家を見つけたわけです。
いやあ、驚きましたね、道は行き止まりだし、廃家はカヤと低木の埋もれて
いるが、前面がドーンと開けて素晴らしい姿の山が正面はるかに眺める
風景には感動しましたね。

しばらくぼう然と眺めていましたが、突然にですよ、お嬢さん、家が話し
かけてきたのには驚きましたね、、」

「まあー!ほんとですか、信じられないわ!」

「いえね、そりゃあ家が話をするわけないです、そのように思っただけなんですがね、
何と云いますか、不思議な体験でしたが、わたしと廃家とは妙に想いが一致したと
云いますか、電流が流れたような感じでした。
それはあの場所が一種独特の清らかな素晴らしい風景と廃家とはいえ凛とした
風格を漂わせていた家の精が為せたのかもしれませんね。」


「それで、家の精はどのように思っていたのでしょうか」

娘さんは目を耀かせて、ちょっと紅潮させ日本人離れした彫の深い顔が
喫茶室の仄かな灯りと傾きかけた陽射しに浮びあがって、やっぱり
綺麗な娘さんだと思った。

傍でわたしと娘の話のやり取りを静かに聞いている母親は、微かに憂いの
翳がありものの、いかにも都会育ちの上品な物腰であり、微笑みながら
聞き入っていた。喫茶室にはわたし達三人だけであった。


















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奥祖谷春点描

2010年03月03日 | Weblog
雑木林の山道はあまり急坂なところはなくていい気持ちで歩きやすい
久しぶりに今日は最高の散歩だ。
この暖かさに小鳥も活発に飛び跳ねしている、なかには追いかけも
しているようだ。
雑木林が微かに途切れた彼方には肥ぐろがポツンと立っている畑が
見えていたが、誰かが作っているのであろう。

中ほどまで降りてきたようだと一息ついて汗をぬぐい、ミソサザイが
綺麗な囀りに耳を傾けていると、微かにではあるが落ち葉を踏みしめて
登ってくるような足音が聞こえた。

どうもふたりのような感じだが、姿が見えないので今ごろ登ってくる
なんて誰だろうと訝りながら丁度いい具合に道が広くなっているのを
幸いと休憩しようと決めていた。

やがて雑木林に見え隠れしながらふたりのご婦人が確認されたが
小声で話に夢中になっているのか、このわたしには未だ気がついて
いなかったかもしれない。

ふたりは土地の人で無いことは一目で判っていた、どうも母親と娘の
ようであった。
ふたりともすらりと背が高くて、綺麗なひとであった、母親のほうは
年恰好70歳まえであろうか、長年着慣れたであろうセンスの良い
登山服とトレッキングシューズにハンチング帽子の上品そうなひとであった

一方娘のほうはまだ40にはなっていないのではないか想われたが、顔立ちの
きりっとしたひとであった、一目で綺麗なひとであった。
これまた登山服とトレッキングシューズ姿であったが、まだ何回も着てない
のだろう真新しい感じだが、センスの良さは母親譲りであろうか、つばの広い
帽子が似合っていた。ザックは赤い可愛らしいのを背負っていた。

わたしはあまり接近して驚かしてもいけないと思いわざとらしく咳払いを
すると、ふたりは近づきながら直ぐにわたしを認めて少し驚いた様子であったが
母親の方が微笑みながら軽く会釈をした、わたしも挨拶をしてから

「いまからまだ奥の方へ行かれるのですか」と声をかけると
「はあ、もうすこし上の方まで歩いてみましょうと娘と一緒に来たのですよ
お天気が良いので気持ちがよろしゅうございますものね」
母親は屈託のない笑顔になって答えてくれた。
「ほんとに今日はお天気がよろしいから散歩にはいいですね、気をつけて
行っていらっしゃいませな」と云って歩き出した。

しばらく降りてから、あれ、奥のほうは行き止まりになっていたのだが
あの人たちは知っているのだろうか、しまった、お知らせすれば良かった
のにと今ごろ気づいたがどうしようもないことであった。
まあ日暮れにはまだ大分時間もあることだし、あの格好では山なれた親子
であろうと少し安心もした。

わたしは心地よい疲労感を覚えながら麓近くまで降りてきた、遠くに
二三軒の集落が見えてきて、生活の匂いがしてくるとなぜかほっとした。

程なく日当たりのよいちょっとした斜面に福寿草の花が綺麗に咲き誇って
いるところで一休みをしてお茶で喉を潤した。















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奥祖谷春点描

2010年03月01日 | Weblog
三月になった、降り続いた暖かい雨は木の芽起こしなるだろう
かなんとなく春めいて土地の人たちも畑仕事も捗りだした
先月のとある天気の良い日にわたしは何時ものようにぶらっと
散歩にでかけたがしばらく歩いて横道に逸れてみようと右のほうに
曲がったが山道はだんだん細くなって落ち葉が出始めたが気の向く
ままにと深く考えたわけではなかった。

青空にすっかり春らしくなった山がさも背伸びをしているかのように
深呼吸をしていたが、山頂から裾野にかけて木々が芽吹きの準備を
しているのであろう、淡い色彩を散りばめて印象的な風景であった。

わたしは山道の落ち葉を嘖々と踏みしめながら、構わず奥へ奥へと
いつの間にか来ていた。
なんとも暖かい陽射しはここち良いものだと暢気にかまえて歩いて
いると、突然に道が途切れてしまった。

周囲を見ると眼下に黒々とした民家らしきものが見えたが道の端に
佇んでよく観てみると、それはまるで遠い昔からそのままであるように
深い枯れた萱と低木に沈んでいる黒い屋根の廃家であった。

わたしはぼう然と廃家を眺めながら、周辺に降り道はないものかと
探してはみたが、あまりにもカヤが深く覆いかぶさっていて既に
降り口は無かった。

わたしがウロウロしていると、不意に何か聞こえたように思い
周囲を見回したが、人の気配など皆無なところだけに空耳であったかと
思い直していると
「そこのあなた、そうあなたですよ、さっきからあなたが見ていた
廃家のわたしです、あなたが熱心にわたしを観ているし、滅多に
こんな所に来られるお方も居ませんので、つい、お声をかけて
しまいました、驚かせて申し訳ありません。」

わたしは少し驚いたが黙って廃家の声に耳を傾けた
「悲しみと憐れみの情でわたしを見ておられたでしょうが、いまの
わたしはあなたが思っておられるほど不幸ではありませんよ。
そりゃあ、寂しくないと云えば嘘になるかも知れませんが、以前に
この家の家族が居たころ、そう、年寄り夫婦、長男夫婦に三人の子供たちと
みなさん良い人ばかりで、わたしを大事に使ってくれました。

畑仕事に、山菜取りなど賑やかな毎日でほんとに幸せな日々でございました
が、ほどなく、お年寄りが相次いで亡くなりましてからは若い人たちは
子供の教育のことなどもあって、町に下りて行きました。
いたし方のないことでしょう、それでも時折は帰ってきていましたが
お墓を町に下ろしてからは、二度とお帰りにはなりませなんだ。

最初のころはわたしは見棄てられたのだと悲しくなりましたが
それも一時のことで、時間が経つに従い、一緒に暮らせたころの
幸せな時期が懐かしく思い出されて癒されました。

いまは静かに穏やかな日々を送り、自然に還る日を待ち望んでいます
そのときにはこの世に生まれて人の役にたち、幸せであったと想い
安らかに眠りたいものです。」


わたしは廃家の想いをずっしりと受け止めながら頷いていた
昼下がりであった陽射しは静かに傾きかけて、ひんやりと
し始めた風を頬にうけて、そこを立ち去り家路へと急いだ。














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