秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(タマネギと地神さんと時々わたし)

2020年06月28日 | Weblog
気が付けば私は、古味に嫁さんに行った?彼女の空き家の前の畑の上に立ち
穴が空くくらい、畑をジーーと目視していた。紫色の花を付けたものが、数本のみ。
何の花なのかも?判らない。

無い。無い。タマネギが消えた。

さっきまで、彼女の施設を訪ねて行た。2回目の面会1時間。
本日も正面玄関奥、会議室でのご面会。
「まあ、菜菜美さんよ、2回もきてもろて、スマンスマン」
※回数をキッチリ覚えておられる。

「おばちゃん。足はましになった?」
「ましに、なったわ。ちょっと慣れたんかもわからん」
「お腹は痛くないん?」
「それも、ことはないけん、先生にも言わんと、おるわ」

「気になるところは、先生に何でも言いなよ」
「病院には、かかったんじゃわ。もう何回も行ったわ!」
「そうなん。病院に連れて行ってもらったんじゃ!良かったなあー。東祖谷のクリニック?西祖谷のクリニック?」

そう聞くと、おばちゃんは首を横に振りながら、人差し指を天井に向けて、
「ううん、上よ、上」
「あー。往診。往診は、有難いよなあ」
と笑うと、ニコニコして、頷いた。

「あのの、タマネギ返されたんじゃわ、○○さんにあげたの、オラはいらんけん
オラはニンニクだけでええわって、返されたきんの、畑のタマネギ、どうぞせな、もったいないわのー」
「おばちゃん、タマネギ、どれくらい植えたん?」

「300植えたわ、去年は200だったけど、今年は300植えたわー。ここに来るや、思てもなかったけんのー」
「300!!」
「それは、凄い数じゃなあー!」

「タマネギも、気になるし、墓も気になるし、夏服もないし、夏服は家に置いとるきんのー」
おばちゃんは、訴える時には、ジーと目を見て話す。新しい鎌が欲しい時も、こんな感じだった。
「夏服と墓掃除は、私も一緒に出来るけど、タマネギは私は一人では無理じゃよー」
そう言うと、ウンウンと、頷いている。

「おばちゃんの身体は、3ヶ月前みたいには、畑仕事出来んと思うよ。
それにタマネギ掘って、寝込んだら、そっちのほうが、心配じゃよー」
やっぱり、ウンウンと頷く。
「菜菜美さんも、タマネギいるか?」
と聞かれて、ウンウンと私も頷く。

高知の従姉妹に、おばちゃんの声を聞かせたくて、電話する。
おばちゃんは、スマホの画面に頬っぺたを思い切りくっつけて、話す。

「まあ、カヨちゃんか、今日は菜菜美さんに、2回も来てもろて、ありがとうゴザイマス。スマンの、元気にしよるか」
一生懸命に話しながら、おばちゃんは、涙を浮かべている。
つられて私も、本日も泣きそうになる。私達の涙は、誰を相手に、何を相手に、流しているんだ。

『泣くのは、ニンゲンだから
泣けるのは、ココロが生きているから』
by 菜菜美

で、施設を出て、その足で彼女の畑に来て、タマネギの確認をする。
タマネギ収穫プロジェクトチームを、どうにかする前に、現場を、把握しておくのだっ!

で、無い!無い!タマネギー、おばちゃんが最後に作ったタマネギを、盗んだのは、猿か!日本猿か!
ええい!人間か!許さん!おばちゃんの最後の農作物を!どこのどいつじゃー!

とりあえず、この悲しい現実をおばちゃんに伝える前に、おばちゃんのお世話をして下さっていた
まーちゃんにお電話をした。
「おばちゃんって、タマネギ植えた?タマネギ、無いんよー」
「植えたよー、苗は私があげたけんー。ちゃんと植えとったよー」
斯く斯く然然、で、明日、畑を見に行くわと言ってくれた。

直ぐに、高知の従姉妹に電話して、このやるせ無い現実を、伝える。
空き家になったと同時に、畑ドロボウなんて、許せない!同じ人間か。
おばちゃんの領域を汚した、不届き者!地神さんが、化けて出るぞよ!


明くる日。
まーちゃんから、メールが届いていた。


『 タマネギ、つるは無くなっていましたが、
タマネギの頭は、土の中にありました 』

夕方、二人で電話で、大笑い。
紫色の花は、ニンニクの花でございました。

地神さん、
わたしは、農業が出来ません。
そんな、わたしは、
お馬鹿な勘違い、思い込み女でございます。
ウンウンと、地神さんは頷いた。

         
          草草



























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初夏の光合成に樹林たちは生き生きとして

2020年06月26日 | Weblog
青汁が滴り落ちるような空気感に身体ごと包まれ、しずかに
登山道をゆっくりと歩いて自然の恵みを吸い込んでゆく

もう、小さな春の可憐な花たちは何処へ旅しているのか
跡形もない、いのちのはかなさを思いつつ、初夏の木々の花たちに
目を奪われて、いかにも、移ろいゆく世相も、また、はかないものだ

遠くのほうに動いては止まる動物の姿をかすかに捉えてみれば野うさぎ
痩せて筋肉質のような、精悍そのものであった





































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菜菜子の気ままにエッセイ(梅雨の隙間の独り言)

2020年06月17日 | Weblog
あれは4月の終わり頃。
自粛真っ只中の、休業中のそ○道場の前で、一台の観光客の車が、停まっていた。
暫くして、諦めて発進する。

そんな光景を、数回見た。
それを見る度に、気の毒になった。時刻はお昼過ぎ。
奥祖谷に向けて、発進していたが、その先にもあの時には、食事の出来る場所はなかった。

あれは25年以上も前の話。(※以前に書いた話なら?ゴメンなさいね)

単車に乗ったある老人が、バイクに乗った若者二人に、道を聞かれた。
「すみません、ずっと食堂を探しているんですが、どこに行ったら、ありますか?」
老人は、日曜日だからどこも営業していないことを伝えた。当時は食事の出来る場所も少なかった。

若者二人は、辛そうな顔になり、それを見た老人は気の毒になり、言った。
「なんでも良かったら、ワシの後ろに付いてきない!ワシの家で、有るものを食べたらええわー」
老人はそう言うと、若者のオートバイの前を50C Cのカブで、先頭に走った。

向かった先は、1キロ先の自宅。
奥さんは、(ただ今ー」と言って帰った旦那さんの後ろに、見知らぬ若者が二人、立っていたからビックリした。
が、旦那さんが
「なんでもええけん、作って食べさせてあげてくれー、このひと達は、腹が減っとんじゃ」

このご主人。超生真面目でお人好しだったが、奥さんもお人好し。そして、社交的。
奥さんは、すぐにお汁を炊いて、玉子を焼いて、昨夜の残り物のおかずを温めた。

当時、その話を奥さんに伺った時に、その若者達の昼ご飯は、生涯で忘れられない思い出の
一食になったのではないかと思った。祖谷の人独特の、お接待人情話である。
だから、休業している店の前で、諦めて発進した観光客を見る度に、少し胸が痛かった。

私は、無駄に料理が、好きであります。
料理を振る舞うのが、好きであります。
これは、父の遺伝子から継がれたものだと思います。
奥さまの焼いた玉子焼きで、ふと思い出しました。

主人のお弁当に毎日、必ず玉子焼きを容れていた時に、主人が言いました。
「玉子焼き食べるのは飽きたけど、焼くのは飽きんのか?」と。

そして、主人は言いました。
「食べてマズかったと言う人はおらんけん、気をつけえよ!」
それを言われてから、かなり気をつけるようになりましたが、万人に悦ばれる料理を作るのは、不可能です。

「みんな、ずっと嫁さんの味に飼い慣らされて、それが一番美味しいって思うんだと思う」
と、ある方が申しておりました。
日本には外食産業が、こんなにも溢れていたんですねー。
お金を頂いて、味を提供する。満足を提供する。

そば米とひらら焼き。
祖谷の豆腐に、コンニャク。
祖谷ソバ。アメゴの塩焼き。
時々、土佐のかつお。

美味しい食材が、近くにある幸福感。
高知のひ○め市場みたいに、オーナーさん達が、一箇所に集まって
「あるもんで、食べんかえ」を改め、
「あるもんで市場」みたいな場所が有れば、ちょっと面白いかも?なんて想像してみる。

美味しいものを食べる為なら、ドライブを兼ねて車で1時間、2時間なんて、苦にはならない時代だ。
高知の従姉妹が、ポツリと言った。
「コロナを忘れた生活がしたい」

少しずつ、戻っていく社会の姿は、
随分様変わりして、ちょっと堅苦しくて、何処に向かって行くのだろうか。
誰もが感じている不安は、誰もが認めたくない、現実の未来。

非日常的な休日。
今年も、草を刈る。
青草は、今年も真っ直ぐに育ち、
地面を覆いつくす。

草と草の隙間で、小さな虫が行き交い、モンシロチョウがヒラリヒラリ、ヒメジョオンの花が、風に舞う。
大きな風が、カヤの葉先を揺らす。
杉木立の中で、鳥の囀りが染みる。

動かない時間。深呼吸。
この瞬間が、やっぱり一番。
大音量の世界の片隅の、点にも成らない地図の小さな小さな場所で、
そっと、静かに、私は 呟く。

「コロナよ たいがいで ええぞ……」
        
            草草







































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山里の地味な樹木にも花たちは秘かに咲きて

2020年06月11日 | Weblog
梅雨時に入り、かすかな晴れ間、いつもの山里を歩けば、ありふれた景色にも
植物たちの生き生きとした気色にさわやかな空気感が身体いっぱいに染みて

歩きそのものをうれしくたのしみにしてくれる、自然に浸ることが生きていくために
いかに必要なものであるかを、実感させてくれるオアシスである

感染症に脅かされる社会のなかに右往左往しながら明日を思いやる身であれば
すこしでも、心の余裕を持つには山里の自然に触れ、人生の旅の綾を感じていたいもの

山里の普段に見慣れた樹木にも華やかでは無い、地味ではあるが、確固とした生命の
息吹をいっぱいに、ひそかな花たちを咲かせる健気さに感銘してしまうものだ






































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初夏の山 深く彷徨い自然に還りたくて

2020年06月05日 | Weblog
みどり深く濃くなり、樹木が泡立つように、、コロコロと笑い出すなかを
啄木鳥のドラミングが溶けて木霊して身体を擦り抜けどこかに転がった

小鳥のおしゃべりに心地よいこころを委ねて、あっちにころり、こっちにゆらり
夢遊病者のひとになり樹林の登山道に脚を捕られながら光合成の空気を喰らう

動物のごときに感覚を取り戻そうにも、すでにその能力を失った人間には術も無い
悲しい性を引き釣り、ただただ自然のなかを彷徨うばかりとは、、、、、、、、、

きょうもまた、自然に還ろうと空しい時間を費やして人生の終着駅に近づいて行くばかりか

























































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自然のなかに日々彷徨う身体を維持することの難しさ

2020年06月01日 | Weblog
生身という自然の一部を持っている自分であれば、人生の旅路で年とともに
身体の調子の良いときと悪いときが周期的に訪れることは仕方ないことなのだろう。

このところの調子はだんだんと、悪いときが度々訪れて何とも情けないやら
諦めにも似た思いに至るのだから、何か山のなかにひとり佇む老木に例えて寂しい

去年の11月に突然のように、左腕の腱板が肩から断絶して痛くて慌てたが、
何とか自在に動かせるので、手術することなくて、ほっとした、矢先に

今年3月に右の小鼻の腫瘍が腫れて、結果、悪性腫瘍と判り手術で削除したが
小鼻が変形してしまった、

いまはコロナ災いでマスクをせねばならないから、直接人様に見られるわけでもないから助かっている、
もう一度再建手術をこの秋以降にする予定なので、上手く整えられれば
多少は見られやすくなるかもしれないと期待している

そんなわけで、山歩きらしい、山歩きも出来ずに何ヶ月も過ぎて行き、筋力に身体の調子に、不安の毎日を過している、
日に日に瀬戸風峠、近郊の里山などを歩いてはいるものの、調子を崩しては休むことも
多くなり、生身を維持するのはなかなか大変な日々である















































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