祖谷山に、今年も師走がやってきました。お爺さんお婆さんは、今年も健在です。
お爺さんは、囲炉裏の中の灰を、灰かき棒で混ぜながら、掃除をしておりました。
お婆さんは、小さな段ボールを2つ並べて、荷造りをしておりました。
『ジョージとヒデオに送る荷、しよんこ?』
「そうよの、蕎麦と餅と、こんにゃくじゃわ」
『今年はだれっちゃあ、もどらんのじゃのぅ』そう、言いながら、お爺さんは、
首に巻いた手拭いで、囲炉裏の縁を拭いておりました。
「爺さんよ、そんがにして、手ぬぐいでどこでも拭くけん
雑巾やら手ぬぐいやら、わからんようになるんじゃわ、
まっこと洗うしのことも、ちったあ、考えろよ」
『婆さんよ、婆さんは洗いよらんわの、洗いよんのは、洗濯機じゃわ!
婆さんは干しよるだけじゃわの』
「まっこと、こにくちげえに言う、じさまじゃの、いまに、わたしが、
おらんようになったら、わたしの有り難みわかるんじゃわ!蕎麦も餅も食えんようになるぞよ」
『なんちゃあ、食えるわの、婆さんが作らんでも、オラは祖谷八景の若い衆にもらえるわの』
お爺さんは、掃除をした囲炉裏の置いたアミで、ジャガイモを焼いておりました。
網の上に吊ってある自在は、すっかりと煤を被り、歪な形になっておりました。
「爺さんよ、ジョージがいよったぞよ、村におるきんって油断したらいかんぞって、
こんどの流行りのウユルスは、キツいっていよったぞよ」
『婆さんよ、ウイルスじゃわ。ウユルスじゃあないぞ』
「まっこと、そんがなことは、すぐにシャンシャン言うの、
ひとのヒジひらいばっかりして、ここの古い婆さんと一緒じゃの」
『婆さんは、わがで好いて来たんじゃきん、しよないわの、
オラは畑してくれるしなら、誰でも良かったんぞ』
「好いてきたんじゃないわ、食い扶持が一人でもおらんようになったら、
親が楽になるとおもて、ここに来たんじゃわ。70年も爺さんと、つろこって、わたしは難儀したわ」
『婆さんよ、婆さんはそんがに言うけんど、ジョージの娘がいよったぞ、
じいちゃんとばあちゃんがおったけん、お父さんが生まれて、わたしが生まれたけん、
じいちゃんありがとうって、おらはそれ聞いて、まっこと涙でたんぞ、孫は可愛げえなぞ。
顔見たら、小遣いわたすきん、銭は、なしんなるけど、
オラは小遣いやるけんど、婆さんはなんちゃあやらん。婆さんは、いよいよの、けちじゃの』
「わたしは、ケチじゃないぞよ、爺さんみたいに、よその子供見ても、
すぐに小遣い渡しよったら、銭おおとっても足らんわ。
葬式代あてごうとかな、ジョージやヒデオに迷惑かけるきん、始末するんじゃわ。
病院代はいるし、クスリもいるし、右見ても、左見ても、銭のいることばっかりじゃわ。
わたしらみたいな年寄りの先の見えとるもんに、高いクスリやは、いらんわ。
若いしらが、ちっとは、面白いとおもて生きとかな孫やは、酷いわ。
わたしは、いそげえな、クダにつながれてまで、生きときとうはないわ、
むかしはそんつらんもんはなかったわ、寿命じゃいうて、みなで、きれいに泣いて別れたわの」
お婆さんは、そう言うと、荷物を十文字に縛りました。
お婆さんは、荷物を二つ作り終えました。
「やんがて、郵便の栗本のあにさんが、取りにきてくれるわ。
有難いことよ。あにさんには、芋焼いとるけん、今日の駄賃じゃ」
お爺さんは、焼いた芋の皮の焦げを、手ぬぐいで拭いておりました。
降り積もっていた雪も、次第にお日様が溶かしておりました。
祖谷山の師走は、ゆっくりと流れておりました。
草草
未来を想像して 未来に希望を持ち
自分自身を追い込む程の
努力は辞めよう
歴史から消された事実
報道に操られる現実
更に 国民が支配される現実
大切なことは 手を伸ばした空間で
自分が 楽しいと思える時間
自分の時間は こころは
誰にも支配されない
全ての答は 昭和に在る
あのモノクロの時代に 輝いていた
幾つもの人々の時間と 温もり
もんてきたかえ の声と共に。
かしこ
お爺さんは、囲炉裏の中の灰を、灰かき棒で混ぜながら、掃除をしておりました。
お婆さんは、小さな段ボールを2つ並べて、荷造りをしておりました。
『ジョージとヒデオに送る荷、しよんこ?』
「そうよの、蕎麦と餅と、こんにゃくじゃわ」
『今年はだれっちゃあ、もどらんのじゃのぅ』そう、言いながら、お爺さんは、
首に巻いた手拭いで、囲炉裏の縁を拭いておりました。
「爺さんよ、そんがにして、手ぬぐいでどこでも拭くけん
雑巾やら手ぬぐいやら、わからんようになるんじゃわ、
まっこと洗うしのことも、ちったあ、考えろよ」
『婆さんよ、婆さんは洗いよらんわの、洗いよんのは、洗濯機じゃわ!
婆さんは干しよるだけじゃわの』
「まっこと、こにくちげえに言う、じさまじゃの、いまに、わたしが、
おらんようになったら、わたしの有り難みわかるんじゃわ!蕎麦も餅も食えんようになるぞよ」
『なんちゃあ、食えるわの、婆さんが作らんでも、オラは祖谷八景の若い衆にもらえるわの』
お爺さんは、掃除をした囲炉裏の置いたアミで、ジャガイモを焼いておりました。
網の上に吊ってある自在は、すっかりと煤を被り、歪な形になっておりました。
「爺さんよ、ジョージがいよったぞよ、村におるきんって油断したらいかんぞって、
こんどの流行りのウユルスは、キツいっていよったぞよ」
『婆さんよ、ウイルスじゃわ。ウユルスじゃあないぞ』
「まっこと、そんがなことは、すぐにシャンシャン言うの、
ひとのヒジひらいばっかりして、ここの古い婆さんと一緒じゃの」
『婆さんは、わがで好いて来たんじゃきん、しよないわの、
オラは畑してくれるしなら、誰でも良かったんぞ』
「好いてきたんじゃないわ、食い扶持が一人でもおらんようになったら、
親が楽になるとおもて、ここに来たんじゃわ。70年も爺さんと、つろこって、わたしは難儀したわ」
『婆さんよ、婆さんはそんがに言うけんど、ジョージの娘がいよったぞ、
じいちゃんとばあちゃんがおったけん、お父さんが生まれて、わたしが生まれたけん、
じいちゃんありがとうって、おらはそれ聞いて、まっこと涙でたんぞ、孫は可愛げえなぞ。
顔見たら、小遣いわたすきん、銭は、なしんなるけど、
オラは小遣いやるけんど、婆さんはなんちゃあやらん。婆さんは、いよいよの、けちじゃの』
「わたしは、ケチじゃないぞよ、爺さんみたいに、よその子供見ても、
すぐに小遣い渡しよったら、銭おおとっても足らんわ。
葬式代あてごうとかな、ジョージやヒデオに迷惑かけるきん、始末するんじゃわ。
病院代はいるし、クスリもいるし、右見ても、左見ても、銭のいることばっかりじゃわ。
わたしらみたいな年寄りの先の見えとるもんに、高いクスリやは、いらんわ。
若いしらが、ちっとは、面白いとおもて生きとかな孫やは、酷いわ。
わたしは、いそげえな、クダにつながれてまで、生きときとうはないわ、
むかしはそんつらんもんはなかったわ、寿命じゃいうて、みなで、きれいに泣いて別れたわの」
お婆さんは、そう言うと、荷物を十文字に縛りました。
お婆さんは、荷物を二つ作り終えました。
「やんがて、郵便の栗本のあにさんが、取りにきてくれるわ。
有難いことよ。あにさんには、芋焼いとるけん、今日の駄賃じゃ」
お爺さんは、焼いた芋の皮の焦げを、手ぬぐいで拭いておりました。
降り積もっていた雪も、次第にお日様が溶かしておりました。
祖谷山の師走は、ゆっくりと流れておりました。
草草
未来を想像して 未来に希望を持ち
自分自身を追い込む程の
努力は辞めよう
歴史から消された事実
報道に操られる現実
更に 国民が支配される現実
大切なことは 手を伸ばした空間で
自分が 楽しいと思える時間
自分の時間は こころは
誰にも支配されない
全ての答は 昭和に在る
あのモノクロの時代に 輝いていた
幾つもの人々の時間と 温もり
もんてきたかえ の声と共に。
かしこ