秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

暮らしの山里 初夏 風景は悉く夏の姿になりつつあり

2014年05月27日 | Weblog


山里は新緑が濃くなり、花々も初夏の初々しさから逞しい木の花と
移り変わりて、ことごとく夏の姿になりつつあるこのごろだが
東祖谷もなにかと、流行り廃りの物珍しい風物もある

このところ、久保集落から菅生にかけて流行っているものがあって
幹線道路や林道を走っていると目に入る風物、ありゃあ、なんだこりゃあ!
1m近くあるオレンジ色に黒の縞模様の動物らしきものが畑に居るのである
よくよく見ると獰猛な虎が居るのである、どうも、東祖谷ではお年寄りが
動物の虎を飼うのが流行っているらしいのである

また、どうしてなのだろうと訝りながら、久保林道を最上部に上がり
T老婦のところへ何時もの挨拶に訪ねると、なんと、畑に2匹も虎が
座っているではないか
「おばちゃん、虎が2匹もいるで、飼ったんかいな
また、なんで、虎、飼ったんや?餌代がようけいるだろ」

「まあ、よう来たのうや、ああ、畑の虎かえ、、ありゃあ鹿除けじゃわ
畑に虎を走らせときゃあ、鹿も寄り付かんで、鹿除けにちょうどええわな
餌代はいらんぞえ、ビニールを膨らましたやつじゃけんのうえ」

「だけんど、また2匹とはぎょうさんじゃわな」
「そうも思うたけんど、1っぴきじゃあ、ようけな鹿に負けるでな
それで2匹にしたわな、下の毘沙門天さんとこのTさんとこなんか
4匹飼うとるでのうや、たいしたもんよ」

「まあ、しかし、おばちゃんも物好きやなあ、だけんど、誰が鹿除けに
虎の風船が利くいうたんよ」
「わたしゃ、よう知らんけど、毘沙門天さんに用があっての、その時に
Tさんから聞いたんじゃわ、そんなもんかいなと思うてTさんに
頼んだんよ、そしたら、間なしに飼ってきてくれたわ」

「で、これ、なんぼしたん、高かったろ」
「隣のにいちゃんは、あれは高いぞ、1万円はするわなと云っていたがの
なんのことない、一匹600円あまりよ、隣のにいちゃんも何云うやら」

「来たけんの、畑にどう、取り付けようかと思いよったところに
ちょうど、娘婿がやってきたの、ほな、ぼくが取り付けようわいと
云って、竹ざおに虎を吊るしての、道の横に立てて、帰ったんじゃわ
そしたら、4,5日後に徳島の息子が帰ってきて云うにはのう

「おかあちゃん、こりゃあ、いかん、鹿除けにはならんわ、虎登りじゃあ
あかんわ、虎は畑を走らせにゃあ、鹿除けにならん」
云うて、畑に10mほどのロープを張って、虎の張子にわっかをつけて
風が吹くとロープの間を首を振りながら走るようにしてくれたんよ
まっこと、風が吹くとよう走るわ、
息子も虎登りとはよう云うた、鯉のぼりじゃあないけんのう、たしかに
虎は下を走る動物じゃけんのう、天に登ったんでは鹿を追っかけられんでの、虎登りではのうえ」

なるほど、居るあいだにも風が吹くと首をふりふりして走って威嚇して
いたのには、驚くやら、あきれるやらであった
しかし、東祖谷でこの虎の張子で鹿除けを思いつき流行らせたのは誰なのか
まだ、調査の途中で判らない、また、実際利くものかも不明である





















































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暮らしの山里 初夏 花の美しき故に

2014年05月25日 | Weblog

雑感



徒然草

「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、
夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。
木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。

迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序甚だ速し。生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。
四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。」


春が終わって夏になり、夏が終わって秋になるのではない。春はある時期から夏の準備を作り出し、
夏には秋の空気が混ざって秋の準備を作り出す。生物は生長を続けていくが、ある時期が来ると
死の準備も続けていくものだ。季節の移ろいには順序がある

人が年老い、病気になり、死んでいく移ろいは、順序を待ってくれない。
死は向こうから来るものと、思っているが、そうではない。実は背後からやってくるの
人は誰でも自分が死ぬ事を知っている、が、あまり切実に考えない。
沖の浅瀬が、潮で満ちてくるものと眺めているが、潮は磯のほうから満ちるものだ。

徒然草にはこの思想が基盤になっているのではあるまいか、そうでなければ徒然草に
漂う世の無常の想いがあれほど色濃く反映されることはなかったであろう

生が成長していく過程で、ある時期が来れば生のなかに死の準備が成長していくもの
死は生に反したものではない、生の智慧である

世阿弥の風姿花伝に

「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。
いづれの花か散らで残るべき。散るゆえによりて、咲く頃あればめづらしきなり。」

世阿弥は世の無常を秘めた諸々のものを前向きに捉えようとした
散る花には、どこかに哀しみが秘められている、花は散るからこそ
次に咲いたときに美しさを感じる 、無限の美に高めようとした

白州正子は世阿弥のこころを継承しながら、生あるものの宿命として死の成長を内在して
ともに成長して最後に生を死が見届ける、この冷徹とした死の役目は生に反したものではないことを
索漠のこころと云い得たものであろう
索漠のこころを受け容れて、むしろ、索漠を楽しむ境地に至り、日本古来の美を
味わおうとしたのであろう









































こんな風に考えて暮していると近頃の世の激変をどう思うかと云われても返答に困ってしまう
あれやこれやと思索してみたところで、ちぐはぐである
「つまらん、つまらん」と云いながら何か面白いものはないかと探してみたくなるものだ
現代の世界不安とやらいう代物に面白いものはないかと不謹慎にも考えてみるとあったのである

朝日新聞の5月25日ニュース配信に

「脱原発」意見、9割超 エネ計画のパブリックコメント
エネルギー基本計画に対する意見にみる原発への賛否という見出しに始まる文章に

「安倍内閣が4月に閣議決定したエネルギー基本計画をつくる際、国民に意見を募った
「パブリックコメント」で、脱原発を求める意見が9割を超えていた可能性があることがわかった。
朝日新聞が経済産業省に情報公開を求め、開示された分について原発への賛否を集計した。
経産省は、そうした意見をほとんど反映しないまま、基本計画で原発を「重要なベースロード電源」と
位置づけた。

経産省が昨年12月6日に示した基本計画の原案に対し、対象の1カ月間にメールやファクスなどで
約1万9千件の意見が集まった。経産省は2月に代表的な意見を発表したが、原発への賛否は
集計しなかった。

朝日新聞はすべての意見の公開を求め、経産省は、個人情報保護のために名前を消す作業が終わった
2109件分のメール(2301ページ)を開示した。
受け付け順で開示したとしており、残りの開示の可否は9月までに決めるという。」朝日新聞社


これは充分に不安時代の面白現象ではないか、暢気にすべての意見をパフォーマンスにしてしまう
面白いと言わす充分な力がありそうだ、面白いものにぜいたくになった現代はこのようなとっぴな
面白さを為政者は作ってくれるものだ、不安が無ければ不安を発明してくれる



















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暮らしの山里 初夏 新緑と花の美しき故に

2014年05月20日 | Weblog

雑感

祖谷で暮らしているお年寄りたちは先祖代々非常に厳しい自然に向き合いながら
なんとか、折り合いを付けて生きてきている、それはぼくらがちょっと来て上辺ばかりの
自然や山歩きをして知ったかぶりをして町に帰っていくのとは大違いであって、ぼくらが
いくら足掻いても体験出来ないものである、祖谷のお年寄りには適わないし、こころ揺さぶられる
思いがして、自然と頭が下がるのである

自分の身体を動かして、生物としての体験、暮らしの生活が索漠としてと続いている
生活の糧を作る、育てる、収穫する、獲物を獲り捌くといった体験を通して暮らしを
成り立たしている
その体験をすることに付随してくるものはそれぞれのその体験の感情であり感性であり
情緒のようなものが自分の中に蓄えられる
それらは、日々の暮らしの随所に智慧として活かされて、自然、山、草木、花々に謙虚に
接することになるのであろう


生物として本来持っている身体を動かして生きていく体験をいまのぼくらは失ってしまった
その顕著なものが、食料である、ぼくらは、食べ物をお金と交換してスーパーやお店で買ってきて
生活しているわけでそこには食べるという体験しか出来ないわけである

生物としての身体を動かして生活を積み立てていく、作る、育てる、収穫する、獲物を獲り捌くという体験が
欠落してしまっているわけで、この体験を失ってしまうと、それに付随する感情も感性も欠落してしまう
付随する感情、感性をなくなると自然に対する感情、感性、情緒などが鈍くなったり、忘れたりして
判らなくなり、自然への対応さえ拙いものになってしまうのではないだろうか


西山集落のあるお年寄りから、持ち山の花が10年ほど前までは広い面積で咲き誇っていたが
登山道で無い私の山から勝手に気ままに登る人たちが出てきてそのうち多くなり山は荒れるし
花を見つけては写真を撮るために踏みつけたり、また盗掘したりで次第に少なくなった
このままだと無くなってしまう、代々守ってきた花が自分の代で無くなるのは残念だ
みなさんの手を借りて守っていきたい。

ということで、西山林道沿いの個人の持ち山を立入禁止の看板を2011年秋に設置した
また、昨年4月に花の周囲に柵の設置をした、設置後一年経つ今年4月に点検して柵のロープが
緩んだり、倒木により柵が倒れるなど傷みが出ていたので補修をしたが、そのなかでもロープを
ナイフなどで悪意を持って切り裂いたものがあった、明らかに敵意を持った犯罪であるといえる
今後もこのような行為が続くようであれば、その筋に届け出ることになろう
このような行為をするひとがぼくら山歩きのなかに居ることは悲しいことである
山歩きにはその人の「品格」が出やすい、せめて、「品格」のある山歩きを心がけたいものである























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初夏 祖谷八景新緑の森と山野草の遊歩道に忽然 ハート村

2014年05月07日 | Weblog


盛り上がる新緑、控えめに薄っすらと透き通る新緑の自然林に遊歩道を整備した

山野草の小径をゆっくりと観賞しながら歩くと前方が開けてきて対岸の集落が

目に飛び込んできた

栗枝渡集落である、山の斜面に点々として民家が立っている、が集落の周囲を杉などの

木々が囲んでいる

その形が良く見るとハート型になっているのである、長い年月のあいだに自然に

なったのであろうと思われる、誰とはなしに、ハート村と呼ばれるようになったのだろう

栗枝渡集落は東祖谷でも歴史ある古い集落として一見の価値はある、というのも屋島の合戦で

敗れた平家の武将たちが、幼い安徳帝をお守りして、祖谷に逃れて、再興を願ったが、武運拙く

安徳帝が栗枝渡の御地で崩御されて、栗枝渡八幡神社におまつりされた

そのお社がハート型の要に鎮座されている

幼帝であられたが、帝は聡明にして情け深くあられて、広く世の平安を望まれていたので

その願いに肖り、この展望所から、恋の成就、家内安泰、世の平和を祈願したのである

展望を望まれる方は祖谷八景に立ち寄り許しを得て、新緑や山野草を愛でながらこころ清らかに

暫らく歩くと展望所に着くことだろう、忽然とハート村が現れてくる





















農家民宿 祖谷八景の古民家全景 古民家、囲炉裏の雰囲気を独り占めする一軒丸ごと借り切り宿泊出来て
素泊まり¥2500 食事つきを希望は夕食、朝食の2食(郷土料理、家庭料理など可)¥2000






















食材を持ち込みわが自炊の料理で一杯やっています

































































































祖谷八景所有地の自然林の広大な森と山野草の遊歩道を観賞しながら歩けば開けた展望所に対岸の集落
栗枝渡が自然の造形を作りハート型の集落となる、名付けてハート村と称する
ハートの要には平家の武将に守られて屋島の合戦から落ち延びた幼き安徳帝を祀る栗枝渡八幡神社の
鬱蒼とした森が見える、この社に恋の成就、家内安全、世の平和を祈願す

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜菜子の気ままにエッセイ(花札とヴヴヴとデイと金魚鉢)

2014年05月02日 | Weblog
叔母さん(ヴヴヴ星人)に、元気になってもらいたくて、
花札を購入して、高知の従姉妹のもとを、訪ねた。
その朝 叔母さんは娘にこう、聞いたそうだ
『じいさんはまだ、死んで、なかろう?まだいきとろが?』

ここで言うじいさんとは、叔母さんの父親であり、生きているとしたら、百二十歳位になる。
そんな バナナ…

…で
『叔母やーん、今日は一緒に花札しようや~買って来たよ~♪』

「おお~花か~こうてきたんか~ほんなら、ちょっとしてみよかのうや~」

従姉妹が覗き込んで、笑いながら、言った。
『母ちゃんや、自分の親の死んどるのさえ、忘れとんのに、なんで花札、出来るわけないわ~
もう三年は、花札触ってなかろう~』

初夏の陽射しが
カーテン越しに、届いてくる
子供たちは 公園に遊びにでかけ、
静かな 午後の部屋
金魚鉢の金魚が、餌を求めて、上に上に口を開けて 浮かんでくる

叔母さんと 向かい合わせに 座り込む。
ワタシが花札を配る

「菜菜子が先にひくよ~叔母やんはあとからな~」

『あとからか~』

叔母さんは、自分の札を じっと見ながら、
『なんちゃあ、ええのないわいや~カスばっかりじゃわ~』

菜菜子の札は
桜に松に百文のオンパレード
叔母さん、手元の札を出し、慌てて言った

『むくのは、ないぞ、むくのどこぞ?』

本日のエッセイは、祖谷の花札愛好会の皆様には、判るだろうけど
都会の方々には、ちょっと伝わらないかも?

……
で 早い話
茶色のじゅうたんの上に 花札を並べていたから、叔母さんに、じゅうたんの色と花札の区別がついて
いなかったんだ。

花札の説明書の紙をしいて、その上に、花札を置いた

……
……
ひたすら 花札をする
ワタシとヴヴヴ

ワタシは行儀が悪い。
最初は正座で きちんと 花札をやっていても、熱が入って来たら、めちゃくちゃ 途中から
どこかのオッサンが 憑依してきて、
あぐらを かいてしまう

そして
花札をしながら、
またまた、歌の好きな別のオッサンが憑依して来て、ワタシは歌ったことのない歌を、唄いだしてしまう

サクラ~サクラは~百モン持ってます~食ってサクラシ はいちゃんちゃん~♪

アメさん 来いよ~
かすで 百文 おお~ザンザン~♪

坊さん 来てね
むいたら 来てね
よっしゃ 来た来た!
あんたは エライ♪

松は松でも
百文松よ~♪
たんざくチョチョっとおお~ブラボー♪

ヴヴヴ星人は
花札の数もきちんと計算していた

早い話が
パーフェクトに、覚えていた

両親、夫、その他の方々の亡くなったことは、忘れているのに、
夏に雪は、まだ降りよるか~と聞いてくるのに…
花札は完全に忘れていないっ!!!
めちゃくちゃ 生き生きとした顔で、やっていた

ワタシは帰り際
『また花札しような~また遊びにくるきんな~明日はデイサービスにいきないよ~
ちゃんと行って、お風呂入って来なよ~』

「デイサービスか~たいそいのうや~」
『行かな、いかんよ』「へっへっ」とヴヴヴは笑っていた

そして
夜、祖谷に帰ったワタシに 従姉妹から、電話が かかった

『母ちゃんよ、あれから夜、ベッドでパジャマから服に着替えて、デイの迎えはまだこんのかっていうがで~!
母ちゃん、デイサービスは明日だろ~今は晩の寝る時間、はようパジャマに着替えて、寝なよ~って言うたが~
もう、おぶけるわ~』
季節の感じない 時間の中で 暮らしていると、きっと五感は 衰えていき
存在さえも 解らなくなるのでは ないだろうか…?

祖谷の叔母さんの家まで、車で2時間余り
今の体調では、車での移動は危険に等しい

祖谷に飛行場はない
飛行機は 無理だ

もう一度
連れて帰ってあげたい
あの新緑の山々と
住み慣れた 我が家に

…で 思い出した
叔母さんは、花札のサクラを 最後の最後まで握りしめていて、離さなかった。
ワタシが握りしめていたのも サクラ
ワタシが最後に出したサクラを見て ニヤリと笑った ギャンブラーの顔
ヴヴヴ おそるべし

小学生の私に花札を教えてくれたのも、叔母さん
今、家族以外の人で
私も娘も 1番生きていてほしい 大好きな叔母さん

家が1番だよね
想い出が 染み付いているから
居心地が いいんだよね
染み付いた想い出が、
ココロの囲炉裏で ほわんと 温められるんだよね

ヴヴヴ ガンバレ
従姉妹も ガンバレ
ワタシも ガンバレ
みんな とりあえず
生きていて

草 々






























































































コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする