秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 15  SA-NE著

2018年01月07日 | Weblog


年が明けてから、僕はエンジニアの派遣の仕事に就いた。
「君の実力なら正社員として登用できるよ」と部長から声がかかったけれど
身体が丈夫でないんですと、適当な嘘をついて、ごまかした。

「四国に父親探しに行く目的があるので、会社に縛られたくないのです」なんていったら
周りから頭がオカシイ奴と思われるのが関の山だ。

毎日東京の雑踏の中で暮らしていると、あの四国の山里で過ごした数日間が、どこか非現実的な感じがして
隠している宝物を見るみたいに、あの時撮した風景写真を時々見ている。

宮さんは、若い頃奥さんと四国を旅行中に、祖谷がすっかり気にいって、永住しようと決めて
空き家を購入し改修してあの民宿を30年続けていると言っていた。

美香さんは、徳島市内から一ヶ月に一度、祖谷の施設に入所している母親の見舞いを兼ねて
生家の空き家の管理をしていると、この前話していた。

美香さんから、時々メールが届くようになった。
「森田くん、元気で頑張ってますか?私は今月は、雪が降り続いているとの宮さんからの情報があったので
次回の帰省は2月になりそうです」

「徳島市内なら近い距離ですね。祖谷と陸続きですね、羨ましいです」
と送信したら、すぐに返信が返ってきた。
「私は東京で暮らしている、君が羨ましいです~(笑)」
僕はメールが苦手だ。
どこで終わらせば良いのか、思案してしまう。

美香さんには申し訳なかったけど、
「ちょっと図書館に行きます。また連絡します」
と送信したら、返信はなかった。

僕は学生時代から図書館に通うことが好きだった。
人と話さなくてもいい、静かな場所は、自宅の裏山と図書館位だった。水族館にも時々出掛けた。
クラゲを見ていると、いつまでも飽きなかったし、僕の前世はクラゲだったのではないかと、真剣に思った頃があった。

母さんに話したら、「優柔不断のフワフワ加減は、確かにクラゲかもね」と笑われた。
母さんは、本は持っていなかった。読む時間もなかったんだろうけど、僕が家で読書なんてしていると、何故かとても悦んでいた。
僕の本好きは、父親の遺伝なのかも知れないと、最近思うようになった。

図書館に出かけて、祖谷の関連する本を読んだり、コピーしたり、ネットで祖谷の地元の人が発信しているブログを見つけたりして
祖谷と繋がっていることを実感することが、僕の今の楽しみになっている。

宮さんも美香さんも、エイコノ節を唄ってくれたシゲ爺さんも、僕が祖谷を訪れなければ、出逢うことは出来なかった人達だ。
僕は人見知りなのに、あの人達と話す時は、普通でいられたことが、不思議だった。
数日後、美香さんから、又メールが届いた。

「ハート村の伝説って、ちょっと興味湧かない?」
「ハート村?何ですか祖谷の伝説ですか?」
「もちろん、祖谷の伝説よ、ちょっと2月に一緒に帰らない?」
「了解しました。また後日連絡します」

平家伝説から始まり、祖谷には様々な伝説が遺されている。
ハート村伝説
僕は2月のカレンダーに印を付けた。

コーヒーを飲みながら、母さんに話しかけた。
「ハート村伝説って何?母さんは知っていた?」
遺影の顔は僕に向かって、一喝したみたいだった。
「智志っ、しっかりしなさいっ!」
ガラス窓の外に、チラチラ舞いはじめた粉雪は、祖谷のあの大粒の雪の、子供みたいに見えた。











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