秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 28  SA-NE著

2018年01月23日 | Weblog


昨日、シゲ爺さんは、旧正月のお祝いの宴が終わりかけた時に
座布団に座ったままでテーブルに肘をついて、額に両手を当てたままで亡くなっていたと
美香さんの携帯に今朝知人から連絡が入った。

「お通夜は今夜自宅で営まれて、お葬式は明日町の斎場で身内だけで済ませるそうよ」
美香さんの電話の声は、とても静かだった。

「お通夜だけでも、私と一緒に行かない…」
美香さんに言われて、僕は「お願いします」と返事をした。
宮さんの奥さんが息子のだけどサイズは合う筈だからと、黒のセーターを出してくれた。

「大切な一期一会だから、きちんとお別れしなさいよ。
ポケットにこれを入れて置きなさい」と

葬儀場で見たことのあるお清めの塩を渡された。
迎えに来てくれた美香さんも、黒のセーターを着ていた。
昨日、二人で陽気に車を走らせた同じ道を、今日は黒い服を着て無言で走っている。

日の沈みかけた道は次第に真っ暗になり、やがて車のヘッドライトの照らす場所しか、視界に入らなくなる。
僕は無意識に膝を擦っていた。美香さんが、話し始めた。

「森田くんのその癖…」
「え…」
「その膝を擦る癖って、回避したい衝動に駆られた時に、無意識に出る癖だよね」
「あ…え…と…」
僕は手を止めた。

「答えに詰まった時にも出るよね、同じ癖の人を私、よーく知っているの」
「すみません…母にもよく注意されました…」

「私のね、私の父も同じ癖だったの、母がイライラするから
どうにかして治してって言ったら父はどうしたと思う?」
「どうしたんですか…」

僕は美香さんの横顔をじっと見ていた。正直真っ暗な道を正面から見るのが
恐くて美香さんの横顔や、自分の膝の当たりを見ていた。

「父はね…その膝に当てた両手をね、おへその前で組んだの。可笑しいでしょう~
組んだ両手を少し揺らすから、見ていると余計にイライラしてきて、母も私も諦めたんだけどね」

僕は真似をして、ヘソの前で両手を組んでみた。やっぱり無意識に手がぎこちなく動いていた。
美香さんは僕の手をチラッと見て、大笑いしていた。「美香さん、宮さんにお塩を持たされたんですが
どういう意味があるんですか?」と僕はポケットから、小袋の塩を見せた。

「あ~それね、私も持っているわよ。それはお守りみたいなものね。
昔の人の言い伝えでね、通夜とかお葬式に行くときは、お塩をポケットに入れておくの」
「なんでですか?」

「昔から、通夜とか葬式の途中で気分が悪くなったり、倒れる人がいてね
それをハシリニイルって言われてて、必ずお塩とか、イリコを持って行くの」

「なんか、怖いですね…」美香さんは、また僕を見て微笑った。
「宮さんから聞いたけど、祖谷の地名の由来とか、祖谷の風習とか
本を購入して色々調べているんでしょ」

「はい、母の故郷の事が知りたくて、今夢中で読んでいます」
「珍しい貴重な本、あるわよ…」
「え…持っているんですか?」
「父は本が好きでね、特に村の古くからの歴史とか、勉強していたわ」

「お父さんが…」
「でね、父の所有していた本を辰巳が終わった日に村の資料館に寄贈したの」
「資料館?あの大きな建物ですか」

「そうよ、あそこの倉庫に東祖谷に関する古い本を保管しているの、だから、父の所有していた貴重な本だけ
段ボール箱に入れて、そのまま寄贈したの。私は本は読まないからね」
「貰ってもいいんですか?」
「資料館の倉庫でずっと眠っているより、必要な人に貰ってもらえるほうが、本も成仏できるからね」

「成仏ですか…」僕は少し微笑った。
「資料館は冬の間は休館することが多いから、またお盆に帰省した時に、一緒に取りにいこう。
係りの人には、そのままにして置いてって電話しておくわ」
「はいっ、ありがとうございます。本、楽しみです」僕は嬉しくなって、恐いことを忘れて、ライトに照らされた

ガードレールに沿って浮かび上がる真っ暗な道をまっすぐに見ていた。
「ちょっとスピードあげるね~」
と言いながら、美香さんは猛スピードで走りはじめた。
速度メーターは、70キロを越えている。

「夜は走りやすいよ~対向車がライトで判るからね~祖谷高速~オービスなしっ」
美香さんが橋の途中で、突然スピードを落とした。
「危ない、危ない、橋が凍結していることを、忘れるとこだったわ。今夜も気温はマイナスに下がっているものね」

僕は一瞬、あのスピードで橋に突入していたら、どうなっていたんだろうと、少しゾッとした。
「僕は死にたくないです!」
と思わず言うと、

「森田くんは本当に素直に育てられたんだね。お母さんに感謝しなさいよ」
と言いながら、スピードを落として走りだした。
シゲ爺さんの家が見えた。庭先に煌々と灯りが点されて
障子戸から漏れた明かりは、季節外れの花火みたいに見えた。

僕達は近くの野原に車を置いて、明かりに向かって黙って歩いた。
家の庭先には葬儀社の車が停まっていた。入り口には靴が散乱していた。

胸が少し苦しくなって、暗がりで後ろを向いて、僕は一度深く息を吐いた。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする