秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 17  SA-NE著

2018年01月09日 | Weblog


車から降りた美香さんは、対岸の景色を眺めてから、両手を高く挙げて、一度深呼吸した。
「今から行く場所は、個人の所有地だからね、ちょっと宮さんの民宿友達に挨拶してくるわ」
と言って、一軒の農家に向かって行った。

前方を見ると、農家民宿の案内板があった。
暫くすると美香さんと年配の民宿のご主人らしき人が、庭先から出てきた。
「君が噂の東京の若者ですか」
と人懐っこい笑顔で話しかけてきた。

「あ…いえ…はい」
と返事をしたら、恥ずかしくなって笑ってごまかした。

「伝説の場所に行く為に、泊まってくれるお客さんもいてなあ、口コミのチカラは怖いくらいですよ
気をつけて行ってらっしゃい、帰りは寄って休んで下さいよ」
と言って、僕達を聖地の入り口と言われる場所まで見送ってくれた。

美香さんは、山に向かう斜面に続く、畑の中の小道を歩きだした。
「この下の野原は、福寿草の群生地でね、さっきの民宿のオーナーさんが
一人で10年以上かけて手入れして、守っているのよ」

美香さんが雪の残る斜面を指差しながら、話してくれた。
美香さんは息も切らさずに、一定の速さで、斜面を登っていく。僕はすぐに息が切れて立ち止まった。

冷たい風が頬に当たり、気持ちよくて、思わず対岸に向かって「ヤッホー」と叫びたくなったけど
恥ずかしくなって挙げかけた両手を直ぐに下ろした。美香さんにチラッと見られた。

「昔、電話のなかった時代の連絡手段でね、呼びごとっていって、集落の人達が声を張り上げて
一軒、一軒と順番に伝えて言ってね、対岸の集落に連絡が伝わったら、白い物を振って合図してたんだって。
集落で誰かが亡くなった時とか、急用の時の連絡手段だったそうよ」
「なんか、この日本の原風景見てたら、想像できます。感動的です」
と僕は立ち止まって朗読みたいに言った。

「頑張ってついて来てよっ、もっと感動的な場所に連れて行くからね」
と声を張り上げながら、足元の枯れ葉を両手一杯にかき集めて、下の小道にいた僕に、降り落としてきた。
50才にしては、幼稚なことをして、楽しんでいる。

落葉樹から張り巡らされた無数の枝の隙間から見上げた曇り空は、不揃いな形の中で広がっていた。
最後の急斜面を登ると、先に到達した美香さんが叫んだ。

「着いたよ~目的地っ~聖地のゴール」
僕も慌てて、落ち葉に足を滑らせながら駆け上がった。
拓けた場所から、遥か前方に自然林に囲まれたハートの形の中に集落が包まれている、不思議な景色が見えた。

「あの集落は安徳天皇が埋葬されていると伝わる、鳥居のない八幡神社がある栗枝渡集落なのよ」
美香さんは切り株に腰を下ろして、指さしながら話した。
僕はその景色を、じっと見つめていた。

「森田くんのお祖父さんお祖母さんも、この景色を二人で見たんじゃないかな?」
「え…どうしてですか?」

「この場所は、昔は山越えをする近道だったの。
でね、ここからがハート村伝説の本題なんだけど…」
美香さんは、一本の松の木を撫でながら、話し始めた。







































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小説  斜陽 16  SA-NE著

2018年01月08日 | Weblog


大歩危駅で、美香さんと待ち合わせた。
改札口を出るとすぐに、美香さんの軽のワイン色の車が見えた。

「お帰り~」と言われて、ちょっと照れ臭かった。お土産のチョコレートを渡したら
「若いのに、気が利くわね~ありがとう」と誉められた。

「ちょっと待ってね、美味しいコーヒーを買ってくるわ」
と言って、『国見山の湧水コーヒー』と幟の掛かった小さなスーパーに入って行った。

「飲んでみて!絶対に美味しいからねっ」
と言われて、絶対と言う言葉に少し抵抗したかったけれど
今まで一度も飲んだ事のない、深くて滑らかな味がした。

「美味しいです」と答えると、
「だから、絶対って言ったじゃないっ」と得意満面な顔で車のスタートキーを押した。
アスファルトの路面は乾いていて、道路の両端には濁った色の雪が少し残っていた。

渓谷から沿うように連なる山々には、薄い剥がれかけた緑色と茶褐色のスプレーを吹き付けられたみたいな寒々とした
油絵の様な木々の風景が広がっていた。

「あのね、あれから電話で宮さんと話していたんだけど、宮さんから聞いたよ、森田くんが祖谷に来た本当の目的っ」
美香さんがチラッと僕を見た。美香さんの目元は二重で眼光が鋭くて、直視されたらちょっと怖くなる。

僕は少し、動揺した。
美香さんには父親探しの事は話してなかったし、僕の歳もごまかしていた。
「なんか、映画の主人公みたいな話よね~生死さえ判らない父親を探すなんてね~」
美香さんの言葉で、僕の不安は更に煽られた。

「無茶でしょうか?」と言いながら、無意識に膝を擦っていた。
「森田くんがお蕎麦さんに宮さんと来た時に、店の中に村の人達いたでしょ」
「宮さんの知り合いの人達ですか?」

「そうよ、あの後宮さんの知り合いから聞いたんだけど、みんな暇だからね、昔のことで話が盛り上がったんだって
そう言えば帰らなくなった人がいたなとか、一年に一度に夫婦で亡くなったとか、今さら話しても何にもならない噂話で
暫く盛り上がったんだって、終いにはその年の村長選で落選した人の話題とかまで膨らんだそうよ、だからねっ!」

だからねと言って僕をまたチラッと見た。
「だから、絶対に森田くんは本当の年齢を話したらダメなんだよっ、
お母さんが東京に出て40才で産んだことにしないと、余計な詮索されて、お母さんの名誉を傷つけてしまうんだよっ」

僕はやっぱり単純だと思った。あの時にしげ爺さんに歳を聞かれた時に
宮さんが機転を効かせてくれなかったら、僕は普通に有りのままを話していたと思った。

「森田くんにしたら、人情に溢れた村人に見えるかも知れないけど、他人は毒も持っているからね
無責任な噂話に傷ついて、病んだ人や故郷を去った人もいるんだから、油断大敵だよっ」

僕は曖昧な笑顔をつくって、少し頷いた。余り聞きたくない話だったけど
美香さんの淡々とした口調は、どこか母に似ていた。
「なんて言いながら、私もそのヤヤコシイ世間の一人なんだけどねっ」
と笑った。

高い山の頂きは雪に覆われている。道沿いにお墓が点々と佇む。紅白の垂れ幕のような小さな橋を通り
一車線になった山道を、緩やかに車は走って行く。
自然林の木立が点々と暫く続き、薄暗い幕の様な高い杉の木々が左手に続く。
そして次の瞬間、異空間にタイムスリップしたみたいな感覚に僕は包まれた。
対岸には急斜面一面に貼り付けられた様な民家が、存在感を消した様に、すっぽりと浮かんでいるみたいだった。

「あれが落合住伝建よ
ここは中上集落。ハート村伝説の入り口」
車のドアを開けながら、美香さんは、小さなくしゃみをした。











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小説  斜陽 15  SA-NE著

2018年01月07日 | Weblog


年が明けてから、僕はエンジニアの派遣の仕事に就いた。
「君の実力なら正社員として登用できるよ」と部長から声がかかったけれど
身体が丈夫でないんですと、適当な嘘をついて、ごまかした。

「四国に父親探しに行く目的があるので、会社に縛られたくないのです」なんていったら
周りから頭がオカシイ奴と思われるのが関の山だ。

毎日東京の雑踏の中で暮らしていると、あの四国の山里で過ごした数日間が、どこか非現実的な感じがして
隠している宝物を見るみたいに、あの時撮した風景写真を時々見ている。

宮さんは、若い頃奥さんと四国を旅行中に、祖谷がすっかり気にいって、永住しようと決めて
空き家を購入し改修してあの民宿を30年続けていると言っていた。

美香さんは、徳島市内から一ヶ月に一度、祖谷の施設に入所している母親の見舞いを兼ねて
生家の空き家の管理をしていると、この前話していた。

美香さんから、時々メールが届くようになった。
「森田くん、元気で頑張ってますか?私は今月は、雪が降り続いているとの宮さんからの情報があったので
次回の帰省は2月になりそうです」

「徳島市内なら近い距離ですね。祖谷と陸続きですね、羨ましいです」
と送信したら、すぐに返信が返ってきた。
「私は東京で暮らしている、君が羨ましいです~(笑)」
僕はメールが苦手だ。
どこで終わらせば良いのか、思案してしまう。

美香さんには申し訳なかったけど、
「ちょっと図書館に行きます。また連絡します」
と送信したら、返信はなかった。

僕は学生時代から図書館に通うことが好きだった。
人と話さなくてもいい、静かな場所は、自宅の裏山と図書館位だった。水族館にも時々出掛けた。
クラゲを見ていると、いつまでも飽きなかったし、僕の前世はクラゲだったのではないかと、真剣に思った頃があった。

母さんに話したら、「優柔不断のフワフワ加減は、確かにクラゲかもね」と笑われた。
母さんは、本は持っていなかった。読む時間もなかったんだろうけど、僕が家で読書なんてしていると、何故かとても悦んでいた。
僕の本好きは、父親の遺伝なのかも知れないと、最近思うようになった。

図書館に出かけて、祖谷の関連する本を読んだり、コピーしたり、ネットで祖谷の地元の人が発信しているブログを見つけたりして
祖谷と繋がっていることを実感することが、僕の今の楽しみになっている。

宮さんも美香さんも、エイコノ節を唄ってくれたシゲ爺さんも、僕が祖谷を訪れなければ、出逢うことは出来なかった人達だ。
僕は人見知りなのに、あの人達と話す時は、普通でいられたことが、不思議だった。
数日後、美香さんから、又メールが届いた。

「ハート村の伝説って、ちょっと興味湧かない?」
「ハート村?何ですか祖谷の伝説ですか?」
「もちろん、祖谷の伝説よ、ちょっと2月に一緒に帰らない?」
「了解しました。また後日連絡します」

平家伝説から始まり、祖谷には様々な伝説が遺されている。
ハート村伝説
僕は2月のカレンダーに印を付けた。

コーヒーを飲みながら、母さんに話しかけた。
「ハート村伝説って何?母さんは知っていた?」
遺影の顔は僕に向かって、一喝したみたいだった。
「智志っ、しっかりしなさいっ!」
ガラス窓の外に、チラチラ舞いはじめた粉雪は、祖谷のあの大粒の雪の、子供みたいに見えた。











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小説  斜陽 14  SA-NE著

2018年01月04日 | Weblog


有里の好きな海沿いの道を走りながら、少しだけ沈黙が続いた。
コンビニで買ったホットコーヒーの小さな飲み口を折りながら、有里がポツリと呟いた。

「あのね、この前言い出せなかったんだけど、お父さんがね…」
僕は有里の横顔を見た。コートを脱いだ有里は少し痩せて見えた。

「末期の胃ガンでね、あと3ヶ月だって言われて、私あの時頭が混乱してて…」
僕は言葉が見つからなかった。有里はあの時にそんな悲しい現実の選択に苦しんでいたんだ。
父親を安心させたくて、縁談の話を断らなかった。

僕は自分の生い立ちを理由にしながら、僕から去った有里をどこかで責めながら、自暴自棄になっていた。
ふと、母さんに前に言われた言葉を思い出した。

「智志っ、見た事や聞いた事が真実ではないのよ。優しくしてくれた人が、善人とは限らないのよ
あなたは幼稚だから、もっとしっかりしなさいっ」

有里は二つ年下だけど、僕よりずっと大人だった。
「わたしが一人っ子でなかったら、運命って変わっていたと思うんだ。
母が初めて授かった赤ちゃんが死産だったのよ…」

僕は自分の短絡さ加減に呆れながら、黙って有里の顔を見ていた。
僕は自分の境遇ばかりを話し、有里の生い立ちを、深く訊ねたことがなかった。

「僕はダメな男だね」と消えそうな声で応えた僕の隣で、有里は子供みたいな無邪気な顔で、
ナビを設定しながらはしゃいでいた。

「しんみりしないで笑ってよ、今日が一日限りの記念日なんだよっ」
有里は無理に微笑っているみたいだった。

沈んでいく太陽は、ゆっくりと僕達を照らしていった。
僕はクローバーのキーホルダーを有里の掌にのせた。

有里は「一生のお守りにするね」と素直に悦びながら、
「一日を私に下さいってお願いしたから、明日の朝の8時で24時間だからねっ」
有里の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめた。僕は目を反らすことが出来なかった。

遠く海の見えた部屋。僕は夢心地の中、互いの全てを確かめるように、一つの夜を初めて一緒に過ごした。

二週間後、
三年ぶりに東京本社に戻ってきた裕基から、結婚報告のポストカードが届いた。
ボールペンで添え書きがあった。

婿養子ですが、名字は暫く佐藤で宜しく!
写真には純白のウェディング姿の花嫁に並んだ車椅子の父親が写っていた。
教会のステンドグラスを背景に並んだ二人は、別世界の見知らぬ他人に見えた。

有里は僕の
手の届かない場所に行った
偶然の神様は悪戯をする
奇跡みたいな悪戯をする

僕は有里を、今でもずっと愛している。

飛行機の窓から
四国の山々が遠ざかる。
あの山の点の様な場所で、母は誰を愛したんだろうか。

「お彼岸はね、あの世と、この世の人がね、心を通わせる唯一の時間なのよ
次回会うのは、お彼岸ねっ」

美香さんの顔が、浮かんだ。
僕はシートを少し倒して、また浅い眠りについた。











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小説   斜陽 13   SA-NE著

2018年01月03日 | Weblog

有里の口から突然飛び出した言葉に、僕は茫然となった。
あの時に、「結婚」を意識していなかった自分の不甲斐なさに、ただ何も答えられなかった。

有里の父親は、厳格な人で、母親は専業主婦で、良妻賢母の見本みたいだと、いつか有里に聞いたことを思い出した。
代々続いてきた、立花家を存続させる為に、有里に婿養子をとる。それ以外の選択肢は、与えられなかった。
まして、私生子の僕を有里の両親が受け入れてくれる筈もなく
僕は僕で、入退院を繰り返す病弱な母を、見捨てることは出来なかった。

僕は混乱したまま、有里に応えた。
「多分、僕は君を幸せには出来ないと思う。縁談の話を勧めて貰って、親を安心させたら…」
有里は今まで見たことのない、虚ろな目で暫く僕を見つめて、ポロポロと涙を落とした。

「なんで、結婚なんかするなって、止めてくれないの」
そう言いながら、僕の腕を何度も何度も掴んだ。
「僕の父親は、素性さえ判らないのに、君の両親を悲しませる訳にはいかないよ」

僕達は、呆気なく別れた。僕は、直ぐに携帯電話の着信音とメールの受信音を変えた。
僕の誕生日の日に、日付が変わると同時に届いた、保護しておいた、有里からのメールは、消去出来なかった。

智志、お誕生日おめでとう私が世界で一番
貴方を愛してる
ずっとずっと愛してる。

僕は暫く、仕事でミスが続いた。有里の存在が、どれ程僕に生きるチカラを与えてくれていたかを、痛感していた。
有里に会うのが辛くて、母親の病院も紹介所を書いて貰って、受診先を変えた。母さんは、全てを察しているみたいだった。

何も言わなかったけれど、夜中に一度だけ泣いて震えていた背中を見た。
真っ暗な部屋で仏壇の前に座って、
「わたしのせいなのね…」と言いながら、泣いていた。

1ヶ月後、
有里からメールが届いた。
週末の日曜日に
結婚式します
最後のわがままを聞いてください。
明日一日、私に智志の時間をください。

僕は震える指先で、返信した。

いつもの公園の
駐車場で8時に待ってるよ

僕は有里に逢えることが、唯嬉しかった。
僕は新しい服を買いに街に出た。服に合わせて靴も揃えた。理髪店にも寄った。

そして、有里にプレゼントを用意した。
有里の好きなクローバーのガラス細工のキーホルダーを、購入した。

街はいつも人で溢れていた。
人の波は都会のお祭りみたいに、毎日同じ場所に群れをつくって、音と光に操られながら
普通を装った人々が、それぞれの家のドアの向こう側に帰って行く。

あの時の僕は、
意地悪な神様に、肩をそっと触れられていたんだよ。きっと…。

















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小説   斜陽 12   SA-NE著

2018年01月02日 | Weblog


「また、春になったら帰っておいで」
大歩危駅まで見送ってくれた宮さんの言葉が嬉しくて、祖谷を訪れるまでの
暗澹とした思いは嘘みたいに、僕の心は晴れていた。

急峻な山々を背景に、視界に映る渓谷の色や、蒼い川。
その隙間から一気に押し流されていく、真っ白な飛沫を追いかけながら、ずっと枕木の音を聞いていた。

有里に逢いたいと、無性に思った。
気がつけば、有里の名前を胸の奥で何度も何度も反芻していた。
有里、僕の母さんの故郷を訪ねたんだ。そこでは、仏様のお正月の風習があるんだよ。

有里、四国の山のずっと奥に雪が降るお蕎麦屋さんがあってね。
有里、母さんは僕を産む為に、故郷を離れたんだ。

何から話せばいいんだろう。君はきっと、何を話してもあの優しい笑みを浮かべて
「大丈夫よっ」って言ってくれる。
僕は君の前では、いつも唯の弱い人間で、馬鹿みたいに唯の男で。君は近くて遠くて
僕達は永遠に絶対に手の届かない距離で、生きている。

八年前、僕達は初めて出逢った。有里は母の入院していた大学病院の担当看護師だった。
あれは母の初めての手術の後、集中治療室の扉の前で、立ち尽くすだけの僕を見て、
「大丈夫ですよ。術後のバイタルも落ち着いてますよ、明日は面会出来ますからね」
そう言って、柔らかな表情で微笑った。

「智志っ、立花さんがね、退院したら家に遊びに来るって」
「遊びに来るんじゃあなくて、母さんが無理に晩御飯に誘ったんだろう」

「バレた?だって看護師さんが毎日コンビニ弁当って、気の毒だから母さんが誘ったら、悦んで来てくれるって。
だから早く退院して、お煮しめ作らないとね~」
母さんには内緒にしていたけど、僕は生まれて初めて真剣に恋なのか
愛なのか判らないものに、心が舞い上がっていたんだ。

誰かを好きになっていく感情は、誰にも説明の付かない。
一年の季節を有里と一緒に過ごした。あの頃の僕は、有里が一人っ子だと言うことや
僕が私生子だと言う現実を直視しないで、好きと言う感情だけで、満たされていた。

「アイシテル」
「愛してる」
「あいしてる」
私は「愛してる」が好きよ。アイシテルは軽い感じがするし
あいしてるは、ちょっと不安な感じがするから、絶対に「愛してる」

「愛してる」以上の言語がこの世界にあるのかしら。「私は智志さんに出逢う為に、前の病院を辞めたのかも。
神様は最善の出逢いを準備して下さったんだよね。神様って信じる!?」
僕の顔を覗きこんで、顔をくしゅくしゅにして微笑った、あの日の有里はどこか、淋しそうに見えた。

「あのね、父の会社の取引先の方からね、縁談の話があるの…」
ポツリと有里は呟いた。































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