秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

晩秋の山里にしずかに迫りくる初冬を前に、いま、ここに、生きて

2017年10月30日 | Weblog

迫りくる初冬を前に紅葉も長い秋霖に阻まれて、葉っぱも傷みがちで色づきも
あまりよくないが、木々はそれぞれ懸命に、いま、ここに、生きている

秋の花々もその可憐な姿を林床にひっそりと息づいて、すでに実を結んだ花たちの
後を追っかけて生きている







































コウヤボウキの花














イナカギクとヤクシソウ















サンキライ(サルトリイバラ)の赤い実

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長き秋霖の果てに晩秋を迎えて山はしずかに色づく

2017年10月27日 | Weblog

秋霖の果てしないトンネルを抜けてみれば、はや、晩秋に近づきつつあり
かがやける秋色を醸しだすチャンスを逃がしたかに見えるものの、わずかに
色づきだす、木々に秋の風情を感じて、山を歩く




















































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秋霖に山の草木はしっとりとした風情に包まれて

2017年10月21日 | Weblog






長く続く秋霖のトンネルは鬱陶しく、暗い気分にさせる秋らしい雨である
そのなかを、黙々と、歩き、を楽しんでいる、ぼくのいのち、は何故か

傘からずり落ちてくる雨だれの音を聞きつつ、山のしっとりとした風情を
木々や草花の生き生きをした喜びに、感動して、ひとひとりがやっと通れる
道にほっとする、ぼくにとって通れる道はこれぐらいがこころが安らいでよい

ひとひとりが通れる自然豊かな道があれば、ぼくにとってそれ以上のものは
必要としないのではないか、

路傍の名も判らない見向きもされない草花のように片隅でひっそりと生きていたい

































































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菜菜子の気ままにエッセイ( ある休日の・いちにち)

2017年10月19日 | Weblog


予定通り、携帯電話はマナーモードにして、朝寝を徹底にした。
前回の日曜日は、朝の6時半に、電話の音で起こされた。
何事か!?集落で誰か亡くなったの連絡か!?

と飛び起きると、
「菜菜子ちゃんよ~栗いるか~?」
と集落のプチおっちゃんからの、電話だった。
『寝よった…』
と辛うじて応えたら、

「栗、玄関先に置いたけんの~」
とプチおっちゃんは言った。
『栗でこんなに朝早くから起こすなよ!!朝寝したかったのに損したじゃあないか!!』
といつもの様にココロで叫びながら、
「アリガトウございます」と謙虚にお礼を述べ、頑張って布団に深く潜り込んだが、目覚めた脳は、手遅れとなり、結果起きた。

で、新しい小説の準備をしているが、
早い話が例えると、マラソン大会に出たくて堪らない素人選手が、様々な選手のフォームを研究し、それに時間を費やし過ぎて
自分のフォームが判らなくなったみたいな?挙げ句の果てに、マラソンを完走できるのか?それが一番心配になって、走り始めたら
棄権はしたくない!走れるか?ゴールできるか?みたいな感じで、本日の休日。

コタツの上には、本の乱れ積み。
ノートとエンピツ。
小説は奥が深い。自己流で書くなんて、ある意味無鉄砲。
書けもしないのに、書きたい!!描きたい!!ばかりが空回り。馬鹿じゃないのワタシ。

そうか、ワタシってバカなんだ。
なんで、気がつくのに、半世紀以上もかかったの?
とりあえず、家事を済ませる。埃って一人暮らしでも平等に溜まる。
何かを食べれば、食器を洗わなくてはナラナイ。

昔の村人は箱ぜんの中に、茶碗を洗わないで伏せていた。ご飯を食べた後に、茶碗にお茶を注いで飲んでから、伏せる。
結果洗ったことになる。なんて、理にかなった生活。
で、食事を済ませ、箱ぜんはないので、食器を洗い、しばし読書。
寒い…ファンヒーターを点ける。

あたたかい。
貧困でも灯油代はある。
貧困でも米代はある。
貧困でも本を買う。

ワタシって
貧困ではない…のかも?
そんな事を考えていたら、食後のコーヒーが飲みたくなって、とりあえずコーヒータイム♪
※まだ一行も書けてない。
コーヒーを飲みながら、外を見る。

欅の葉っぱを、小さな雨粒が叩いている。
スローモーションの世界。
テレビをつける。
またまた、メディア君達が、風を吹かしている。
裏方はどこのどいつじゃ!!
敵を装いながら、案外にメディア君は与党の回し者か!?
で、テレビを消す。

炬燵があったかい~
コタツ、アリガトウ。
コタツ一つで幸せ。
二台はいりません~
コーヒーが美味しいから、幸せ~
で、2時間。
頑張って 昼寝した。

ワタシってこんなんで、書けるのか!?
とりあえず、走りだしてみまーす♪
かしこ〆











































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秋雨の山、歩き、は、しっとりとした趣に心地よい

2017年10月16日 | Weblog

そぼ降る秋雨に山々の草木はしっとりとした風情を醸しだして落ち着いた色合いに
染まり出した葉っぱのいかにもはかなき仕草にこころ時めく秋雨のなかの、歩き、だ

時間と空間に制約された、ぼくの生を、歩き、は躍動感を与えてくれる


















































































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菜菜子の気ままにエッセイ( 杖と秋とドラえもん♪)

2017年10月13日 | Weblog


紅葉が始まりかけておりますが、気温の上下が不安定で葉っぱも
「染まるべきか?染まらざるべきか?」
と四苦八苦しております。
私も四苦八苦しております。

『払うべきか?払わざるべきか?』
そうです。読者の皆様、覚えておりますか?
去年の今頃。我が家のブラウン管テレビの赤や緑の乱れ舞い。
電気屋のドラえもんと交わされた、約束。
一年間、映ったらお金を取られるお約束。
早いものでその一年が、来月訪れます。

テレビ台の隅に、ボールペンで私が書いたメモを張り付けておりました。
11月6日。1年映ったら二万円。と書いております。
先日、掃除機でうっかりとこのメモを吸い込んでしまい、再び紙パックを取り出して
二度と見るつもりはなかった塵の中から必死でシールを引っ張りだして
日にちを確かめて、新しいメモに書き直した、「セコい・オバサン」
でありました。

で、あれは半年前。
家の前で、ドラえもんが車を停止して、私に聞きました。
「テレビ、調子ええで~?」
私はこんな性格なので、すぐに応えました。
『あのな~時々画面が、静止するんよ…』
ドラえもん、一瞬へっ!?みたいなお顔をして、言いました。

「ぼちぼち、落ち着いたらいけるけん、様子見よってみてなっ♪」
そう言うと、動く物置の?ようなバンに乗って、軽やかに立ち去りました。
読書の皆様。これはテレビのお話です。……疾病のお話ではございません。悪しからず。

で、このテレビ、最近では静止画面は治まりましたが、スイッチを切ったあとに、訳の判らない音が、暫しします。
小さな小さなネズミが機械の中でバラバラになって、蒸されている様な!?ヘンテコな余韻な、音がします。
この音は、全世界統一なのでしょうか…
不安なので、来月ドラえもんにこの音を確認して頂いてから、支払いをしようと、思います。

で、皆様のお手元に、今月のてんご新聞は、ありますか?
私はテラオのアニサンの今月のてんご新聞の見出しを見て、ビックリしたので、ありました。
『杖が一日一日と』
と書いてある。
え~~、アニサンは急に歳をとったのか!?
何で~~!?杖~~!?

とビックリしながら、よーく見ると、手書きの文字の紛らわしさ…
『秋』
の文字でございました。
秋が一日一日と、書いていたので、ございました。

選挙ですね。
メディアとか、評論家とか、私とは全く何の繋がりもございませんが、
失われた10年、20年。
国民目線のヒーローは、誰もいませんっ!
だから、悪は果てしなく、蔓延していく。

悪の根源は、生活の困窮も起因しているのだ。多分。
普段、言わない言葉を書いて、カミカミになりました。悪しからず。

自分らしく、
いつもココロに
愛をイッパイもって
ケチケチと生きて行きたい、わたくしでございました。支払いたくなーい!
草 々
追伸・紅葉情報は、おとべえさんに、聞いて下さいませ。






























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深まりゆく秋に山を歩き紅葉を堪能する

2017年10月10日 | Weblog


今年の紅葉は秋晴れの快晴に恵まれて山々の風景を堪能する

































































































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深まり行く山里の風景に魅せられて歩く

2017年10月06日 | Weblog

標高800近くを歩いて近くの、遠くの、山々の風景を眺めて思うことも
路傍の道々に乱れ咲く花々を見つめてうれしく思うことも、

普段の郊外の標高の低い峠道からいたって平凡な山々を眺めて思うことも
路傍の道々に乱れ咲く雑草のような花々を見つめてうれしく思うことも

そのときどきの風景、花々の違いこそあっても、時間は刻々と経過して行き
二度と同じ状況になることはない

いろいろな場所で、いろいろな時間で、ぼくが体験している人生の経過に
意味などありようがないのではと思うことがある

おそらく人生にどんな意味もないのではないか、特別な人生を過したとか
平凡な人生であったとか、区別しても、意味無くしょうがないこと

いま、ここに、生きることがすべてであるなら、いま、ここに、を積み重ねて
時間の経過とともに、生涯の最後を迎えることでしか完結しないのだろう
それまでがんばって、いま、ここに、を生きることである























































































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