秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説   斜陽 12   SA-NE著

2018年01月02日 | Weblog


「また、春になったら帰っておいで」
大歩危駅まで見送ってくれた宮さんの言葉が嬉しくて、祖谷を訪れるまでの
暗澹とした思いは嘘みたいに、僕の心は晴れていた。

急峻な山々を背景に、視界に映る渓谷の色や、蒼い川。
その隙間から一気に押し流されていく、真っ白な飛沫を追いかけながら、ずっと枕木の音を聞いていた。

有里に逢いたいと、無性に思った。
気がつけば、有里の名前を胸の奥で何度も何度も反芻していた。
有里、僕の母さんの故郷を訪ねたんだ。そこでは、仏様のお正月の風習があるんだよ。

有里、四国の山のずっと奥に雪が降るお蕎麦屋さんがあってね。
有里、母さんは僕を産む為に、故郷を離れたんだ。

何から話せばいいんだろう。君はきっと、何を話してもあの優しい笑みを浮かべて
「大丈夫よっ」って言ってくれる。
僕は君の前では、いつも唯の弱い人間で、馬鹿みたいに唯の男で。君は近くて遠くて
僕達は永遠に絶対に手の届かない距離で、生きている。

八年前、僕達は初めて出逢った。有里は母の入院していた大学病院の担当看護師だった。
あれは母の初めての手術の後、集中治療室の扉の前で、立ち尽くすだけの僕を見て、
「大丈夫ですよ。術後のバイタルも落ち着いてますよ、明日は面会出来ますからね」
そう言って、柔らかな表情で微笑った。

「智志っ、立花さんがね、退院したら家に遊びに来るって」
「遊びに来るんじゃあなくて、母さんが無理に晩御飯に誘ったんだろう」

「バレた?だって看護師さんが毎日コンビニ弁当って、気の毒だから母さんが誘ったら、悦んで来てくれるって。
だから早く退院して、お煮しめ作らないとね~」
母さんには内緒にしていたけど、僕は生まれて初めて真剣に恋なのか
愛なのか判らないものに、心が舞い上がっていたんだ。

誰かを好きになっていく感情は、誰にも説明の付かない。
一年の季節を有里と一緒に過ごした。あの頃の僕は、有里が一人っ子だと言うことや
僕が私生子だと言う現実を直視しないで、好きと言う感情だけで、満たされていた。

「アイシテル」
「愛してる」
「あいしてる」
私は「愛してる」が好きよ。アイシテルは軽い感じがするし
あいしてるは、ちょっと不安な感じがするから、絶対に「愛してる」

「愛してる」以上の言語がこの世界にあるのかしら。「私は智志さんに出逢う為に、前の病院を辞めたのかも。
神様は最善の出逢いを準備して下さったんだよね。神様って信じる!?」
僕の顔を覗きこんで、顔をくしゅくしゅにして微笑った、あの日の有里はどこか、淋しそうに見えた。

「あのね、父の会社の取引先の方からね、縁談の話があるの…」
ポツリと有里は呟いた。































コメント
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