秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(親父と昭和とベニア板⑤金毘羅さん)

2011年11月30日 | Weblog
父に連れて行ってもらった観光地がある。小学校の低学年だったと思う。
兄が一緒だったのか、記憶は曖昧だ。
母も一緒だったのか…写真がないから、ココロの中にしまってある、ボロボロになった
記憶の写真を思い出してみる。
泊まった旅館は、
《まる屋》だった。
この名前は、覚えている。
2階の部屋。
テカテカに黒く光っていた、床。
2階の和室の窓際の、板の間に、応接間が一組。
布張りの椅子を見た時、うれしくて、ココロは有頂天だった。

何を食べたのかは、覚えていない。
※おでんの、こんにゃくではない あしからず…。

何故、金毘羅さんに出かけたのが、理由も知らない。
何か 父なりに 願い事があったのか?
知り合いの、昔の仲間に逢いに行ったのか…
そうですの。
この ワタクシっ!
世が世なら、父が芸能プロダクションの社長っ!
母親が、その花形スターっ!
その 娘となる!
…が 劇団は戦後に解散し、花形スターも家庭で 子育て!

世の中は、ブラウン管が シェアを占めて行った。

演劇団は 姿を 消していった。

この詳しいお話は、
読者の皆様は、ご存知だと 思います。

《彼岸シリーズ》
《唐津物語》
を思いだして 下さい。

…であくる日。金毘羅さんの石段を、上った記憶は、ほとんどなく…
坂道をずっと 歩いて下った 記憶は鮮明に残っている。

金毘羅さんの 下りのあの 坂道のコース。
他にも 歩いていた人達が、たくさんいた。
たくさん…いたっ!
たくさん…いたっ!

父の機嫌は いつも 上々~
家族でも 止められないっ!

『歌わな、いかんばい~』
『金毘羅さんの歌、歌うばい~!』
『大きな声で一緒に、歌うばい~!』

気がつけば…

歌わされて…いた…

『金毘羅舟々~おいてに帆かけて シュラシュシュシュ~廻れば四国は讃州なかのごおりぞうずさん~
金毘羅大権現~一度まわれば~金毘羅舟々~~』

父が デカイ声で歌い
なぜか 父の後から
歌わされ…
坂道を終わった頃には……歌を
覚えていた わたし…

回りの知らない人たちが、愉しそうに父を見て ほほ笑んでいた。

これを書きながら…
ふと 思った。

オッサンは この日に?
丸亀に行ったか?
前の日に…行ったか?
オッサンの金毘羅祈祷の目的は…

《舟券を当てたい!》か…?

坂道に響いた
金毘羅さんの 歌
ガラガラ声の、鼻のデカイ オッサンと オカッパ頭 眉毛の上で パックン女の子…

今の時代に
こんな 親子連れがいたら 珍しいので 逢ってみたい…

それから後
金毘羅さんを 訪れた時は
主人と一緒だった

歌は 歌わなかった。
あそこで…歌を 歌っていたら…
わたしは きっと 主人にフラれていただろう…
フラれる前に…
救急車でも 呼ばれたかも?

『患者は何かに取り憑かれています!搬送します!受け入れおねがいします!』

ピーポーピーポービンボ~ビンボ~♪

明日は祖谷村の忘年会!
行ってキマース♪























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初冬点描 松山にて

2011年11月29日 | Weblog
初冬に入って11月も末に、12月になろうとしているのに、どんよりとした雲行きながら
この暖かさはどうしたことか、と呟きながら道後温泉本館の裏道から何時ものだらだら坂に
入り、直ぐそこに古い格子戸の構えをした二階建ての小さな旅館常盤荘の前に指しかかる。

大正時代の建築になるそうだ、昔はこのような構えの旅館が軒を連ねていたのであろうが
今では道後でもこの一軒だけで、あとはビル群の集まりである。

「がらがらっと玄関の引き戸を開けると、ノスタルジックな空間に吸い込まれた
ぎしっぎしっ、踏み込むたびに鳴る階段
何十年という月日を支える木板の廊下、人工的には作れない光沢感と心地よい手ざわり」

と室内を見たい誘惑に駆られてよろよろと玄関の近くに歩み寄った、中から5,60歳の
粋な女将さんが出てきて「お泊りですか」と声を掛けられるのではないかと心配になり
その勇気がなくて通り過ぎてしまった。

だらだら坂を上りきると、そこは上人坂の入り口であった。坂の向こう200m位のところに
今から訪ねて行こうとする一遍上人誕生地の寶巌寺の山門が微かに見えた。

今でこそ上人坂と名を変えたが、昭和の前半までは松山でも名の知れた遊郭がずらりと
両側に並んでいたそうだ。道後松ヶ枝町と称して綺麗どころが手招きしていたらしい。

上人坂をのそりのそりと歩きながら、今では華やかな色町の面影一つなく、空き地や
駐車場になった周辺をうろうろ嗅ぎ、まるで廃家のように汚いバーらしきものが
一軒あるようで無いような奇妙な建物を胡散臭い目つきをしながらのそりのそりと
歩いて寶巌寺の山門の階段の前に立った。

見上げると古色蒼然とした立派な山門の裏になる境内の左右に聳えているのであろう
銀杏の大木が黄葉して見ごろな葉が空高くかぜに微かに揺れていた。

階段を上がり山門に立ち、左にある看板の説明文を読んでから境内に入ると
掃き清められたそれほど広くない庭園の左に本堂があり、奥まって事務所がある
その前には一遍上人の歌碑と歌人川田順の感銘を受けた歌碑が立っていた。

境内の右には手前から酒井黙禅の句碑、子規の句碑、斉藤茂吉の歌碑が順次に立っている。
境内は陰気ではないが、寂寞とした陰翳は強烈に初冬の空気に響いたものである。

これは一遍上人の成せる空気であろうか、何事にも屈せず、孤独を友として宗派に拠らず
一所に留まらずに流れるごときに念仏行脚を一生しながら旅に果てた孤高の仏僧であった。

和歌、法話

旅ころも 木の根 かやの根いづくにか 身の捨られぬ処あるべき

生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり

身を観ずれば水の泡 消ぬる後は人もなし 命を思へば月の影 出で入る息にぞ留まらぬ

六道輪廻の間にはともなふ人もなかりけり独りむまれて(生まれて)独り死す
生死の道こそかなしけれ

境界をもすて、貴賤高下の道理もすて、地獄をおそるヽ心をもすて、
極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟をもすて、
一切の事をすてヽ申念仏こそ、弥陀超世の本願に尤かなひ候へ、

一遍上人は、死しても捨聖を貫く魂で
「葬礼の儀式をととのふべからず、野にすててけだものにほどこすべし」

今まで生きて成しえた事や行いなど、すべてを捨てる
自分の存在を捨てる事とともに、門弟の心からも存在を捨てろ。


栄西、道元、親鸞、日蓮、一遍と、蒼々たる鎌倉新仏教の開祖達
一遍上人は、これらの開祖の中でも一際異彩を放っている。

強烈なひとりの仏僧に想いを馳せながら、しばしの時を過ごし
ふらふらと境内を出たとたんに我に返り俗世に身を置いた

どんよりした初冬の空である。
















































































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菜菜子の気ままにエッセイ(親父と昭和とベニア板④競艇)

2011年11月27日 | Weblog

母が亡くなった時、私は父のお墓を建て直した。
『夫婦墓』
にして母の生家の敷地に、引っ越しをした。
墓石を購入する時に、主人と一緒に、石材店に行った。
主人の知り合いの、看護婦さんの旦那様が細々と営んでいた、石材店だった。

『中国産と国内産と、どっちにするで?国内産ならちょっと高いけど、丸亀の石がええのあるでよ~』
と言って下さった。

迷わず、主人と顔を合わせて笑い、
『丸亀の石にして下さいっ!』
と 即答した。

父は こよなく
《競艇》
を愛した…
お金持ちの友人に連れられて、頻繁に足を運んだ。

私は 幼い頃から、そこに連れて行かれた。
父は、母の機嫌をとる為に 私を遊びに連れて行くと 前置きにして、私をお供にした

お金持ちの友人の、お坊ちゃまも、一緒に度々出掛けた。
私よりひとつ 年下だった。

競艇場には、様々な遊具があった。
有料の遊具と、無料の遊具。

わたし達は 遊具のある広場に、置き去りにされた。
一人だと 心細かったが、お坊ちゃまが、見え隠れしていたから、少し 安心してた。
お坊ちゃまは、私とおしゃべりするでもなく、はるか向こう側の、有料の遊具乗り場で
お遊びになっておられた。
わたしは、手前の手前の無料の敷地で、うろうろしていた。
有料の遊具は、お金を入れると、動いていた。※のを遠目に見た
無料の敷地には、ブランコ…滑り台…シーソー…剥げかけた
プラスチック制の動かない動物の置物。

時々、見え隠れしていた、お坊ちゃまを、確認しながら、黙々と遊んでいた…
オカッパ頭…前髪眉毛の上で、パッツン女の子…

お昼頃になったら、親の場所に、行く。
広い競艇場で、何故、親を探せたか?
それは、父が友人のおごりで、
《指定席》
に座っていたからだ。
《指定席》
に行き、空気の読めない、オッサンを探すのは、簡単だった。
《指定席》
で興奮して、立ち上がり、九州弁で叫ぶ、オッサンが 父だったからだ。

『なんばしちょっと!!!』
『ささなあかんばいっ~!!!』
『よかっ~!よかっ~!』

オッサンは、周りに迷惑がられた…
指定席は、外野席のように、横暴に見る場所では 当時はなかったから…

オッサンは、残り1レースを残し、手に二百円を残していた。
二百円で、切羽詰まり、小学生の娘に 聞いてきた。
『何番が好きか?何番と何番が好きか?』

そもそも、わたしは、競艇のボートの番号は、早い順番に付けていると
勘違いしていたから、迷わず、
『マーコは、1番と2番が好き!』
と答えた。

父は、百円でわたしの番号を、一枚購入した。
残りで、おでんのこんにゃくを一本買った。
わたしにこんにゃくを差し出した。
ひとくち、歯型を入れるように食べると、父は 父ちゃんにも食べさせてくれと
言いながら、残りを取り上げた。
唯一のお食事は、10秒で終わった…

今でも私は、おでんを食べる時、必ず 何故か、こんにゃくから、食べる。
それは、この時の 最後まで完食出来なかった、忌ま忌ましい感触が
トラウマになっているのか?
おでんを、娘達に、バンバン振る舞える、ワタシは、
《父を越えた!》

…で
わたしの船券が、見事に的中し、三千二百円が、オッサンの手に握られていた。

今では 競艇も
自宅でテレビを見ながら、電話投票出来る。父が聞いたら、卒倒しそうな、進化を遂げた。
主人も、ギャンブルは、パチンコ以外は、大好きだった。
主人に、言われた事がある。

『お前は懲り性だから、パチンコだけは、するなよ!毎晩仕事終わって
しもへ行かんかって言いそうなけんの~』

私は、好きな人の言う事は 素直に聞くので、忠告を守っている。
※早い話し 興味がないだけなのでした 悪しからず…

生活に無理をしない金額で、それぞれの趣味にギャンブル… 楽しいよね

自分のココロが愉しむ!
これが 1番っ!

丸亀産の石で 大好きな母さんと、あの世をやっている 父ちゃん…
一杯の中華そばも
一本のおでんも 分け分けで…
でもね…美味しかったよ あの味っ!

父ちゃんとの 貴重な想い出の 味だから!
母さんには、言わなかった 秘密の歯型の味だからね~

続く か はてな?

















































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奥祖谷初冬点描 暮らしの初冬

2011年11月25日 | Weblog
さ夜ふけて祖谷の山さと木枯らしに身を任せつつひとり酒食さん

山のべに雲うごき来てしぐれなば寒さ増さりし里ぞしづかなり

山さとの畑に植へし青菜にも霜に打たれて老女かなしむ

大枝にかくれの宿のありけるに白雪ふれば行き交ひ叶はず

今よりは祖谷の山べの枯れ木にも白き霧氷の花園とならん



祖谷鍬を曳きて翁が冬耕す

掃く手停め踊り子如き散紅葉

谷水に洗ふ大根手も赤し

里人も三人寄りて冬日和





松山にて ②
21日の散歩、瀬戸風峠フルバージョンは当日、翌日と筋肉痛に悩まされて
ちと、しんどかった。
それで23日は石手寺裏から道後温泉に歩いて、足湯で暖めて道後の句碑めぐりを
して楽しんだ。
今日は午前中は快晴であったので、瀬戸風峠ショートカットバージョンをこなし
道後温泉で好例の足湯を楽しみ、テラオ兄さんに電話すると、なんと贅沢な
歩くたびに足湯とは、羨ましいとこに居るなあとぼやいていた。
祖谷の山々は1000m以上は霧氷か、雪が付いているとのことであった。
ショートカットバージョンとはいえ6、8キロで12000歩あまりであった。

NHKラジオの朝の健康ライフで聞いたスクワットを二日於きにしている
普通のスクワットとちょっと違うのでかなり筋肉を鍛えられそうである

構えまでは一緒なのだが、足を曲げていくときに腰を後ろに少し突き出し
上半身をすこし前かがみにしながら、1,2,3,4、4秒で太ももが
床と水平になるくらい足を曲げ、また4秒で足を伸ばしていくのだが
中腰で止めて足を曲げたままで、伸ばし切らないことが重要である。

両足に負荷を掛けたまま、スクワットを繰り返すのである
これは、かなりきつい、大抵の人は10回もは連続で出来ないそうだ
10回出来る人はアスリート並みに強いか、遣り方が間違っているひとだそうだ

で、5回位して、2,3分休みして、5回を三遍をワンセットにして
一週間に2,3回すると、三週間ぐらいすると効果が出始めるそうだ。

詳しく聞きたいひとはネットでNHK第一ラジオホームページ表の
上のほうにある主な番組からラジオあさいちばんをクリックして
「健康ライフ」をクリックすると「筋肉を鍛えて健康長寿」の欄に
ある11月16(水)をクリックして聞いてください。




テラオ兄さんの絵手紙












テラオ兄さん携帯写真






















































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菜菜子の気ままにエッセイ(親父と昭和とベニア板③)

2011年11月24日 | Weblog
一昨日の気温は、マイナス1度…
剣山~いざりにも、初冠。
プンプン匂う雪の気配。
ガンバレ!無駄に痛むスタッドレスタイヤ!
ガンバレ!ガランガランと鳴いている…私の愛車!

……などと、言っているが、一昨日はヴヴヴ星人の甥様のお葬式だった。
高知から、従姉妹が参列。私も参列。

一年位前、お墓参りを兼ねて、叔母さんを甥夫婦の家に、連れて行ってあげた。
叔母さんの、生家だ。
『長いこと墓参りにいんでない~いんでみたいわ~』
ふと 呟いた叔母さんの願いを、すぐに叶えてあげていて、よかったと自分で自分を誉めてみる

お葬式は、町であげられた。

やっぱり サッパリ
あの世のことは、ワカラナイ…

家族の哀しみとは、真反対に 空は蒼かった。眩しい位 蒼かった。

遺された、喪服の奥様に、ハキハキした口調で、ロビーで声をかけていた女性がいた。
その方は、夫婦で 参列していた。

『しっかりせえよ!
しっかりせな いかんぞ!』

って…

あのね…
そんなにハキハキ言って…
あのね…
この喪服の奥様の、今の胸中を…
貴女は わかるかい?
貴女に わかるかい?

などと 思いながら、眺めていた。

ワタシは 解ったような、お悔やみの言葉を、ハキハキ話す、女も男も 好きになれない。
黙って 参列するのも、
『思いやり』
なのでは ないか…?自分が経験していない出来事に、ハキハキと共感出来る筈がない…
と思ってしまう
『めんどいワタシ』?
…で前回のエッセイの続きね

あれは 小学二年の夏休み。
忘れられない、思い出がある。

場所は徳島市内に
凛と佇む
《眉山》

小学校一年の時の、担任の女先生が転任して、徳島市内に帰って行った。

父は、この知的で、上品な、女先生が、大好きだった。
あれは、崇拝に近いものだった。

ワタシも 単純に憧れ…大好きだった。

なぜか、転任後も交流を持ち、父とワタシは、その先生の実家に、お招きされ
ノコノコと泊まりに出掛けた。
その夜
眉山に三人で、向かった。
父は一張羅の背広姿。
ワタシは、白いレースが衿元に付いた、紺色のワンピース。
オカッパ頭。眉より上で、パッシリカット!
ロープウェイに乗った。
乗る前に、おしっこが、したかったが、
父が 大きな声で、憧れの先生の前で、ワタシに聞いたから、恥ずかしくて
トイレに行くのを我慢した
父は、空気の読めない、オッサンだった。

今でも 覚えている。
ロープウェイに乗る前に、人込みの中で、叫ぶように言った 声っ

『まーこさん、シッコは!なかと~!』
※おしっこに行きたくはないか

我慢したまま
ロープウェイに揺られ、満員の座席で、父の膝の上に座り…

気が付いたら、父が慌てていた。

父の一張羅の背広のズボンの上に、オモラシをしてしまった 小学二年生オカッパ頭。

ワタシは あの時の出来事を、キチンと学習して、大人になった。
小さな子供を、トイレに連れて行く時は、必ず 手を引いて
『一緒に行くよ~』
と普通の声で、誘う。空気を読む
空気を読みすぎる…?空気を想像し過ぎる…?
ヤヤコシイ オバサンに成長した。

木造校舎
ダルマストーブ
ガラス窓の雪景色
カチカチに凍った手袋。
スピーカーから流れた、始業の鐘の音
先生の足音

『がっこう』
が あった…
『せんせい』
が いた…
『せいと』
が いた…

学校から帰ると
近所のともだちと
日が暮れるまで、遊んだ
自然を相手に、傷だらけになって、遊んだ。
絆創膏も、消毒液も、うがい薬も 要らなかった。

生きる為に
誰もが、平等だった。
毎日
『にんげん』
を やっていた。

大震災の後の
生きる為だけの シンプルな姿に
にんげんを 見た。

まだ、この場所には、
昭和が、残っている

だから 祖谷が、
恋しくなるのではないか…

この連載…
どこで 辞めようか?
ちと 焦る…?
お菜菜で あった



























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初冬点描 松山にて

2011年11月21日 | Weblog
アキレス腱その後
15日にサポーターの保護を外して、歩いてもよろしいと許可が出たので
近所周りで足慣らしをしていた。
足場の悪い山歩きは来春までお預けなので、それまで筋力トレーニングで
松山にいるときは何時も散歩コースになっている、瀬戸風峠ー道後温泉を
怪我後、初のロングコースに挑戦した。

自宅ー石手寺ー四国の道瀬戸風峠ー道後温泉ー石手寺ー岩堰赤橋ー自宅の
周回コースで、8キロあまり、16451歩は筋力が細くなり弱くなって
いるために、思わぬ時間と、まだ普通に歩くことが難しくて右足を引きずる
ように歩いてしまいがちになった。

道後に下りても何時もは素通りしていた、道すじに有るホテル大和屋本店の
足湯に30分ほど足を温めると、ずいぶん楽になり湯の町を散策しながら
駅前ー公園を見物、坊ちゃん列車が走っているのを見て、石手寺ー岩堰赤橋
を経て自宅に無事帰りついた。













































































瀬戸風峠ー道後温泉を散歩
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菜菜子の気ままにエッセイ(親父と昭和とベニア板②)

2011年11月19日 | Weblog
徒然なるままに続く…なんて書いたから…頑張って書いてみる時代遅れのワタシ?
ふと思う…。昭和の時代には 全てのココロのサンプルが、存在していた
生命体を無視したような、時代にさらされながら、今を生きていく中で…そう感じる。


『学校のせんせい』
は 村長さん以上に敬われていた。
村の中に置いて、
『学校のせんせい』
は九割が、
『しものひと』
であって、私生活は微塵も想像できなくて…※あくまでも ワタシの感想だからね。
否定大好きおばちゃんは、眉間にシワを寄せて、読まないようにね。
読んで腹をたてる位なら、最初から読まなきゃいいのにねっ!
悪しからず~

…で、
普段、近寄りがたかった学校の先生達が、一週間に一度は、ワタシの家に来ていた。
もちろん、食堂のお客様。

10人位で、満員御礼になる小さな食堂は、地下に部屋を造った。
それまでの地下は、父のガラクタの鉄屑で、いつも錆臭かった。
湿気と錆と土臭い、地下だったけど、ワタシには、自慢の地下だった。
父は、ロープと板を使って、手作りの
『ブランコ』
を作っていてくれた。
《よく遊べ・よく学べ》
が父のモットーだったから、勉強はトコトン勉強!
遊びも、トコトン遊べ!
こんな感じの、親バカだったから、可愛くて仕方ない娘の為に
ブランコなどと言うアイデアを、考えたのか…?

お陰でワタシは、オバサンに成長した今でも、ブランコがあれば、どこでも遊ぶ!
とりあえず、座る!
漕ぐ!
めちゃくちゃ、必死で漕ぐ!
青空の日だと、テンションは上々~
とにかく、ブランコ大好きなのは、幼い頃の、あの暗い、日の当たらない
地下の物置小屋の、チマチマな贅沢な記憶が、脳みそに焼き付いているからなんだ。

その部屋は、旧間で8畳位あった。

その部屋こそ、地下の改修された、オールベニア板の、座敷部屋。
父は、
『下の間』
※したのま
『下の間があるばいっ!』
と上機嫌で、予約の宴会を、バンバンとっていた。

この下の、客間に下りるには、我が家のこれまたオンボロ居間を、通らなければ、ならない。
6畳一間。壁紙は包装紙、新聞紙の糊貼!元祖リサイクルっ!
細長い傘の、蛍光灯ひとつ。
父なりの、見栄だったのか?父は、オンボロ居間を、見せない為に
階下に続く居間の隅っこを、カーテンで、仕切った。
カーテンレールなんて、在るはずもなく、番線一本。端の留めは、五寸釘!

宴会が入る度に、ワタシ達兄妹は、2畳の子供部屋に、隠れた。

学校の先生が、夜にもすぐ側に、いる現実は、怖かった…
学校と家が、ひとつというシチュエーションは、いつまでたっても、馴染めなかった。

父は、学校の先生達と飲んでいた時は、デカイ鼻を、真っ赤にしながら
昭和版トナカイオッサンになっていた。
父は、デカイ声で、熱く先生達と、
『教育談義』に、興奮していた。

『そげかこと、ワシはおもいよるですけんね~イカンことは、イカンばい~!』

正義感の固まり
曲がった事は大嫌い
青年よ大志を抱け
をこれまたモットーに、なぜか、校区の生徒の生活指導員を頼まれて

『歩く道徳』
が リヤカーを引いていた。

見て見ぬふりは
絶対に出来ない父は、
非行少年に対し、トコトン説教を始める

今でも、覚えている。
その非行少年達は、父への腹いせに、
兄の自転車を、盗み、そのまま崖から、落としていた。

ある日
自転車を探しに行った父は、曲がったままの哀れな、姿になった兄の自転車を、担いで、帰ってきた。

あの日…父は顔は、怒りの顔ではなかった。

ワタシには、悲しそうに見えた。

父は、非行少年達を、認めて、信じて、説教した筈なんだ。

だから、きっと
哀しかったんだ。

兄は、兄なりに、多分彼等に仕返しを受けたのかも しれない…

『学校の先生』
は いつから、昔のように、敬われなくなってしまったのか?

『学校の先生』
の言うことは、
『絶対的』
だった時代。


読者の皆様も、一緒に考えて見てね。

『学校の先生』
の一部の方々の、資質が、いつから、はちゃめちゃになったのか?父兄…
地域…
教員試験…
教育委員会…
エトセトラ…?

徒然なるままに
いつかに続く
























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奥祖谷初冬点描 暮らしの初冬

2011年11月18日 | Weblog
枯れ果つる祖谷の山辺はさびしけり花に紛ひし淡雪恋し

道失せて木の葉に埋もれ山のべにひとり翁が冬にこもれり

をちの山かすかに白くなりにけり初の霧氷に映へし山のべ

冴ゆるさと小滝の音も消へ失せし氷柱あふれて輝きてをり




庭隅に月日重ねし花八手

重ね着に祖谷の里人冬めける

薄暗き神社は晴れし七五三

山茶花の散りて哀しき母のこと

芳香して柊の花こぼしたり


美しい自然に、囲まれ、自然のなかで、自然の一員として
生かされている僕らは、何よりも自然に感謝し、祈り、自然の
恵みを頂きながら生かされていることを知らねばならない。

ならば、自然、山々、の中で行動するとき何を望んでいるかを察知して
負荷を掛けないようにすべきである。
また大事なことは、後日ネットに記載するときに熟慮して、記載そのものが
その山にとって、禍根を齎すかもしれないものならば、記載すべきではない。

それはその山のいま置かれている状態、それ自体が崩壊しているとか荒れているか
今後酷くなるかその周辺の人たちによって多少なりと保護の運動がされているとか
公の規制が無くても、もし記載したためにその山自体に登山者を呼び込んで荒れて
しまうとか、土地の人たちの地味な保護であっても懸命な人たちに多大な迷惑を
かけるかもしれない、等々いろんな事態を鑑み、熟慮して、少しでも懸念があれば
ネットに記載すべきではない。山行記録などは保存しておけば良いのである。




テラオ兄さん携帯写真 


















































2008年11月20日の雪景色 前日降り続いたドカ雪はどんより雲ながら
晴れ間も出て周辺の山々や集落の雪景色が素晴らしいものであった。

奥祖谷初冬点描 ドカ雪
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菜菜子の気ままにエッセイ(親父と昭和とベニア板…徒然に①)

2011年11月17日 | Weblog
20年以上前に、地下の階に増築していたトイレを、改修した。
雨の多かった今年の異常気象で、トタン屋根に穴があいて
天井がごっそりと落ちていた。
ここ数年は、水道管も痛み(凍結で裂け)使用もしていなかったので、思いきって
便器もろとも取り外し、シンプルな小部屋に改修した。
私はケチなので、公休を三日間まとめてとり、大工さんのお手伝いをした。
これを祖谷弁で
『てご』をすると言う。
大工さんは、主人の麻雀お友達。

タイムリミットは、三日間。
トイレの改修と、隣の部屋の一部分の天井補修。
見事に、三日間。余裕で完成した。

『壁に経費をかけない!』
の私の希望通り、壁はシンプルなベニア板。
出来上がった小部屋の天井は、透明なトタン。
太陽の光を、集めて、お布団がいつでも干せるように、嬉しい布団部屋兼 欅の葉っぱを
ライトアップして見るような、プチ癒し空間が、出来た。

これを一緒に楽しみたい1番の相棒は、当然いない訳で、いつもの独り言を、話し掛けてみる。

『なあ、なあ、この部屋…なんか?面白そうじゃよ~』

このシンプルな、今時にみかけない?ベニア板の匂いが、見事に遥か昔の思い出を、蘇らせた。

昔…オンボロの家に、小屋のように、構えて営んでいた、小さな食堂。焼鳥屋。

父ちゃんのデカイ鼻に、コテコテの九州弁。
食堂は毎日、繁盛したのに…我が家に、お金がなかったのは
全部 犯人は、父ちゃんだったんだ。
父ちゃんは、ウルトラマンでもあり、バルタン星人でもあり、カネゴンでもあり…

ベニア板の 習字の墨汁にも似た鼻につく匂いが、昭和の思い出と共に
私のココロをワクワクと、センチメンタルに誘う。

徒然なるままに…
いつかに…続く











































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奥祖谷初冬点描 暮らしの初冬

2011年11月15日 | Weblog
山のべに雲のかかりてしぐれ降り木の葉失せにし木々の寒々し

枯れ葉舞ふ深山の露たま凍りたり裾をぬらしてひとり歩まん

雲うごき俄かにあられ降り来たり今宵は白雪つもりたるかも

さむざむと祖谷の山さと冬ざれし落葉拾ひて焚き火に祈らん


節くれし手を眺めつつ初時雨

落葉踏む音に寄り添ふ深山かな

寒波来し色を尽して冬紅葉

雲動き一陣の風枯れ葉舞ふ

側溝に集まり来たり落葉屑






テラオ兄さんの絵手紙












テラオ兄さん携帯写真 イヌホウズキの花 今年は初冬になっても花が多く咲き、春、夏の小鳥
ミソサザイの鳴き声が今井の自宅付近で聞こえてくる。
一の森ヒュッテの管理人さんが、山を下りて池田町の自宅でウグイスの鳴き声を聞いたと
ブログに書いていたが、どうなってんの?今年は。















































ことしの気候は初冬になっても、暖かい日が続いて、初雪も遅れている
花が多く咲き、季節はずれの小鳥が囀っているようで、雪景色の写真は
場違いのような気がするのだが、初冬に入っているのだからそのうち
降りだすことでしょう。

奥祖谷初冬点描 2008年11月19日のドカ雪

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菜菜子の気ままにエッセイ(お菜菜迷子になる!)

2011年11月13日 | Weblog
本日の気温9度!
冷え込んできました祖谷山の朝。
『起きたくない~!』
『このまま布団と…結婚したい~!』
『まいにちゴロゴロしたい~!』

が本音の最近のワタシは、隣の隣の町を、お仕事で公用車を走らせながら
マジで真剣に、人生初の
『迷子』
になった。

「〇〇さんの家から〇〇さんの家まで、山越えしたら、半分の時間で着くよ~」
「あの山道、あれは助かるわ~~!国道に出るより早いし、距離も短くなるし~!」
「走ってみたら、早く着いて、びっくりしたわ~!」

……
……
の先輩職員の会話を、
左耳だけで、聞き…
必死でお昼のコンビニ弁当を食べながら、頭の中は、目の前にある
これまた職員様からの差し入れの、ロールケーキを食べる事を、想定しながら…
頭は食べる事で、ぐじゃぐじゃになりつつ、左耳は、山越えの道を想像しつつ…?

チラッと確認だけを していた。

『その道…?ワタシもわかるかな…?』

「ワカル!わかる!大丈夫!見た事のある風景になるから、それを下りてきたら、行き着くわ~!」

…で
昨日!
その訪問先を、走る勤務だったので、国道コースをパスして
山越えルートに、チャレンジして見た

この町は 広い…
めちゃくちゃ 面積が広い…
農道も あちこちに繋がっている
色んな…隠れ名所がある…
仕事中でなかったら、バンバン行ってみたい、場所がある。

『キャッチコピー付けたい~!町興し…一緒にやりた~い!』
と…空想をしながら、車を走らせる

…で
聞いた通りに、山のてっぺんを目指し、バンバン駆け上がる~!

人間ゼロ!
民家ゼロ!

遥か向こうの山が、視線と同じ高さになった~~!

絶景っ!
めちゃくちゃ 絶景っ!
車の中から、こんな絶景 タダで エエん~?
ありがとう~!
って?誰にお礼を言ってるんだ? ワタシ?

てっぺんをジワジワと、下っていく

この山を 越えたら
下りになって
そしたら…
見慣れた景色になって…

って、
見慣れたって?
確か 言っていたのは
地元職員っ!

ワタシは よそ者!
『しもの人』ではないよそ者村育ち!

……山を下ると
見慣れない 景色だけが広がっていた

おまけに 突き当たりに 分かれ道

『テキトー虫』
が一気に繁殖し、左に曲がったのが、運命の分かれ道

『声のする方角』
を左と信じ…
左に行けば、またまた、殺風景な景色になり…
車を回して、来た方角に戻り

『山で遭難したら、まず基本は、来た道に引き返すことです!』
とイケイケギャルAちゃんの、旦那様が、テレビインタビューに、答えていた。
※標準語だった

来た道に戻り、さらに別の道を下り、またまた分岐で、更に殺風景になり?

結局…
とりあえず、この山道を下に下に
最寄の国道を目指して、下る
『最悪な遠距離走行』
人生初の、山道迷い~
山で遭難する人って、こんな 感じで、はちゃめちゃに迷って行くのだな…と
痛感いたしました。

ワタシの責任でした…
手書き地図を持たないで、ランチタイムの空想だけでバンバン走った ワタシの責任でした…
あの時…ロールケーキのことばかり、考えていたワタシの責任ですっ!

道がありすぎて、
迷いに迷う~
道が二つくらいなら、選択出来るのだけど、〇〇高原まで〇キロの看板だけしか
メインの分岐点には、無く…
地元民にとっては、見慣れた農道でも、よそ者には、木しかない?山の道…

公用車を無駄に私用した 罪悪感が 週末の神経を チクチク刺す…

携帯電話は 役に立たなかった

電話をかけた 同僚お友達職員は、その時間、利用者様の食事準備に没頭し
鳴ってたことさえ、気が付かなかったと、笑っていた。
※こいつ 得意な洋食を作る時は 嬉し過ぎて 頭がルンルンになる 天然女子…

遭難が増えるのは、
道が 在りすぎるから!
一本しか道が、なければ
誰も迷わない!

道は二つまでで、いい…
それ以上は いらない…
と痛感した
お菜菜の呟きでした。
※追伸
話題のTPPを、すぐに覚えたい方に
ゴロあわせです
トイレ!
ポータブル!
ポットン便所!
失礼しました~♪   雪の匂いがしま~す♪



























































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奥祖谷初冬点描 暮らしの初冬

2011年11月11日 | Weblog
秋されば祖谷の山のべさびゆけり荒れにし三嶺に安らぎあれかし

冬入れば今より寒さ増さりけり雪げ降るさとだれか訪ふべき

祖谷のさと雪虫舞ひて告げに来し今より雪の降りし日のあり

さびしさは祖谷の奥山ふゆ枯れに行き交ふひとの少なかりけり

ひとりすむ野べの翁に時雨なば枯れ野を染めて冬を告げにし

祖谷渓に十一月の水風情

山寺の山門閉まり初しぐれ

祖谷の里訪ふて落葉の冬の溝

奥山に木の葉も落ちて冬に入り

窓開けて子らの声聞く亥の子唄




築300年の古民家全面改修の新聞記事を見る、東祖谷釣井にある「ちいおり」が
来春のリニューアルオープンに向けて改修されるようだ。

で、詳しい人に聞いて見ると、改修工事などは業者に請け負わすようで
またしても、そうなのか?と思って失望しているわけである。

釣井の古民家木村家、落合の長岡家、そして、今度のちいおり、すべて茅葺き民家
であるが、業者任せで、祖谷衆が手伝って関わってゆくことが出来ない。
何千万と注ぎ込んで古民家を再生してゆくプロジェクトと云えば聞えは良いが
古民家再生の基本理念が欠けているんじゃありませんか?

祖谷地方といえば昔から茅葺き民家がたくさんあって、結いの習わしで自分たちが
助け合って改修してのでしょう、その伝承はまだ多少なりとも残っている筈であろう
多くはないが、中には手伝って少しでも伝承を引き継いでゆきたい人たちのいると
思うのだが、その隙間もないようである。

自分たちも参加して出来上がったのだという思いも無くて何の古民家再生だ
いい加減にしてもらいたいものだ。
こんどのちいおりについては特にその思いがある、つい、4,5年前には
祖谷の伝統、伝承を大切に守ってゆくべきであると説いていたのであるが
何時ごろからか影を潜めて方針転換をしているように思われてならない。


山岳遭難事故が多発しているようだ
徳島の山岳では今年に入って11月8日までに39名の遭難事故が起こっている
過去10年間の平均で年7名であるから今年は突出している。
内訳は県内人8名でその他は県外人で東祖谷の山岳周辺と石立山周辺であると。

また愛媛県警の発表では今年に入って9月までに19名の遭難事故が起きている
ほとんどが40歳以上の中高年で、滑落、道迷い、病気などが多いようだ
滑落と病気で2名の方が亡くなっているし1名を除いて18名は石鎚周辺で
遭難事故を起こしていると。










テラオ兄さん携帯写真 冬枯れの風景
































































































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菜菜子の気ままにエッセイ(ヴヴヴ星人と役場な人達~?)

2011年11月09日 | Weblog
欅の葉っぱが、茶色に焦げたような、祖谷山の今年の紅葉は、やっぱり悪天候の成せる技…?
そんな 秋の日
祖谷ファンの読者の皆様、お変わりありませんか?
宿借りblogにほんの少し、お邪魔しないだけで、わたくしの事を、心配して下さる?
優しい皆様に感謝しまして、土佐で暮らす、ヴヴヴ星人の暮らしの、ヒトコマを
着色なしで、お届けします

本日、従姉妹から、夕方わたしに、電話がかかりました。
その第一声!
「昨日、来たが~介護保険の認定調査の人よ~女の人と若い男の子来たが~~
はがいがでぇ~!母ちゃんよ~!さっさ、さっさ歩くが~!」

※ここでお勉強ですよ。介護保険制度には、介護度の認定調査が、あります。
一度認定を受けても、六ヶ月に一度、見直しの為の再調査があります。
認定調査員が、直接じじ・ばば様の指定した住所地に、出向いてくれます。
介護保険制度の財源は、被保険者の保険料より50%国が25%都道府県と市町村が
それぞれ12、5%です。
ごろ合わせで覚えたい方は、
〈まず割り勘!ニコニコと国が払って、県のオッサン村のオッサンイチニのゴーで飲み歩き〉
こんな感じかな…?
失礼しました…

で ヴヴヴ星人の認定調査のやり取りです。
「〇〇さんこんにちは」
『まあ~お世話になります~』
背筋を伸ばし、答えるバアバ!

幾つかの、問診を、調査員が、進めていく。
「季節は今はいつですか?春夏秋冬なら、いつになると思いますか?」
『……いつだろう?』
「ここはどこですか?」

『そりゃあ…高知と思うなあ…?』

暫くして、
ヴヴヴ星人は、自分の部屋に、軽いあしどりで向かい、写真を持って
再び調査員の、前にスクッと座る。

『ワタシは若い時には、シャンハイにおったんでよ~写真みてや~ワタシ写っとんでよ~』

調査員と従姉妹の
しばしの…無言の愛想笑い

調査は更に続く…

「腕を上げてみて、下さい」

シャキッと腕を上げる、バアバ!

立ち上がって、歩いて見てくれますか?

サッと立ち上がり、スッスと歩くバアバ!

「痛い場所は、ありますか?」

『脚痛いくらいじゃなあ~これは死に土産じゃ~しよないのよ~』
ヘッへッと膝を摩る、バアバ…

「生年月日を言って下さい」

『大正12年8月6日っ!』
※正解っ!

「お名前を言って下さい」

『〇〇〇〇〇ジョです』

「キチンと言えてますね。」
※なぜか、褒める調査員…

『こんなんで、間違えよったら、すんだもんじゃ~話しにならんわな~』
意気揚々と笑う、バアバいち名!

従姉妹は、ココロの中で、叫ぶっ!

《話しにならんきん、ここでおるんだろ!なんで、今日は、痛い、セコいを言わん~?
なんで、脚をヒコズランの?※引きずるの祖谷弁です。
なんで、ヴッヴッヴッも、一回も言わんの~
なんで、どっこらしょも言わんの~
母ちゃん、毎日『痛い、痛い、たまらんわ~』って、イヨルの、あれは、何???


……
認定調査員は、帰って行った。

バアバは、娘に聞いた…

『だれぞ?今のしらは?どこから来たんな?』

「介護保険の人来るって、前からいよっただろ~!」

『なにや?なんぞ』

「前に祖谷の家にも、調査員来ただろ~」

『……
どこの役場のしぞ?あのしらは、どこの役場ぞ?』


認定調査の目的は、親子間の信頼感を、欠落させるものでは、ありません。
あしからず…


今月末、三日間
娘達と、久しぶりに帰省する バアバ様

この前の休日に、帰省した我が娘 うし女 金欠病 26才 独身
…が、バアバ様の家の草むしりを、セッセと頑張っていた。

母は土木作業!
娘は ツボクサ
※草むしりの方言
銭はないが、
なかなか、エエ娘!
※独身の公務員、いませんか?出来れば、身長170くらい
ついでに、次男…
ついでに、健康体…
ついでに、二世帯住宅…

ポイントの顔は、私の面接を受けてからなので、あしからず…

多分 うし女は
このまま…?うしか?
冷えて来ました、祖谷の里

まだ、雪の匂いは
しませんよ~

それぞれの場所で
ワクワクを愉しみに~みんな、がんばろう~
ポカポカのココロを
いっぱい いっぱい
ストックしてたら
冬なんか、超ホカホカっ!

ココロに冬眠は
ダメだよ~
休息はいいけど、冬眠は起きられなくなるよ~

以上 久しぶりのお菜菜と市町村合併を把握できていない?バアバの近況報告でした。










































































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奥祖谷晩秋点描 暮らしの晩秋 

2011年11月07日 | Weblog
祖谷のさと木枯らし吹きて冬近くしばし待たれよ行く秋惜しまん

からからと風にみだれて舞ふ落ちば庵にかかりてあはれ誘ひけり

さよ更けて木枯らしの声聞きつれば寝覚めの酒に行く秋わびしき

秋更けて落ちば重ねしいにしへの平家の墓辺は夢のあとかも

祖谷のさと菅生王の墓ありし訪ふひと絶へて道も失せりや

旅たちて余白気ままに暮の秋

世事凡て片付くものと冬近し

温暖の気ままな日々に冬支度

熟すまで気取られまひと渋の柿

雪虫の飛び交ひ告げて冬近し



半世紀近く友人関係にあるMさんは自分より3歳年上である、彼は鹿児島出身で
工学部出であり、縁あって松山でエンジニアとして就職、以来の付き合いである
からして、彼と自分ではまったく正反対の価値観、人生観、物事の考察思考など
真反対の意見を有している。

そのような人間関係にありながら、家族間の悩み事、政治、経済、科学、原子力
ありきたりの世間話など、あらゆることに議論を戦わしながら、意見交換をして
お互いを理解するように勤めているのだから不思議である。

価値観、人生観など意見を異にする人との付き合いは不愉快で、居心地が良くない
などと、敬遠しがちであるが、同じ考えの人だけの付き合いは温ま湯に浸かっている
ようで心地はいいが、場合によっては思考の停止を来たしかねない
もみじが同色ばかりでは味気ないのと似たようなものであろう。










テラオ兄さんの絵手紙 雪虫が飛び出すと雪が降るのが近いと云われていますね
そう、雪の妖精とも云われ、雪が降るのを伝える妖精でしょうかね。
ロマンチックじゃありませんか。でもこの暖かさではまだのようですが先は判らないね
2008年11月19日はドカ雪だったからね。














昨年11月13日にひとりで丸笹山ー赤帽子山に登った折に雪虫が飛んでいたのを
撮った写真を思いだした。














































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奥祖谷晩秋点描 暮らしの晩秋

2011年11月04日 | Weblog
暮れ果つる祖谷のやまべを落ちば踏み木々のあはれに行く秋惜しむ

山のべにひとり翁の住みけるに雪の降るころ山を下りしか

木の葉降るさとはいまより訪ふひとの無きはわびしきわが庵思ふ

はらはらと山の気こがすもみじ葉の散りて散りにし土に還らん


書を読みて想ひ巡らし暮の秋

末枯に一握の草抗ひて

祖谷川に収穫いかに崩れ簗

末枯に押し黙りつつ廃家みゆ




山野べに暮らしている人たちは今よりから冬越しするのはなんとも厳しいものがある
積雪による道路の通行困難もさることながら、水の確保が難しい、谷や湧き水の引き水
であるから、途中のホースで凍ると難儀する。

辺鄙な集落は廃家が多いが、そのなかのひとりKさんは毎年11月も下旬になると
やはり山を下りて岡山も子供さんの所で過ごすそうである。
このようなお年寄りがたくさん居り、これからはさびしい限りになる
来春になり一番に訪ねて、部屋から顔を出すとほっとしてお互いに笑顔になるときは
訪ねてきてよかったと安堵する。













































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