秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

初秋の気配

2007年08月31日 | Weblog
夕べには 花のたたみし 木槿かな
めはじきを 瞼にはさみ 少女来し

木槿
朝咲いて、夕方には萎んでしまい翌日はもう咲かないので
「謹花一朝の夢」「謹花一日の栄」人の世のはかなさの意
昔はこれをあさがおと呼んだようである。

めはじき
シソ科の二年草、夏から秋にかけて淡紅紫色の唇形花数個ずつ葉腋につける
少女たちがその茎を短く切って折り曲げ、瞼にはさんで遊ぶ事からこの名がある。
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菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月30日 | Weblog
世界陸上
世界陸上が、熱い。大阪を舞台に熱い風が吹いている……が私の生活とは、ムカンケイ。今夜も、静かな夜だ。愛犬の柴犬「ゴン」が老体に鞭うちながら、時々吠える。テレビを消せば、祖谷川の音が聞こえる位で、瞑想をするのには、祖谷は絶好の場所だろう。たまに、前の山の中に抜けたトンネルに救急車が入った時のあのサイレンの音が、聞こえた時などは、妙にざわつく。自分には関係ないのに、取り敢えずテレビを消して、サイレンの音が、耳鳴りでなかった事を確かめる。救急車が引き返した時間で、どこの集落だったか、想像などしてみる。陸上と言えば、思いだす中学の時の、イマイマシイ出来事。ハードルの選手が誰もいなかった。いなかったというか、誰も出場したくなかったのだ。校内陸上大会。クラスの嫌な視線が超高速で私に集中した。私は、今も昔も「いいひと」すぐにOKした。そこで前置きしておくが、私は真っ直ぐに走っても、めちゃくちゃスローだった。短距離を必死で走っても、マラソンかと言われた。三段跳びは、スキップかと言われた。バレーの回転レシーブは、モグラが穴を掘っているのかと言われた。そ、そんな私にハードル五十メートル?「なんてこっちゃ」ハードルは、「がんばれー」という無情の歓声のもとに、すぐに終わった。いまで言えば二時間待たされて、三分で終わる診察と似ていた。気がつけば、やけに膝小僧が痛い。任務を終え、クラスメイトに向かい手を振り、爽やかに後ろを振り返るーー。ハードルがすべて倒れていた。知らない子供がこの種目を始めてみたら、ハードルは倒していく板の数を競う競技なのかと、学習するだろう。あの時、子供がいなかったことを、祈っています。水泳をやれば、「溺れながら偶然前に進んでいた」と言われた。確かに自分でも苦しかったから判っていた。バレーボールの試合に初めて出場させられて、二回続けてレシーブをして、審判の非情の笛が体育館に響いた。嫌ーな顔で、笛を吹いていた、あの時のオッサンは、まだ笛が吹けるのかな~老後を心配してあげている、私って、本当に「いいひと」あれ以来、私は陸上の世界から足を洗った。世界陸上を見て、あの時の感動が、ヨミガエッテきた。今は、運動と縁を切り、研究者になった。ゴキジエットとキンチョールの吹き付ける回数で、ゴキブリが何回転しながら死んじゃうか?二つを交互に吹き付けてみる。結果は、企業秘密なので言ってはいけない。日々の苦しい練習に耐え、戦うスプリンター達。大阪は、熱い。私は、日中ただ 熱い。低血圧でなかなか起きられないが、布団の中でシンクロナイトスイミングのような、異様な足芸をして、私はようやく、布団からはい上がれる。明日も一般人の仕事を、頑張ろう。一般人の気持ちを理解する努力も、大切だ。今日の祖谷の空は、淡いスカイブルーに、雲の波が、幾層にも広がり、空の海を満喫できました。自然界の不思議パワーに合掌ー。
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初秋の気配

2007年08月28日 | Weblog
渋搗きの 臼据わりおり 納屋の土間
山道の 先々増えし 赤のまま

渋取、渋搗
まだ青い渋柿を取って帯を除き臼に入れて搗くそれに水を加えて
布袋で絞り採ったものが渋で防腐剤としていろいろな物に塗るが
紙は丈夫で紙衣などにもなった。
その年の柿渋から採ったものを新渋と云いまだ澄んでいるが一年ねかせた
古渋、しねしぶは濃い褐色をしている。

赤のまんま、赤のまま
犬蓼の花のことである、本来蓼は辛いがこれは辛味がなく利用価値が
ないというので犬蓼の名がある。
紅紫色の粒々の小花を穂状につける、子供たちがままごと遊びにこの花を
赤飯に見立てて楽しむ。

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菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月27日 | Weblog
千の風になって
「千の風になって」が、百万枚のミリオンセラーになった。去年の年末、娘達が私に気を遣ってこの本とCDを買ってくれた。私は本当に変わり者。主人はお墓にいて、鈴を鳴らせば、仏壇にきてくれて、魂は私と共にいると信じている。だから、やたらと独り言が増えた。なんて、バラバラの思い込みだろう。剣山は、富士山の隣にあり、剣山の神は、日本全国に在ります?そんなめちゃくちゃな話しを、組み立てているように、思う。
人は、意識の中で生きている。「あの世なんてない、死んだらそれでオシマイ」と言いきる人々に問いたい。あなたの家のお墓を、足で蹴れますか?多分、蹴ることには、躊躇するのではないだろうか。宗教感が、希薄になった。法要は、いつしか生きている者の都合に合わされるようになった。故人の魂を供養する、昔から宗派によって、決められた日がある。今は、生きている人に合わせて、法要を営む。こだわらなくなった宗教感の希薄と共に、人間の意識が少しずつ欠落していくような、一抹の不安を感じるのは、私だけではないだろう。「祈り」を知らない人間が、蔓延る。祈りを避ける者達は、自分が気持ちのいい、時間を過ごす事を優先する。結果、自分勝手な人間が蔓延る。この国が、オカシクなった始まりは、「魂」を重んじることを、忘れてたからではないだろうか?自分で書いてて、訳が解らなくなってきた。判らない事を書く。私も、自分勝手なのだ。主人の命日は、十一月一日。去年、納骨の日に親戚にその手前の日曜日を選んで、一周忌をするように、言われた。その時は、そうするわと答えたが、ずーと考えていた。娘達も言っていた。「その日は、父ちゃん生きとったよ!オカシイよ」
私は、主人の最期の声を聞いた家族三人とお坊さんだけで、一周忌をすることを決めた。
お坊さんに、電話をした。「家族だけで、営みたいので、午前9時半に来て下さい。」主人の息の引き取った十時十五分には、お経の中で主人の魂に迎いあうことができる。あとは、主人の親戚の反感をかうだけだが、最期に手を握っていた、家族の絆と思いは他人には判らない。お坊さんに、変更の連絡をしたら、心のモヤモヤが少し晴れた。
毎朝父と母と主人にお茶とお水をお供えし、お線香を別々のお仏壇に立てる。私は、三人の仏様と暮らしている。主人が母達の仏壇に、よくお供えを買ってきてくれた。
「これ、おかあにお供えじゃー」大量のお菓子。有り難いことに、レシートも私の前に差し出してくれている。よーく見ると、主人の大好物ばかり。「なーにこれ?父さんのお菓子ばっかりじゃない」主人は、あの垂れた小さな目で笑った。「おおーそうか~?」昨日の事のように浮かぶ。八月二十四日、友人の夫の命日が終わった。彼女の長い一日が終わった。彼女と子供は、夫が四十七歳で終えた生涯の盃を、神に返杯した時刻に祝詞をあげた。ローソクがゆっくりと揺れていた。その絆に入りこめる者など誰もいない。彼の手造りの家の屋根に半月の月明かりが煌々と輝いていた。
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地蔵盆

2007年08月24日 | Weblog
地蔵盆 子らの顔見し 行司かな
法師蝉 尾を引く声や 哀れなり

地蔵盆での相撲大会は行司の困りどころ、幼い子等の顔いろ、
泣きべそ顔を見ながら両方に軍配を上げねばならないことしばしば。

地方によっていろいろに聞きとられているが、はじめ
ジュツジュツジュツ、つぎにオシーツクツクと何度もゆっくり
繰り返し、最後にツクツクボーシと三回ぐらい鳴き、ジーと
尾を引くように鳴きおさめる。
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地蔵盆

2007年08月23日 | Weblog
路地入れば 子等の四五人 地蔵盆
残暑とは 猛暑収まる 処暑なれり

地蔵菩薩は子供の守護仏として信仰されている、死んだ幼児が賽の河原で
苦しめられるのを救ってくださるという俗説があって地蔵盆といえば
子供の祭りのような感じを与える。

8月23日、24日四辻や路地に建てられた地蔵に供え物や行灯を灯したり
子供相撲を取ったりしてお祭りする。

今日は処暑、やっと猛暑も収まる気配あり
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菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月22日 | Weblog

救世主は、突然現れた。そう、頭から離れなかった「ねずみ捕り未解決問題」! テラオの兄さんと言ってももう、れっきとしたおじさん。いやっ、高齢者からみれば「お兄さん」その、お兄さんに毎年、友人から梨が送られてくる。その梨を私達「てんごの会」の数人は、チャッカリ横流しして、頂いている。ありがとうございます。
そのテラオの兄さんが「おるんかー?」と汚い祖谷弁で玄関を開けた。ドアを開けると梨を二個持って、立っていた。「嬉しい!有難う」私は、キレイナ標準語で御礼を言った。テラオの兄さんの顔に、一瞬チェック模様のねずみ捕りの箱が、何故か浮かんだ!また、また、天からの声が私に降りてきた。ような気がした。私は必死でかわいらしく叫んだ。「箱、ねずみ捕りの箱、捨てて!」梨を両手に持ちながら、人差し指はしっかりと車庫を指指していた。テラオの兄さんは、車庫に向けて歩きながら、「あーこれか~」発見した喜びに声が、高鳴っていた。私は、やっぱりキレイナ標準語で、「捨ててー捨ててー」と叫んだ。「これ、腐っとるぞ」横の谷に不法投棄したテラオの兄さんの声は、しっかりと確認した。この会話だけをラジオで流していたら、どんな番組になるんだろう?不法投棄は、いけない事。人間として、どーかと思う。今回は、主人の初盆ということで、神様に許して頂こう。テラオの兄さんは車に乗り込みながら、「たまらんわ~~ 」とブツブツ言っていたが、あれは、きっと長く続き過ぎている、独身生活を嘆いて、つい、口にした独り言なんだろう。そんな呟きも聞き逃さない私はなんて寛容な人間なんだろう。親に感謝しよう。とにかく、ねずみ捕りと絶縁出来た。ずっと悪い想像をしていたから、スッキリした。あのねずみ捕りに、臭いを嗅いで、猫が近付く、猫が顔を入れる!猫は、ねずみ捕りの箱をくっつけながら、車庫で暴れる!音が車庫に響く!すぐ前のおばちゃんが、窓を開けて叫ぶ!「何かアッタン~何~何~」私は、その時、なんて答えたら良いんだろう?そんな果てしない悪い想像をしていたものだから、テラオの兄さん、有難うございました。何よりも、梨を送ってくれた友人のNさん、ありがとう。あの梨がなければ、私は永遠にチェックの箱を見ながら、泣いていました。夕立の雨の音、ミンミン蝉の音。夏が少しずつ、遠ざかって行く。合掌
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菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月21日 | Weblog
衝動買い
今日も、真面目に仕事を終え、帰宅した。宝くじが当たれば、一般庶民とすぐに縁を断ち、華麗なる『食っては寝る生活』をと夢みているが、やたらと歳月だけが、私を追い越していく。「当たる」なんて言葉は、死語に近く、たまに口にしたものが、腐りかけていて、アタル位なのだ。あれは辛い。だから一般庶民と同じように、とりあえず仕事に出かけている。今日帰宅して、嫌なものを見付けてしまった。車庫の一番端に置いた、ねずみ捕りが少し動いていた。おまけに、細長いものがチョコッと飛び出てる!いつも落ちている竹の葉にしては、リアルに細すぎる。嫌な予感を打ち消すように、斜めから少し覗きこんだ。こんなかわいらしい覗き方、久しぶりだ。高校の時、時々彼氏の前で「ぶりっ子」をした。あの時以来の、しなやかな覗き方。とにかく、箱を覗いた。 『ギャー』覗いたと同時に、箱が動いた!ねずみが、まだ生きている~!!!なんと気の毒な現実。普通ならそう、主人が私を於いて逝かなければ、このねずみ捕りは、存在しなかった。あれは、ヒトツキ前、私は百円均一でウロウロしてこのねずみ捕りの箱と、目が合った。何故か、買ってしまった。そう、今まではしなかった事をやたらと始めては、気を紛らわす癖が付いてしまった。トマトの苗も、今だに仕方なく水をかけている。しかも、バケツで。バケツでかける時は、回りが真っ暗になった時。一応、世間体がある。鑑賞用の唐辛子。これはまだ楽チン!コップ一杯の水でまだ倒れてない。とにかく、ねずみ捕りもただねずみがいるかいないか、そんな事私には関係なく、組み立ててみたくて、置いてみたくて、買っただけ。本当にねずみさんゴメンなさい。ねずみといえば思いだした事がある。二年位前だったかな。リビングに突如、ねずみが出現した。主人と私は、一致団結。広い?リビングの中を、汗をかきかき、「イザッ、ねずみを捕らえよ」天の声を聞きながら、小さなねずみに一時間余り、振り回された。ようやく、ビニール袋に入れた瞬間、主人が手を滑らた。また、テレビの裏に逃げられた。私は主人を、睨みつけた。主人は、「手が滑ったんじゃー、仕方ないだろー」と開きなおった!私はヤッパリ主人を睨みつけた。一時間は、キツカッタ。それから、数十分。ようやく、ねずみを袋に入れて、きっちりと口を縛った。
一時間半の間に、ねずみと何回も目が合った。そうなると、もはや、ねずみに同居人のような愛着が沸いた。「なー、父さん、なんか可哀相な事ない?逃がそうよ」私の案に、主人はすぐに頷いた。「おー、逃がしてやるか」主人は、人の意見に軽く同調する時が、よくあった。楽と言えば、楽な夫だった。主人と私は、ベランダにでて袋の口を開けて、ねずみちゃんを、開放してあげた。可笑しくて、なんかサバサバして、冷たいお茶を飲んだ。こんな、蒸し暑い夜だった。まてよ、今まさに、車庫で動いているねずみは、あの時の子孫?どうぞ、沢山の子孫が残っていますように、つごうのいい時だけ、私はお祈りする。そして、もう二度と思い付きで買い物をしませんと、ざんげします。そして、第二の難問は、あのねずみ捕りを、いつ処分するかなのだ。動かないという絶対の保障は、何処にもない。そう、今の世の中、「絶対」と「保障」が曖昧なのだ。
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残暑

2007年08月20日 | Weblog
八月は キレンゲショウマ 花ざかり

ここ4,5年のキレンゲショウマ熱は大変なものだ
その結果石鎚山、一の谷、黒滝山、筒上山などの各群生地は
踏み荒らされて悲惨な状態であるらしい。

十数年前に筒上山の花は見たが、他の群生地はどのあたりに咲いて
いるのか知らないし、知ろうとも思わない。
行けばキレンゲショウマの加害者になるから、加害者には為りたくない

登山者はどうしてもキレンゲショウマを血祭りにあげたいらしい
花が好きだ、自然を大切に、と云いながらである。

悲惨な状態に為りつつあるのを知りながら毎年決まって見に行く登山者
が大勢いるようだ。
一度見た登山者は山には登っても花の場所へは行かずに素通りすれば
どうだろうか、再会は4,5年先として楽しみを先に取っておけばいいではないか。

そうすれば人数も減るはずだ、花への負荷も少なくなり、回復を図る事が
出来るかもしれない。
しかしこのようにしか打つ手が無いのが現状であろう、悲しいかな
登山者の自覚に待つしかないとは。
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菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月18日 | Weblog
ワカラナイ
盆が終わり、娘達が町に帰って行った。私は大量に干してあるベランダのタオルとともに残された。残暑が厳しい。家の裏がすぐに祖谷川という我が家の必須条件は、湿った空気で洗濯物がなかなか乾かないという現実。それにしても、このタオルの量。日本人がみんな娘達のように、タオルを愛用したならば、タオルの会社は、絶対に倒産しないだろう。財布は適当にバックにいれたまま、無造作に置かれたままなのに、携帯電話は、一日中傍に置いてある。前に私が、着信音をイライラすると言ったものだから、バイブにしてくれている。有り難い。
娘達が誕生したのは、二十二年前の夏。小さな町の産科の病院の中は、朝から慌ただしかった。「双子が産まれるのよー」看護婦さんが、顔見知りの患者に汗をかきかき、話したと聞いた。私は分娩台の上で、微弱陣痛に腰の痛みと闘いながら、点滴を左手に刺されたまま、天井を見つめて歯を食いしばって耐えていた。看護婦さんが入ってきて、笑いながらカイコウ一番、私に言った「控室で旦那さん、大イビキかいて、眠っとるわー」
「はあ~」!!! 結婚してから一年しか経っていないのに、ドラマのワンシーンのように、もう少し何かの行動をとれないものなのか?今、まさにこの世でたった一人。じゃないたった二人しかいない我が子が誕生するという一瞬なのに!主人に期待しない症候群はこの日から妻にインプットされた。「半分の力を残して産むのよ!力を全部使うと、次の子が出てこられないでしょう!頑張って!半分、半分」婦長さんが、半分惑星から降りてきたつかいの人のようにひたすら、半分を叫ぶ。一人を産み、七分後に次女。「終わった~」看護婦さんがみんな喜んで、分娩室の中は、歓声に包まれていた。私が病室に帰ると、主人が起きたらしく、まだあくびをしていた。主人は、ベットでギブアップしてしていた妻に向けて声をカケタ。「おーー、産まれたか?セコかったか?子を産むのは、痛いし、セコいんじゃわ~」 「はあ~」!!! 妻は夫の正体を知った。この男は、ゴーイングマイウェイと、ノー天気のカタマリなのだという現実を。そういえば、タオルも少し拭くと、廊下にポイッと置いていた。嫌な遺伝子を感じるが、考えないことにしよう。今の私が真剣に考えなければならない事は、ただひとつ。台所の床で殺虫剤も使っていないのに、ゴキブリが仰向けで死んでいた事。「何故?」ワカラナイ。
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盂蘭盆

2007年08月16日 | Weblog
急流に 見よ疾風の 精霊舟
流灯や 白紙で浮かび 哀れなり
送火や 消えて夕闇 迫りけり

精霊舟
盂蘭盆の供え物や飾り物などを麦藁や苧殻で作った舟に
乗せて海や川に流す、その舟を精霊舟という。精霊流し。

流灯
真弧で舟形に作ったものや板の上に絵灯籠を据えつけたものが多い
白紙を貼ったのみの角形の灯籠が灯って浮かぶ様は、ことに哀れに
美しい。 灯籠流し。
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菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年08月15日 | Weblog

八月十四日、朝5時30分家を出発。主人の眠る集落のお墓に向けて車は、祖谷の曲がりくねった山道を走る。渓谷の川は、静けさをとりもどし悠々と流れている。まるで、白い大蛇がこちらに向かって、這っているようにも見える。白い水しぶきが、幾つもの曲線を描いている。遠く剣山の方角の山々の空が、朝焼けに輝いている。ひとつ、二つ、三つ、淡く燃えたつようなオレンジ色は、盆を迎える新しい魂の発しているシグナルのように、煌々と光りを放している。主人の気配を空に感じながら、位牌を持つ娘の顔をミラーで確かめながら走る。30分で、主人のもとに到着する。丁度村のスピーカーから6時の鐘が流れる。目の前に広がる、折り重なる山々の緑が、朝方降った雨に鮮やかにその姿を見せ付けているかのように、静かに動かない。霧が流れていく。一瞬、対岸の民家が姿を隠す。廃墟さえ、その存在を誇示するように、霧の合間の風景は水彩画の世界にかわる。私は、この時間が一番好き。近くの親類が集まり、祖谷の風習のもとに、主人の初盆が始まる。お墓の前に、四本の竹を組んで作った棚。先日主人の友人が作ってくれた。雨の雫が竹の葉先に、しがみついている。
おこした火の中心に集めた竹を一本ずつ、沈めていく。小さな炎が生まれる。やがて炎が大きくなっていく。八月一日から主人の仏壇の横にお供えしていた、松結わいを炎の中に置く。松の木を割って、10センチに切った2センチ角のものと、みつまたの木の10センチに切った枝を、合わせて結わい、煩悩の数、百八つの二年分を燃やして仏様を供養する。竹の節が大きな音を起てる程、供養になると伝えられている。解釈の仕方は、集落に依って若干違うかも知れないけど、仏様を純粋に迎える現世の者達の気持ちは、同じだと思う。「死」を持ってこの世での全ての邪念を終わらせているように思うのに、仏様となっても煩悩の数を燃やす。奥深く過ぎて、今の私ではまだまだ悟ることが出来ない。日本の宗教はつくづく意味が深い。竹が「パンッ」と高く鳴り響く。怯んでいた足元を思わず引っ込める。数回、竹の鳴き声を聞きながら、去年の八月十四日、主人と何をしていたのか、想いだしていた。一年後の今日のことなど、誰が想像できただろう。もうすぐ、十ヵ月。毎日主人の気配を探してきた。炎はやがて小さくなり、灰に変わろうとしている。「カチッカチッ」と小さな音が消えかけた灰の中から聞こえる。少しずつ灰の形が小さくなる。荼毘の時の主人の火葬の後に聞いた抜け殻から発した最期の音。「カチッ」「カチッ」同じ時間の空間を感じた。初盆の儀式は恙無く終了した。遥か山々を携帯の画像に取り込みながら、娘達がはしゃいでいる。互いに想うことを、決して言葉にすることもなく、帰りの車に乗り込む。「絆」だけを互いに感じながら、私はアクセルを踏み込む。霧は流れ去り、くっきりと対岸の山々が青い空に抱かれていた。
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残暑

2007年08月13日 | Weblog
門火焚く 妻の後姿に 俄雨
孫二人 真弧の馬の 珍しき
集まりて 長寿祈りて 生身魂
色町の 路地に踊り子 出でにけり

真弧の馬
弧を束ねて作った馬で精霊の乗り物としてお盆に供える
瓜や茄子に苧殻や竹の足をつけて供えるところもありこれを瓜の馬という。

生身魂
盆は祖先の霊をまつる行事であるが、生きている霊にも仕えるという
考えから、父母、目上の人などの長命を祈ってその生御霊をもてなし
祝い物を贈ったりする風習がある。
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残暑

2007年08月12日 | Weblog
かなかなの 鳴きし色町 道後の湯
路地裏の 久しく途絶えて 草の市
命かけ 逝きて人影 盆灯籠

かなかな
ヒグラシのこと、夕暮れによく鳴きカナカナと軽やかな音色で
哀れをも感じる

草市
魂祭りに使われる蓮の葉、眞菰の馬、溝萩、茄子、鬼灯、土器、供養膳
苧殻などを売る市で盆の市とも言う、草はくさぐさの意味。
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残暑

2007年08月11日 | Weblog
梶の葉に 手向けの和歌や あかり星
溝萩の 水辺に咲けり 盆の頃
墓洗ふ 我が手の皺に 父母を見し

梶の葉
古来 梶の葉七枚に手向けの和歌を書いて星に供える習わしあり
溝萩
水辺や湿地に生える草、紅紫の花が穂になって咲く、これに水を
振りかけて門火を消した、佛花の意味で禊萩が転じたもの。
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