秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

ぶな林の黄葉に魅せられて

2018年10月28日 | Weblog


ぶな林の黄葉三昧、
天気よさそうだし、陽射しもあり、ぶな林が黄金色にかがやくことだろう、と

期待して近郊の山に出向いたが、何時の間にか、雲が多くなり、思ったほど陽射しに恵まれず
それほどでもないぶなの黄葉で、山頂は風強くて寒かった
































































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秋深まれば 自然の恵みに零余子飯

2018年10月19日 | Weblog


歩いていて、はっと気づき、時期だから生っていることだろう、と周りをキョロキョロと
見ながら歩いていると行く先々で小粒ながら、零余子が生っている

彼方此方で採って零余子飯をするぐらい採れた、晩ご飯は今年最初の零余子飯にしよう
自然の織り成す四季の機敏に、気づき、丁寧に、いま、ここに、生きる、を実感するごとに

自分の平凡な人生のある一日が、いつもと違って輝いてしまうことのうれしさ、たのしさ、を
クオリアとして感性に映し出すことによろこびを感じる

が、それも一時のこと時間の流れがすべてを過去のものとしてしまう、なぜだかわからないが
過去が流れ去って、どこかに行ってしまう一秒前、10分前、一年まえ、100年前も同じことである

90年、100年生きたから、もう、充分だ、何時死んでもいい、とはならない、
100年の過去が消えてしまっているのだ、クオリア(質感)としは確かめることさえ出来ない、
確かな質感として身体に触れることが出来るものは、いま、ここに、生きていることだけである

時間の流れは不思議なものだな、人生のすべてを押し流してどこかへ消してしまう、このやるせなさ、寂しさは
だからこそなのか、いま、ここに、生きていることが愛おしいのかもしれないな













































































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秋の紅葉と山々の眺望を楽しみ、高山に遊びて

2018年10月15日 | Weblog


以前から少し足に痺れが出てくるなと気楽に考えていたが、今年1月になって左足が鉛のように重くなり
痺れも酷くなって、普段に、歩くのさえ、大変な状態になり、もう、これで山歩きもアウトだなと諦めていたが

腰痛ストレッチを兎に角やってみよう、やらないことには始まらないと思い直して
毎日、朝夕に30,40分のストレッチをじっくりとやり始めて約9ヶ月ほどになる

その間に、普段の歩きは欠かさず、4-5kをこなして、近郊の低山を偶に歩いて少しずち良くなり
その成果を求めて、82歳の挑戦に高山に目標を決めて登ってきた

一歩一歩じっくりと、焦らず、うしろからの人たちに抜かれるままに、樹林の紅葉を楽しみ
リンドウを愛でて、周囲の山々の眺望を楽しみながら、秋のひと時を高山に遊ぶことが出来た





















































































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秋の深まる林道歩きに霧は渦巻いて

2018年10月12日 | Weblog


祖谷に泊まった翌朝はよく林道を、歩き、をすることにしています
明けて直ぐのことが多いですから、日の出直前のこと、大抵霧が巻いていますが

運がよければ雲海を眺めることもできます、なにしろ、標高800前後の林道歩きですので
雲、霧、の動きは目まぐるしく変わります、この間に民家は5,6、軒あります

まだ、外にでられているひとはいません、ときには、お家の娘さんが、畑で焚き火をしていたりしますので
声かけして立ち話をたのしむことがあります

そんなわけで、しずかな林道の変わり行く風景、四季の花々を
じっくりと眺めてひと時を過ごすのをたのしんでいます

このようなひと時をもてるのも祖谷ならではと思います、ひとりぼっちのしずかな時間
なんともこころが豊かに、生きているよなあ、としみじみと思ってしまいます






















































タカネハンショウズルの花後のそう果


























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深まり行く秋色のなか小さなアケビの実を味わいて

2018年10月06日 | Weblog


台風の風もかなりあり、雲の動きもありで、陽射しがあったり曇ったりだが少し蒸し暑い感じであった、
市内を見渡す展望台のところに、アケビの実がたわわにぶら下がっている

下がっている小枝を掴んで引っ張り寄せ、小さいが割れている実をひとつ収穫して齧ってみると
甘い美味しさが口いっぱいに広がってうれしい心地、道すがら、葉っぱも色づき

セイタカアワダチソウも咲き始め、ドングリもたくさん、コロコロ
秋の味覚や深まり行く秋色をたのしむ、歩きに、いま、ここに、生きる、を実感してうれしくなった



















































































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秋の赤い実に取り付かれて、粉山椒を作る嵌めに

2018年10月05日 | Weblog


まったくもって、ここんとこ、山椒に取り付かれてしまった、ぼくにあきれ返っています
日干しにした果実が弾けて、中から黒い種が出て来ました、黒い種と果皮を別々に選り分けましたが、

これがなかなかやりこかった、種は小枝を持って少し揉めば外れるのですが
果皮を小枝から外すのがなななか外れなくて苦労しました
んが、果皮と種とどちらを、使うのでしょうか、ご存知ですか、

わが祖谷の友も知らんかったらしく、ようけ、選り分けて果皮を捨てて
頼まれたお家に種を持っていったのですが間違いで果皮が入用とのこと
失敗して一からやり直したらしいです
そんな訳で果皮を後数日乾燥させて、すり鉢で潰すと粉山椒の出来上がりとなります


さてさて、山椒に拘り続けてきましたが、胡椒引きの器具がないので、すり鉢で粉にすることにしましたが
これが大変なこと、力仕事続きで腕から腰から疲労困憊続きです、

まさに、山椒に取り付かれて往生しましたわい、果皮の粉を作りました
果皮の粉を少し舐めてみますと、ピリっと味と香りが口に広がりました
後から少しだけしびれる感じがしました、こんなもんでしょうな、

種の粉も作ってみましたが、まったく、味もそっけも無く使い物にならない、役立たずでした、
種はやはり、青いうちに、作るのがいいようですね
しかし、山椒自身にとっては種が次世代を繋ぐ大事な命の糧なのだ、人間の勝手にされては堪らんよなあ



























































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秋の実が赤く染まるも曇り勝ちばかりの感性の至らなさ

2018年10月02日 | Weblog

ひとの目というものは見ているようでほとんど、見えてないものだ、と
つくづく思い知って愕然としてしもうたな

同じ小道を何回となく歩いて、自然の木々や草花を眺めては楽しんでいる身でありながら
道程のすぐそばの雑木林に混じって山椒の木があろうとは知らなかった

いま、赤い実をたくさん付けているので、目に留まったのだ、最初はイヌサンショだろうと思ったが
しげしげと眺めてみると棘が対生に生えている、イヌサンショは互生だから、ほんものの山椒に間違いなかろう
と実が付いている小枝を数本頂いて実を収獲した、粉山椒でも作ってみるかな

収穫した赤い果実を日干しにすると果実のなかから、黒い種が弾けて出てくるが、
粉山椒にするのは、赤い果皮であって、黒い種は取り除く、種は味も無くて非常に硬くて不味い
乾燥した果皮をすり鉢に入れてすりこ木で潰すと、粉山椒が出来上がる

それにしても、気づき、を大切にしながら、暮らしているにも関らず
見えてないということは、こころの目の感性の至らなさなのだろうな










山椒の木の赤い実












収穫した赤い実












日に干すと黒い種が弾けて出る
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