いつもの道を歩いている、ゆっくりと、早足で、小走りで、とぼとぼと、テンポを変えて
歩いている、時間の流れをひしひしと感じていると、ふと思うことがある
普段歩いている雑木林がそこそこある瀬戸風峠、自然豊かではあるがどこにでもある里山三山、
をコースを変えて歩くだけなのだ、高い山に登るでなく、珍しい風景、珍しい草花があるでなし
普通の風景、何処にでもある草花があるだけなのだ
そこを飽きもせず毎日のように歩いていて退屈しないから不思議というか面白く楽しいのである
あれだけ目を皿のようにして眺めている風景、雑木林、草花に見落としているものが幾らでもある
昨日の風景、草花など、すべてのものが時の経過によって変化して別の風景、花になっている
昨日の時間の流れと今日の時間の流れは基本的に同じであるのに現象だけがどうしようもなく変化している
例えが極端になるが、江戸時代や明治時代の時間の流れときょうの時間は同じで平等であるのに
すべての科学現象、風俗、習慣など、世の中のすべてが進歩しているのでは無く変化しているに過ぎない
昨日も、昨昨日も、一週間前も、、、いや半年前も、同じ時間が流れていた、今日の時間も
過去の時間と何も変わらない、時間は平等である
変化するのは、自然であり、暮らしであり、世の中すべてである、ぼくの人生も同じであり
波打ち、様相を変えて、日々が途切れることなく続いてゆくだけ、旅人である
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」松尾芭蕉は「奥の細道」の冒頭に書いているが
まさに、そう感じざるを得ない
過去のかって存在した時空に想いを馳せるとき、自分が生きている、いま、ここに、を
慈しみ大切に過したいと感じるのである
ぼくが生きている、いま、ここに、はかけがえのない日々であり、このようにして生の時間が
過ぎてゆくのであろうとしみじみと思う