秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ( 梅雨と選挙と独りごと)

2017年06月26日 | Weblog


窓の外の欅の大木を覆う葉っぱが、しっとりと水滴を纏い、ようやく梅雨らしくなりました。
皆様、お変わりございませんか?
ゆっくりと時間の流れる山里暮らし。来月告示の市長選挙位で、こちらは特に変わりありません。
『あなたと変わる、明日が変わる』のあの日から四年間が、過ぎました。
早いですよね。

で、小説を残したい私は全く、筆が進みません。
スランプでは、ないよ。
スランプとは、プロの方々の使う言葉です。早い話が、孤軍奮闘しております。
舞台は祖谷。これは絶対に譲れない。

等身大でしか、表現出来ない。背伸びした、表現力は出来ない。そんな実力も無い。
タイトルは後付けにして、ざっくりとストーリーを書くか?タイトルを先に決めて
それに併せて、物語を進行させるか…。
今まで封印してきた、兄と私の紆余曲折の半世紀を書くか?


で、兄をテーマに書こうと決めた時は、丁度、タイミング良く、主語のない、いつもの言い方で
テラオのあにさんから、電話がかかった。

私は『あのな、昔幼い時に父ちゃんと兄貴と3人で、下の川に魚釣りに行ったんよ
そんときに、兄と口喧嘩して、ワタシ拗ねて、一人で川から家まで帰ったんよ。
細い藪の道に、ネコヤナギが、あって、それが鮮明な記憶になっていて、父ちゃんと兄が男同士で
なんかワタシだけ取り残された気がして、そこから始まりを書こうと思うんよ
タイトルはネコヤナギって、どう思う?』

読者の皆様、お待たせしました。
私のタイトルに賭けた、熱いストーリー論。
を、テラオは全く、理解出来なかったのか?
眠たかったのか?

「ネコヤナギの枝って、三メートル位なんだよね~」
みたいな内容で、奴はネコヤナギの特性を話し始めた。
『ネコヤナギの特性の話やどうでもええんじゃわ~!!』
とココロで、叫んだ。

話すのではなかった。
話す相手を、間違えた。
ブログの主様なら、この繊細なタイトルの意図を、理解してくれた筈。

で、別の理由で3日前から気分が晴れない。つくづく願う。
『イノチの募金』
があればいいのにと。

少しずつ、寿命を分けてあげて、
若いイノチが、消えないでせめて、半世紀。生きられたらいいのにと。
ココロが、重たくて、やりきれない。
そんな私も、今年は父の亡くなった歳になった。

あと、半年間、何事もなく、過ぎてくれるかな…
以前、娘達は、腹水ではないの!?と心配していたが、母ちゃんは確信しております。
これは正真正銘『脂肪の固まり』です。腹水では、ありません。
草 々






















































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夏 光合成の質感に圧倒される樹林のなかを歩きて

2017年06月19日 | Weblog



なぜ、こうも雑木林に惹かれてしまうのだろう、まいにち同じ雑木林を歩いていても
なぜか、飽きることは無いばかりか、ますます、惹きつけられて、こころが高揚する
何十年と雑木林を見、森を見、山頂を見、草花を見、歩き続けて、魅せられる


































































































































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夏の熱気がむせ返る山里に魅せられて歩く

2017年06月16日 | Weblog

何十年と生きてきて、躓き転び、挫折して、苦悩し、苦闘して、復活して、次々と剥がされながら
楽しみを知り、喜びを知り、面白さを知り、やがて浮かび上がってくるぼんやりとした「かたち」が
見えて、そのかたちに出会うために苦闘してきたのであろうか
山里の雑木林のなかでかすかに見えてきたものが、そのようなものなのだろうか














































































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山里の暮らしに 森のいのちは深い夏の息吹を包まれて

2017年06月13日 | Weblog

歩く、あるく、歩く、立ち止まり、深呼吸する、深い夏の息吹が、いのちが、匂いが、風が
ぼくの身体いっぱいに、吹き抜け、染み渡り、心地よい

生きている心地よさ、死に近づいてゆく哀しみ、を質感として捕らえながら、山里を彷徨い
変わりゆく風景に魅せられて、抗いようもない時間を噛みしめてたのしいひと時を過ごす

高くない山の雑木林のなかであろうと、ひとりで山のなかを歩くということは、格別な味があり
独特の印象がのこるものである

過去何十年と変わりゆく風景の記憶を集めれば、自分の生きた証を垣間見つけても悪くない思いがする
人生の実に多様な苦しみや楽しみを掻い潜りながらも、深い迷い、苦労、喜び、をあの山のどこかに
ぼくの余生を托せることを考えだせば、次々と幻想は広がり、終止が付かない














































































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菜菜子の気ままにエッセイ( 梅雨入りに毎日いろいろ八幡さんっ♪)

2017年06月09日 | Weblog

栗枝渡集落を目指し、県道に車を置いて、友人と歩く。まっさらな空気を吸い、サラッサラッの風を感じながら、農道をひたすら歩く。
会話はいつも決まっている。互いの近況と、互いのこれから確実に迫りくる、老後の話。

『管だらけになってまでは、生きたくないよな~』
「うん、70才くらいが、ベストかも!?」
と言いながら、ふと、ブログの主様と、テラオの兄さんの顔が浮かんで、少し申し訳ない気分になった。
二人に長生きしてもらいたくないのでは、ない。
二人は元気だもの。管になんか、繋がれてないもの。

70才がベストかも!?と思うのは、今の私の望みであって、二人にはミイラになるまで、長生きして頂きたい。
『産まれてきて、良かった!!!!』
と感じた記憶は、それほどないが、
『祖谷で生まれて良かった』
と、つくづく感じる。

居心地のいい自然の揺りかごに、スッポリと包まれている感触に浸る一瞬がある。暴風雨は堪忍してよと思うが
サラサラユルユルの風の時には、身体中の毛穴を全開して、思いっきり深呼吸して、背伸びして、細胞を入れ換える!?みたいな。

朝からニュースでは、ミサイルが日本海に落ちたと、報道されているのに、この国の対応は特に無くて、
幼い子供でも何かしら動くよ!?
すぐ側までミサイルだよ?
いつまで、じっとしているの?
茹でカエルの実験と、同じではないかいな!?

この状態を危機と言わないで、いつを危機と言うのか!バカタレ~!
と思いながら、普通に空を見ながら、散歩する。
防空頭巾も被ってはいない。

みんな、オカシイよ。
肝心なことを、気付かないふりをして、同じ方向に行進しすぎだよ。
空想オバサンは、更に思う。

スマートフォ○には、人を操る微細な仕掛けがしてあって、スマ○を持つ者だけが、国家に洗脳されていき、結果ガラケー部隊が生き残る。
但し、ガラケー部隊は武器の使い方を知らないから、ひたすら隠れることを、得意とする。
完全にお話が反れましたが、企業イコール国に必然的に動かされている、消費者心理を、危惧致します。

栗枝度集落は、空き家も増えましたが、生き生きとした、輝きを感じました。
歴史上の伝説の、仮説も様々ですが、
何かを感じる神社でした。不思議な空間です。

是非、歩いて訪れて下さいね。お泊まりは草刈りで真っ黒になっているだろう?オーナーさんのいる、祖谷八景を、お勧めします。
要予約です。ご注意下さいね。
来週18日の日曜日は、つむじんこちゃんの、モーニングカフェです。
予約ではありません。8時からの、早い者勝ちで、ございます。
かしこ




































































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山里に木々の花は咲きて暮らしのなかに草花を咲かせて 夏の暑さを忘れて歩く

2017年06月07日 | Weblog

日常の暮らしから離れて高山の山歩きも、それはそれでいいものである
深山幽谷の世界に遊び、こころ、爽やかに、生きていることを実感するもいいこと

近くの里山、麓の日常の暮らしを取り込みながら、山歩きするのもいいものである
普段の暮らしそのものを、どっぷり、受け入れての山歩きほど充実したものはない
そこには、すべてを肯定して楽しむ余裕がいくらでもある

そこから生まれる感情そのものが豊かな、豊饒の大地であり、限りない楽しみがあり
面白さがあり、生きていることを実感することができる

























































































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豊かな里山の森に 爽やかな夏風に雑木林の光合成と小鳥たちの合唱にうれしくなる

2017年06月02日 | Weblog



里山の森を外から眺め透かして、こねくり回して、山里のひとびとの暮らしを具に見つめて
里山の豊かな自然がひとの暮らしと共生していることにうれしくなる

里山の森のなかに入って眺め透かしこねくり回して、そこに生きている植物たち、動物たちを
慈しみ観察しながら、ぼくの精神に共鳴するすべての事柄を、歩き、立ち止まり、仰ぎ見て
匂いを嗅ぎ、舐めて、触って、見えないものを見たいと熱望して、徘徊する夏の光合成に感動する

アカショウビンが甘く切ない鳴き声を消え入るように木々の間を渡りすぎて、カッコウが
機械的にこだまして、啄木鳥がドラミングを繰り返す森に自然が発している微かな予兆に耳を
傾けて、その奥にある本質を読み取りたいものである

この豊かな自然、この豊かな大地が目の前にある、ほんものの命のドラマが展開している
高木、亜高木、低木、下草、コケ類、などから成り立って競い合いながら共生している

自然淘汰によって枯れた木々、下草も林床でゆっくりと分解されて養分となり、木々の生長を
助けているのをみると、自然界には無駄なものは何もないことにうれしくなる

「森の下にはもうひとつの森がある」ということわざがある通り、多種多様な下草や草花が
縁の下の力となり、林床の乾きにより土壌が痩せるのを防ぐ役割をしている

ぼくが歩いている道端の可憐な花々、ひとつ、ひとつ、名も知れない雑草と思われている下草などが
精神を癒してくれるだけではなくて、もっとも重要な森の主でもある
邪魔者に思われ、見られている下草や低木などの「下の森」こそが青々と茂る「上の森」を支えている

多種多様な生物が生存している豊かな森が作り出す諸々の有機成分、吹き抜けるセラピー効果
などなどを一時ではあってもその中で過すよろこびはかけがえのないものである



























































































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