秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(相変わらずの独り言)

2022年02月09日 | Weblog
彼女は今日、
半世紀以上過ごした家を出る。
無事に出発することが出来たのか、
迎えに来た家族はどこに向かうと言って彼女を車に乗せたのだろう。
在宅サービスの終了した時点で、彼女の詳細は知らされない。

彼女とのお付き合いは、一年足らずだった。
池○高校が全盛期だった時代。
あの時の高校球児達の食事を担う、おばちゃんの一人だった。

子供達は結婚し、それぞれに独立。夫は先に逝き、
晩年彼女自身も幾つかの病気を発症し、自分のことも満足に出来なくなった。
そして、利用者の一人になった。
デイサービスが週に2回。ヘルパー訪問は毎日の利用。

身体介護が中心だったから、食事はいつもスーパーのお弁当か、お惣菜。
台所のプロパンガスは家族が止めていた。

家族の食事を毎日作っていた彼女の砦だった場所は、
積み上げられた渇き切った鍋や、不要になった調理器具の物置きと化していた。
居間の隅には、ご主人のお仏壇。
薄く被った埃は、夫婦の忘却の証。
訪問の度に、彼女に持参するメニューを決める。
昨日食べた物と重ならないように、あれこれ思案しながら、
その日のお弁当を選んでいた。

訪問すると、彼女は決まって、私達を
『せんせい』と呼ぶ。
『先生。ゴメンよ、汚いことさして』
『先生、今日は何をこうて来てくれたん?』

「今日はねぇ、美味しいおでんを、買ってきました(コンビニ)
寒いから、うどんも、食べて温まりましょう!」
『お腹空いとったわーありがとう』
いつも交わす、やり取りだ。

紙パンツを交換し、温かいタオルで顔と手を拭いて頂き、お茶を温める。
彼女が食事をしてくれる間が、リネン交換。ポータブルトイレの処理。

ずっとこんな風に、彼女と関わっていけると思っていたのに、
彼女の身体機能が低下するに連れて、厳しい現実に直面する。
彼女の介護保険の限度額が、オーバーするギリギリのラインだった。
結果、家族は施設入所を選択した。
私達には、どうすることも出来ない。

現場を知らない人が、全ての指揮をとり、2000年4月にスタートした介護保険制度。
その仕組みも知らないまま、保険料を納めている40歳以上の方々。
この納税料も、かなり高額だ。介護をみんなで支えましょう!
なんて言われているけれど、現場の立場で客観的に見て、
疑問に感じることが多々ある。

非課税の方に届いた、1通の臨時特別給付金。
子育て中の家庭に届いた1人十万円の追加支援金。

この厳しいご時世に、職を失い、途方に暮れている人達。
感染し、後遺症と闘いながら生きる為に踠き、苦しむ、真の困窮者の方々。
本当にお金が必要なのは、後者の方々だ。誰が見ても、歴然たる事実だ。
痛みを判らないものが、庶民の血税を適当にばら撒くな!

ばら撒くだけばら撒いて、この島国、大丈夫なん?って普通に思えてしまう。
この国の子供達の未来に、明るい兆しが見えない。
超独身大国日本が、すぐ側まで来ている。

十万円を餌にばら撒かれて、喜ぶ位にしか思われていないんだよ。
一般庶民の皆さん!

『頑張った自分にご褒美』って、コンビニのスイーツコーナーに貼られたポップ。
甘いスイーツ一つが、ご褒美になる位の価値しか持たない時間を、
生かされているのかって考えると、無性に情けなくなる。
※腹が立つけど、とりあえずご褒美に買ってみる。

ベーシックインカムの未来は近い?かも知れない。
今の暮らしと余り変わらないから、支障はない…。

私達は、『個』を生きている。
『孤』を生きているのだと、認識しながら、そっと手を伸ばしてみる。
そっと手を伸ばした先に、触れた柔らかな感触が、
誰かの温かみであったり、優しさであったりする。
『孤』を生きながら、その先に『愛』などと言うご褒美に行き着けば、
それは最高に幸福な訳で、もうそれだけで充分なんだよっ!って思う。

あの日、彼女は言った。
ベッドに座り、此方を向いて、軽く右手を上げて、帰り際の私に言った。 

『せんせい、今日は
 ここで バイバイじゃ』

           草草























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする