秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷初夏に誘い

2010年05月30日 | Weblog
白い花が咲いていた、遠い山の夢の日
青い空に咲いていた、遠い里の江の夢














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菜菜子の気ままにエッセイ(ジスイズアツ 番茶)

2010年05月29日 | Weblog
晴天に近い?曇り空。風強し!
お茶つみのお手伝い様、五名のオバーチャマ方々。
毎日、代わる代わるの家のお茶つみお手伝い。お疲れ様です。

相変わらず、お耳が遠くなった私の叔母さんとの、三次元中継の会話~

「オバヤン~、よかったなあ~、みんな手伝いに来てくれて!」
『ようえ、お茶持っていくんかえ、早うないか』
「?」
「ようけ、摘めたなあ~」
『やりこいってか?言うたか?』
「?」
「むしろは、あと三枚いるよ、たらんわ~」『あと一枚あったら、ええの?』
「?」


五人のオバーチャマ達は、楽しそうに、おしゃべりしながら、険しい場所で、ひたすら摘んでいました。

「今の年寄りは、有り難いのうや~、年金もろて、こりゃこりゃじゃ~」
「こりゃこりゃって、いうばあ、貰いよんかえ~?」
「しらんぞよ、皆の年金はしらんぞよ」

「まあ、大勢で摘んだら、ひどいのうや~、昔の人、言いよったわの、エライことは大勢でせえ
うまいものは
こぜいでくえってのうや~」

写真を撮りだした私に、一人のオバーチャマ!まさに煎られた茶の葉が、むしろに置かれた瞬間、
「待てよ~、このくいついたとこ、うつせよ~」
と言って、腕を思い切り、伸ばしてました。ナイス、ありがとうございます。

一枚一枚、摘んで、釜に入れて、蒸し煎りにして、手の平で揉んで、むしろに広げて、何日も乾かす。

すべてが手作業!
大変な、労力です。

ひたすらに、季節ごとの農作業を繰り返しながら、一日、一日が過ぎていきます。
ささやかな、人生が、繰りかえされます

この場所には、
この空間には
支持率等、関係なく、某前首相の、息子さまのお話を、されていました
まるで、親戚のように、話していました。

『息子は、あれじゃの!男前ええの!あれは頭、ええぞ、りこげえなの!』
『昌子ちゃん、かわいそうなの、大きい病気したんじゃと~』
『かわいげえなのに、わたしテレビ見よって、朝、茶瓶持って、立ちって、つろうて、朝飯、食えなんだわ』


私は、その話をひたすら、黙って聞きながら、一人で笑いながら、茶摘みに勤しんでおりました。

今日は、大変良く、働きました。
睡魔が、どっぷりとやってきました。

映像で、失礼します。おやすみなさい。
























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菜菜子の気ままにエッセイ (祖谷の風物詩)

2010年05月26日 | Weblog
壊れかけた?文章どころか、文章に到るまでの文字が、一行も浮かばずに?
頭を抱え込んでしまった主様のかわりに、代打を少々!ヒットか、ホームラン!か?
はたまた、三振か?いやっ、バーターボックスで、貧血でドタキャンか~、

ややこしい、前置きは却下しまして、まずは訂正を申し上げます。
前回のエッセイで、こんな綺麗な風景を毎日タダで見られる~なんて
馬鹿げた事を、述べてしまった、そそっかしい私でした。
失礼しました。
間違えました。
すっかり忘れて、つい、間違えました。
タダではありませんでした。
先日、キャッシュで!ドーンと、郵便局の窓口で、
「これっ、よろしくねぇ~」
と言いながら、バーンと支払った、

《固定資産税》の事を、すっかり忘れかけていました。
ゴメンなさいね。
数枚の福沢諭吉様は、余り日常生活的に、支障がない…?為に、
支出の、脳細胞が、活性化しなかったのでした。あしからず!
男前を見たり、聞いたりした現実は、めちゃくちゃ覚えているのでした。

男前は、人類を救う!男前は、オバサンを、救う!
男前は、オバサン方の化粧品の売上に貢献し、はたまた、美容院の売上
洋服の売上、おまけに、そのキラキラ小物の売上。
もしかして、事業仕分けなんかしなくても?男前をドンドン造ったほうが
景気回復になるかも?

などと言っている間に、初夏の若葉も、見事に整列し
あちらこちらに、恒例の、高齢の方々の
《お茶つみ》の風景が、見られます。

全ての家が、ほぼ、高齢化!
それを、サポートするもう少しで、高齢化する、プチ高齢化の皆様。
お疲れ様です。中途半端な年齢!お疲れ様です。あっちこっちで、助っ人!
ご苦労様です。

と言うことで、
金曜日は、そんなお茶つみの一日を、ダイレクトで、お伝えします。
何も足さない…
何も引かない…
全ての会話が、ゴージャスな祖谷弁!
オバーチャマ達の会話は、ゴテゴテに、リアルです。
お楽しみ下さい?

今日のお天気は、
曇り空。寒い一日でした。片付けたしまっていた、高級なコートを引っ掛けて
愛犬と歩いた…愛犬を引きずった?
ゴージャスな私でありました。

男前バンザイ♪
目指せ、奇跡の大富豪♪
代打!
よその家の、晩御飯の匂いで、お腹が一杯になる
貧相なお腹の、菜菜子さんでした~!











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菜菜子の気ままにエッセイ (初夏爛漫)

2010年05月18日 | Weblog
出来立ての新緑が、初夏の山々で、弾んでいます。
皆様方、おかわりありませんか?
私もゴンも、お変わりありません。
ゴンを連れて歩く、毎日の散歩コース。
犬の散歩の枠を、通り過ぎ、誰が見ても、私が無理矢理
リードを引っ張る様子は、「虐待」そのもの!
ゴンは、少し上り坂になると、シッポをタランと垂らして、つまらさそうに
進みます。私は、早く歩き過ぎて、時々、ゴンの足を踏みます。
チラッと睨まれます。

山々は、深緑と、浅緑のコントラストが、絶妙です。
今が、一番の綺麗タイミングです。
そう、何事もタイミングが、重要なのよん!恋愛、仕事、に運が廻ってこない!
なんて嘆いている方々様。それは、あなたのタイミングが、悪かっただけ……。
だと思います。
多分… きっと…
間違っていたら、ごめんなさいね。
ややこしい!なんとかなる!とにかく、頑張れ!

それにしても、今の山々のコントラスト…
何かに似ています…

そう、
ゴンの毛の生え変わりに。サラサラとゴワゴワと。
サラサラとゴワゴワだけど、
新緑みて、深呼吸して、まっすぐに空を見て、また深呼吸して、
めちゃくちゃ、贅沢三昧な私の時間!
こんな素敵な、場所に毎日タダで暮らせるなんて、
都会の方々、ごめんなさいね。
幸せすぎて、ごめんなさいね。

最後にご報告があります~
落合小学校から、茅葺き小屋作成にあたり、お礼の商品券を頂きました。
私は、それを預かった、テラオの兄さんに、言ったのです〆

「そんなあ~、私なんにもお手伝いしてないのに~そんなあ~申し訳ないから~」





「ありがとう♪頂きます♪」

とりあえず、イチカバチカ断ったふりをして、有り難く頂く…
これも、タイミングか?フライングか?

落合小学校様、
ありがとうございました。
商品券、世の為、人の為、とりあえず自分の為に、使わせて頂きます♪
私の子供が、生まれたら絶対に、落合小学校に入学させます!


生まれ変われば?
の話なので!
悪しからず。

新緑、見に来てね!
茅葺き小屋、見に来てね!
待ってまーす♪
「グゥワン!」






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奥祖谷初夏に誘い

2010年05月13日 | Weblog
追、先日のことであったか、定かでないとは情けないが遠い昔のように
思えるとは、いまだにフラフラして、宙を漂って不定な身であれば致しかたない。

突然黒い塊が両肩を突き上げ、頭上に抜けたような痛みを覚え、真っ赤に焼けた
鉄棒を肉越しに刺して、グリグリと舞わしたのはあいつだと不覚にも逃がした。

あいつを追っかけて飛び込んだが、なんと病院の診察室にいたあいつを捕まえようと
飛び掛るとにこやかな医者の顔が目の前ににゅっと現れ、あっというまに心電図を
取られたが、なんと頻脈のトンネルに入ったらしく、特急電車に30分あまりは乗って
いたようだ。

トンネルを抜けるとそこは静かな病室であった、はじめての経験であったが
まったく予想しがたい、何時どんな波が、風が押し寄せて新緑のなかで
立ち往生してしまうか、この身体を演奏しているのがあいつ奴ならば心臓を
持ち去るのは他愛も無いことであろう。

ぼーとしていると、足音が近づいてきたが、あいつに心臓を奪われまいと
密かにベットの片隅に隠すとドアが開いて入って来たのは医者であった。

医者は開口一番「はい、一丁上がりですよ、あいつは逃げ出しましたよ、
はじめてのことで吃驚したでしょう、度々あいつが来ますとちょっと厄介ですが
まあ、しばらく薬を飲んで様子を見ましょうか」

医者が立ち去るとベットの片隅に隠した心臓をそっと身体に仕舞いこんで
病院をあとにして、新緑の奥祖谷に逃げ込んだものである。









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奥祖谷初夏に誘い

2010年05月10日 | Weblog
山里の新緑のトンネルに潜り込みゆっくりと歩めば
薫風に纏わりつかれて、心の芯まで温かくなる。

ここかしこの畑ではやっと葉を広げ出したジャガイモに
追肥をやるお年寄りに話しかけると春の寒さには参ったが
これから大きくなろう、収穫が楽しみと笑顔に為る。

くるり、くるり、と集落を舞い、畑で鍬持つひとと話し、縁側で
お茶を馳走になりながら話に花を咲かせて、暖かさ、優しさを貰い
居心地の良さに酔う。

根無し草の放浪の旅人でありながら、この贅沢な時間の流れに
身を任すわたしは何時の日か、この地に消えることを願う。












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奥祖谷初夏に誘い

2010年05月06日 | Weblog
山里は新緑と花々の競演であり、初夏の過しよいいい季節になった
今年はジャガイモの芽吹きのころに思わぬ降雪に会い、また霜を
被ったりしてしまった畑が多々あった。

遅植えで難を逃れた畑、一度被って腰くれたが何とか芽吹いてきた畑と
悲喜交々である。

年々、気候変動の異常から昔のような予測が立ちにくくなったが
そこは祖谷のお年寄りが長年に亘って蓄えた知恵を絞って乗り切って
くれることだろう。


久保集落 クヌギ林の新緑 菜菜子さん携帯写真















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奥祖谷初夏に誘い

2010年05月05日 | Weblog
自画像  最近頓に笑顔が少なくなって、寂しいかぎりである
年とともに幾分頑固になっているのかなと感じてはいるのだが

数年来、祖谷の山々が急速に荒廃してきたのが、気がかりであり
哀しい気持ちが先立つからか、祈りの想いで山歩きをしている

自然そのものであって欲しいと、残置テープ剥がしをしながら歩いている
一般道であればテープを付けることないように思うし、藪歩きなら
滅多に同じところを下山することないように思うからだし、他人が付けた
テープを当てにしていたのでは進歩が無い。

GPSは遭難防止には優れものであるが、ネットに貼り付ける必要性があるのか
疑問に感じている、自分の記録や反省用に使用するのがいいのでは
他人のGPSログを当てにするようでは赤テープと五十歩百歩のようなものであろう。












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奥祖谷初夏に誘い

2010年05月04日 | Weblog
謙虚に祈りのときを刻む。

護摩焚きに祈る




お地蔵様に祈る





山に祈る
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さようなら 大おじ様   SA-NE

2010年05月02日 | Weblog
4月21日夜、
神戸の大おじ様が、94年の生涯を終え、神様の元に、旅立った。
洗礼を受けた、クリスチャンだった。
若い頃、東祖谷を離れ、一人で中国上海に渡り、働き、終戦後は
友人と引き揚げ港のある舞鶴市に、戦災孤児の施設
「舞鶴学園」を創設した。
それから後の人生は、福祉の仕事に、尽力した。

故郷東祖谷の、ご先祖様のお墓参りに、年に二度、神戸の家族と共に、帰省していた。
母親のお墓を、新しく建て直し、
お墓の前に、平伏して、お祈りをしていた、それを初めて、見た時、私は軽い衝撃を受けた。
数年して、主人が逝って、一人になって、私の両親に、真っさらな気持ちで
向きあった時、気がつけば、やはり私も同じように、両親の墓に、平伏して
深くお辞儀を、していた。

昨年、12月、娘達を連れておじさんの家を、訪ねた。
二回目の、訪問だった。
「ルミナリエ」を見に来たんです。なんて、言いながら、本当の目的は
おじさんとの想い出を、一つでもつくりたかったのだ。
娘達には、話していた。
亡くなってから、駆け付けても、意味がないのよ。生きている間に
一緒の時間を持ちなさい。これが、多分最後のお別れになるから。

やはり、それが、最後のお別れになってしまった。
一緒に、ワインを頂き、昼食のテーブルを、囲んだ。昔話を、聞きながら
穏やかな時間が、過ぎた。

少しずつ、歩を進めながら、庭からつながる、路地まで
私達が見えなくなるまで、見送って下さった。

息子さんが、おじ様を囲んで、写真を沢山、写して下さった。


おじ様の、告別式は、教会で執り行われた。家族、友人、親戚、
多くの方々が、参列した。
賛美歌を、聞きながら、涙が落ちていった。おじ様と、話した
一つ一つの、言葉を、思い出していた。

病室での最後の朝、
「おはよう~」と長女がいつものように声を、かけると、
その朝だけは、おじ様は、いつものように
「おはよう」とは答えず、軽く手を上げて
「さよなら」と言い、長女が、
「死んでも絶対に、泣かへんよ~」
とおどけて答えると、
「ヨロコビ!よろこびぃ!」
と微笑んだと、聞いた。

おじ様には、わかっていたのだ。
その朝が、最期の朝であることが。


49年間、
たくさんの方を見送ってきたが、
あんなに美しい、死に顔を見たのは、初めてだった。
気高く、聡明で、お顔からオーラさえ、放っていた。

祖谷の親戚の数人は、おじ様の顔を、撫でて、お別れをしていたが、
私にはそれは、できなかった。
尊敬し、ずっとお慕いしてきた、おじ様に、ただ、深くお辞儀をして、
「ありがとうございました」
とおじ様に言った。

おじ様を、囲む、子供達や、お孫さんを、見つめながら、感無量になった。
故郷を離れ、一人で、ゼロから生き、家族を持ち、幾つもの新しい命が、繋がっていた。
おじ様の、遺伝子を継ぐ者達が、おじ様を取り囲んでいた。
愛の涙が、賛美歌に、解き放されていた。


30年前、教職員になった長男が、家を出る日に、おじ様が、言った言葉。
私のこれからの、人生の糧になりました。

「神様以外を恐れるな!」
そして、
「人と別れる時は、いつもこれが最期だと思って、さよならを言え!」

ありがとう。
おじ様。
もう会えないね。
もう電話の声も、聞けないね。
柔らかいおじ様の声。ゆっくりした、優しい声。

私はおじ様のように、寛容にはなれないけれど、
おじ様の背中に
学んだ事は、きっちりと心に刻みました。

さようなら おじ様。ありがとう おじ様。




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