8月20日 13時02分 曇り、無風、霧切れて 逆さ天狗
言い伝えに、天狗と大男が山登りをして峠で天狗が「寒峰と白髪山を跨いでみい」
と大男に云うと、大男は「朝飯前よ」と云って跨いだ。
天狗が「腰を伸ばして立ってみい」と大男が立ち上がろうとすると頭が天に支えて
腰を挫いてしまい、いざってしまったそうな。
天狗は山に腰掛けて「天狗塚だ」と云い峠を「いざり峠」と名づけたそうな
いまは「天狗峠」と改名しているが。
天狗塚山頂に近づいたら耳を澄まして御覧なさい、チン チン チンと証を叩く
音がするそうだが、天狗の仕業だそうな。
けふもまた 心の証をうち鳴らし うち鳴らしつつ あくがれて行く
若山 牧水
言い伝えに、天狗と大男が山登りをして峠で天狗が「寒峰と白髪山を跨いでみい」
と大男に云うと、大男は「朝飯前よ」と云って跨いだ。
天狗が「腰を伸ばして立ってみい」と大男が立ち上がろうとすると頭が天に支えて
腰を挫いてしまい、いざってしまったそうな。
天狗は山に腰掛けて「天狗塚だ」と云い峠を「いざり峠」と名づけたそうな
いまは「天狗峠」と改名しているが。
天狗塚山頂に近づいたら耳を澄まして御覧なさい、チン チン チンと証を叩く
音がするそうだが、天狗の仕業だそうな。
けふもまた 心の証をうち鳴らし うち鳴らしつつ あくがれて行く
若山 牧水
麦生土の古い棟札は元禄9年が最初のようであり、幾つかの棟札の一つに
「麦生土」と墨書されている事から祖谷で最初に麦栽培が行われたと考えられるとのこと。
麦生土の氏堂に百万遍の大数珠が掛けられていたが、縁日、雨乞い、虫送りなどの折に百万遍を繰って祈願したようである。
いまも百万遍を繰っているかどうかは聞き逃したが、各集落には氏堂が建てられているので百万遍を繰っている集落もあるのであろうと考えられる。
「麦生土」と墨書されている事から祖谷で最初に麦栽培が行われたと考えられるとのこと。
麦生土の氏堂に百万遍の大数珠が掛けられていたが、縁日、雨乞い、虫送りなどの折に百万遍を繰って祈願したようである。
いまも百万遍を繰っているかどうかは聞き逃したが、各集落には氏堂が建てられているので百万遍を繰っている集落もあるのであろうと考えられる。
天狗峠手前標高1700附近から眺める西山集落
古くから開けた集落のようで正平9年(1353)の西山文書に
「西山民部所望の地を賜る」とあり、
西山一族は南朝に味方して美馬、三好地方にまで及ぶ活躍をしたようである。
古くから色々な言い伝えがあるようで、彦四郎という侍が谷に入ったが帰らず
以後彦四郎谷と呼ばれ、けし坊主が現れる恐ろしい谷と云われている
西山の沢村信義という人も天狗峠でけし坊主に出会い飛んで帰ったそうな。
古の絵巻物を思い浮かべながら、眼下に沈む西山集落を眺めるひと時。
古くから開けた集落のようで正平9年(1353)の西山文書に
「西山民部所望の地を賜る」とあり、
西山一族は南朝に味方して美馬、三好地方にまで及ぶ活躍をしたようである。
古くから色々な言い伝えがあるようで、彦四郎という侍が谷に入ったが帰らず
以後彦四郎谷と呼ばれ、けし坊主が現れる恐ろしい谷と云われている
西山の沢村信義という人も天狗峠でけし坊主に出会い飛んで帰ったそうな。
古の絵巻物を思い浮かべながら、眼下に沈む西山集落を眺めるひと時。
集落に賑やかな笑い声が木霊する 下に出ている息子、娘たちが孫を連れて
里帰り、夏祭りとお墓参りと夏休み、川遊び、山遊びに興じる。
素朴に生きる人達の息吹が弾けるお盆の風景
山上ではすでに初秋を感じる。
里帰り、夏祭りとお墓参りと夏休み、川遊び、山遊びに興じる。
素朴に生きる人達の息吹が弾けるお盆の風景
山上ではすでに初秋を感じる。
栗枝渡集落 土地の人たちはクルスドと呼ぶ 古い文書にはクリエダワタシと
出ている。
安徳帝が川を渡るに橋が無く、近くにあった栗の大木を切ってお渡りになった
ことがクリエダワタシからクリシドとなり、訛ってクルスドと呼ばれて集落の名と
なったという。
此処には安徳帝をお祀りした八幡神社があり追っ手の追及を逃れるため神社を建ててお墓にしたのでこの神社には鳥居がない。
そばにご火葬跡があり足を踏み入れてはならないと言われ、雪が決して積もらないと云われる、また伝説を裏付ける物があるだろうと一部の者が掘ると金の鶏を入れた入れ物が出てきたのでその保管をある兄弟に頼んだが兄弟が売り払ってしまった。
とその家の者たちは病気、事故に遭い死に絶えてしまったそうな。
ここにも素朴に生きる人達がいる。
寒峰(1605m)の登山口が奥にある。
出ている。
安徳帝が川を渡るに橋が無く、近くにあった栗の大木を切ってお渡りになった
ことがクリエダワタシからクリシドとなり、訛ってクルスドと呼ばれて集落の名と
なったという。
此処には安徳帝をお祀りした八幡神社があり追っ手の追及を逃れるため神社を建ててお墓にしたのでこの神社には鳥居がない。
そばにご火葬跡があり足を踏み入れてはならないと言われ、雪が決して積もらないと云われる、また伝説を裏付ける物があるだろうと一部の者が掘ると金の鶏を入れた入れ物が出てきたのでその保管をある兄弟に頼んだが兄弟が売り払ってしまった。
とその家の者たちは病気、事故に遭い死に絶えてしまったそうな。
ここにも素朴に生きる人達がいる。
寒峰(1605m)の登山口が奥にある。
厳しい冬将軍を乗り切り自然の恵みを少しだけ頂いて、山菜、粟、ソバ
祖谷芋などを糧に貧しく、質素な生活ではあるが暖かく助け合いながら
素朴な生涯をすごしてきた人たちの集落は輝いている。
が、現代文化がよき風習を失わせて、地球(神)から与えられた素晴らしい
自然も山も例外ではなく、利用できるものは根こそぎ奪い取ろうとしている。
実に、人間の欲望は恐ろしき底なし沼のごとき!!。
祖谷芋などを糧に貧しく、質素な生活ではあるが暖かく助け合いながら
素朴な生涯をすごしてきた人たちの集落は輝いている。
が、現代文化がよき風習を失わせて、地球(神)から与えられた素晴らしい
自然も山も例外ではなく、利用できるものは根こそぎ奪い取ろうとしている。
実に、人間の欲望は恐ろしき底なし沼のごとき!!。
T新聞社のO氏と電話でお聞きした、O氏は山のベテランであり自然保護にも
熱心な方である。
「私、I氏、その他の方と調査して鹿の食害もありそのほかの事も含めて紙上に
載せた、皆さんに知っていただき食害の保護にもなり、縦走のおり楽しみにもなる」と。
鹿の食害!、、それって人間様の側からのご都合じゃあないの?
わざわざ樹林に入らないでも縦走路にある5,6本で我慢できないの?
食害の保護、人害保護にはどのような対策をお考えですか
「今のところ何も考えてないです、山の持ち主や地元の方で考えてください
私らは何も出来ません、見守るだけです」
え!え!、、、、絶句、、なにか変?、、、、、、、、、、、
数年前のことを思い出した、似たようなことを、 京柱峠から高知よりの
沖集落にヤマシャクヤク 1500本ほどの群生地があり適正な人数で
観賞していたが、ある年K新聞社が取り上げた途端押すな押すなの人数となり
数年にして危機状態となり山の持ち主が入山禁止にした。
山の持ち主の三谷さんと電話でお話を聞いたが
「木道を作ってまた皆さんに観賞してもらいたいが相当な費用がかかり出来ない
紙上に出たばっかりにこんなことになってしまって残念です。」と
貴婦人、天女の花と呼ばれる樹花はこれから人害というもっとも厄介で大きな
憑けを背負うことになろうとは夢にも思わなかったであろう。
熱心な方である。
「私、I氏、その他の方と調査して鹿の食害もありそのほかの事も含めて紙上に
載せた、皆さんに知っていただき食害の保護にもなり、縦走のおり楽しみにもなる」と。
鹿の食害!、、それって人間様の側からのご都合じゃあないの?
わざわざ樹林に入らないでも縦走路にある5,6本で我慢できないの?
食害の保護、人害保護にはどのような対策をお考えですか
「今のところ何も考えてないです、山の持ち主や地元の方で考えてください
私らは何も出来ません、見守るだけです」
え!え!、、、、絶句、、なにか変?、、、、、、、、、、、
数年前のことを思い出した、似たようなことを、 京柱峠から高知よりの
沖集落にヤマシャクヤク 1500本ほどの群生地があり適正な人数で
観賞していたが、ある年K新聞社が取り上げた途端押すな押すなの人数となり
数年にして危機状態となり山の持ち主が入山禁止にした。
山の持ち主の三谷さんと電話でお話を聞いたが
「木道を作ってまた皆さんに観賞してもらいたいが相当な費用がかかり出来ない
紙上に出たばっかりにこんなことになってしまって残念です。」と
貴婦人、天女の花と呼ばれる樹花はこれから人害というもっとも厄介で大きな
憑けを背負うことになろうとは夢にも思わなかったであろう。
ある木のはなの群生をI氏(写真家)が見つけてT新聞に特定地を公表
それによってインパクトがはじまる。
口コミ、インターネット、掲示板などで、、、、、
人間の欲望に歯止めは掛からないのか、悲しいことに。
それによってインパクトがはじまる。
口コミ、インターネット、掲示板などで、、、、、
人間の欲望に歯止めは掛からないのか、悲しいことに。
ゴウシモ(祖谷じゃがいも)の取り入れが一段落してきた今日この頃
早いところでは化粧直しの畑を見かけるようになった。
干しカヤをかいば切りで短く切って畑に入れる農作業が始まっている
祖谷では「肥」とは干しカヤのことであり、「畑に肥を入れる」と云う。
肥を一面に敷き詰めた畑は次の主産物であるソバの種まきを心して待っている
野良仕事をしていたお年よりは
「今年もまたそばの花が楽しめて、新そばのソバがきが食べられるのう」と
嬉しそうに話しかけてくれた。
早いところでは化粧直しの畑を見かけるようになった。
干しカヤをかいば切りで短く切って畑に入れる農作業が始まっている
祖谷では「肥」とは干しカヤのことであり、「畑に肥を入れる」と云う。
肥を一面に敷き詰めた畑は次の主産物であるソバの種まきを心して待っている
野良仕事をしていたお年よりは
「今年もまたそばの花が楽しめて、新そばのソバがきが食べられるのう」と
嬉しそうに話しかけてくれた。