ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

懐柔の手管

2015年03月18日 23時29分25秒 | Weblog
トンデモ設定が目白押しとの定評ある『キン肉マン』であるが、単行本を
流して読んでみると、設定の無理さが存外気にならない事に気付く。
作品のもつ勢いがそうさせているのはもちろんであるが、よく見てみると、
とんでもない出来事があった際に作中の人物が驚きこそすれ、誰かしらが
それを知っているという流れになっており、それが読者をして“さも
ありなん”と思わせ得る説得力を生むのではなかろうかと思うに至る。

つまり、作品の中で“既に知られている”物事は、それがたとえどんな
ものであろうとも、十分に起こり得るということである。
架空の書籍から引用したような演出や、ストーリーに全く関係の無い
第三者による証言や、神の声によるナレーションは、詰まる所これの応用と
言えるのではなかろうか。

言うまでも無いが、現実世界では仮に誰かが知っていたとしても、その
程度では万物の法則や理は曲がることはない。無理なものは無理である。

このような、読んでいる側がかなりあっさり騙されてしまう非現実として、
他の例をいくつか考えてみた。
●血が出なければ痛くない。そして死なない。
●恥じらわなければエロくない。性的アピールにもならない。
…何か少し違う気がしないでもないが、じっくり探せば他にも沢山見つかり
そうである。

冷静に考えれば、そんな訳あるかと言いたくなるような事象であっても、
ちょっとした仕込みをするだけで、アラ不思議。

フィクションの世界だけでなく、現実世界でも結構騙されていそうである。
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