ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

影もないが力はある

2017年03月22日 00時29分28秒 | Weblog
調べものをする時や、人にものを作ってもらう時に個々人が抱く
イメージというものがあるが、煙のようにうすらぼんやりした印象に
反し、実のところは結構な力を持った存在である。
そのおかげで、調べものをしていても、中々これだというような答えに
辿り着けなかったり、何度もリテイクを繰り返して制作サイドを辟易
させたりという、時間の無駄とそこから生じる悲劇を生む原因に
なっていると考える。

こういった自己の『求めるもの』に対するアプローチ手段は、上記の
ようなイメージ主体のものだけではなく、他に想定される目的や場面に
応じて、"大体これくらいの範囲内で"と決めた上で行うものもある。
この場合は事前の想定や情報の精度が高いほど、決まるまでにかかる
時間は短くて済む。

この方法は絵とか感覚的な価値観に訴える分野においては通用しない
のではなかろうかと思う人も居るかも知れないが、個人的な考えから
すれば、可能である。
どこぞの富豪が、昔のメディチ家よろしく芸術家に絵を描かせるという
ような場合ならば、確かに難しいかも知れないが、今の時世においては
そのような例は稀で、大体は商業的に依頼があって制作するというような
流れであろう。

商業的に美術を必要とする場面で、そこには殆どの場合、目的と目標が
存在する。(クライアント側もそういった具体的な目的と目標を彼らの
ボスに提示しないと、会社が財布を貸してくれない)
なので、"大体これくらいの範囲内で"と理詰めで決定を下すことも
できると考えるが、感覚的なものであるので、好き嫌いであったり、
感情に足を取られたり、考えが回らなくなることも多々あることと思われる。

とは言え、イメージ主体の制作方針は高コストなのは間違いないので、
少しでも制作コストを抑えたい場合は、理詰めで行く方法が良いだろう。
制作サイドとしても、往々にして振り回されて疲弊することの多い、
イメージ主体のクライアントよりも、大事な所は理詰めでカッチリ締める
所の方が信頼が生まれやすいと感じる。
長い目で見ればさらにお得と言えよう。
コメント
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