こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)幼子を訪ね当てた人が持つ喜び

2011-12-24 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/12/24(No.567)
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主の降誕(夜半)
(ルカ2:1-14)
幼子を訪ね当てた人が持つ喜び
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主の降誕、おめでとうございます。今年のご降誕のお祝いは、痛みを伴うお祝いかもしれません。なぜなら、救い主が、人のお産にふさわしい場所を与えられず、飼い葉おけに寝かされていたように、東北では数え切れないほどの人が、3月11日寒空にさらされ、地面に寝かされたからです。

数え切れないほどの人が、この日つらい1日を過ごし、それから9カ月たった今も、本来自分たちが暮らすはずの土地から引き離されて暮らしています。救い主が、暖かい場所、安心して眠れる場所にお生まれになったのではなく、厳しい場所、本来休むにふさわしくない場所でお生まれになったことを今年はよりいっそう感じます。

大震災で被災した人々は、電気もガスも水もすべて止まってしまって、夜は真っ暗になったことでしょう。それでも、何日かすると、真っ暗な中に明かりが灯り、暗闇の中にあって希望を感じることができたと思います。イエス・キリストも、明かりのない場所で生まれました。「明かりのない場所に生まれた」と言ってもよいでしょう。明かりのない場所に、世の光として、お生まれになったのです。

大震災直後、真っ暗だった場所にあちらで1つ明かりがともり、また別の場所で1つ明かりがともる、そういう出来事が起こりました。それは、ご誕生の場面と重なります。明かりのない暗闇に、神の独り子という明かりがともりました。深い悲しみ、だれにも解決してもらえない絶望の荒れ野に、希望のともし火がともった瞬間でした。

震災後にどこかで明かりがともった時、何もかも失った人々が、その明かりを確かめに集まったであろうことは容易に推測できます。だれも明かりをもたない中で、明かりがともったのを自分のことのように喜んで、様子を見に行ったはずです。それは、羊飼いたちが飼い葉おけに寝かされている乳飲み子を探しに行く姿そのものです。この明かりはどんな明かりだろうかと、確かめるために集まり、確かめて喜びあうのです。

イエスは今日、「民全体に与えられる大きな喜び」としてお生まれになりました。この喜びは、2つの見方が必要です。まず、神が人類に与えてくださった喜びですから、すでに実現している喜びです。父なる神は、ご自分の望む通りに、人類に独り子を与えてくださいました。

もう1つの見方があります。羊飼いたちは、天使の言葉を信じて、飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけ、喜びに沸きました。羊飼いたちが飼い葉おけに眠る幼子を見つけた時に、喜びが喜びとなったのです。

そこで、わたしたちも今日のお祝いに2つの喜びを考える必要があります。1つは、わたしたちにすでに与えられ、実現している喜びがあり、それを人々に知らせる必要があるということです。そしてもう1つ、わたしたちが幼子を訪ね当てて、幼子の前に跪くことで、わたしにとっての喜びも実現します。今日こうしてミサに集まり、喜び合っているわたしたちは、神が用意してくださった喜びを喜び合い、また、寒さの中で教会まで幼子を訪ね歩いて来て、わたしにとっての喜びを確かなものとしたのです。

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(2・10-11)

あなたが、今日この喜びの日に一緒にいることはすばらしいことです。ただ単に、100人のうちの1人なのではありません。神が人類に与えてくださった大きな喜びは実現していますが、あなたがここに来て、幼子を訪ねてくださることで、あなたと神との間で喜びが確かなものとなったのです。

そこで、今日の喜びを出かけて行って、出会ったすべての人に伝えましょう。神は、人類のための喜びを与えてくださいました。そして、あなたのための喜びも用意してくれています。どうぞ、教会に来て、幼子の姿を見つけてください。そのように伝えられたらすばらしいと思います。

真っ暗な中に、希望の光がもたらされました。絶望しそうな中に、人を導く光が、被災地に、そしてこの日本すべてに与えられました。この喜びが、もっと多くの人と一緒に喜びあえるように、見たことを告げ知らせる。今日の出来事を心に収めて持ち帰りたいと思います。

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‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)
(ヨハネ1:1-18)
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ちょっとひとやすみ
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▼五島には「かんころ餅」という食べ物がある。おもな材料はサツマイモで、生のサツマイモを5ミリ程度で平たくスライスし、それを湯がく。柔らかくなったら竹で組んだ棚に並べて干す。冷たい風が、湯がいたサツマイモを透明感のある干物にしてくれる。
▼次に、スライスしていったん干したサツマイモを蒸す。柔らかくなったら餅つき機でつき、粘りを出す。餅のようになったところで適当な大きさにとりわけ、丸めたり、棒状に整えたりして熱を取る。これでかんころ餅の出来上がり。
▼ほとんどが焼いて食べる。柔らかいうちは焼かずに食べる。サツマイモ本来の甘みがしておいしい。昔、コメの餅が食べられなかった時代に作られたものだと思う。家庭によって独特の味があり、ほとんどが家庭や近所で消費されていたが、今ではその素朴な味がかえって付加価値となり、商品としても出回っている。
▼もちろんかんころ餅も美味しいのだが、竹で作ったいわゆる「かんころ棚」に干してある湯がいたサツマイモのスライスもけっこうおいしい。小学生のころは、山の中でチャンバラごっこや陣取り合戦をして、おやつに棚に並べてある干しサツマイモを食べた。もう時効だとは思うが、断って食べたのではなく、黙って盗んで食べた。
▼食べたままにしておくと犯行がばれるので、ほかの干しサツマイモも均等に動かして穴が開いたままにならないように全体を動かした。これは想像だが、自分よりも昔の子供たちも同じことをしていただろうと思う。だから、少々食べられてもそれを犯人探ししなかったのではないか。
▼最近は、紫のイモを使ったかんころもある。ピーナツを砕いたものが混ざっていたり、明らかにハチミツの甘さが感じられたり、多種多様なものが販売されている。販売するようになってから、いろんな「奇妙な」かんころが出回るようになった。家庭の味だったころ、本当にイモの甘味だけだったかんころが、わたしは好きだ。

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新企画今週の1枚
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