こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

待降節第3主日(マタイ11:2-11)あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか

2019-12-14 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/191215.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2019/12/15(No.1035)
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待降節第3主日(マタイ11:2-11)
あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか
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「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。」(11・7)イエスが洗礼者ヨハネを紹介する時に群衆に呼びかけた言葉です。私たちが見ようとしているものを超えて、真実を指し示してくださるイエスにさらに心を向けることにしましょう。私たちが見ようとしているものを超えて、おいでになる救い主は私たちに必要なものを見せてくださいます。

「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。」私にとってこのイエスの言葉は呼びかけであり、振り返りでもあります。先に呼びかけとして考えると、私たちは長崎で教皇様のミサに参加しました。「何を見に行ったのか」と問われるなら、教皇様を見に行った、ということになるでしょう。ただ、見たのは教皇様ですが、イエス様から見せていただいたのは、これまでとはまったく違う、「刷新をもたらす教皇様」だったのです。

恥ずかしながら、教皇様のミサに参加してから、教皇様の人柄を知るための本をいくつか買いました。その中で「これがいいかな」と思った本を現在読み続けておりますが、教皇フランシスコはこれまでの教皇様とは明らかに違う面を持ち合わせていて、それが現代の教会に必要だったので選挙で選ばれ、第266代の教皇フランシスコとして神様が私たちに与えてくださった方でした。

明らかに違う点は、フランシスコ教皇がヨーロッパからの教皇様ではなく、南米からの教皇様だということです。このあたりは、3月の黙想会で詳しく話したいと思っていますが、今や地域の教会が、全世界のカトリック信者を導く教皇様を生み出す時代になったということです。すべてのことはローマからやって来て、ローマに忠実に従っていればよい。
その伝統と歴史に新しい時代が来たと、教皇フランシスコをお選びになったイエスが示しておられるわけです。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。」新しい教皇様、地域の教会が育て、送り出してくださった新しい教皇様を、私たちは見たのです。

イエスの問いかけを振り返りとして考えるなら、それは私が中学生のときにさかのぼります。神学生は毎年2月5日に西坂まで歩いて行き、26聖人のミサに参加していました。この日も寒い夜で、手をこすり合わせながらミサの説教を聞いたのでした。その年に説教された神父様は、誰だったのか当時は分かりませんでしたが、生涯心に残る説教をしてくださいました。

「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。」「風にそよぐ葦か。しなやかな服を着た人か。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。」(11・7-9参照)ここには殉教者がおられて、私たちに期待しているもの以上のものを見聞きさせてくれるのだ。そういう説教でした。

感銘深いその説教を、私はずっと心に暖めて神学校生活を続けました。ただその説教をしてくれた神父様が誰だったのか確かめる方法を持たず、いつかお目にかかりたいものだと思いながら、ついに大神学校も卒業して司祭となり、浦上教会の助任として赴任したのでした。主任神父様は川添神父様でした。

クリスマス夜半のミサ後だったか復活徹夜祭のミサ後だったか、司祭全員が食堂に残っていろんな話に花が咲いていた時に、主任司祭の川添神父様がおもむろにこう言ったのです。「あなたたちが司祭になるまで大切に暖め続けていたものがあったら話してみなさい。」

年配の助任司祭からそれぞれ話してくれて、いちばん年下の私に順番が回り、「26聖人ミサの説教で『あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。』という説教を聞いて、ぜひこんな説教をする神父様になりたいと思って、それを暖め続けて司祭になりました。」と答えました。

すると川添神父様が一呼吸おいて、「その説教をしたのは私だ。よく司祭になってくれた。よく浦上教会の助任に来てくれた。」と喜んでくださったのです。少年だったあのとき、私が見に行ったものは寒さの中で燃えるような説教をしてくれた神父様でしたが、二度と会うことはないと思っていた神父様を、イエス様はすぐそばで見せてくださり、その神父様に五年間手取り足取り教えていただいたのでした。私たちが何気なく見ているものは、しばしばそれ以上の素晴らしさがあります。イエスが見せてくださっているものは、私が見ている理解をはるかに超える意味と価値があるのです。

私たち自身に当てはめてみましょう。私たちは待降節を通じて馬小屋を準備します。馬小屋には確実にマリア様とヨセフ様、御子イエス様が飾られます。それは毎年のことです。けれどもこの毎年の出来事の中に、私たちが見ているものを超えた意味と価値を、イエス様は示してくださるのです。私たちはそれを楽しみにして、ご降誕のその日を待ちたいと思います。

教皇フランシスコの人柄を紹介する本を読み進めるごとに、私たちが今頂いている教皇様が特別な恵みなのだと理解できます。どこまで紹介できるかは分かりませんが、3月下旬に予定している黙想会で、教皇様に親しみを持つことを黙想会のテーマとして、私たちが誰とでも、どこででも教皇フランシスコについて語れる人になりたいと思います。

聖書の分かち合いはまだできないという人でも、教皇フランシスコの話題はぜひ私も分かち合いたい。そういう人になれるよう、3月の黙想会では実りを願いましょう。これらの力を勇気を与えてくださるのは、まもなくおいでになる救い主イエス・キリストです。私たちにイエスを信じる喜びを確かなものとしていただけるよう、今週もミサの中で恵みを願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
待降節第4主日(マタイ1:18-24)
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ちょっとひとやすみ
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▼保育園のクリスマス会に出席してきた。去年は私がうっかりしていたため見ることができなかったが、今年は決して忘れないようにと思っていたので参加できた。入口を通ってみると「席を用意しています」というので案内されるまま向かうと小学校の校長先生が座っている隣の席だった。
▼「田平教会です」とひとまずあいさつしたが、それ以外は何も言葉を交わすことは無かった。それもそうだろう。「教育関係者」の目からは、「宗教関係者」は違う畑の人に見えているはずだから。私のほうからは教育関係者は大いに関係ある人なのだが。
▼校長先生2人は第1部をもって席を外し、退出された。第2部は聖劇だったが、聖劇は「宗教関係」ということなのだろうか。私は久しぶりに聖劇を観て、今までに無い新鮮な驚きがあった。その中で園児を二人取り上げたい。
▼一人は、「大天使ガブリエル」である。大天使は天使を引き連れて登場したが、この園児だけは一切手抜きなしで任せら得た演技をこなしていた。「どこまでが手抜きでどこまでが手抜きでない」のか。私の基準は明確である。
▼大抵、舞台の袖に来ると誰でも手を抜くものだ。多くの観客は舞台の袖、消えかかっている場面はあまり気にしていないのだから。ギリギリになると、両手を羽ばたかせていた天使も手を下ろして走って奥に退く。それは許される範囲だと思う。
▼しかしこの園児は違った!舞台の袖に来ても、完全に消えるところまできっちり演技を続けていた。これは指導する先生のおかげか、この園児の天才的なセンスか、どちらかなのだが、私はこの園児のセンスだと信じたい。なぜなら引き連れていた天使たちは舞台の袖に来るとさっと演技を終了していたから。最後の最後、消えてしまったその時まで美しい演技をしていた大天使ガブリエルに拍手を送りたい。
▼もう一人はマリア様である。当然、劇の終わりの場面では幼子イエス様がお生まれになり、マリア様とヨセフ様が幼子を見守る場面となる。今年の幼子イエス様役はじっとしていない活発な子だった。そのままだと「しずけき真夜中」を台無しにしてしまう。
▼ところがマリア様は、なんと幼子の為に用意されていたおもちゃで気を引いて、あやしていたのだ。私がヨセフ様だったら、幼子イエス様をあやして「おとなしくしてね」となだめることなどとても思い付かない。幼子役の乳児はおもちゃにも飽きて投げ捨ててしまった。するとマリア様は目の前にあった「黄金・乳香・もつ薬」を揺すってコトコト音を出し、幼子をなだめ始めた。「最優秀主演女優賞」に値する名演技であった。

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今週の1枚
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第642回目。もしチャンスがあれば、イルミネーションを。今日が田平の点灯式。

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