こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

四旬節第2主日(ルカ9:28b-36)父なる神のご意思、それは「イエス・キリスト」

2022-03-11 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/3/13(No.1168)
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四旬節第2主日(ルカ9:28b-36)
父なる神のご意思、それは「イエス・キリスト」
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四旬節第2主日は、「御変容(イエスの姿が変わる)」の場面が取り上げられる日曜日です。「祈るために山に登られた」(9・28)はタボル山でしょう。イスラエル巡礼の体験がよみがえります。

タボル山の頂上に登ると、辺り一帯を見渡すことができます。なぜならこの山のほかに小高い場所がないからです。そのため、この山ならではの気象現象が起こります。地表の高温で乾燥した空気が山にぶつかると、山頂では空気が急激に冷やされ、時に霧となって山を覆うのです。

「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。」(9・34)もともとガリラヤ湖で漁をして生活していたペトロ、ヨハネ、およびヤコブは、この現象に大いに恐れを感じたことでしょう。

気象学的な説明をしなくても、三人の弟子が見た光景は、彼らを恐れさせるに十分だったと思います。ペトロの動揺ぶりは、「仮小屋を三つ建てましょう」(9・33)と提案したことにも現れています。

人が家を建てるのは、その場所に定住しようと決めたことを表しています。家は人が定住し、人生を完成させるための場所です。しかしイエスはこれまでもずっと、町や村を移動しながら神の国を宣べ伝えてきました。御父の望みをすべての人に伝え、救いの計画を完成させるために、一つの場所に留まり続けるわけにはいかないのです。

約60年前に開かれた第二バチカン公会議は、地上の教会のことを「旅する教会」と表現しました。それまでの教会の姿は「キリストの神秘体」という表現でした。それぞれ、教会の特徴を言い当てているわけですが、「旅する教会」という表現は「キリストの神秘体」という表現よりさらに「完成に向かって歩んでいる教会の姿」を表しています。

教会は立ち止まらない。現代の諸問題と正面から向き合って、すべての人を受け入れる場所となりたい。その決意が「旅する教会」に込められていました。イエスもまた、一時的に示された輝かしい場面に立ち止まらず、エルサレムで待ち受けている十字架上の栄光へと向かわれるのです。そして弟子たちもイエスに聞き従うことが求められます。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」(9・35)。

「これこそイエスの本来の姿だ。」弟子たちは輝く姿のイエスを見て確信したでしょう。けれども御父がイエスを通して示そうとする御意思はもっと先にありました。弟子たちが「ここにある」と立ち止まった場所にではなく、イエスが最後に足を止めた場所、十字架上にあるのです。だからこれからもイエスに聞き従う必要があります。

父なる神の御意思、それは突き詰めると「イエス・キリスト」です。いまだに争い合い、対立し合う国があります。武力で解決しようと躍起になっている人がいます。平和な世界、平和な社会さえ、人間は維持することができない愚か者です。その人類を救うために、イエスは山上での栄光で足を止めず、エルサレムで待つ十字架へと向かうのです。

本日、ミサの奉献文は「ゆるしの奉献文(二)」を用います。テーマは「人類の和解」です。これから始まる感謝の祭儀、その心の準備として、「私たちの平和・キリスト」という聖歌を歌うのでしばらく聞いてください。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第3主日(ルカ13:1-9)
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ちょっとひとやすみ
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▼先週の続き。洗礼のために、額に三度、水を注いだ。直接接触しなくても授けることができて、神に心から感謝した。これが病者の塗油のように額に触れなければならないとしたら、たとえ緊急の洗礼でも授けることは叶わなかっただろう。
▼かつてのヨルダン川での洗礼のように、水に体を沈める洗礼は別として、ほんの少しの水によって、高齢のご主人は救いの恵みを受けた。ほんの少しの水を通して、神はその人のすべての罪を赦してくれた。自分が受けた洗礼の恵み、堅信の恵み、叙階の恵みの大きさを、あらためて知って恐れおののく体験であった。

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今週の1枚
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第775回目。ようやく公式のミサが再開された。日常がこれほど有り難いとは。

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† 神に感謝 †
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