こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第16主日(マルコ6:30-34)「イエスの教え」を通して人々に注がれる神の憐れみ

2021-07-17 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/210718.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2021/7/18(No.1131)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第16主日(マルコ6:30-34)
「イエスの教え」を通して人々に注がれる神の憐れみ
‥‥‥†‥‥‥‥

「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」(6・34)弟子たちが、初めての宣教活動できっと疲れて帰ってくると思い、イエスは戻ってきた弟子たちに「人里離れたところへ行って、しばらく休むがよい」(6・31)とねぎらいます。

しかしご自身は休むこともせず、ひっきりなしにやって来る群衆のお世話をし続けました。「いろいろと教え始められた」(6・34)というのがイエスのなされたことだったのですが、なぜ「教えること」を選ばれたのでしょうか。

集まってくる群衆は、もしかしたら何か奇跡をしてもらえると思って集まっていたかも知れません。そんな群衆にあえて「いろいろと教える」というのは遠回りのようにも思えます。

「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。」(ルカ11・11-12)魚を欲しがっているなら、魚を与えるのが手っ取り早いと言えるかも知れません。

しかしこのようにも言われています。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(同11・13)今回の朗読で「いろいろと教え始められた」というのは、目の前のものも大事ですが、もっと大切な物を与えようとしておられるのだと考えることもできます。

「教える」「教育する」ということが大切なのはだれもが理解できることです。以前ある映像を見たとき、教育が人間だけでなく動物でもおこなわれているのには驚きました。神様は、教えることで「目の前のものよりも大切なものを与える」という本能を、動物にも与えておられるのだなと、映像を見て思いました。

その映像とはこういうものです。大人の象が、水飲み場からなかなか上がれないでいる子どもの象に陸への上がり方を教えている映像でした。本当は長い鼻を使ったりして子どもの象に力を貸せば、簡単に水の中から引き上げられるのに、大人の象たちがわざわざ、足の着き方、体重のかけ方を何度も何度も実演して、その子ども象が自力で上がれるように教えていたのでした。

私も、その映像を見ながら「そうだよな」と理解しました。水飲み場からなかなか陸に上がれない。そういう場面は今後何度も経験するかも知れません。そのたびに大人が助けてあげるわけにはいかないのです。今、自力で陸に上がれるようになっていなければ、将来溺れて死んでしまうかも知れないのです。

本能で生きている彼らには、「教えることが救うこと」「陸上への上がり方を教えることが本当の意味で助けること、救うこと」だったのです。それを大人の象たちは痛いほど知っているので、決して甘やかさず、自力で這い上がる方法を、何度も実演して教えていたのでした。

イエスも、目の前のことだけにとらわれて群衆に深い憐れみを示したのではありませんでした。「深い憐れみ」は、目の前のことで終わらず、羊飼いの声を聞き分ける羊になるように導く憐れみです。この場面でも、父なる神は決して群衆を見捨てたりはしない、そんなことを教えておられたのかも知れません。

「なぜあの時こうしてくれなかったのか」そう言って相手を責める人がいますが、その人が自分を本当に心にかけている人なら、先を見据えて手を貸してくれるでしょう。神のなさり方も同じです。人の心に深く刻まれる教えを通して、その人の生涯にわたって羊飼いであるイエスの導きを感じられる。そのためにいろいろと教えてくださるのです。

7月4日、マトラ神父様の帰天百年祭行事が行われました。今年の小中学生の黙想会で、「マトラ神父様の働き」を材料にして黙想会を開こうと思っています。マトラ神父様がその時手がけた取り組みが、百年後の今も受け継がれています。マトラ神父様も、当時の平戸の神の民が「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」のです。

黙想会は、特定のことをテーマにして学ぶとても良い機会です。マトラ神父様の、平戸のキリシタンたちに対する深い愛が今の子どもたちにも理解されて、将来、神の国のために良い働きができる人に育ってほしいと願っています。いつか、「小学生のときにマトラ神父様のことを学んだなぁ」と思い出してくれて、その時あらためて神父様の働きを振り返ってくれたら幸いです。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第17主日(ヨハネ6:1-15)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼ICレコーダーの話。この言葉を「あいしーれこーだ」と聞き取りしたなら、今回の話題は共感できるかも知れない。「ボイスレコーダー」とも言うが、今回は「ICレコーダー」と表記することにしたい。
▼この録音機器をある場面で推薦し、「ぜひ使ってもらいたい」と言った。しかし相手は「カセットテープレコーダー」をずっと使ってきた世代。「あいしー何とか」と言っている時点で話が伝わらない様子だった。「総理大臣のインタビューとかで、テーブルにずらっと並んでいる小さな機器が、ICレコーダーと言って録音するやつです」とあらためて説明した。
▼「それは分かりますが、今さらそんな複雑な物を使えと言われても困ります。」どこがそんなに複雑なのだろうかと思ったが、複雑と感じている人に「簡単だよ」と言っても伝わらない。どうやって、簡単便利な録音機なのだと納得させるか、しばし考えている。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第738回目。この録音機器を使って、世代間ギャップを超えられるかの挑戦。

http://ss104313.stars.ne.jp/210718.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする