こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第27主日(マタイ21:33-43)お膳立てをしてくださった神と収穫を分け合う

2020-10-03 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/201004.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/10/4(No.1084)
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年間第27主日(マタイ21:33-43)
お膳立てをしてくださった神と収穫を分け合う
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。チャンネル登録歓迎します。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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日曜日9時の、説教の後に洗礼式を予定しているミサを前提に話します。今週の福音朗読箇所から洗礼式に臨む両親に語りかける部分を探すのは難しいかも知れません。ただ、イエスがたとえ話を語っている相手、祭司長や民の長老たちは、たとえ話が自分たちへの当てつけであると知りつつも、正しい答えを返しました。

「その悪人どもをひどい目に遭わせるでしょう。そしてぶどう園はほかの農夫たちに貸すでしょう。」ここに、洗礼を受けるお子さんと、保護者や代父、関係者は耳を傾けることができると思います。

「ぶどう園」をはじめに貸した相手は、「悪人」でした。当時の宗教指導者たちに当てつけて言われていると知っていましたが、宗教指導者たちは最初の農夫たちが「悪人」であることを認めなければなりませんでした。

彼らも、主人である父なる神が期待している収穫を収めず、弱い人たちをしいたげ、自分たちが主人の喜びにあずからないだけでなく、主人と喜ぼうとする人たちまで妨げていたのでした。収穫があるはずの「ぶどう園」に居座って、「ぶどう園」からあの手この手で奪い取る人たちになってしまいました。

何度も、宗教指導者たちには振る舞いを改め、神の喜びに連なるチャンスが与えられましたが、ことごとく無駄にしてしまいました。イエスがおいでになった時、最大のチャンスでしたが、態度を変えませんでした。

一方で、「新たに貸した相手」は、季節ごとに収穫を収めることになる人たちです。収穫を受け取りに来る僕を見て、自分たちが今あるのはこの僕たちを送り込んだ主人のおかげだと素直に認める人たちです。ぶどう園の主人に信頼を寄せているので、送り込んだ僕のことも信頼しました。

この人たちはのちに教会を形づくることになる人たちでした。たとえそれが、罪人であっても、です。自分を甘く見てしまう弱さ。誰かに迷惑をかけても自分は生き残りたいという利己心。そうした罪の部分を素直に認め、私を今も生かしてくださる主人に収穫を渡すことのできる人たちです。

洗礼式を迎えるお子さんと、保護者に当てはめてみましょう。お子さんが健やかに成長していく。いろんな節目をどのように迎えますか?世の人々は、あの手この手で両親にお祝いのアイディアを持ちかけ、その実少しずつではあってもお金を目当てに近寄ってくるのです。子供が小さい時は小さなお金を、成長するに従ってどんどん大きな額を引き出させようとする。いつまでもきりがありません。

しかし別の祝い方もあります。節目になるたびに、父なる神の前に出て、ここまで育った子供の成長を、収穫としてお渡しすることです。洗礼式、堅信式、結婚式。その他にも、子供の成長という収穫の実りを、僕である司祭の手を通して、お渡しする生き方です。そうすることで、子供と両親は節目のたびに神の喜びとなり、神と喜びを分け合うのです。

私たちは幼い頃、両親に手を引かれて教会に来ました。教会はそんなに楽しいところではなかったけれども、「教会に行く時の服」というのをときどき買ってもらえました。子供は新しい服を買ってもらって嬉しいばかりですが、両親が教えたかったのは、教会に来て行ってから初めて普段着になる。最初は神様のために着てからだよ、ということでした。

どんな人も、教会に集まって父なる神の前に跪いていました。外では道路に大の字になってバスを困らせたりするあるおじさんが教会に来ていてビックリしたことがありました。弱い人も、罪人も、教会に来て収穫を受け取る僕に自分自身を渡して、また生活に戻っていったのです。

なかには、収穫を独り占めしようとする人たちもいるでしょう。両親が育てたのだから、子供を両親の思うままにしてしまおう。そんな人もいるかも知れません。実際にはそうしたくても、子供は反抗して思い通りにはならないでしょう。現実はそうであっても、思い描いた通りに子供を歩かせたいと本気で思っている両親もいるでしょう。

それでも私たちは、節目のたびに神様の前に身を置きましょう。命を授かりました。言葉を話せるようになりました。自分で道を選べるようになりました。命を生み出せる大人になりました。いろんな収穫を、僕である司祭を通して、主である父なる神にお渡ししましょう。私たちがこの生活のリズムを固く守るなら、親子共々、尊敬される息子の列に、イエスの友としてイエスと共に並ぶことができます。

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‥次の説教は‥‥
年間第28主日(マタイ22:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼「ファインダーで覗いただけでは、人間の目が捉えている風景を捉えることはできない」のだそうだ。たまたま観ていたテレビの番組で、冬の厳しい時期に日本アルプスに登り、長年その景色を映像に収めてきた写真家の言葉だ。
▼私のような素人がどうこう言えないレベルだが、「どうして肉眼では見えているのに、カメラで収めると見えていた景色にならないのだろうか」と思うことはしばしばある。中秋の名月のこの時期にウォーキングを楽しんでいたら、月の左下に明るい星を一つ見つけた。
▼これは写真に撮っておこうと思い、撮った写真をあとで見たら、明るい星のはずなのにあまりきれいに写っていない。ガッカリしたと同時に「どうして人間には見えているのに、カメラでは同じように切り取れないのか?」と思ったものだ。
▼今週紹介している一枚の画像もそうだろう。季節外れの桜が、教会敷地の木に咲いていた。「ぜひ取り上げよう」そう思って、iPhoneと一眼レフ(EOS Kiss)で撮影してみた。何も問題なく撮影できているはずだが、なぜか写真を見ても桜の花びらを確認できない。肉眼では「あそこ」と指差されればすぐに分かるのに、である。
▼「人間の目で見て、感動した通りに切り取る。」素人はうまく撮れないが、プロはその極意を身につけている。田平にも腕のいい写真家がおられる。いつか、写真の手ほどきをしてもらいたいものだ。

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今週の1枚
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第691回目。桜が咲いた。勿論季節外れ。ひんやりする風に当たりながら撮影。

http://ss104313.stars.ne.jp/201004.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
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今週の「笑える」
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「今すれば、5年後10年後にウンレイの差が付くから」「でもしたくないなぁ」
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† 神に感謝 †
コメント
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