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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2024/10/27(No.1321)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第30主日(マルコ10:46-52)
あなたの人生にもイエスと出会う「エリコ」はあります
‥‥‥†‥‥‥‥
年間の主日も30週になりました。34週目が「王であるキリスト(年間最後の週)」ですから、教会の暦「典礼暦」もいよいよ最終に近づいています。年間の週を終わると救い主の誕生を待ち望む「待降節」、新しい典礼暦です。
今週、盲人バルティマイのいやしの場面なのですが、説教をするほとんどの人が取り上げないであろう部分に目を留めてまとめてみました。それは出来事が起こった場所「エリコ」です。「イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。」(10・46)
新約聖書の中で、「エリコ」という場所が四回使われています。すべて興味深いです。(1)マタイ20章「二人の盲人をいやす」(2)マルコ10章「盲人バルティマイをいやす」(3)ルカ10章「善いサマリア人」(4)ルカ19章「徴税人ザアカイ」何か、気づいたでしょうか?
私はこう考えました。「エリコ」という場所は、「出会いの場所」なのではないか、ということです。マタイ福音書の二人の盲人はイエスに出会いました。今週のマルコ福音書のバルティマイもイエスに出会いました。ルカ福音書10章の「善いサマリア人」は、このたとえを通して律法の専門家がイエスに真の出会いを体験します。ルカ19章の徴税人ザアカイも、イエスに出会いました。
「エリコ」という場所が使われているのはこの四箇所で、ほかの使い方がされていません。四つを眺めていて中田神父は、「エリコは人がイエスと出会う場所なのかもしれない」と考えたのです。初めて出会った人、通りがかりに偶然出会った人、以前から会いたいと思っていてようやく機会を得た人、いろんな出会い方があるかも知れませんが、彼らはエリコで、イエスと真の出会いを果たし、人生が変わったのです。
しかしこの場所は、私たちにとって縁遠い場所です。日本から遠く離れたパレスチナの地、エルサレムの北東にある町ですが、位置関係を説明しても少しも身近には感じられないでしょう。私たちがすっかり「エリコ」という町に縛られてしまっているからです。
むしろ、新約聖書の中でイエスと真の出会いをする場所が四回も繰り返された。そのことに目を向けると、学びがあると思います。私たちの人生の中で、何度も繰り返してイエスと真の出会いをしている場所があるなら、そこがあなたにとっての「エリコ」なのではないでしょうか。
今週の物語に当てはめると、バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」(10・51)と願って、イエスが「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(10・52)とお答えになると盲人は「すぐ見えるようになった」ことになっています。
身体の目が見えるようになるだけでしたら、「見えるようになれ」とイエスが命じれば済むことです。しかしイエスはバルティマイの信仰にまで踏み込んで出会ってくれました。私たちの信仰にまで深く踏み込んで出会ってくれた場所。そこは、バルティマイがイエスに出会った場所と同じく「エリコ」と呼んで良いのではないでしょうか。
ずっと教会のミサに通っていながら、退屈だ、早くミサを終わって出かけたい、そんなことばかり考えていた人がいるとします。しかしあるときから、「ミサに来るのが楽しくなった。説教を聞いて、見えなかったものが見えるようになった」そういう経験を何度も味わえたとしたら、この教会が「エリコ」であると、言えるのではないでしょうか。
私は、ゆるしの秘跡を受ける告白場が、皆さんとイエス様が深く出会っている場所だと考えています。告白場に留まる時間は本当に短い時間、3分とか5分です。しかしその短い時間の中で、告白をする人がいやしの恵みを受け、心を洗われ、再び力を得て帰って行くのを何度も見ます。皆さんにとっても告白場は、ゆるしを与えようとしておられるイエス様がより近く感じられる場所、緊張する場所ではないでしょうか。
実は私たちの生活の中に、イエスと真の出会いを果たす場所「エリコ」と呼べる場所があります。その場所をさまよって探し回る必要はありません。イエスは必ず、出会いたい場所であなたと出会おうと、待っておられるからです。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第31主日(マルコ12:28b-34)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼ドラフト会議。広島カープだけが一位指名を公表していた。ドラフトの時間、教会学校も子供ミサもあっていた。恐る恐る番組を観た。公言していた選手は楽天に交渉権を持って行かれた。うーん、残念。
▼今年5球団の監督がユニフォームを脱ぎ、新しい監督に入れ替わる。来シーズンは熾烈な優勝争いになるだろう。今年の二の舞は味わいたくない。来シーズンは、9月まで、喜びを押し殺して応援することにしよう。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
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第928回目。チャンスがあれば司祭叙階銀祝を迎えた井持浦出身熊川師晴れ舞台
ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/10/27(No.1321)
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年間第30主日(マルコ10:46-52)
あなたの人生にもイエスと出会う「エリコ」はあります
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年間の主日も30週になりました。34週目が「王であるキリスト(年間最後の週)」ですから、教会の暦「典礼暦」もいよいよ最終に近づいています。年間の週を終わると救い主の誕生を待ち望む「待降節」、新しい典礼暦です。
今週、盲人バルティマイのいやしの場面なのですが、説教をするほとんどの人が取り上げないであろう部分に目を留めてまとめてみました。それは出来事が起こった場所「エリコ」です。「イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。」(10・46)
新約聖書の中で、「エリコ」という場所が四回使われています。すべて興味深いです。(1)マタイ20章「二人の盲人をいやす」(2)マルコ10章「盲人バルティマイをいやす」(3)ルカ10章「善いサマリア人」(4)ルカ19章「徴税人ザアカイ」何か、気づいたでしょうか?
私はこう考えました。「エリコ」という場所は、「出会いの場所」なのではないか、ということです。マタイ福音書の二人の盲人はイエスに出会いました。今週のマルコ福音書のバルティマイもイエスに出会いました。ルカ福音書10章の「善いサマリア人」は、このたとえを通して律法の専門家がイエスに真の出会いを体験します。ルカ19章の徴税人ザアカイも、イエスに出会いました。
「エリコ」という場所が使われているのはこの四箇所で、ほかの使い方がされていません。四つを眺めていて中田神父は、「エリコは人がイエスと出会う場所なのかもしれない」と考えたのです。初めて出会った人、通りがかりに偶然出会った人、以前から会いたいと思っていてようやく機会を得た人、いろんな出会い方があるかも知れませんが、彼らはエリコで、イエスと真の出会いを果たし、人生が変わったのです。
しかしこの場所は、私たちにとって縁遠い場所です。日本から遠く離れたパレスチナの地、エルサレムの北東にある町ですが、位置関係を説明しても少しも身近には感じられないでしょう。私たちがすっかり「エリコ」という町に縛られてしまっているからです。
むしろ、新約聖書の中でイエスと真の出会いをする場所が四回も繰り返された。そのことに目を向けると、学びがあると思います。私たちの人生の中で、何度も繰り返してイエスと真の出会いをしている場所があるなら、そこがあなたにとっての「エリコ」なのではないでしょうか。
今週の物語に当てはめると、バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」(10・51)と願って、イエスが「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(10・52)とお答えになると盲人は「すぐ見えるようになった」ことになっています。
身体の目が見えるようになるだけでしたら、「見えるようになれ」とイエスが命じれば済むことです。しかしイエスはバルティマイの信仰にまで踏み込んで出会ってくれました。私たちの信仰にまで深く踏み込んで出会ってくれた場所。そこは、バルティマイがイエスに出会った場所と同じく「エリコ」と呼んで良いのではないでしょうか。
ずっと教会のミサに通っていながら、退屈だ、早くミサを終わって出かけたい、そんなことばかり考えていた人がいるとします。しかしあるときから、「ミサに来るのが楽しくなった。説教を聞いて、見えなかったものが見えるようになった」そういう経験を何度も味わえたとしたら、この教会が「エリコ」であると、言えるのではないでしょうか。
私は、ゆるしの秘跡を受ける告白場が、皆さんとイエス様が深く出会っている場所だと考えています。告白場に留まる時間は本当に短い時間、3分とか5分です。しかしその短い時間の中で、告白をする人がいやしの恵みを受け、心を洗われ、再び力を得て帰って行くのを何度も見ます。皆さんにとっても告白場は、ゆるしを与えようとしておられるイエス様がより近く感じられる場所、緊張する場所ではないでしょうか。
実は私たちの生活の中に、イエスと真の出会いを果たす場所「エリコ」と呼べる場所があります。その場所をさまよって探し回る必要はありません。イエスは必ず、出会いたい場所であなたと出会おうと、待っておられるからです。
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‥次の説教は‥‥
年間第31主日(マルコ12:28b-34)
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ちょっとひとやすみ
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▼ドラフト会議。広島カープだけが一位指名を公表していた。ドラフトの時間、教会学校も子供ミサもあっていた。恐る恐る番組を観た。公言していた選手は楽天に交渉権を持って行かれた。うーん、残念。
▼今年5球団の監督がユニフォームを脱ぎ、新しい監督に入れ替わる。来シーズンは熾烈な優勝争いになるだろう。今年の二の舞は味わいたくない。来シーズンは、9月まで、喜びを押し殺して応援することにしよう。
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